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1月31日(日) 晴れ 気温28度、湿度76% 日の出5時32分、日の入り18時26分 バヌアツ滞在635日目
2010/01/31(Sun)
2時起床。英語文法の勉強。NHKワールドで十勝酪農女性研修をみる。朝食後8時前アパートを出てドミトリーへ向かう。途中今年12年生になるトンゴア出身の生徒と会って握手する。買い物に出かけるところという。8時からドミトリーでインターネットメールを見る。明日から学校へ出るが、シェイム先生からも2月から学校へ出るとメールがあった。同期の青年隊員と会う。6月まで3か月期間延長するというので、同期の3人で激励の昼食会をすることにする。9時までドミトリーでインターネットを使いアパートへ帰り支度をして教会へ行く。今日の礼拝は引退をしたセティさんとドロシーさんが司会進行と説教を担当されていた。ORDINATION AND COMMISSIONING SERVICEといって新しく3名のELDERS(長老)と2名のDEACONS(執事)の命名式が執り行われた。それぞれ履歴が読み上げられたが、しばしばマラポアカレッジが出てきた。新しく
ELDERSに選ばれたWillie Georgeは警察の長官で首相府の保安長官という。礼拝後昼食会があって、セティさんから勧められたので残ることにした。昼食はWillie Georgeと一緒におしゃべりをする。シェイム先生と同じマキラの出身だが生まれはエファテだという。今度マラポアカレッジの11年生に合格した生徒は首相一族の子供だそうだが首相の息子ではないという。昨年5月には南太平洋サミットに北海道に行ったと言っていた。寒かったそうである。シニアの北海道の先輩にサミットで会ったかと尋ねるとご存知であった。留学しているエリザベスさんにも会ったそうである。日本の食事は量が少なくてお腹がすいたでしょうと尋ねたら、いろいろ食べるものが沢山あったのでそんなことは無かったと言っていた。サミットにはバヌアツから何人行ったのかと尋ねたら、一人一人名前を挙げて指を折っていたが5人ぐらいだそうだ。首相を守ってこの人も一緒に行ったのだからこの人も重要人物らしい。今度の上海のEXPOにも行くのかと尋ねると、上海にも行くし北京にも行くと言っていた。バヌアツの軍隊の兵隊の数を尋ねると150人ぐらいだという。Willie 自身の訓練はフィジーのスバとニュージーランドで受けたと言っていた。流石に要人を保護する仕事だけに均整の取れた大柄な身体をして厳しい顔つきをしていた。しかし気さくに話相手をしてくれて楽しかった。1時過ぎにご馳走様をして先に失礼する。帰り道ダリルさんの車が警笛を鳴らして追い抜いていく。レンジョーが後ろを見て手を振ってくれていた。スーパーによって買い物をして帰宅する。シャワーを浴び、洗濯をして居間の椅子に身体を伸ばして吉村昭著「夜明けの雷鳴」を読みながらうとうとする。3時過ぎ目を覚ます。英語の文法を勉強して夕食はチラシ寿司と野菜スープ。6時ガーデンに犬と野菜摘み。犬は青いトマト2個を食べる。夕食後1月のハウスキーピングを締めて2月のデータシートの準備をする。日記も明日から2月である。仕事は今月でお仕舞いにして3月は活動まとめなどで過ごしたい。明日は学校へ出かけて、パソコンの設定をする。20時15分。21時就寝。

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1月30日(土) 晴れ 気温28度、湿度73% 日の出5時32分、日の入り18時26分 バヌアツ滞在634日目
2010/01/31(Sun)
3時半起床。釣りの支度をして餌を小麦粉を練って作る。英語文法20th Dayまとめの12まで見る。5時からNHKワールドを見る。最初のニュースは相変わらず普天間移設問題。5月末までに移転先を決めると言っているが、いよいよ1月もお仕舞いになってきた。果たしてどんな結論になるのか今では誰も予想がつかないのではないだろうか。自民党とアメリカで合意した名護の辺野古移設を北島や平野は考えていたようだが、名護市長選の選挙結果で北島も名護移設は出来ないと言い出したようだ。候補地は無くなっていくが、新しい対策が示されない。5時20分からNHKニュースを見る。最初のニュースは新幹線の架線切れ事故による不通であった。1週間で一番乗客の多い金曜日の午後の事故であっただけに夕方に移動する出張者に大きな影響があったようである。サラリーマン時代はよくこの時間の列車を利用していたものであった。鳩山の施政方針演説を見る。ガンジーの言った7つの罪を引用したり恒久的雇用支援制度を23年を目処に作ると言っていた。「宣言あって対策なし、お詫びあって責任とらず」と野党の渡辺は言っていた。東証では昨年末の3ヶ月の決算発表が約350社で発表になり経常利益が過去最高益を出す企業が続出しているという。3月21日にはじまる春のセンバツの出場校が報道される。期待して出場校を見ていたが残念ながら静岡高校は選抜されていなかった。帰ったら一度は甲子園に見ってみよう。外野席のてっぺんに座って潮風にあたりながらビールを飲んでの野球観戦もいいもんだ。今日もいいお天気になりそうだ。5時50分これから朝食の準備。ご飯のスイッチをつけて、ガーデンに行くとキンさんが体操をしていた。一緒に沖の虹を見る。野菜を摘んでスープの具にする。ガーデンで収穫できる量が少なくなってきたので、玉葱、ナス、タローも刻んで入れる。ベランダで海を見ながら朝食をいただく。朝食後釣りの支度をして7時アパートを出る。7時10分から糸をたらす。小魚に餌を取られるばかりで今日はかからなかった。8時過ぎあきらめて納竿とする。肉を買いに行く途中いつも笑顔の青年隊員に会う。魚を見ていたら今日が帰国の笑顔のスタッフに会う。昨日同様に人参を1本わけてもらう。ヤム芋とキャベツを探したが見つからなかった。マーケットを出ると道の反対側で今年11年生に上がれた生徒が手を振っている。後ろを見ると誰もいない。自分に振ったらしいので待っていると、道路を渡ってきて、握手する。先日メンジスの傍をトラックで通った時見かけてと言ってくれた。あそこに住んでいるんだと答える。2月15日に会いましょうと言って分かれる。しばらく行くと銀行の傍で大き目のマイクロバスが停車していて中に白人ばかり満員だった。見るとニュージーランド人の笑顔のジョンさんご夫妻が座っていた。目が合って、ジョンさんが降りてきてハッピーニューイヤーと言って握手してくれる。今日はマイクロバスでエファテ島のピクニックらしい。明日教会で会いましょうと言ってさよならをする。チューストアで醤油を買いアパートへの道で青年隊員に出会う。しばらくだったのでお元気と尋ねる。今日は釣れなかったと報告する。今日3時のスタッフの帰国を見送りに行くと言っていた。アパートに帰ったのは9時前だった。シャワーを浴び、洗濯をして、昨日同様のチラシ寿司にする具の肉と人参を味付けて煮込む下ごしらえをしていたら、娘から電話があった。楽しい話を聞かされる。9時半から日記をつける。これから英語文法の勉強続き。10時6分。12時前ガーデンに犬と野菜を摘みに行く。昼食は昨日同様チラシ寿司。デザートはバナナとパッションフルーツ。昼食後後「おとこの秘図 下」を2時半までで読了。30年前の作品だったが面白かった。江戸吉宗の時代の旗本の一生を克明につづった痛快物語であった。時代小説はいつまでたってもあまり時代遅れにならないからいい。読み終わってレモンティーを作ろうと鍋に水を入れコンロに火をつけ載せて、居間の椅子にかけて寝巻きと半ズボンの繕いをしていた。しているうちに鍋のこげるにおいがしてきて、既に水は全部沸騰してなく鍋が焼けていた。火を消して、しばらく置いた鍋をよく洗いこげを落としてまた水を入れて火にかける。英語文法を勉強し終わり、日記を付け始めて火にかけた鍋のことを思い出し見ると既に沸騰していた。日記を中断してティーバッグをお湯に入れて、砂糖を入れて、レモンを2個絞ってレモンティーを作る。いつも2つのことを同時にすると、一方が頭から忘れてしまうこの頃である。少しボケてきていることを自覚しないわけにはいかない。それを自覚しているので同時に2つのことをするのをやめようと思うにだが、お湯をわかすのにそこにいつまでも台所についているわけにもいかないから、別のことをし始めると先のことを忘れてしまう。日本では台所で時間を指定したら音の鳴る器具を置いているが、一人でやっているとその器具の有難みがよくわかる。あれがあれば、鳴ったらなんでなったかを考えれば、そうだということで、スイッチをセットしたことを思い出すことができるわけである。16時55分。これから今年のマラポアカレッジ11年生のデータ登録。17時32分までで入力終了。首相と同姓の生徒が5番で合格していた。おこさんかもしれない。1っ昨年の卒業生と今年13年生になる3兄弟の末の妹さんも11番で合格していた。これから夕食の準備。ガーデンに野菜を摘みに行く。17時35分。夕食後7時就寝。
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1月29日(金) 晴れ 気温28度、湿度72% 日の出5時32分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在633日目
2010/01/31(Sun)
2時半起床。2時45分から英語文法18th Dayにとりかかる。3時半終了。疲れてベッドで本を読んで就寝。5時起床。薄暗い中ガーデンで野菜を摘む。5時20分から昨夜7時のNHKニュースを見る。朝食後デザートはベランダで海を見ながらマンゴーをいただく。いつもくる小さな石油運搬船「ANATLIA SEA」が入港して湾の中央に停泊する。港は他の貨物船がいて入港できない。6時から19th Dayにとりかかる。7時35分終了。前置詞はチャンクで覚える必要がある。NHKワールドでJapanologyで塾を見る。「学ぶことで人生を豊かにする」英語塾と老齢者の塾で真の学びの姿を見て感心する。8時になる。今日もお天気になりそうなのでこれから大物のシーツを手洗いすることにする。これから昨日買ったお土産の梱包をして、釣り道具屋に道具を持って行き、銀行でお金をおろし、電気の支払いをして、郵便局に小包を出し、買い物に出かける。いろいろやることがある。念のため釣り道具屋に電話すると今日は都合が悪いと言う。来週金曜日ということにする。お土産の小包の梱包をするが、どうしても250g以内にならない。仕方がないのであけたままにして郵便局で交渉することにする。大物の敷布を手洗いして干して10時前アパートを出る。銀行へ行き並ぶがカウンターはどれも人がいないのでちっとも進まない。するとガードマンが裏のカウンターに案内してくれてここで処理をしてくれた。早くできて助かった。定期預金の普通預金の振り替えは出来ていた。旅行の建て替えていただいた宿泊代金35000vtを引き出す。ありがとうといって銀行を出る。ここの人はかならずThank you。に対してYou are welcome.と素早く答える。11276vtまで円が上がっていた。郵便局で小包を出すと250gを超えて1400vtだという。仕方なくA4の紙2枚を外すと250gにおさまり700vtだという。2枚を別の郵便で出せば120vtである。2枚をはずして頼むと封筒の綴じ込みを糊とセロテープでやってくれた。その後、電気代12月16日から1月14日までの30日分で45kwで1494vtを支払う。去年の1月以来最大の消費量である。去年の最大は12月で42kw最低は1月で19kw。1月は日本に帰国していてほとんど留守であった。次いで、肉を買い、マーケットで人参とナスを買う。帰り道JICAオフィスには寄らず帰る。途中でシニア隊員と道で会う。少しおしゃべりをする。アパートに帰ってシャワーを浴び、洗濯をして肉と人参に味付けをして煮込み朝のご飯を寿司飯にお酢と砂糖で味付けて、肉と人参を入れてチラシ寿司にする。玉葱となすとタローを刻んでスープを作り昼食とする。デザートはバナナとパッションフルーツ2個。昼食後居間の椅子に身体を伸ばし本を「おとこの秘図 下」を読んでうとうとする。4時日記をつける。今日はお天気でシーツもすぐ乾いた。今日はこれから英語文法最終回の20th Day。17時15分 18時前ガーデンに犬と野菜を摘む。夕食は昼に作ったチラシ寿司と野菜スープ。夕食後「おとこの秘図 下」を読んで19時就寝。
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1月28日(木) くもりのち晴れ 気温28度、湿度75% 日の出5時32分、日の入り18時28分 バヌアツ滞在632日目
2010/01/31(Sun)
2時目を覚ます。ベッドのなかで「おとこの秘図 中」を読んで3時半起床。英語文法の勉強のつづき13thから3時32分開始。今日は練習問題20問ではじめて19問正解であった。正確に理解しているわけではないが、解答の感が少しついてきたのかもしれない。今日は20Thまでのテキストを終わらせたい。4時半から日記をつける。今日は買い物に出かけて食料を補充し、銀行に行って定期の解約をしてこよう。また円高が進んでいるので、円への換金にかかるバツが余計に必要になってきている。一時管の発言で93円までなった円が昨日は80円台になっていた。帰国までにいつでもバツを売れるようにしておかなければならない。4時のNHKワールドを見ると、昨年度の日本からの輸出は中国が1番で114bil $(10兆2600億円)、アメリカが976 bil $(8兆7840億円)全部で602 bil $(54兆1800億円)と報じていた。今週になって平野が普天間の基地移設について地元の合意は必要ないと名護市の辺野古への2006年の日米合意も選択肢から外さないことを言ったことが波紋を呼んでいる。名護市長選挙を僅差とも見れるので、その発言になったと思われる。これが20000対10000であればその発言にはならなかったであろう。17000対16000では決定的な民意とは言えないと思う平野の発言も理解できる。しかし誰かが指摘しているように成田空港の反対闘争のように地元住民の反対を思いだす必要がある。まず無理であろう。今更自民党のまとめた日米合意をとるとしたら、民主党がこれまで騒いでなにもしなかったと笑われるだけである。5時16分ようやく外が明るくなってきた。今日も黒い雲が上空を覆っている。しかしその上は煌く青空であることを忘れてはならない。5時20分これから日本語ニュースを見ながら朝食の準備。6時ご飯を2合、米の入れ物を空にして水洗いしてからスイッチをつけ、ガーデンで野菜を摘んで朝食をいただく。デザートはバナナとパッションフルーツ2個を半分に切ってスプーンでいただく。朝食後、ベランダで海を双眼鏡で見る。2人の青年が刺し網を船に積んでこいでいるのをしばらく見ていた。のどかなビラの海である。ベッドで「おとこの秘図 中」を読んで8時半起床。支度をしてJICAオフィスへ出かける。郵便だなから清子さんの便りと電気代の請求書とクロスロード2月号を受け取る。まだ多くの郵便だなにJICAカレンダーが2本づつ入れたままになっていた。取りにきていないのか、取りに来ても今になっては持っていっても使い道がないので持っていかないのだろうか。離島から来た同期の青年隊員に顔を合わすと3ヶ月任期延長になったと話してくれた。ご苦労さんと声をかけたが、今の日本にあわてて帰ることもないだろうから、良かったことだと思う。中には任期満了を指折り数えて待っている人もいるようだが、若い隊員の中には任期延長を苦にしない人もいるようだ。シニア隊員で任期延長というのはこれまで聞いたことがない。自分の場合は入れ替わりに後任が来る事になっているので任期延長はない。幸せなことである。同期の3人そろっての任期延長激励会を考えてみることにする。銀行で来月満期になる定期の解約手続きをして、明日満期になる定期の普通への振り替えの念押しをする。前回は頼んだ通りになっていなかった。銀行の向かいの釣り道具屋を尋ねて、釣り道具を譲ることの確認をする。ハンドメイドライフジャケットも譲ることにする。ボンマルシェのレジを出たところでバヌアツ人から元気かと声をかけられる。顔をみても記憶にない人だがこういうのがよくある。こちらがボケて覚えていないことが多くて大変失礼なことなのであるが笑顔でグドと言っておしゃべりをする。米2kgと砂糖1Kg、肉、レモン、バナナ、パッションフルーツとタロー芋、玉葱を買う。マーケットでレイパコアさんと会って、マンゴーをいただく。お金を払おうとするとお金はいいという。先週JICA関係の若者4名がヌーナに3泊したといっていた。それは良かったですねと答える。今日はジョンさんもビラに来ているという。来週月曜日前に学校に出るからタリスに会ったら伝えておいてと言っておく。重くなったリュックサックを担いでアパートへの帰り道みやげ物の店によることを思いつく。おばさんとお譲さんがいて、いつものテーブルクロス1800バツというのを1000バツにしてもらっているのだが、今日はこれしかないとサイフのお金全てで990バツしか入っていなかったが、それでいつもの通り包んでくれた。みやげ物にバヌアツの地図を描いたタオルが町で520バツで売っているがある。同じものを300バツで10本欲しいんだがなんとかならないかと話してみる。少々町で売っているものより小さくてかまわないと言ってみたのだが、それは無理だと言う。まあ考えておいてくださいと言ってさよならをしてくる。シャワーを浴び、洗濯をしてから、英語文法15th Dayを昼までする。今日は10問の練習問題で全問正解であった。試験に慣れてきたようだ。昼食はお酢で寿司飯を作り煮込んだ肉をからめてチラシ寿司をつくり、ベランダにかけて海を眺めていただく。昼食後ベッドで「おとこの秘図 中」を読んで14時目を覚ます。英語文法16th Day15時半まで。引き続き日記をつける。4時半になった。このところお米のご飯を食べることが多くて、学校の行き帰りの歩行が無いせいか、少しまた太り気味になってきたようだ。現在65kgであるがまあ65kgを超えないように注意しよう。明け方黒い雲に覆われていた空は薄い綿雲だけの青い空になった。夏の陽射しである。ビラの海は鏡のようで太陽の光が輝いている。17時3分1から英語文法17th Dayにとりかかる。17時35分終了。ガーデンに野菜を摘んでくる。夕食は久しぶりにお好み焼きにする。タローをおろしてキャベツを刻みいれて焼く。デザートはいただいたマンゴーをいただく。夕食後ベッドで
「おとこの秘図 中」を読了。21時半就寝。

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1月27日(水) 晴れ 気温29度、湿度70% バヌアツ滞在631日目
2010/01/27(Wed)
1時起床。写真の調整をしてから、日記をつける。これから英語文法の勉強のつづき7thから2時36分開始。3時半までで7thを終了。間もなく4時になる。もう一つやってベッドでやすむ。5時15分起床。SBS TV日本語ニュースを見て、ご飯を3食分3合を水洗いして研いでスイッチをつける。小雨が降っていたので傘をさしてガーデンで野菜を摘む。朝食後6時過ぎ支度をしてドミトリーに。6時34分からインターネットでトンガの美女たちに写真をメール送信。7時25分からブログの更新。8時半まででトンガ・フィジーの旅行の記事に写真を載せる。ドミトリーを出ると少し雨が降っていてだんだん強くなってきた。走りもせず濡れて帰る。アパートへ曲がる道で若者から「ヒロ」と声をかけられた。今年13年生になるタンナから来ている真面目なサイラス君であった。いつから学校かと聞くから2月15日からと答えると、マシンのセットアップは何時するかと聞くので来週しようかと答えると、マシンのセットアップを見たいという。自分のコンピューターを持っているのかと聞くと、ラップトップを持っているという。OSを尋ねるとわからないという。では来週月曜日8時からコンピュータ室でやろうということにする。あとで考えると来週月曜日は2月1日でアパートの家賃の支払日で銀行と不動産屋に行かなくてはならなかった。別の日にしとけばよかったかとも思ったが、学校は午前中までで店仕舞いにして午後に支払いをすればいい。アパートへ帰りベッドで「鬼平犯係帳24 誘拐」を読了。この本が著者の最後の作品で途中までで終わっていた。こういう、途中で終わりになって、作者死去により終わりという本に出会った記憶がない。まだまだ読者を楽しませてくれたであろうだけに、まことに残念なことであった。H2年に亡くなっているから今から20年前ということになる。67歳というまだまだ長生きできる歳であった。丁度藤沢周平さんと同じくらいである。ここに来て最近読み始めた著者の作品であるが、とても読みやすくて、楽しい作品である。現代日本のもとになっている江戸時代を知ることができるのも楽しいし日本人の気持ちを学ぶのにも良い。次には先日から時々読んでいる「おとこの秘図 上」を読み読了。「おとこの秘図 中」にかかる。仮定法の文法で学んだものを書いておこう。
I enjoyed reading every one of books, and I dearly wish he had written some more.
「彼の本はどれも楽しく読んだ。もう少したくさん本を書いていてくれればよかったのに」
昼食後、英語文法の勉強のつづきをして、夕食までに12thまでを終了。4時半ごろから止んでいた雨が降り出し5時すぎ傘をさしてガーデンに犬と一緒に行って野菜を摘んでくる。畑の野菜が少なくなったのでアイランドキャベツの葉も摘んでくる。時々雨が強くなる。夕食後ベッドで「おとこの秘図 中」を読んで19時就寝。
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1月26日(火) 晴れ 気温29度、湿度75% バヌアツ滞在630日目
2010/01/27(Wed)
夜中目を覚まし「鬼平犯係帳23 炎の色」を4時までで読了。起きてシャワーを浴びて、バナナとパッションフルーツ、レモンティーを飲む。日記をつけて5時20分からSBS TV日本語ニュースを見る。6時までで昨日はうまくいかなかったデジカメの写真のアップロードを試みて、運良く成功。ソフトの再インストールを考えていただけに助かった。少し遅い朝食の準備。3食分のご飯をとぎ、スイッチをつけて、犬と一緒にガーデンで野菜を摘む。朝食後ベッドで「鬼平犯係帳24 誘拐」を読んで朝寝。9時起床。レモンティーを飲んで日記をつける。9時8分。これから写真の調整。10時50分までかかって写真の調整が終了。暗く写った写真も簡単に明るく調整出来るのと、トリミングはデジカメのありがたい機能である。液晶が壊れて被写体が見えなくてもなんとか見れる写真に調整できるのだからありがたい。便利な時代になったものである。昼食前ガーデンに犬と野菜を摘みに行く。午後から勉強モードの生活に戻る。午後はTOEIC文法特訓プログラムの20日分の1日から6日分までをして過ごす。まだまだ知らない表現が出てきて勉強になる。そのテキストは4日までテキストに書き込みがあるのだが5日目からは書き込みが無くきれいなもので、20日のうち4日でお仕舞いにしたもののようだ。勉強のテキストは新しいものより、人が一度使ったものは、どこまで勉強したのかがわかるから面白い。最初から最後まで目を通してあるものはあまり無い。今の若い人は勉強材料には事欠かない時代になったがそれを無駄なく活用するという意識が少ないように感じる。練習問題はいつも10問のうち7問ぐらいしか出来ないのだがこの日の6thでは10問全問正解だった。夕食まえも犬のハッピーとガーデンで野菜をつむ。犬は緑色のトマトを取ってきて食べていた。水遣りをする。
夕食後ベッドで「鬼平犯係帳24 誘拐」を読んで就寝。

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1月25日(月) 晴れ 気温29度、湿度73% バヌアツ滞在629日目
2010/01/25(Mon)
5時15分起床。SBS TVをつけてみるが、5時20分からのNHK日本語ニュースが出てこない。
しかたなくお茶漬けをいただいて、バナナ1本、パッションフルーツ2個をいただき、髭そりして、歯をみがいてアパートを出る。6時10分ドミトリーにでかける。廊下の電気が煌煌とついたままだったので、消す。電気料金の高いこの国で電気のつけっぱなしはもったいない。続いてインターネットをする。最初にAVGアンチウィルスソフトのパターン更新。Download speedが11.3kb/secととても遅い。13.5MBのファイルをコピーするのに30分はかかりそうだ。これからkeyhole tvでラジオを聞く。珍しく今日はNHK594Tokyoラジオ深夜便が聞こえてくる。佐藤しのぶさんのインタビューを聞きながら1月13日から25日までのブログを更新する。。担当は明石勇さんで7時終了。日本時間は5時である。沖縄名護市市長選挙で新人稲峰が17950で当選。現職島袋16362が落選。普天間基地の名護の辺野古移転計画の2006年の日米合意に住民がNoを示した結果となった。それにしても現職であったとはいいながら島袋によくこれだけの票が集まったことに感心する。住民の多くは基地の移設に反対ということはわかったが、基地の移設を期待する人もわずかに少ないが同じぐらいいるということであろう。8時半までドミトリーは誰もいないようで出てこなかった。新隊員は今日までホームステイに出かけている。一旦メンジスに帰り、荷物を置いて、パスポートと図書室の本を返しにJICAオフィスへ出かける。郵便だなには清子さんの便りとJICAカレンダーが2つと銀行からの通知が入っていた。JICAカレンダーは気に入っているもので今年も楽しみにしていた。いい写真と、スケジュールや覚書を書き込める余白があるのがいい。会社のカレンダーなどは普通、年末に配られるものだが今年のJICAカレンダーは年初になっても配られておらずスタッフに話すとスタッフは既に持っているような話しぶりで既に配ったはずとの答えだった。他のボランティアに聞いてもまだもらっていないと言う。スタッフから特別に手配してあげたからとやっと6日に1つ棚に入れてあった。それが今日は2つも棚に入れてあった。大方この時期に余ったのであわてて処分の意味で配って回ったのだろうと思わざるをえなかった。今年のJICAカレンダーの配布はまずかった。新年分は、その前年末に配って欲しいものだ。年末に、一年を使う新しいカレンダーを見て、予定などを書き込むのは年末恒例の作業にしたいものである。1人2つ配られれば十分である。自分用と赴任先用と。遅れるのであればその理由を各棚にメモを入れておくべきである。民間会社で自分のところのカレンダーを1月になってから配り出すところはない。1月でも売られているカレンダーは2足3文になっていて大方は捨てられる運命にしかならない。図書室で本を返し、新しくかりる。先輩の奥さんと読書談義をする。愛読する著者の名前が出てきて共感できて楽しかった。思いがけなく長居してしまい、町へ買い物に出かける。米と肉とバナナとパッションフルーツを買う。キャベツ、パイナップル、スイカはほぼお仕舞いであった。海沿いに帰る。12時アパートへ帰り昼食をいただき、シャワーを浴び洗濯をしてから、ベッドで池波正太郎著「鬼平犯係帳23 炎の色」を読んで昼寝する。5時半起床。ガーデンで野菜を摘んで水遣りをする。今日は読書三昧の贅沢な一日を過ごさせていただいた。
夕食後も読書。19時就寝。
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1月24日(日) 晴れ 気温29度、湿度70% バヌアツ滞在628日目
2010/01/25(Mon)
3時起床。6時20分まで1月19日の日記をつける。今日もタンナの方から客船が来る。6時25分これから朝食の準備。ご飯のスイッチをつけて、ガーデンに野菜を摘んでくる。犬のハッピーも尻尾を振ってついてくる。
7時P&O PACIFIC JEWELが入港してくる。今月は4日、14日に続いて3度目の入港である。
7時45分まで朝食をいただいてレモンティーを作りバナナを1本いただく。これから1月19日の日記の続き。
8時までで19日の日記を終える。8時12分から20日の日記にとりかかる。8時25分まで日記をつけたが眠くなりベッドで一休み。今日は教会をお休みにする。10時45分起床。レモンティーを飲む。今日もお天気でビラの海は美しい。これから1月20日からの日記の続き。12時20分までかかり1月20日分を終える。これから昼食の準備。昼食の野菜をガーデンに摘みに行く。犬のハッピーも尻尾を振ってついて来る。犬はガーデンの中に入り青いトマトを取ってきて食べていた。それも2つも。昼食後バナナとパッションフルーツ2個いただき、ベッドで読書。14時起きて日記の続き。4時半までかかって16日から23日までの日記を書き上げる。休憩してバナナとパッションフルーツ2個いただく。ベッドで読書して19時半まで寝る。
夕食をいただいてから、メールの準備。写真の取り込みがうまくいかない。22時45分。
明日の朝はドミトリーへ出かけてメールとブログの更新をすることにしよう。
写真のアップロードができないまま23時半今日の作業はお仕舞いにする。
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1月23日(土) 晴れ フィジー5日目。トンガ・フィジー旅行8日目 バヌアツ帰国 滞在627日目
2010/01/25(Mon)
FIJI NADI Tanoa Hotelで0時目を覚ます。隣の先輩の部屋と繋いでいる扉の下から隣の明かりが見えているので先輩が起きているのがわかる。新しい設備の料金の高いホテルではあるが、隣の部屋の明かりが漏れてくるホテルに泊まったのははじめてであった。隣の扉の下の明かりが漏れてくるくらいだから音も漏れるだろうと音量を絞りながらしばらくテレビを見て過ごす。日本を舞台にしたアメリカ映画で幽霊のようなものが写真に映る気味の悪い内容だった。よく英語をしゃべる日本人男女らしき人が出てきたが、どうも日本人ではなく中国系の人間を日本人に仕立てて英語をしゃべらせているようだった。英語が流ちょうすぎて日本人が話しているようにはとても思えなかった。中に宮崎美子が出てきて日本語でしゃべるのだが、アメリカ人がその言っていることがわかるようなのも不思議であった。とにかく奇妙で面白くない映画であった。東京が舞台に出てくるのであるが、東京の良さはなにも無かった。テレビは韓国のサムソン電気の大きな液晶テレビであった。4時に昨日空港で買った、ブルーベリーパンとブロウニーを冷やしておいた紅茶とコーヒーでいただく。5時20分フロントから電話。5時半にフロントへ鍵を返しホテルの車でナンディ空港へ送ってもらう。昨日会った、同じメンジスに住むJone Seniloliも一緒に乗る。5時35分空港に着き、受付カウンターに並び、窓際の席を予約する。荷物は1つなので機内持ち込みにする。
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機内持ち込みチェックのX線のところでペットボトルのミネラルウォーターを聞くと駄目というので、まだ開けていないミネラルウォーターを係官に開けていないからといってあげる。洗面道具のバッグに入れていた、歯磨きチューブとホテルの洗面所から持ってきた小さなシャンプーとリンスをとがめられた。売店で1ドルで透明のプラスチック袋を買ってきてそれに入れろという。しかたなく売店に買いに行き、フィジーのお金が全く無くなっていたので20US$を出すとお釣りが無いと言う。仕方なく、X線のところに戻り、とがめられた品物は諦めますと伝える。シャンプーとリンスは惜しくは無かったが、歯磨きは買って間が無くまだ沢山のこっていたものだっただけに残念だった。これも経験しないと解らない。機内持ち込み手荷物ではこの次は気をつけよう。6時10分に16日に5時間も待った広い待合室に座って日記をつける。既に空港内の店では店員が立っている。7時になるとロビーは人が一杯になってきた。出発ボードに映し出された中に、Air Niugini PX85Port Moresby とHoniaraが交互に点滅するので、向かいに座ったインド顔の女性にAir Niuginiはどこの航空会社かと尋ねるとパプアニューギニアの航空会社だと教えてくれた。フィジーからサモアの首都ホニャララ経由ポートモレスビーまで行くようだ。サモアの首都はふざけた名前に聞こえるがホニャララというらしい。朝の1番の便は8時発のポートビラ行きだがそのあと、オークランド行きなどがあり、日本人らしき人を見るようになってくる。日本人と中国人の見分けるポイントは先ず姿勢。日本人は首がやや前方に屈み、背がまるくなった猫背の人が多い。ヘアースタイルには少しおしゃれの手がかかっている。中国人の髪はシンプルで短めにしていて長めなのは日本人。日本人は少し服装に金がかかっていておしゃれを意識している。メガネをしていて、カメラを手にしているケースも多い。すましていてあまり外国人と会話をすることはまずしない。中国人は群れていて動物的元気さがあるが服装がシンプルで安っぽい。アナウンスでこの日最初の8時発のポートビラの名前がアナウンスで聞こえてくる。7時35分搭乗。日本人は先輩と2人だけであった。行きと同じボーイング737-700 120人乗りで乗客は80人はいなかった。7時50分動き出し8時15分離陸。ガラスに雨が流れた。8時20分雲の上に出る。8時24分見た目に屈強な男性2人が紙お絞りを配り始める。8時25分朝食が配られる。クロワッサンにチーズと野菜を挟んだものと、オレンジジュース、フルーツの盛り合わせ、コーヒー。フルーツはスイカとぱいなっぷる。8時46分朝食が終わると、目的地ポートビラが25度で現地6時46分とアナウンスされる。時計を2時間戻す。
7時までかかってVanuatu Government Immigration Cardを記入する。7時3分席を立って機内トイレを利用する。7時14分離陸から1時間経ったところで、機長からビラは雨で気温26度とアナウンス。7時20分機長から税関申告書の記入をよびかける。続いてヘッドホンが回収される7時23分降下を始める。7時半final approachのアナウンス。7時33分雲に突入。7時35分補助翼が一杯に伸びだしてくる。7時37分陸の上に出る。ハイダウェイの上を飛び、イフィラ島、イリリキ島、マラポアが見える。7時40分着陸態勢。7時41分着陸。帰りの正味フライトは1時間26分であった。ポートビラ空港には小さなプロペラ機が7台とYS11ぐらいの大きさのねずみ色の4発機がある、さびしい空港に見えた。水溜りはあったが雨はあがっていた。入国審査ではとまどった。前回の入国の際は、Residentの列に並んだのだが、先に並んでいた先輩が、Resident の方に並んだらTravellerの方に並ぶように言われたという。おかしいなと思ったがんだがTravellerの列に並びやっと順番が来たら、なんとResidentに並ぶように言われ、Residentの列のお尻にまた並ぶことにしたフィジーであった、同じアパートに住むJoneはResidentの列に並んでいた。税関チェックではリュックサックの中も見ようとしたので、どうぞどうぞと中身を出し始めると、女性係官はリュックサックの中にしまい始めてくれて結局調べられなかった。
待合室でみかりんに8時半電話で無事ついたと連絡をしてお世話になったお礼を言う。バスに乗って雨上がりの蒸し暑いビラのアパートに8時50分帰宅。バス代150vatu荷物を出して、9時25分アパートを出て、町で歯磨きチューブを買い、郵便局でフィジーで書いた絵葉書を日本に出す。100vatu肉と玉葱、味の素、バナナ、レモン、パッションフルーツ、タロー芋を買って海辺を歩いて帰る。今日の交換レートは11166vtと円高が進行していた。途中キンさんにあっておしゃべりをする。そのあと、青年隊員にあっておしゃべりをする。11時帰宅。昼食の準備。ご飯のスイッチを入れてガーデンで野菜を摘んで12時昼食。シャワーを浴びて、洗濯をしてベッドで横になり昼寝。2時半起きて、5時45分まで日記をつける。。5時45分になった。これから夕食をいただいて、日記の続き。ガーデンに犬のハッピーと行って野菜を摘んで水遣り。夕食後18時45分から23日の日記をつける。8日間のトンガフィジー旅行の総費用は、4回の飛行機代が74100バツ、消費したUS$が310$、フィジーの4泊のホテル代が32500円で合計約135120円であった。これからベッドで本を読んで就寝。20時20分
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1月22日(金) 晴れ フィジー4日目。トンガ・フィジー旅行7日目 バヌアツ滞在626日目
2010/01/25(Mon)
FIJI NADI CAPRICORN INTERNATIONAL HOTELの朝2時半目を覚ます。大きな鏡のある机に座って日記をつける。荷物の整理もしてみる。
今回は履物はスリッパにしたが、スリッパでは足がこすれて傷になる経験を先日のヌーナで経験したので、
今回は2足の靴下を持って出たのだが、青年隊員のお宅で干した靴下の回収を忘れたようで、2足とも失ってしまったのは反省材料である。靴下をはかないで過ごしたので少し足が痛くなってきた。バンソコウを忘れたので足に貼るものがない。これも反省である。バヌアツ生活で買おうと思っていた石鹸がホテルで沢山手に入った。帰国まで使い切れないほどになった。シャンプーもリンスもホテルで沢山手に入った。宿泊料金の高いホテルにはこうした石鹸やスシャンプーやリンスを沢山置いている。昨日ホテルでもらったFIJI TIMESの広告を見てみるとタイ産の米が10Kgで13.79$(700円)でバヌアツのオーストラリア産の1790円と比べると40%弱である。小麦粉は10Kgが10.60$(545円)でバヌアツの1400円の39%である。大分バヌアツよりフィジーの物価が安いことがわかる。逆にバヌアツは高すぎるのかもしれない。バス代もフィジーの近距離は70セント(36円)がバヌアツでは150円である。絵葉書代がフィジーでは60セント(36円)がバヌアツでは100円、日本までの切手代がフィジーでは40セント(20円)がバヌアツでは100円である。ミネラルウオーターは1.5リットル0.99$(50円)もスプライト、コーラなどの炭酸飲料水もフィジーは500mlが1.5$(75円)と安かった。6時50分まで新聞を読んで過ごす。7時ホテルのレストランに下りて朝食をいただく。マンゴーベイのホテルと同様のトースターで3枚パンを焼く。2種類のシリアルを取って、ミルクをかけて砂糖をまぶす。イチゴジャム、ママレード、マーガリン、オレンジジュースをいただく。フルーツはパイナップルとバナナ。コーヒーもいただく。7時半で朝食を終えて、レストランからすぐの中庭のプールで泳ぐことにする。売店でFIJI SUNという新聞を買う。52ページのタブロイド版で80セント(40円)であった。中庭で一人で4往復泳ぎ椅子に横になっていると白人グループが次第に集まってくる。若い女性がタバコをふかしているのを目にして不快になってきて、すぐ引き上げることにする。チェックアウト時間の10時半にホテルをチェックアウト。ここの料金は朝食込みで4900円と大変安かった。ナンディに宿泊するときには、このホテルはお勧めできる。ただし設備は少し古い。市内までバスで10分というのもいい。隣に手ごろなレストランがあるのもいい。エアコンも各室にある。部屋も広い。
バスでナンディ市内へ向かう。10時50分郵便局へ先輩が絵葉書を出しに行くのに同行する。郵便局の事務所は行列で人いきれがすごい。外で待つことにする。外の通路で待っていると出入りする人と接触するので、離れた建物の下に腰掛けて終わるのを待つことにした。11時半ようやく出てきた先輩と昼食の店を探す。インド人の女性がいる店でやきそばがあったのでそれにする。ご飯の上にやきそばを載せたもので4.8$(250円)12時食事を終えて、お金の両替店で10US$を18.3FJ$に両替する。(1FJ$ が50円であった)みやげ物を売る店を探す。インド人にしきりに日本語で話しかけられるが買う意思がないので、応対するのも面倒になって、外に腰掛、買い物の終わるのを待つ。1時前買い物を終えた先輩とバスセンターに向かう。今度はナンディ空港傍のTANOA HOTELS NADI INTERNATIONALに向かう。13時バスに乗ると1.5$(75円)だという。行き先によって料金が多少変るらしい。13時45分タノアホテルにチェックインする。カウンターの上に小さなりんごが積んであったので、聞くと無料ということなので、先輩と2個づついただく。先輩と相談し夕食はナンディ空港まで行って食べることにする。17時ホテルの送迎車で空港まで送ってもらうことにする。シャワーを浴びて洗濯をして17時までボキャブラリーカードを見て過ごす。17時ホテルの車でナンディ空港まで送ってもらう。ここで先輩は大いに心配した。デジカメを車の中かホテルの部屋にわすれたか、とにかく持って出たはずのカメラがないのであった。空港について気が付いて探すが見つからない。空港のレストランでごはんと鶏肉のチリソース煮混みをかけた食事とスプライト500ccを7.5$(380円)でいただく。6時満腹になって帰りの車を待つ。明日の朝食の時間が確かでないので、空港のレストランでが、ブルーベリーパン2$とブロウニー2.5$を買っておく。先輩が空港まで客を乗せてきた車の運転手と交渉してホテルまで3$で行くということになったという。それに乗って6時半ホテルに帰る。
ホテルで2$をくずしてもらい、先輩に1.5$のタクシー代を支払う。部屋に向かうとき、すれ違った人が同じメンジスのB4に住んでいた、フィジー人のジョンであった。思いがけないところで出会って少しおしゃべりをする。彼も明日同じ便でバヌアツに行くという。国連で難民救援の仕事をしていて同じ教会にも行っているる人でもある。心配した先輩のデジカメは部屋には無く、送ってもらった車の座席から見つかった。パスポートに次いで2番目に大切な思い出の詰まったデジカメだといっていた。それが見つかって安堵されていた。シャワーを浴びて、洗濯をしてから、19時半最後に残ったフィジーの60セントでホテルの売店で絵葉書を買う。60セント(30円)部屋で母に3月の帰国の際3月25日1晩泊めてもらいたいと書く。
20時就寝。
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1月21日(木) 晴れ フィジー3日目。トンガ・フィジー旅行6日目 バヌアツ滞在625日目
2010/01/25(Mon)
FIJI LAUTOKA TANOA WATER FRONT HOTELの朝6時26分フロントに下りてくる。外はまだ明るくない。フロントにいた2人にモーニングと声をかけるが返事をしない。もう一度大きな声でモーニングというと、ようやく微笑んで頭を下げた。ホテルのフロントの人間が声を出さないのにムッとさせられる。新聞を尋ねるとFIJI TIMESというのを出して渡してくれる。フリーオアフィーと尋ねるとFREEという。バヌアツと同じタブロイド版で40ページで80セント(40円)である。通常16ページで100円のバヌアツと比べるとバヌアツの六分の一の値段である。先輩と6時半ロビーで落ち合い、新聞をフロントに預けて町へ出る。公園でホームレスだと名乗る39歳の男性が話しかけてきてしばらくおしゃべりする。公園にはホームレスの男女がベンチに寝ていた。公園で寝て、マーケットで50セントでシャワーを浴びるという。太っていてこざっぱりとした身なりでとてもホームレスには見えない。仕事がないといい、建設現場の仕事をしても1日1000円ぐらいにしかならないという。母親は亡くなって、父親は後妻と暮らしているが父親からは見捨てられれいるそうだ。目は少し赤かったが、はちきれんばかりに健康そうな太った身体からは哀れを誘われるものが窺えず、しばらくしてさよならをする。町ではマーケットの周りの食堂を眺め、若い中国人の男性がいる店に入る。サンドイッチが1$、コーヒーが1$、ゆで卵が1個50セントを2個、ケーキ70セントの合計3.7$(190円)の朝食をいただく。若い中国人の手際のいい店の準備を眺めて過ごす。ステンレスの入れ物に揚げたばかりのフライドポテトを盛り付けたり、お父さんらしい小柄な中国人が中で調理したものを持ってきては並べていた。このころ外は雨が降ってきた。とても利益の少ない食堂だと思うがこうして勤勉に働く中国人を見ているとホームレスのフィジー人にはない生きていく強さを感じる。
帰り道文房具店で絵葉書を1枚買う。60セント(30円)だった。ホテルに戻って絵葉書を書いて、10時45分チェックアウトする。このホテルは10800円の宿泊代で食事は付かなかった。小さな石鹸やシャンプー、リンスなどを洗面用バッグに入れておく。沢山のコーヒー、紅茶、砂糖袋を全部リュックサックに入れておく。
郵便局に行き、窓口に並んで切手を買う。日本まで40セント(20円)と安かった。ポストは外の壁にあり、送り先別に投函口が違っていた。外国の口に入れる。町へ出かけ、この日のホテルであるナンディに向かう。
身体の大きな若い男性に尋ねると親切に乗り場まで案内してくれた。ミニバスは2$、大型バスは2.8$だというので、ミニバスを希望すると、バスセンターから外れた場所に案内されて、そのうち1$を渡すように言われたので、直接渡すからと返事をする。ミニバスはライトバンでバヌアツのバスと似ていた。バスには10人ぐらいの乗客でたった1人2$で10人運んでも20$(1000円)しかならないのではガソリン代を払ってどれだけ残るのだろうかと考えてしまった。11時39分ミニバススタート。途中市内でしばらく停車して11時45分動き出し、12時15分カプリコーンホテルの前に到着。12時22分ナンディ郊外カプリコーンインターナショナルホテルにチェックイン。荷物を部屋に置いて、昼食はホテルの隣の小奇麗なファーストフードのレストランに入る。鳥のハンバーグとコーラがセットになったChi burger com 6.5$(330円)をいただく。
午後はホテルでシャワーを浴びて洗濯をして本を読んで、お湯を沸かし、コーヒーと紅茶を作り、冷蔵庫に入れておく。昼寝。17時ロビーで先輩と待ち合わせ、バスでナンディの町へ出かける。バス代は70セント(35円)。町でインド人の経営するファーストフードの店でチャーハンを頼む。山盛りの具だくさんのチャーハンが5.4$(280円)。夕食後18時15分バスに乗り、18時25分カプリコーンホテルに帰る。シャワーを浴び洗濯をしてから、アイスコーヒーを飲み、コーヒーを入れて冷蔵庫に入れておく。明日の朝は7時から朝食をとることにする。ベッドに18時55分横になる。19時22分「鬼平犯係帳22迷路」を読了。TVを見るとブラットピットのアメリカ映画で字幕はなんと中国語であった。それも1チャンネルだけではなく複数の中国チャンネルを放映していた。21時ごろ就寝。
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1月20日(水) 晴れ フィジー2日目。トンガ・フィジー旅行5日目 バヌアツ滞在624日目
2010/01/25(Mon)
FIJI VITI LEVU ISLAND CORAL COAST MANGO BEY RESORTの朝6時16分白みかけてきて部屋の前のベランダの安楽椅子に腰掛けて、ヘッドライトの明かりで日記をつける。
正面の海をまっすぐ行くとニュージーランドにあたるようだ。わずかに雨がヘッドライトの明かりにうつる。はるか先300mはあるかさんご礁にあたる波の音が聞こえてくる。6時25分先輩が起きてくる。左手にある岩場を歩いてみる。小魚が群れて泳ぐのが見えたので、竿を出して、小麦粉を練った団子を餌に釣りをしてみる。しかし釣れなかった。7時バスの時刻を聞きにReceptionに行くとだれもおらず、しばらく待つとフィジー人が出勤してきた。10時がチェックアウト時間ということなので、10時台のバスの時刻を教えてもらう。9時45分にReceptiに来ることにする。部屋に戻って、トイレを利用し、外にあるシャワーを使う。お湯はガス瞬間湯沸かし器が外についていて、暖かいシャワーを使えた。8時レストランで朝食。パン2枚をトーストして、シリアルにミルクと砂糖をかけていただく。ここのトースターはパンが熱線の間を移動して行って焼けるものでこれまで見たことのないトースターで最初どう使うのか戸惑った。フルーツはスイカ、パイン、パパイヤ。オレンジジュースとコーヒーで8時45分食べ終わる。朝食は宿泊費に含まれていた。
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レストランの黒板にオプショナルツアーの案内が出ていた。イルカと鯨のウオッチングと、村を訪ね、昼食込みで100FJ$(5000円)というコースであった。エコツーリストを謳っているホテルらしい企画と感心した。2007年にはFIJIで最も安い費用で泊まれる優れた宿泊設備に選ばれたそうだ。ECO Tourismの設備ということで、小屋は風通しが良いように作り、エアコンは置かず、天井のファンで快適さを追求したようだ。海辺のソファーに身体を伸ばして一休みを始めると、3人のフィジー人が大きな音を立てた回転式の草刈で芝生を刈り始めた。石が飛んできて危ないからとソファーから立ち退きをさせられたのは少し腹がたった。うるさい騒音を出される上に、寛いでいる客を追っ払って草刈優先というのはいただけない。朝の気温がどんどん上がるようで芝刈りをしたあとは、草の匂いが強かった。9時45分Receptionに行くと部屋代と朝食代は先輩がインターネットで既に支払い済みで、夕食代だけが請求された。MANGO BAY RESORT の支払いは日本円で8900円とのことである。場所的にはとてもいいところで、この当たりで宿泊を探す人には値段的にもお勧めできる。20US$をReceptionで換金する。36.25FJ$であった。夕食代18$(918円)を現金で支払う。すぐホテルの車がメイン道路にあるホテルが作った屋根のある停留所まで運んでくれる。ほっそりしたバングラデシュ人の男性と3人だった。バスの停留所はホテルで働くフィジー人が数名いておしゃべりをする。10時10分バスが来る。来るとき乗ったバスと違ってエアコンは無いバスであった。来るときはNADIからであったが、今度はNADIを過ぎてさらに先のLAUTOKAまで行くのでバスの運賃は20$ぐらいかと思ったのだが驚いたことに10.7$であった。来るときはEXPRESSという冷房の効いた高速バスということで、17$だったようだ。途中車窓からの眺めを楽しむとともに居眠りをすることにする。バングラデシュの男性ともおしゃべりをする。オーストラリアのシドニーに住んで6年になるという。民間会社でパブリッシャー関係の仕事をしているらしい。途中でうとうとしていたら声をかけられ下車して行った。フィジーには馬をよく見かけた。馬に乗って道路を走っていた子供もいた。11時30分途中のSIGATOKAという町でバスは終点になり別のバスに乗り換えた。この町の呼び方は、Nを入れてシンガトカと呼ぶ。この町の傍を流れる大きな川には列車の線路が川の半ばから流されたままの姿をさらしていた。乗り換えたバスはNADIのバスセンターに12時30分着く。途中セカンダリースクールの12年生の男子が隣になりおしゃべりをする。アルバイトを聞いてみる。1週間5日働いて80FJ$ぐらいだという。1日働いて1000円ぐらいの稼ぎらしい。先日会ったホームレスの男性も1日1000円ぐらいといっていた。バスセンターに隣りあわせで公営のマーケットがある。12時45分ナンディのバスセンターを出発して13時ナンディ国際空港に着く。13時25分LAUTOKAのCIVIC CENTER(市民会館)傍を通り、13時30分ラウトカ バスセンターに到着する。バスセンターに併設するマーケットで魚も売られていたので覗いてみる。大きなヒラアジのようなのが13ドル、鯵はバヌアツではマングーと呼ぶが、ここではロンジョマカロート呼んで6匹で6ドル(300円)であった。黒鯛に似た大きな魚はコレコレとかレラジョケットか言って15ドル(750円)。町を歩いて昼食の食堂を探す。万里の長城の名前をつけた中華料理店を見つけてここで、ラーメン小とワンタン小おのおの5ドルをいただく。10ドルで500円と安かった。ゆっくり1時間かけて昼食をいただき、道行く人に尋ねながらタノア ウォーターフロント ホテルを訪ねる。市内から歩いて5分の海辺にあった。15時5分フロントに着くが、まだ部屋の準備が出来ていないと言われロビーでしばらく待つ。15時25分216号室にようやく部屋に入る。部屋のまくらもとに置いてあるデジタル時計がフラッシングしているので、直そうとするが直らない。ホテルの人を呼んでみるが直らない。最初は女性、次は男性、その次のインド系の男性の手でようやく直って、時計も合わせてもらう。あとで気が付いたが、よく停電があるらしい。デジタル時計の時間と分を変えるのぐらい簡単に出来るものと誰もが、馬鹿にしたように、やり始めるが、そうは簡単にいかずに、誰もが匙をなげだす。どうにもならなかった。結局直せたその男性はその時計に癖のあることを知っていたようだ。停電がよくあるこの国ではその度に、時計が止まってフラッシングを起こすらしい。18時ロビーで待ち合わせることにしてそれまで部屋で休むことにする。部屋のKEYはプラスチックのカードキーであった。ダブルベッドとシングルベッドがあり、小さなシャンプーやリンスと石鹸。コーヒーと紅茶と砂糖の袋が一杯あった。シャワーを浴び、洗濯をして、ベランダの椅子の背にかけて干す。ベッドに横になって「鬼平犯係帳21」を読了。18時ロビーでお金の交換レートを尋ねると1US$は1.74FJ$と良くなかった。18時過ぎ、町を歩いて店を探す。18時20分町の中国人の経営する店に決める。そこでご飯に鶏肉を甘辛く煮込んだ具をカレーのようにかけた食事を3.8FJ$(200円)でいただく。食後、ホテルの前の公園のベンチで19時すぎから20時15分までおしゃべりをして過ごす。夕日が沈んだ19時50分は空が赤くそまり見事だったので写真にとる。
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海辺の遊歩道を行ったり来たり歩く人々が大勢いた。暗くなってきたので20時半ホテルに帰る。シャワーを浴びて、洗濯をしてから電気ポットでお湯を沸かし、コーヒーカップ2つにコーヒーと紅茶をいれ、2つのコップの1つは葉ブラシとくしとかみそりを入れ、1つはお湯を入れて、冷蔵庫に入れておく。本を読んで21時就寝。エアコンを効かして寝たが夜中に目が覚めたとき切って置く。

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1月19日(火) 晴れ トンガ4日目。フィジー1日目。トンガ・フィジー旅行4日目 バヌアツ滞在623日目
2010/01/25(Mon)
TONGA NUKUALOFAの朝5時15分起床。ひげをそり歯をみがく。5時20分けんちゃんの作ってくれたパントースト、紅茶、サラダ、目玉焼きなどをいただく。6時に車で迎えにきていただき昨日会った青年の住むToloaの学校に寄って、市内から離れたトンガの空港に7時に着く。空港の両替所で100TG$をUS$に換える。最初フィジー$への両替を頼んだがフィジードルが無いと言われたので、US$に換えることにした。100TG$は51US$であった。7時33分チェックイン受付を終わり8時に見送ってくれた人達にさよならをする。
タオバラの正装のタキ
8時26分Immigration受付が開始して8時35分搭乗待合室に入る。
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エアコンが効いた気持ちのよう待合室で出発を待つ。ここでTONGAのまとめを書いておく。
1. Tongaは緯度がバヌアツより南極に近くさわやかでそう暑くはない。気候も良かった。
2. 町中はゴミが少ない。
3. 道路は広く、アナは余り気が付かなかった。未舗装の道路は郊外か市内の裏道だけ。
4. 豚がニワトリ同様に放し飼いにされていて、草の中から大きな豚が顔を出して驚かされた。
5. 大きな教会が多く、沢山の信者が礼拝にいくようだ。
6. モルモン教会の布教が成功しているようでその豪華な建築群には驚かされた。
7. JICAの青年隊員の職場の住宅環境は恵まれている。バヌアツの青年隊員にとっては夢のようだろう。
8. 物価が安い。外食店の料金も安い。バヌアツの物価がとても高いことを認識できた。
定刻9時40分トンガ発12時10分フィジーのナンディ空港着の予定。9時搭乗。9時23分滑走路を走り、9時25分take off(離陸)。9時26分には雲の上に出る。9時28分トンガの島の上空を出る。9時32分見渡す限り雲が下に覆われている。
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9時40分サンドイッチ、オレンジュース、コーヒーの朝食が配られる。9時57分はるか下に小さな島とさんご礁と砕ける波の白が見える。10時24分下降して雲のじゅーたんの上に乗る。10時29分フィジーの陸地と川が見える。10時39分茶色の川が見える。10時40分landing(着陸)。トンガーフィジーは正味1時間15分であった。空港の両替所で31US$を両替する。56FJ$であった。1FJ$は51円ぐらいである。空港待合室でコーラルコーストにあるマンゴーベイリゾートの行き方を教えてもらう。1時に特急バスが出て2時間半かかりバスの止まるところまでホテルの車が迎えに来てくれるという。料金は17FJ$(870円)ととても安い。クーラーのついた大きなバスに乗ると、この国の豊かさを感じる。右手に海を見ながらの車窓を楽しみながら、15時25分マンゴーベイの停留所に到着。この間うとうと居眠りも出来た。すぐにトラックが迎えに来てくれて、海辺のホテルに運んでくれた。16時Receptionでチェックイン。予約していた195FJ$の部屋が都合で使えないので、275FJ$の部屋に換えたといわれる。料金は元のままでよいという。少しラッキーであった。海辺のバンガローで、ベッドを1つ追加で入れて、2人で1室の利用であった。清潔なトイレと屋外にシャワーがあり、天井にはファンが回っていて、正面に海が迫ったとても雰囲気のよいコテージであった。シャワーを浴びて、洗濯をして、ハンモックチェアに座ってみる。レストランの前にあるプールで泳ぐことにする。すました女の子が空気マットで寝転んでいたのでおしゃべりをする。ニュージーランドのオークランドから家族4人で来たという12歳の小学校の生徒だという。オーストラリア人はオーストレーりアン、アメリカ人はアメリカン、日本人はジャパニーズ、中国人はチャイニーズであるが、ニュージーランド人はどう呼ぶのか知らなかったので聞いてみるとキューイアンと呼ぶそうだ。飛べない鳥であるキューイがニュージーランドの国鳥であることは知っていたが、これを使っているとは知らなかった。部屋のベッドに横になり、持ってきた「鬼平犯係帳21、討ち入り市兵衛」を読了。18時45分ホテルのレストランでカレーをいただく。18ドルであった。食堂 19時半雲間から太陽が顔を出し水平線に沈んでいく。19時50分夕日が沈む。
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写真を撮っていた若い白人女性6人組みがいたので、シャッターを押してあげるよと言うと、「どうもありがとう」と日本語で声をかけられた。どうして日本人とわかるのかと思ったが、多分こんな豪華なリゾート施設を利用する東洋人は日本人ぐらいなのかなあと思った。20時半コテージに戻り、本を読んで就寝。


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1月18日(月) 晴れ トンガ3日目。トンガ・フィジー旅行3日目 バヌアツ滞在622日目
2010/01/25(Mon)
TONGA NUKUALOFAの朝6時45分起床。顔を洗い歯を磨いて日記をつける。7時15分迎えの車に乗って7時半シニア隊員のお宅へ。朝食は大勢でパン1枚、おにぎり2個、卵焼き、サラダ、コーヒーゼリー、ヨーグルトなど豊かな朝食をごちそうになる。8時過ぎ青年はバイクで職場へ出勤。トンガ市内めぐりの最初は海辺の観光省が開いている国営観光案内所を尋ねる。伝統的な屋根の形が良かった。トンガの国の花というヘイララという赤い小さな花を写真に撮る。ツポウ国王の住まいを外から見る。国王がその宮殿にいるときは国旗が揚がるというが、この日は無かった。9時40分ヌクアロハの郵便局を尋ね、国王の切手などを見る。トンガの国名はKingdamとついているように君主制で歴史は現在の国王が5代目で約150年ぐらいの歴史がある。日本の明治以来の近代と同じぐらいからの王政らしい。現在は日本同様象徴的な存在らしいが、国土は全部国王の物で国民は土地を国王から借りていると聞いた。国民の数はバヌアツの半分以下の11万ぐらいだそうであるが、外国で出稼ぎしているトンガ人が国民と同じぐらいいるそうで、その外国からトンガに送金されるお金が大きいらしい。町はよく清掃されていてゴミはちらかっていない。トンガの人はバヌアツ人より一般に大きめだ。フレンドリーなのはバヌアツのほうだ。郵便局の傍のアイスクリームを売る店でイチゴバニラアイスをいただく。3ドル。南の国ではアイスクリームはどこでも人気がある。マーケットを覗いてみると、売る人は中国人が大勢いた。バヌアツではマーケットで売る中に中国人は一人もいない。値段はバヌアツとそう変らなかったが大根4本を3ドルで売っていたがバヌアツの大根よりやや太かった。トンガの方がバヌアツより南極に近くやや涼しい気候なので大根の生育に適しているためと思われる。トンガの人は服の上からタオバラと呼ぶござのようなものを腰の周りに巻いて紐で縛っている人をよく見かける。男女ともである。ネクタイ同様の正装の意味があるらしい。暑いトンガでタオバラを巻くのは暑いことだろうにと思うのだが、相撲の力士が前にかける化粧まわしに似ている。腰みののようでもある。マーケットの通りを少し行くと新しいモダンな5階建てのNATIONAL RESERVE BANK OF TONGAの名前が書かれている建物が見えてくる。この建物の前に車を入れるためには前の入り口に作られた検問ゲートを通らなければならない。丁度JICA TONGAの現地スタッフがゲートを車で出てくるところで声を掛け合っていた。このビルに日銀に相当するNATIONAL RESERVE BANK OF TONGAが入っている。ここに昨年1月開設したTONGA大使館が1フロアを使い高瀬氏が初代大使を務めている。JICAトンガ事務所も1フロアを占めている。JICAスタッフの方々にご挨拶をしてから向かいにあるJICAドミトリーに移り写真撮影などする。ここまでトンガ語でありがとうをマロといい、Yesをイヨ(イイヨと覚える)Noをイカイ(イカンと覚える)を教えてもらう。町の両替屋で交換条件がいいというところに案内していただき、100US$をトンガドルに換えると177TG$になった。1TG$が52円ぐらいで空港の両替コーナーより条件が良かった。11時20分市内にある大きな教会を見せていただく。最初はProtestant Church of Tongaを見学。ゴシック建築のような、壁に取り付けられた斜めの跳ね梁がデザイン的に美しく中央の壁を支えているヨーロッパにある教会を見るようだった。
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次いでSIONE教会を見る。大きな教会で中を見せていただく。ツポウ国王のcollonationと呼ぶ戴冠式のお祝いが開かれる教会ということで、約650人も入れる大きな教会であった。その後11時29分町に出来たKUMAZOという看板のすし屋を覗き、同じ年ぐらいのご夫妻に挨拶してプラスチックケースに入った海苔巻き寿司を1つ買う。7ドルであった。そのあと11時39分カソリックのパシリカ教会を見る。やはり500人は入れる大きな会堂で天井にはファンが沢山ついていた。次いで11時57分さえが務めるCENTER FOR SPECIAL EDUCATIONを見学させていただく。知的障害や不自由を持っている子供たち約50人ぐらいのお世話をしているそうでその子供たちが毎日10人から20人来るのをお世話しているという。学校はまだ年初の休暇中でまだはじまっていなかったが、スタッフは通常通り勤務に出てると言う、黒い服を着た恰幅のいい女性校長先生とその娘さんがいて案内してくれた。ここでMalo aupito!と出ていた。Aupitoは丁寧語でmaloはthank you very much!という意味らしい。なんにでもaupitoはつければいいらしい。TAPU,IFI TAPAKA I HENI.と紙に書かれていた。ここではたばこを禁止という意味だそうでTAPAKAはTABACO,HENIはHERE Don’t smorking here.という意味だそうだ。建物にはMINISTRY OF HEALTH NON COMMUNICABLE DISEASES HELTH PROMOTION UNITという看板がかけられていた。12時12分バイオラ病院へななを尋ねる。ブルーのユニフォームを着て小さな机を与えられ清潔そうな事務所であった。昨夕食も一緒してくれたコンピュータ技術援助のあやのさんも一緒に昼食にでかける。韓国の焼肉料理であった。焼肉はどの肉も同じ値段で牛肉を頼んでみる。他に豚肉、鶏肉と頼んだ人もいた。牛肉は思いがけず柔らかい肉で美味しかった。豚肉を頼んだ人は固かったと言っていた。ビールと牛肉で20ドルであった。くまぞうの海苔巻きもつまんでいただいた。期待以上の美味しい焼肉に満足して昼食であった。食事を終えて1時50分ガソリンを30リットル入れて、13時55分王様の2つ目の宮殿を見に行く。玄関から約200mの先に宮殿が見えた。門番は兵士が1人。写真撮影を笑顔で許してくれる。次に古墳を見学。途中USP(University of South Pacific)TONGA校(南太平洋大学)の看板をみる。USPは本部がフィジーにあり、南太平洋の12か国の国々が少しづつお金を出して各国にUSPの分校を置いている。バヌアツには法学部と一般教養を教えている。医者や薬剤師やコンピュータを学ぶには、フィジーのUSP、農学部を学ぶにはサモアのUSPに留学することになる。バヌアツのカウンターパートの先生はマラポアカレッジを卒業後、フィジーのUSPでコンピューターを学んでいる。校長先生はマラポアカレッジを卒業後、サモアのUSPで農業を学んでいる。トンガのUSPで何を教えているのか尋ねてみたが解らなかった。14時18分この国の歴史は1777年に、はじめてこの国を発見したイギリスの軍人キャプテンクックから始まるようで、その来訪記念碑を見学する。14時25分Tupou Moheofoを見学。大きな石で作った門。かって日本の皇太子も見学におとづれJICAの所長さんが説明にあたったそうだ。14時40分古墳に到着。石で作られた縦・横50mぐらいのピラミッドのようなものだった。ただしピラミッドほど高くは無く3mぐらいで石は3段重ねぐらいであった。15時海辺の岩場の噴水を見る。沖から岩場に打ち寄せる波の圧力で岩場に空いた穴を通って海水が水鉄砲のように、勢良く噴出されるものであった。それが1箇所だけではなく、あちこちから、大きな波が岩に打ち寄せられるたびに音を立てて吹き上げる景観には感心させられた。
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少し福井の東尋坊を思い出された。あそこにこれがあったら、和歌山の白浜の岩場にもこれがあったら、人が呼べるだろうと思ったりもする。16時8分ナンディ空港国内線にある気象庁を尋ね見学させていただく。ついで16時45分トンガの学習院ともいうべきツポウカレッジを尋ねる。王族の子弟はこの学校で学ぶと言うが、トップカレッジは別にあるという。広大なキャンパスでここでシンジとタキに会い、思いがけなく鶏舎で生みたての卵を世話をする生徒から買う。30個のトレイで12ドルで1個20円。バヌアツでは1個50円するから半分以下の値段であった。3人の人がそれぞれ1つづつのトレイを買っていた。教師をしている青年隊員の住宅は一戸建てに1人が住み、冷蔵庫もインターネットも引けていてとても清潔であった。35000円で買ったという立派なソファーを居間に置いていた隊員の部屋はとても落ち着いた雰囲気で明るい部屋だった。かってバヌアツでは3箇所青年教師の住宅を見せてもらったがどこも暗くて湿気の多い穴倉のような部屋を見ていただけに雲泥の差であった。バヌアツではソファーを買って居間に置こうという発想が浮かぶ人はまずいないことだろう。17時51分Toloaの学校をさよならして平らなココナッツ畑の間の舗装されていない道を走る。途中面白い形のココナッツの木をみる。普通ココナッツの木は1本で枝分かれしていないが、その木は途中から枝分かれして2本の木になり、さらにその上で2つに枝分かれした20mぐらいの高いココナッツの木であった。
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市内へ向かう道沿いに立派なモルモン教の建物群が見えた。19時12分今日の夕食会場である中華料理のGALILEE RESTAURANT(加利利中餐庁)に到着。6人の席がテーブルで準備されていたのだが、しばらくすると中国人の大勢のグループが入ってきたので、個室を明け渡し別のテーブルに移る。6人でやきそば、ラーメン、マーボー豆腐、魚の南蛮漬け、豚バラの四川風煮込む、チャーハンなどを注文する。料理が運ばれる都度回転テーブルを回して皆で取りわけていただく。途中停電があって、ロウソクの明かりの中でいただく。マーボー豆腐と豚バラの四川風は唐辛子がききすぎて辛かった。魚の南蛮漬けは美味しかった。チャーハン、やきそば、ラーメンも良かった。途中照明がついて、壁の扇風機を動き出した。この日の夕食はお茶にしてビールを飲まなかったので料金は全員の料金で62ドルととても安かった。72ドルを渡したらどういうわけか12ドルのお釣りをくれた。2ドルはサービスしてくれたようだ。20時36分支払いを済ませ明日の打ち合わせをして果物を買いにいく。道端の薄暗いところでバナナを売っているところを発見。立派なバナナ1房が3ドルという。1つ買って青年の家へのおみやげにする。暗い道路脇には棚が並んでいてその上にトマトなどが並べたまま人がいないところもあった。お金を払わず持って行く人はいないのだろうかと人事ながら心配した。この国ではお金がなくても食べることには困らないことを確信した。車で家まで送ってもらいシャワーを浴び、洗濯をしてから、23時半までおしゃべりをして就寝。

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1月17日(日) 晴れ  トンガ2日目。トンガ・フィジー旅行2日目 バヌアツ滞在621日目
2010/01/25(Mon)
TONGA NUKUALOFAの朝5時半起床。少しまえまでお2人は起きていたようだが、この頃の少し前にそれぞれ横になったようだ。
5時45分日誌をつける。5時55分ニワトリの声を聞く。6時家を出て見ると隣の空き地になんと豚がいるのには驚いた。
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トンガでは豚がニワトリ同様に放し飼いである。これで飼い主の元に戻ってくるのか不思議であるが、そういう豚が沢山いる。トンガは豚の天国であると思った。近所のオバサンに食べるものを売る店を尋ねるが今日は日曜日で店は開いていないという。道路に出てみようと歩き出したが、犬がたむろをしているのを見て噛みつかれては大変なので大事をとって出るのをやめる事にする。10時に教会の鐘の音がしてきたので近くに教会のあることを知り、家を出て音の鳴った方向へ歩いていく。既に礼拝の最中だったが、会堂の外で見ていたら、中へ入るよう手振りで誘ってくれる。思い切って入り空いていた席にかける。皆さん、白のワイシャツと黒の長ズボン、スカートの正装の中に、黒のTシャツと半ズボンの姿で入るのは少し躊躇したものだが、ご無礼を許してもらうことにした。信者は約300から400名。演壇の上には長老たち10名から15名がこちらを向いて座っていた。すぐ親切にも同時通訳の機械とヘッドホンを持ってきてくれたのでかけてみると、話しているトンガ語を英語に翻訳してくれているものだった。会堂のどこかで翻訳している人がいて、トンガ語の話しを聞きながらささやくように英語で語っていた。ジーザスクライスというところだけが聞き取れた。10時半に迎えに来てくれると昨日聞いていたので10時20分会堂を失礼して出てくる。帰り道青年と会う。どうやら探しに出てきてくれたのだ。もう車は迎えに来てくれたという。10時25分青年の家について待つ間青年の心尽くしのカップ麺と紅茶の朝食をいただく。10時40分再び迎えに来てくれた車に便乗する。レンタカーとガソリン代を先輩と150ドル(8250円)づつ支払う。市内の桟橋からエンジン付きヨットに乗って沖のFafa島を目指す。約13名の日本人JICA関係者とご一緒させていただく。11時船出航。デッキの上に乗って気持ちのいい風を受けて途中ヨットの帆が広げられ風を受けてスピードを上げた。島まで約30分のクルーズ。
トンガ ファファ島 ヨットの上
11時半島の傍まで来ると、島に止めてある桟橋のようなボートが動き出し、ヨットの乗客を乗せて波打ち際まで運び、最後は渚に足を濡らしての島への上陸であった。島ヘはこの船一隻の客だけをサービスするようで、往復の船賃と昼食代金込みで69ドル(3795円)ほどであった。不思議なことに昼食は3種類のメニューが黒板に書かれていて、それぞれ24ドルから16.5ドルと書かれていたが、どうやらどれを注文しても69ドルのようだった。それが分からないものだったので、つつましく16.5ドルのサンドイッチとアイスクリームを注文したのだが、どうやらここに来るのが2回目の人は24ドルの鳥の唐揚げとチップなどを注文していたようだ。これだけではのどが乾いたので、ココナッツジュースを頼んだがこれが冷えていてとても美味しかった。これが3ドル。ビールを1本。全部で78.5ドル(4320円)というところだった。魚は浅いところにも群れを作って泳いでいたが、小麦粉の団子の餌にはかからなかった。4時半に帰りの船が出るまで、ソファーで約45分昼寝をする。朝来たヨットは帰りまで島に停泊していて、4時40分出発。5時20分桟橋に着く。17時55分一旦青年のお宅に運んでいただき、シャワーを浴びて、着替えをしてから18時40分迎えに来ていただいた車で海辺の小さな落ち着いたレストランに向かう。夕食会場は予約されていてテーブルがセットされていた。そこでメニューを見て蛸の煮物とビールを注文する。夕食には泊めていただいた青年もご一緒してくれた。19時から21時半までのお腹一杯の海鮮料理であった。この夕食代金はビール込みで80ドル(4400円)エビのチリソース煮も美味しそうだった。22時青年の家に戻る。みかりんからはコーヒーゼリーを差し入れしていただく。1時半までおしゃべりをして就寝。

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1月16日(土) 晴れ 29 ℃ 湿度 74% 日の出5時20分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在620日目
2010/01/25(Mon)
VANUATU PORT VILAの朝2時起床。レモンティーを作り、パイナップルを1ついただく。とても甘くて美味しかった。2時半から製本の機械を作っているTaiyo SeikiをNHKワールドで見る。3時からNHKワールドを見る。小沢の前会計責任者をしていた石川代議士が逮捕されたと報じていた。責任者の小沢は置いておき、会計責任者という秘書を逮捕するのは日本の検察の常套手段である。小沢を逮捕しても、会計責任者がやったことで自分は知らないと言い張るとそれが通ってしまうのが日本であるようだ。今回は土地の購入資金が政治資金報告書に載せていない、土建屋からの賄賂性の金を裏に隠しておかず、すぐ土地購入代金に回したすなわち表舞台の金にしてしまったのが墓穴を掘ったようである。焦って物事を進めるとこうなるという見本のような事件になるだろう。眠くなってきた。3時16分 ベッドに移る。4時起床。玉葱とタロー芋を音がしないようにスラーサーで切って野菜スープの具にする。4時20分ごはんのスイッチを入れる。4時半から中国の27歳の書家のドキュメントを見る。5時いつもより早い朝食をいただく。5時40分と6時に先輩からTELあり。6時過ぎ荷物を持って中庭で待つ。地下のプロパンガスの元栓は締めておく。6時15分ニュージーランド人のポールさん運転の車が玄関前に到着する。乗車して助手席に座っておしゃべりをしながら空港へ。ポールさんは水陸両用飛行艇のパイロットで奥さんは和歌山出身の日本女性とのことで日本語も上手であった。6時半国際線登場口に到着。お礼を言ってさよならをする。受付手続きは出発定刻8時40分の2時間前で少し待つと受付開始。荷物はリュックサック約6Kgが1つなので機内持ち込みとする。8時半に搭乗開始。
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搭乗機はフィジーのAIR PACIFIC FJ260便ボーイング737-700 120人乗り、出来て12年になるものであった。8時49分離陸、1分で低い雲の上に出る。8時52分2度目の雲の中に突入。8時53分2度目の雲の上に出る。8時55分3度目の雲の上に出て晴天の下に出る。9時9分朝食が配られる。チーズや野菜を挟んだコッペパンとオレンジジュース、フルーツとコーヒー。コーヒーのお替りもいただく。時々下の海にさんご礁にくだける白い波で囲まれた島が見える。晴天のもと順調な水平飛行を続ける。後ろの座席から女の子の笑い声が賑やかである。窓から外を眺めていたら昔よく聞いた深夜のFMラジオの冒頭の城達也のジェットストリームのナレーションが思い出されてきた。直下は雲海になりはるか雲海の端に島が見える。9時46分離陸後約1時間が経って下降を始める。はるか下にあった雲が迫ってくる。船が波の間に走るように、飛行機は雲の上を滑るように飛んでいく。9時50分雲の中に突入する。9時51分雲の下に出る。はるか下に切れ切れの雲が見下ろせる。9時56分小さな島が見える。島の周り100mから200mぐらいにさんご礁で取り囲まれていてそこに砕ける波が白い。環礁の中は浅瀬でエメラルドグリーンやら濃いブルーやら色が美しい。小さな島々が見えてきて10時フィジー本島、ビテレフ島のNADI空港に着陸態勢となる。NADIはナンディーとNが付いているように発音する。10時4分着陸。正味1時間15分のフライトであった。ナンディは晴天。時差が2時間あるので時計を2時間進めて現地時間は12時4分である。2年前の3月はじめてバヌアツに行くとき乗り継ぎで待った、なつかしい待合所で16時35分発のTONGA行きの飛行機を待つ。フィジーのナンディ国際空港は南太平洋の要の位置にあり、ここから、ニュージーランドのオークランド、クライストチャーチ、オーストラリアのシドニー、ブリスベン、アメリカのロスアンジェルス、ガム、ソロモンのホニャララ、パプアニューギニアのポートモレスビー、日本の仙台などに航空路線を有している。お隣とトンガはフィジーのさらに東に位置し1~2度南極に近い位置にあり南緯21度ぐらいでバヌアツでは南極に近いタンナ島とほぼ同じ緯度に位置する。TONGAは日付変更線のある東経180度に近く世界で最初に朝日が出る国でもある。出発は遅れて16時55分ようやく搭乗開始。搭乗機はフィジーのAIR PACIFIC FJ211便ボーイング737-800 154人乗り、乗客は半分ぐらいであった。しばらく滑走路を走り17時24分離陸。予定より50分遅れの離陸であった。ナンディの島からは野焼きの白い煙があちこちから上がっていた。17時27分雲を突っ切り大きく左に旋回して機首を東に向ける。17時30分雲を抜けて青々と輝く空に出る。17時52分とても美しい島見る。どの島も島の周り100mから200mを白い波の首輪をつけたようで美しい。18時夕食が配られる。夕食は朝食同様サンドイッチとオレンジジュースとコーヒーとフルーツ。夕食後配られたimmigrationarrival cardを書く。18時24分離陸後1時間が経ったが太陽は飛行機の進行方向の後方のまだ空高くにある。このころから下降をはじめ18時32分Final approachで補助翼を一杯に伸ばして着陸態勢。下にきれいにココナッツの木が見えてくる。18時37分着陸。正味1時間13分のフライトであった。トンガの空港は晴れ。2階の展望台から明るい青年隊員の姿と声が聞こえてきた。出国検査に並んで税関検査を出たのは19時ごろになっていた。ずいぶん待ってくれた同期の青年隊員、お世話になるシニアの方にお会いする。
空港の外貨両替所で200US$をTONGAのお金に換金する。335TG$であった。1TG$は55円ぐらいに相当するようだ。続いてニュージーランドのオークランドから着いた飛行機で帰国する青年隊員を待つ。20時前無事日本から帰国した青年隊員を迎える。この日JICAのTONGA新規隊員歓迎会が17時からドミトリーで開かれていて、そこに向かう。20時半ドミトリーに到着。同期の青年隊員に再会し写真撮影などする。もうお開きの時間にもかかわらず、豪華な料理を勧めてくださる。土曜の夜の新規隊員歓迎会の料理は各自が作った持ち寄り料理だそうで巻き寿司もあり、本格的な料理ばかりであった。土曜日じっくり一日かけて準備された料理の数々であった。とてもフレンドリーで楽しい雰囲気が伝わってきた。我々のため22時半まで延長してくれてようやくお開きとなった。こちらが気が付くべきであったが、遅くまでお付き合いいただき感謝であった。終了後先輩はシニアの方のお宅へ、私は元バヌアツの青年隊員のお宅へ。みかりんからひじきの煮物をいただく。やはりバヌアツでご一緒したシニアの方と向かう。TONGAの3泊の部屋をお借りして荷物を置いて、この日は3人で話が尽きなかった。上等なウィスキーの水割りをいただき3時までおしゃべりに加えてもらう。3時シャワーを浴び、洗濯をして3時半まだ話がつきないお2人をのこして先に休ませていただいた。
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1月15日(金) 晴れ 29 ℃ 湿度 80% 日の出5時19分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在619日目
2010/01/25(Mon)
今日の一日を考えてみる。まず電話会社にお金を支払いに行き2月末で電話を止めてもらうこと以後利用契約は解除することを伝えること。2つ目は釣具ショップに行って釣道具を引き取ってもらうこと。大物は渡して、小物は3月帰国間際に渡すことにする。3つ目は郵便局へ出かけ郵便を出してくること。4つ目は買い物。5つ目は土曜日からの旅行の支度、6つ目はJICAオフィスで印刷をすることである。特製ライフジャケットの寸法を測っておいて、いつでも作れるようにしておこう。出来栄えを気に入っているライフジャケットで市販のものもつけてみたが、付け心地、浮かぶ浮力が丁度いい。
1時になった。これから英語の勉強。2時半にベッドで休む。4時50分起床。5時に畑に野菜を摘みにいくとき返すペットボトルも持って出たが、キンさんはいなかった。朝食はいつもの野菜スープにいただいた永谷園おとなのふりかけ紅鮭を炊きたてのご飯にかけていただく。とても美味しくいただいた。8時にキンさんにペットボトルを返しにいくが留守のようだった。メリリンにお皿を返しに行く。レンジョーが2月からビラノーツ小学校に行くと話してくれた。8時半まで英語の勉強。8時半釣具屋に電話すると今日はトニーはsickで休んでいるという。もう一人のウィリーを呼ぶと来週金曜日に来てくれという。来週金曜日は都合悪いので再来週の金曜日29日にしてくれと連絡する。さてこれから外出の支度。8時40分 電話会社へ支払いに行く。2月末で解約したいと言ったら、来月また来てくれと言われる。今日から解約するのなら受付出来るが来月のことは出来ないそうだ。次にJICAオフィスへ行ってプリンターと複写機を使わせていただく。明日からの旅行の道連れにする本も2冊借りる。買い物に出かけ、いつもの肉とパイナップルを2つ買う。レイパコアさんとまだ先輩がバスケットを取りに来ていないというので、今日は来るでしょうと応える。10年生とマーケットで出会う。いつから学校が始まるかと聞くので2月15日と応える。11年生に合格したから聞くのだろうとは思ったが念のため、合格したのかを聞いて、コングラチュレーションと言う。マーケットを出ると雨が降り出していた。小雨に濡れながらアパートへ帰るとメリリンがイビランを抱いて顔を出していたので、昨日の魚のお礼を言う。フレッシュで美味しかったと言うと、喜んで、そう言ってもらって嬉しいと言ってくれた。早めの昼食はお茶漬けにする。デザートはバナナとパッションフルーツとパイナップルをいただく。居間の椅子に身体をのばして、借りてきた池波正太郎著「鬼平犯係帳21」を読みながらうとうとしていたら、玄関を叩く音で目を覚ます。玄関先にダリルさんがシャワールームの新品の「Shower Curtain」を持ってきてくれた。180cm x 180cm DELUXE POLYESTER MATERIAL COMES WITH 12 CURTAIN HOOKSというものだった。感謝して古いカーテンを外して、新しいものに付け替える。古いカーテンはビニールが紙のようにもろく劣化していて、破れをテープで貼って繕って使っていたが、修理のしようがないほどに破れてきていた。そのあと、英語の勉強をして、日記をつける。1時半バナナとパッションフルーツをいただいて休憩。旅行には、空港までの行き帰りのバス代300vtと念のため帰りのタクシー代1000vtの1300vtとで1250 USドルを持って行くことにする。これから英語のセンテンスの登録。14時2分 17時までかかって終了。これから夕食の準備。今日はお好み焼きにする。これからガーデンに野菜を摘みに行く。17時1分 犬のハッピーとガーデンにレタスとわけぎを摘みにいく。レタスに黒い斑点のようなものが出てきた。今日のマーケットで斑点のついたレタスを取り除かれていた。野菜スープとお好み焼きを作る。食後デザートはバナナとパッションレモン。夕食後ベッドで「鬼平犯係帳21」を読みながら19時就寝。19時45分ごろ電話が鳴っているのに気が付く。しばらく長くなっていた。先輩からであった。明日の朝の空港までの打ち合わせであった。20時すっかり目を覚まし、荷造りを始める。最初にパスポートとサイフ、現金は腹巻を作りその間に入れることにする。腹巻は日本手拭いの新しいのを使い、真ん中で2つに折ってその端を約5cmの長さのゴムひも4本で繋げる。これをお腹に巻いてそこに首から提げた小さなバッグを入れる。バッグはパスポートが丁度入る大きさのものでこれをクビからかける。このバッグに航空券も入れておく。腹巻にはそのほかに850USドル入りのサイフと400USドルを入れた紙袋の3つを入れる。それぞれの入れる場所は区切りを縫っておく。それをお腹に巻く。ずり落ちることを心配したがそれは大丈夫そうだが、海に入るときははずさないといけないから、人のいない海でなければ入れないだろう。ここまでのものを準備したのは今度が初めてである。JICAオフィスから公用旅券の盗難防止対策の指導を受けていたので、念のためと作ることにした。無事帰ることが出来ればいいが。着替えは下着2つとTシャツ2枚を持っていく。半ズボンをはいて、サンダルを履いていく。サンダルの靴づれ防止に靴下を履いていく。行きはお土産物で荷物は多いがついてしまえば荷物も軽くなるだろう。つり道具と餌も持っていくことにしよう。23時52分ベッドへ移って就寝。
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1月14日(木) 晴れ 29 ℃ 湿度 82% 日の出5時19分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在618日目
2010/01/25(Mon)
0時半目を覚ます。ベッドの中で「おとこの秘図」を読み始め、1時起床。バナナ1本とパッションフルーツ2個をいただく。日記をつけて、今日しなければならないことを考える。まずトンガへのみやげ物のバスケットの督促の電話をすること。JICAオフィスに預けているパスポートを取りに行くのは明日でもいいが、今日にしよう。新聞で11年生の合格発表を見に行き出ていれば買うこと。バナナとパッションフルーツとレモンとタロー芋を土曜の朝の出発までに食べてしまうこと。3時8分NHKワールドを見る。これから英語の勉強
4時からNHKワールドニュースを見る。最初は中米のハイチで7.0の地震で多くの犠牲者がでたという。二つ目は小沢の事務所に手入れが入ったこと。3つ目はJALの再建の77歳の稲盛がついて西松は退陣することになった。以前JALには中曽根の時代、再建にやはり関西の繊維の伊藤が担がれたが果たせず投げ出したことがある。このあたりのことは、山崎豊子著ハードカバーの「沈まぬ太陽」をこちらに来てから全巻読んで知ることが出来た。稲盛のインタビューで感心したのは「計画通りやれば再建できる」と言っていたことであった。誰しも計画は作ることは出来るが実行するのが難しい。それも一人でやることは出来ても多くの人と結果を作るのが難しい。77歳でも期待されるのは再生に向けて多くの人の力をそこ集める指導力を期待されてということなのだろう。とうとうJALの株価は7円に暴落した。JALの株はこれまで1000株から買えたと思うが今は7000円で1000株を買えるのだろうか。こうなっても買う人はいないようで売り一色らしい。ベランダに出てみるとひやりと気持ちよく、空には星が煌いている。今日もお天気のようだ。一時より日のあけるのが20分近く遅くなってきた感じがある。間もなく5時であるがまだ暗い。朝食後6時過ぎにタンナの方から船が来る。7時入港してきたのは今年4日最初に来た「PACIFIC JEWEL」だった。10日ぶり今年2回目、今年になって豪華客船が5回目の入港であった。朝食後8時疲れたのでベッドで横になる。9時起きてJICAオフィスに出かけることにする。預けていたパスポートをもらう。10年生の11年生合格の新聞が見つかった。デーリーポストにはでていなかったが、インディペンデントに出ていた。銀行の通知。電話会社の請求書がきていた。帰国時に必要な提出資料の帰国届を印刷する。マーケットで赤く、長細いマンゴーを2つ買う。レイパコアさんと会ってバスケットのことを言おうとしたら袋から4つ取り出してにやりとわらう。トンガのさえさんへのお土産のバスケットが出来ていた。名前入りの特注品である。先輩の分も3つみかりんのお土産など出来ていた。海沿いに帰る。先輩にお土産の出来ていることの電話をしてからシャワーを浴び、洗濯をする。旅行前なのでリュックサックも手洗いする。昼食後ダリルさんが食器の水切りざるを持ってきて、古いのは折って、表のゴミ箱に入れておくようにと言ってかえる。有難いことである。早速写真にとってから食器を入れ替える。写真をアップロードして調整して日記をつける。1時半になった。1時半からNHKワールドのGentle Journeysでkarizawa Tawn Naganoを見る。森のコケの絨毯を見る。小径 Happy Valley 写真屋さんと木の植え替えをする人。テーマ音楽がいい。3月25日には1晩軽井沢に暮らす母のところに泊めてもらいに行って朝の森の小道を歩いてみようと考えた。2時これから帰国届を書く。3時に古い水切りかごを折りたたんで前のゴミ箱に捨てる。ガーデンにカロとレンジョーがいたので行っておしゃべりをする。犬のピースも来る。ダリルがイビランを抱いてくる。メリリンが魚でローカルフードを作ったという。メリリンが来て石と葉っぱで魚の蒸し焼きを作ったといって、料理の道具の石やら葉っぱやらをガーデンのコンロのところにもどしてあった。メリリンと勉強のこと、料理のこと、メリリンの家族のことおじいさんおばあさんのことなどおしゃべりする。途中ダリルがイビランをシャワーに連れて行き、2人ともいい香りをして帰ってきた。レンジョーは2月からビラノース小学校に行くという。メリリンの一族には102歳のおばあさんもいたという。おじいさんは2年前に90歳を過ぎてなくなり一家はご両親と兄弟姉妹全員10名お元気だと言う。いろいろおしゃべりをして部屋に戻ると5時前であった。夕食はうどんにする。メリリンが石焼で作った魚を持ってきてくれた。有難くいただく。特に味付けはしていない、魚は日本のさばに似ていて英語ではマッカレルというと思うがメリリンはマングウとか言っていた。マングウは鯵をビシュラマ語で言っていたと思う。北九大の先生や学生さんがフツナで草の根支援でしている魚を燻製にして商品化する取り組みをしているが、フツナではブトンギと呼んでいる料理と似ていると思った。しばらくぶりで大きい魚をいただいた。
先輩の奥様がトンガのシニアの方へのお土産と日本のお土産をお持ちくださる。デザートは6時すぎに出航していく「PACIFIC JEWEL」を見送りながら甘いマンゴーをベランダでいただく。シャワーを浴びて、18時半ベッドで「おとこの秘図」を読みながら19時就寝。21時半目を覚ます。枕もとの電気スタンドは点いたままであった。起きてレモンティを作りいただく。日記をつけながらNHKワールドを見る。これから英語の勉強。先ずボキャブラリーデータから23時までにExcelからAccess DBを作ってみる。3種類の検索QUERYを作ってみる。0時まで昼間尋ねられた青年隊員からのExcelの質問を考えてみる。Visual BasicでProgramを作ったデータをExcelで読み込ませ作成することになると考える。0時からNHKワールドを見る。カリブ海の国ハイチで起こった地震の犠牲者は数万人にのぼる恐れがあるらしい。
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1月13日(水) 曇り 29 ℃ 湿度 82% 日の出5時20分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在617日目
2010/01/13(Wed)
0時起床。昨日先輩に聞いた帰国時ハンドブックを読む。帰国は3月22日月曜日7時半ポートビラ発でシドニーに11時10分。シドニー発22時5分で成田着23日6時10分となっている。23日は都内に宿泊して、24日広尾で帰国時プログラムに参加、25日健康診断などのあと報告会で帰国時プログラムを終了。で終了日から3日以内に自宅に帰らなければいけないらしい。英語の勉強をして2時半から3時半まで居間の椅子に身体を伸ばして本を読んで休む。NHKワールドで小田急線の伊勢原から行く大山登山をみる。4時からNHKワールドニュースを見る。大阪で銃で撃たれて2名死亡が最初のニュース。大阪らしいニュースである。2つ目は鳩山人気調査で支持するが56%に下がったこと。3つ目は小沢の金の問題の釈明。4つ目はJALの株が12日に37円に暴落したことと年金問題で退職者が50%カットに賛成したと報じていた。JALの再建問題では早稲田大学のTozaki Hajime教授はSimpleでContolableな組織にすることが必要と話していた。昨年4月には200円していた株価がこうなっては退職者も危機意識を持たざるをえなくなったようだ。日航の株は配当はなくても株主優待券が持ち株に応じて配られるので人気があったものだが今は売りたい人ばかりで買うのはリスクが大きすぎるようである。今日のドミトリーにインターネットをしに出かけて、3月23、24日の宿泊先を探して見ようかと思う。最近の東京の宿泊事情を見てみるのも面白そうだ。ただし東京の宿泊所はJICAに知らせる必要があり、宿泊手当てが定額なのでその範囲内の適当なところで探してみることになる。見つからなければ渋谷区にJICAの宿泊施設もあるのでそこを申し込もうと思うのだが早くしないと予約できないかもしれない。頻繁に出張することの多かったサラリーマン時代には出張の日取りが決まったらすぐホテルと飛行機の予約をしたものである。会社をリタイアーしてからホテルを予約するのは今回が初めてである。今日はSBS TVが固まってしまって残念ながらNHK昨夜7時のニュースは見ることが出来なかった。5時10分これから朝食の準備。6時半タンナの方から「P&O PACIFIC DAWN」が来て7時入港する。8時過ぎにアパートを出てドミトリーでインターネット。今日は新しく来たビラ以外に赴任する青年隊員たちが任地に行ったそうで、ビラ勤務の人たちが残っていた。今日アパートを探しに行く人もいた。昼近くまでかかって3月23,24日に新宿駅南口から徒歩3分の新宿ビジネスホテルを1泊通常料金8500円のところを4500円で予約する。、早いと割引になるようだ。その前に新宿ワシントンホテル新館が23日から5900円と出ていたので2泊の予約を入れるてみると1泊目は5900円、2泊目は9200円と表示される。それをキャンセルして、別々に1泊づつ予約を入れると1泊目は5900円で取れるのだが2泊目は5900円の部屋は既に売り切れで無いのであった。東京ビジネスホテルというのがあって、バイキングスタイルの朝食付きで安い料金であった。まだまだ安い部屋を予約できることも知ったのだが、安くてアクセスの便利な適当なところで決めることにした。回線のせいだと思うが応答が遅くしかも時々回線遮断するので、大変時間がかかってしまった。初めてのホテルの予約の操作で応答がしなくなり、なんどか途方にくれることもあったが、なれてくると操作はさほど難しいものではない。しかし日本の早い回線を前提で作られているプログラムのせいだろうが、遅い回線のこの国から使うのは骨が折れた。でもなんとか辛抱すれば使えるものであることを学んだ。昼前にアパート探しから帰った2人のシニアの方の話を聞くといい物件が無いと言っていた。アパートへ帰って聞いてみることにする。12時過ぎアパートに帰ると丁度管理人さんが車で帰ってきたところだった。話を聞くと1月末に1部屋空くらしい。ついでに台所の食器の水きりかごがさびてきたので、白ペンキを貸してくれるように頼む。部屋まで現物を見にきてもらうと、新しいものを明日買って持って来ると言ってくれる。昼食後早速ドミトリーに行って1月末に1部屋空く話しを伝え、夕方に見学にくるようお誘いする。その足で町へ出かけると、海沿いの道で今度12年生になる女生徒が「ヒロ」と言って笑顔で握手してくれる。とっても真面目な生徒さんである。SPARといつもの肉屋とボンマルシェで買い物をして帰る。シャワーを浴びて、洗濯してから肉を砂糖醤油で煮込み日記をつける。今日の新聞にも11年生の合格者は載っていなかった。円は10899vt=10000円で少し円高になってきている。15時15分これから英語の勉強。少し休んで、部屋をほうきではきだし、シャワーを浴びる。いつもより早く5時に汽笛がなって「PACIFIC DAWN」は出航して行った。5時20分にはもう沖合いに出ていた。野菜を摘みに部屋を出ると、帰国されていた先輩ご夫妻が戻られていた。ご挨拶しておしゃべりをする。そのうちお2人がアパートを見に来られた。ガーデンでおしゃべりをして、管理人さんの部屋を訪ね空室事情を聞いてから部屋の間取りを見せてもらい2階の内装工事中のB5を開けて見せてもらい、我が家を見てもらう。ベランダから丁度沈む夕日を背景にお2人の写真を写す。お2人が希望される1ベッドルームかスタジオタイプはすぐに空く予定は無かった。広い2ベッドルームの部屋は月末に空くが、それは少し大きすぎる。午前中あまりいい物件が無かったようで、あまり表情がすぐれなかったので、少しいいアパートを知ってもらって希望を持って元気を出してもらおうと思ったのだが期待はずれの結果であったようた。ただお疲れ様といったところのようで残念なことでした。6時半すぎ玄関に見送りをしてからシャワーを浴びて夕食の準備。野菜スープとお好み焼きにする。夕食後ベッドで池波正太郎著「おとこの秘図」を読み始め就寝。

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1月12日(火) 曇り 29 ℃ 湿度 85% 日の出5時20分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在616日目
2010/01/12(Tue)
1時半起床。NHKワールドを見るとJALの再建問題を特集で扱っていた。年金需給者の年金カットの諾否が火曜日に出るらしい。当事者は毎月の生活のお金を減らされることだけに、やりきれないところだろうがさりとて、国の支援が無くて倒産しては元も子もなくなるので難しい決断を迫られているわけだがどうなるだろう。今日はドミトリーへ出かけてインターネットをしてこようと思う。これからボキャブラリー登録の続き。2時8分から24th Day 「裁判」から始め2時33分終了。2時35分から25th Day 「メディア・仲間」から始め2時53分終了。ついに1020個の英語ボキャブラリーに達した。これから休憩してパッションフルーツを3個いただく。3時4分から26th Day 「家族」から始め3時22分終了。続けて3時24分から27th Day 「余暇・娯楽」から始め3時41分終了。続けて3時42分から28th Day 「食事・料理」から始める。ここからはテキストに赤のアンダーラインと黒のチェックが入っていて勉強したあとがうかがえる。4時7分終了。残りはあと2テーマになった。続けて4時10分から29th Day 「住居・家庭」から始める。ここからはテキストの途中まで赤のマーカーが沢山ひかれていて勉強したあとがうかがえる。よく文章にも赤のボールペンで書き込みされていた。こういう書き込みがあるのも勉強するとき励みになっていいもんだ。4時30分終了。すこし疲れてきた。NHKワールドで片付け仕掛け人を見る。小松やすしさんという、昨日も途中から見たがもう一度しっかり見ることにする。最初は靴屋さんの小売店。2つ目は107人のプロパンガス販売会社。靴屋さんの若いご主人は棚の掃除をするように仕掛け人から言われて、始めていろいろな事に気が付いて、2週間後には「自分の中にいた貧乏神が去っていった」と言っていた。2ヶ月び1度3時間の片づけで20袋のゴミを出した会社の事務の女性は1日60分ぐらいかかっていた文書や事務用品を探す時間が10分ぐらいに減った。「会社に来るのが楽になった」と言っていた。コツは簡単で毎月使ったものと、そうでないものを2つに分類することだった。4時57分 朝食の準備にする。これからガーデンに野菜を摘みに行く。5時4分 ご飯のスイッチをつけてガーデンに。日の出がだんだん遅くなっている。朝食後シャワーを浴びて、ベランダで海を見る。湾の中央には石油運搬船「ANATLIA SEA」が停泊していて埠頭には「SOFRANA」がコンテナを下ろしている。英語ボキャブラリーいよいよ最終回。6時25分から30th Day 「消費生活」から始め6時48分終了。これからベランダでバナナを食べて休憩。7時から写真を取り込む。7時38分までで写真の取り込みと調整終了。これからドミトリーへ行ってインターネットをしてメールとブログの更新をしてくる。7時39分。NHKワールドのニュースで中国が2009年度車の生産で13.8百万台・販売で13.64百万台で世界最大になったと報じていた。 8時ドミトリーにつく。全員出かけているようでこれからインターネットをしてメールとブログの更新。10時半ごろまで大阪1008朝日放送を聞いて過ごす。アパートに戻り、早めの昼食をいただく。お茶漬けとバナナとパイナップル。11時半町へ出かける。銀行で頼んでおいた普通口座に定期の利子を入れるよう頼み、29日に満期の来る定期を全額普通口座に入れるよう申請する。1時間ぐらいかかってようやく普通口座から全てのお金を引き出す。マーケットへ買い物に出かけ、肉とキャベツ・パッションフルーツ・パイナップルを買う。先輩とマーケットで偶然お会いして中庭のベンチで打ち合わせをする。帰りに新聞を見たが11年生の合格者はまだ掲載されていなかった。こんなに遅くなるとは思わなかった。アパートへ帰り、シャワーを浴び、洗濯を手洗いしてから日記をつける。今日の為替は10699vtで10000円であった。帰国時プログラム終了日から3日以内に自宅に帰ることが条件としてあることを知る。3月23日に帰国して25日に帰国時プログラム終了日して27日に自宅に帰るスケジュールを計画してみることにする。16時24分 これから夕食の準備。今日はうどんにする。
ガーデンに野菜を摘みに行く。犬のドッギーも一緒。犬がスタッフのガーデンから何かをくわえて出てくる。緑色をした丸いものでボールかと思ったらトマトであった。なんと食べてしまった。パパイヤも食べるしなかなか健康的な食べ物を食べている。夕食後ベッドで「鬼平犯科帳1」を読んで19時就寝。

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1月11日(月) 雨時々曇り 28 ℃ 湿度 85% 日の出5時20分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在615日目
2010/01/12(Tue)
0時半起床。今日は日本では成人の日の祭日である。JICA事務所も日本に合わせてお休みである。英語の勉強をして2時からNHKワールドニュースを見ると、昨日朝6時の西宮戎神社の恒例の駆け比べが出ていた。1等賞は陸上部の選手でユニフォーム姿でその速さは圧倒的であった。中国の北京は大変寒いという。北朝鮮は後継者問題で注目を集めているようだ。英語の動詞・句動詞を勉強してから日記を付け、これから英語ボキャブラリー登録続き。15th Day 「症状」から3時7分までで終了。レモンティーを飲んで3時16分から16th Day 「人体・病原」から続き。3時37分までで終了。NHKワールドで居合い切りを見て就寝。3時55分。5時10分起きて、ガーデンに野菜をつまみにいく。犬も。キンさん体操していて挨拶をする。朝食はSBS TV日本語放送を見ながら。6時半過ぎタンナの方から見たことの無い船がくる。「VOLENDAM」という船名でその下の「ROTTERDAM」と書かれてあり、赤白青の三色旗が後ろのマストに掲げられていた。フランスの船らしい。ベランダのゴムのスリッパの右の鼻緒が切れたので釣り糸で繕う。双眼鏡を載せる台も壊れたので再度修理をしなければならない。お天気になったので、8時半になったら町へ買い物に出かけてみよう。7時46分。レモンティーを作って8時5分から英語ボキャブラリー登録続き。17th Day 「健康・障害」から8時30分終了。休憩して双眼鏡の台の修理をしてくる。この国は祭日ではなく朝早くから働く人が下の道路を歩く。下の大工道具を借りて、双眼鏡の台を修理する。205号室の内装工事の様子を見せてもらう。見違えるように綺麗になっていた。町へ行き。中国人の店で新聞を見たが12年生の合格発表はまだ出ていなかった。銀行へ行くが、定期預金から利子分の普通口座への移動ができていなかった。米と肉を買いマーケットでバナナ、パイナップル、なす、生姜を買う。マーケットの中の売り場でセティに会って挨拶をしておしゃべりをする。12年生の合格発表はまだだという。これからその会議があるらしい。今週末からフィジーとトンがの旅行に行ってきますと伝える。スバには行けないんだよねと答えが返ってくる。マーケットの帰り道、マラポアカレッジ2期生で最長老女性教師のレワニ先生と会い握手して挨拶する。ORIGINガスを出たところでドロシーさんに会って握手する。帰り道10年生に会い握手する。まだ11年生の合格発表を待っているところである。海沿いの帰り道キンさんご夫妻と先週来られた数学教師をされるシニアの方とお会いしてしばらくおしゃべりをする。アパートに帰って、シャワーを浴びて、洗濯をする。昨日洗った玄関マットをもう一度洗う。肉を煮ておく。日記をつけてこれから昼食の準備。11時46分昼食後包丁と果物ナイフ2本をグラインダーで研ぐ。うまく研げたようで、うっかり包丁で指を少し切ってしまう。これから英語ボキャブラリー登録続き。18th Day 「主義・信条」から始めたが13時7分つかれたのでベッドで休む。14時15分目を覚まし続きをして14時45分終了。続いて19th Day 「文芸」から始め5時15分終了。玄関先を箒ではきだして玄関マットを敷く。居間とベランダを箒ではきだし、15時23分続いて20th Day 「学問・教育」から始め15時46分終了。15時50分続いて21th Day 「交通・地域」から始め16時7分終了。16時9分続いて22th Day 「社会問題」から始め16時23分終了。16時25分続いて23th Day 「犯罪・警察」を始める。16時45分終了。16時30分朝入港した「VOLENDAM」が汽笛を1回鳴らす。お客さんに集合の合図をしているのだろう。
23th Day 「犯罪・警察」を16時49分終了。少し疲れてきたので一休みして埠頭に停泊しているVolendanを双眼鏡で見ると、7階建ての屋上の椅子に身体を伸ばして寛ぐお客さんの姿が見える。壁に「Holland America Line」と書かれている。今日はここまで9日分のボキャブラリーを登録した。17時には「VOLENDAM」が汽笛を3回鳴らしてお客さんに戻って来てよと合図しているようだ。蒸し暑い一日であった。現在の室温は30度、湿度は80%である。じっとしている分には、天井のファンを一番強くしているので汗は出ないが、動き回ると汗がでてくる。ベランダに出てみると船は既に岸壁を離れていた。さっきの3回の警笛は出航の合図であった。デッキに鈴なりの人々がポートビラを眺めて行った。名残を惜しむように雨が強く降って来た。
これから夕食の準備。今日はお好み焼きにしよう。これからガーデンに傘をさして野菜を摘みに行く。17時25分 小雨の中犬とガーデンへ。野菜を摘んで夕食はお好み焼きを作る。夕食後シャワーを浴びてベッドで
「鬼平犯科帳1」を読んで19時就寝。
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1月10日(日) 雨 29 ℃ 湿度 85% 日の出5時20分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在614日目
2010/01/12(Tue)
新聞にはマラポアカレッジ9年生への合格者70名が出ていたのでこれからデータ入力して分析する。2時47分
8年生のデータ入力。26件で3時18分ベッドで休憩。 5時起床。TVを見ながら6時までで8年生の70件のデータ入力終了。ピボットとソートで分析してみる。男子生徒20名、女子生徒50名。セントラルとチャイルドケアーの2校で36名の生徒が合格して残りは6校から34名であった。6時18分これから朝食の準備。外は雨が降る日曜日になった。ガーデンに野菜を摘みに出るとキンさんが雨水をとっていた。おはようと挨拶して傘をさして畑にレタスとわけぎを摘む。遅い朝食を準備しているとキンさんが大きなペットボトルに雨水を持ってきてくれた。早速、朝のお汁とレモンティーの水に使わせていただく。水道の水はカルシウム分が多くて容器や洗面台はカルシウムがこびりつく。日本人の中には、飲料はペットボトルの水しか飲まないという人もいる。キンさんによると雨水の方が水道水よりいいという。確かに水道水で紅茶を作るときティーバッグをお湯に入れると水道水ではすぐ濁るが、雨水では濁らないようだ。朝食後レモンティーを飲んでシャワーを浴びて日記をつける。雨にけぶる海とマラポアの丘を眺めて今日は教会をお休みにして、勉強三昧の一日を過ごさせてもらおうと考える。日曜日は買い物にも行かず外出はガーデンの野菜取りだけでいい。今日は英語ボキャブラリーのデータ登録の続きと文法の勉強。7時50分。8時17分までで、7th Day 債務・流通・貿易終了。少し休憩してベランダで海を眺めてバナナをいただく。歯を磨いて顔を洗って、続き。 
8th Day 経営から8時27分開始。8時50分までで終了。9時過ぎ疲れたのでベッドで本を読んで休む。10時過ぎ目を覚ます。レモンティーを飲んで続き。10時23分から9th Day ビジネスから続き。10時50分終了。10時51分から10th Day 労働から続き。11時15分終了。続いて11th Day 科学技術1から続き。11時40分終了。つづけて3つを見て少し疲れた。これから昼食の準備。11時40分。ガーデンへ犬のドッギーと行って野菜を摘む。雨はあがっていた。昼食後、居間の椅子に身体を伸ばして「鬼平犯科帳1」を読んで1時56分から午前中の続き。雨は時々音を立てて降ってくる。アパートで小鳥の鳴き声を聞きながらの日曜日の午後を過ごす。これから12th Day 科学技術2から続き。14時27分終了。雨が一段と強くなる。下の道路を見ると流石に歩く人はなく建物の軒下で雨宿りである。これからいよいよ13th Day コンピューターを14時31分から開始、14時57分で終了。時々空が抜けたように大雨が落ちてくる。これから英語ボキャブラリーのExcelデータからAccess データベースに変換して検索システムを作って見る。14時59分。15時37分まででAccess データベースに変換して簡単な検索システムを作成する。14th Day 医療を16時14分までで終了。これから夕食の準備。久しぶりに餃子を作ることにする。今日の夕食は餃子にする。犬と一緒にガーデンで野菜を摘む。野菜を茹でて、皮を7枚作って具を入れてフライパンで焼いていただく。夕食後ベッドで「鬼平犯科帳1」を読んで19時就寝。

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1月9日(土) 晴れのち曇り 29 ℃ 湿度 80% 日の出5時20分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在613日目
2010/01/12(Tue)
3時半起床。パイナップルを1個切っていただく。英語の勉強。5時からNHKワールドを見る。アメリカの12月の失業者が10%ヨーロッパも10%と出ていた。日本の調査捕鯨に対するオーストラリアの抗議船との接触をオーストラリアSBS TVニュースでも報じられていることを映していた。日本の調査捕鯨というのは、外国では理解されていないようだ。調査捕鯨といって取った鯨が売られてたべているのだから、鯨保護の外国の団体が問題にするのは理解できる。調査なのであるからなにも捕獲する必要もないのではないか。5時20分からSBS TVで日本語TVを見る。JALの再建問題が冒頭のニュース。経営危機、法的整理と私的整理が論じられていたそうだが、法的整理前提に企業再生支援機構が乗り出し、主力銀行もそれに従うという事に決まったそうだ。これは裁判所のもとで整理がされるそうで、透明性と公平性があげられスピードがあげられるが、デメリットは現金決済を求められるなどで6000億円からお金が必要になるという。社員は10000人を削減し、45の不採算路線を廃止する方向であるという。退職年金の現役社員は50%削減し、退職社員は30%削減するという。昨日の管財務大臣の円安誘導発言が波紋を呼んでいる。95円ぐらいになってほしいというのが経済界の希望であろうというのはよくわかる。このところじりじり円高になっているところで管の発言で92円台から93円台に円安にふれた。管の発言でvtが3万円も1日で変るもだから日本の経済界の強い希望がよく理解できる。バンクーバー五輪代表になった高木選手を映していたが、注目してみてみよう。雨上がりの朝の海に虹が出た。日本は明日から3連休だそうだ。11日が成人の日だそうである。昔は1月15日であったがいつから変ったのだろうか。5時50分でニュースが終わりこれから朝食の準備。ガーデンに野菜を摘みに行く。昨日の新聞にはマラポアカレッジの入学者が載っていなかったので今日も新聞を買いに行こう。5時55分。
7時にいつもより遅い朝食をいただく。食後玄関の前の掃除をする。台所の上のボードも清掃する。シャワーを浴びてから英語の勉強。専門的なボキャブラリーを見始めたら眠くなりはじめるのでデータベースに登録することにする。8時3分。8時25分まで今日の三分の一を登録する。これから買い物に出かける。チューストアで新聞を買う。肉と玉葱を買ってマーケットを覗くと、パイナップルはほぼお仕舞いで、マンゴーと新たにパッションフルーツが沢山でてきていた。ヤム芋は探したがなかった。パッションフルーツとピーマンを買うと黄色いレモンを1つおまけしてくれた。帰り道インターネットカフェでパソコンに向かっている
マラポアの生徒を見る。帰り道ジョンに会う。9時36分アパートに帰ってシャワーを浴び、着替えに続いて玄関マットも手洗いする。10時パッションフルーツを5個いただき、日記を付け始める。これから英語ボキャブラリーのデータ登録。10時51分 今日の円買い交換レートは10678vtであった。昼食は焼きめしにする。
キャベツ、玉葱、ピーマンを刻み、煮付けた挽肉を入れて炒める。昼食後、レモンティーを飲んで居間の椅子に身体を伸ばして「鬼平犯科帳1」を読んで昼寝。1時半汗をかいて目を覚ます。台所に大き目のアリが沢山でていたので、退治して、玄関先からアリが来る道を確かめ箒で先までアリを掃きだす。これでアリも来なくなった。ベランダで乾いたマットを玄関先に置く。犬のドッぎーが玄関先まで訪ねてくる。レモンティーを飲んでこれから英語ボキャブラリーのデータ登録。2nd day 政権。14時22分 17時5分までで6th day 金融・証券までデータ登録。これから夕食の準備。今日はうどんを作ろう。これから生地作り。17時7分
夕食後、ベッドで「鬼平犯科帳1」を読んで19時就寝。
23時半起床。英語勉強。新聞を読む。1月6日水曜日、オーストラリアの南2400Kmの南極海でSea Shepherdの、the New Zealand registered whaling protest ship Ady Gilが日本の捕鯨船Shonan Maruと衝突してAdy Gilが沈んだという記事だった。日本は南極海で、調査と言って年間1200頭の鯨を殺しており、自然保護団体の
Sea Shepherdはこれに抗議するため、日本の捕鯨船をヘリコプターを飛ばして見つけAdy Gilという、奇怪な形をしたモーターボートを出した。捕鯨船は全速力で走ってAdy Gilに衝突し、肋骨を2本折った乗組員もいたそうだ。船は沈んでしまったが日本船は助けもしなかった。というようなことが書いてあった。
TVのニュースでは、Shonan Maruが近寄ろうとするモーターボートを放水して近寄せまいとしているように見えて特に衝突して沈んだところは映ってはいなかった。モーターボートからはShonan Maruに弓矢が4本撃たれたようだがそれは書かれていなかった。
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1月8日(金) 晴れのち時々雨 30 ℃ 湿度 70% 日の出5時19分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在612日目
2010/01/12(Tue)
釣り道具の浮きを作る。これまでの経験から接着剤を使わないでいいものを作るつくり方を学ぶことができた。これで明日再度糸をたらしてみよう。今日は大物釣り用に疑似餌をつけて、小物釣り用は、これまでの仕掛けでやってみる。机の上がちらかり放題になったので少し片付ける。3時に米を1.5合水洗いする。このところに1週間がたつのが早い。先日目を通した井上昭正著「国際協力専門家になるには」の本のカバーに福沢諭吉の心訓というのが出ていたので書いておく。
一、世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつということです。
一、世の中で、一番さびしいことは、する仕事のないことです。
と出ていた。日本人の宗教は仕事教といわれる起源を作ったひとつかも知れない。
3月の任期満了になったら仕事は自分で始めたいものである。自営業をself employed または家業family businessという。日本で仕事を探すのではなく仕事を自分でするのである。ボランティアでやるのではない。
Give and takeのビジネスをはじめるのである。長いサラリーマン人生で学んだことの意味を理解せずにいたものだったが、この2年の生活でいかに大きなビジネスバリューを身につけてもらっていたかを自覚させてもらったものであった。今後もバヌアツとは末永くお付き合いさせてもらうことにができそうである。首都ポートビラにはメンジスがあり、ヌーナにはセカンドハウスがある。そこで過ごすだけでも楽しいものである。シニアボランティアでは得がたい経験をさせてもらった。帰ったら新しい世界の要請内容に目を通して出来ることがあったらまたチャレンジしても見たい。自分の仕事も並行して進めることにしよう。日本の素晴らしさも異国で生活して知ることが出来た。若いときに回った北海道や、人生の夏の時代を過ごした九州をもう一度訪ねてみたいものである。まず3月下旬には吉野の千本桜を見に行くことにしよう。4月には大阪造幣局の通り抜けにも行ってみよう。4時38分 これから一休みして釣りの支度をする。5時すぎ畑に野菜を摘んで5時20分かたSBS TVで日本語放送を見る。小沢征一が食道がんの手術で半年仕事を休むと言う。74歳だそうだ。退任した藤井は77歳だという。 70歳代になると生よりも死が身近になってくるようである。
朝食後6時36分アパートを出て、ウォーターフロントへ向かう。7時前から釣りを始めると、第1投でブラックフィッシュがかかる。それだけでお仕舞いと思った9時間じかにピゴーがかかる。糸も絡んだのでそれをほどいて、店仕舞いとする。肉とパイナップル、タロー芋、小麦粉1KGを買ってGoodiesを覗く。10752vtで10000円だった。JICAオフィスによって新聞をみると合格者の一部がでていたので、チューストアで買って海沿いに帰る。途中マイルに釣れた魚を見せるとNo1と言って祝福してくれる。アパートに帰ってジョンにも見せる。部屋へ戻ってシャワーを浴び、洗濯をしてから、魚の煮込みを作る。日記をつけて、11時27分これからガーデンに野菜を摘みに行く。昼食後居間の椅子に身体を伸ばして池波正太郎著「鬼平犯科帳1」を読んで昼寝する。暑くてずいぶん汗をかいた。2時半目を覚ます。文庫本の破れた表紙を貼って直す。シャワーを浴びて英語の勉強。5時半犬のドギーとガーデンで野菜を摘む。午後少し雨が降った。草取りをしておく。夕食はお好み焼きと野菜スープ。お好み焼きにはタローを下ろしていれて焼く。夕食後7時ベッドで
「鬼平犯科帳1」を読んで就寝。
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1月7日(木) 晴れ 30 ℃ 湿度 70% 日の出5時19分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在611日目
2010/01/12(Tue)
3時起床。英語勉強。4時NHKワールドニュースを見る。パイナップルを切っていただく。今の季節マーケットでは、マンゴーが中心でパイナップルもとても甘くて美味しい。マンゴーは1個10vtから出ているし、パイナップルは1個30vtぐらいから出るようになった。農家の人には手間賃も出ないと思うのだが、美味しい果物が安くいただけるのは有難い。昨日はヤム芋を買いたいと思っていったが出ていなかった。おととい栗原晴美さんの料理番組でお好み焼きを作っていたが、その中で、山芋を下ろしていたが、それをヤムと呼んでいた。日本の山芋が英語ではヤム、バヌアツでもヤムと呼んでいる。これまで一度も買ったことがなかったが今日も探してみよう。日本の山芋はそう太くは無いが、こちらのヤムはとても大きいのでこれまで、敬遠していたが、日本の山芋同様におろしていただけるのであれば嬉しい。ちなみにタロー芋は3種類のタローを食べたが、下ろしてそのまま食べるのはあくが強すぎて無理である。 朝の明けるのが次第に遅くなってきている。以前であればもう明るくなっていた4時45分であるがようやくそらが群青色になってきた。まもなく5時。これから朝食の準備。ご飯のスイッチをつけてガーデンに行くと、キンさんが体操をしていた。野菜を摘んで昨夜外れたホースの先の器具にホースを取り付ける。きゅーりに水遣りをしているが大きくならず、生きているのがやっとという感じがしている。やはり昼間の暑さが強すぎるので育つのは難しいようである。朝食後海を双眼鏡で見る仕掛けた刺し網を引き上げる3人の若者の仕事を見る。ちっとも魚はかかっていなかった。今日は新聞に合格者が載っているかもしれない。新聞を楽しみにしよう。今日のマーケットではヤム芋がないか見てみよう。このところ毎日パイナップルを2個食べているのに少し飽きてきた。今日はマンゴーを買うことにしようか。7時32分まで英語データベースを見る。8時まで英語を勉強して8時20分アパートをでる。銀行の隣の釣り道具屋へ立ち寄り、3月に帰国するので釣り道具を置いていきたい。ついては買ってくれないかと譲る道具を見せると、いくらかと問うのでXXバツと言って見ると、なんと二つ返事で自分が買いますということだった。来週金曜日にお金を渡すのでまた来てくれという。思いがけない成り行きに少しホットする。使い古したものだけど、物の無いこの国では大変魅力的な品物に映っているのかもしれない。荷物にして持って帰ることを思えば、バヌアツで使ってくれる人がいるのは、有難いことである。ただであげるより、お金を出して買ったものであれば、大切にして使ってくれることだろう。今日見せなかったものもまだまだ沢山ある。ハンドメイドライフジャケットもプレゼントすることにしよう。町で同じものを買おうとすれば5000vtはするものである。日本に帰ったら、日本の釣り道具を沢山送ってあげようかなとも考えたりする。次いで銀行により、来週満期が来る定期預金のうち利子だけを普通口座に移してそれ以外を1か月定期で延長する手続きをとった。前月18日以来円安が続いていて、昨日、今日と円高に反転しているが、次の満期である2月11日まで円への両替はせず推移を見ることにした。今日のレートは10874vtで2日続けて円高に転じている。一旦アパートに荷物を置きにもどる途中、投網をしているマイルに出会う。餌が取れたら、それをフックにつけて投げ釣りをする。また来るよと言ってアパートへ荷物を置きに帰る途中フィリピン人のお父さんと会って、フラッシュドライブからのコピーを終えたから、取りに奥さんを尋ねてくれと言う。アパートへ帰り、奥さんを尋ねフラッシュドライブを返してもらい、部屋へ帰り荷物を置いてまた出かける。町で青年隊員に会っておしゃべりをする。買い物は肉とつやのある赤くて長いマンゴー2つとパイナップル2個を買う。ヤム芋を見つけたが、バスケット1杯が2500vtとヤムは他の芋より高いことを知った。さつまいもがバスケット1杯が500vtである。今が盛りのマンゴーもバスケット1杯が200vtで売っている。ヤムの2500バツのバスケットの中から小さな1つを取り出して、これを100vtで売ってくれとオバサンに頼んでみたが、200vtだといって交渉の余地が無い。マーケットを一回りしてみたが今日はおばさんの売るヤムしかないことを確かめ、今日は見合わせることにする。土曜日まで待てば安く買えるかもしれない。帰り道でマイルのところを尋ねると餌の魚が投網で取れていた。生餌をつけて、投げておき、リールと竿で浮き釣りをする。途中マイルがかかったと生餌の糸を指差すのであげてみたが餌の生餌がついておらず、魚もかかっていなかった。しばらく手ごたえがないので、ウォーターフロントに移動して釣ってみる。しかし今日は釣れず店仕舞いする。帰り道マイルに釣れなかったと言って、またねと言って帰る。部屋に帰るとキンさんが良く冷えた大根を持ってきてくれた。シャワーを浴び洗濯する。ひさしぶりにリュックサックも手洗いする。昼食は肉、貝柱、大根の葉、大根、レタス、玉葱、わけぎ、タローの具だくさんの雑炊にする。
昼食後、マンゴーとパイナップルをいただく。今の椅子に身体を伸ばして「剣客商売 狂乱」を読んで3時まで昼寝。起きてから「剣客商売 狂乱」を読み続け読了。それから日記をつける。16時34分になった。まず帰ってきたフラッシュドライブをフォーマットする。自分のコンピュータ以外で読み書きされたフラッシュドライブはまずフォーマットすることが安全である。うっかりファイルをオープンしたりするとそれだけでウィルスに感染することがある。人から借りたフラッシュドライブを読ませる場合はウィルスの感染を覚悟して読み込ませなければならないので最近はしないことにしている。フラッシュドライブでは簡単にウィルスに感染してしまう。するとまずOSの再導入までしないといけなくなる。クイックフォーマットは正常に終了した。これでまた使えるだろう。まもなく5時今日の夕食はうどんにしよう。これからうどんの生地を作る。ガーデンに犬(ドッギー)と一緒に行き野菜を摘んで水を遣る。夕食後ベッドで五味川純平著「ガダルカナル」を読みながら就寝。19時 23時に起床。英語の勉強。
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1月6日(水) 晴れ 29 ℃ 湿度 70% 日の出5時18分、日の入り18時27分 バヌアツ滞在610日目
2010/01/12(Tue)
2時に起床。英語を勉強。3時NHKワールドを見る。3時半から日記をつける。昨日はJICAオフィスで配られていた帰国時ハンドブックを読んでみた。日本に帰国してシニアの場合は2泊して2日間の帰国時オリエンテーションが広尾であり、2日目に健康診断、帰国手続き、報告会などがある。健康面では、1年前と較べると最近体重が3Kg近く減っているようだ。1年前のBMI=23.49が22.54になっている。数値が改善されたものと良きに理解することにしてこのままの体重を維持して帰国の日を迎えたいと思う。最近前回帰国した青年隊員からTOEICのテストの受験勉強をしていますとのメールを受け取った。これまで英語の勉強はどうすればよいか分からなかったが、駒ヶ根のJICAの語学研修で勉強の仕方を学ぶことが出来て幸せだった。おまけに駒ヶ根の最終試験では教わった若い人と一緒のクラスで最高点だったとアンディ先生から聞いてそれを励みにさせてもらってやってきた。2年間の英語環境を与えられて、勉強が楽しく思えるようになってきた。TOEICのテストはこれまで難しいものと感じていたが今年になって1月2日からTOEICの勉強を始めたら、試験問題の意味がすこし分かるようになってきた。これまでは試験の意味もわからず受験していたのだから、出来るはずもなかった。帰国したら青年隊員同様にすぐ試験を受けてみようと思っている。是非とも若いとき受験したこれまでの結果よりいい結果は残せるようにあと70日ほど勉強してみよう。これが最後のTOEIC受験になるだろう。これから写真のUSBフラッシュドライブへのコピー。昨日フィリピン人からリクエストがあったのでコピーして渡してあげる。4時24分。クロスロード1月号を見る。中国の日本語教師をした坂本さんの記事、自立支援センターの古木さんの記事をみる。坂本さんの記事で、ずっと任地とかかわり続けるにはどうすれば?という質問に「かかわり続けたいという思いを持ち続けることが大事ですね。そして、任地との付き合いのなかで、自分を生かせるものを見つける」とあった。美しいバヌアツとかかわり続けたいという思いは多くの隊員の思いでもあるだろう。ヌーナのゲストハウスの思い出を書いたノートには誰もが「また来たい」と書いていたが、また来た人は少ない。これから毎年日本の梅雨時は1か月バヌアツで過ごそうかと考えているが果たして、世界で一番旅費のかかるこの国に果たして来ることができるだろうか?5時を過ぎた。これから朝食の準備。5時7分 ガーデンで野菜を摘んで5時半から朝食。SBS TV日本語放送は映らなかった。朝食後ベランダで海の船を見る。6時コンテナを下ろして喫水を上げたSOUTHERN TRADERがドッグから出て港の半ばまで出てきて、沖のかなたのタンナの方向から豪華客船P&O PACIFIC DAWNが入港してきた。お客さんが船の9階建ての屋上に並んでビラの町を眺めている姿が双眼鏡で見える。若いバヌアツ人が2人で小船で刺し網をたぐるのも見える。写真をとる。双眼鏡を付けた三脚を載せる台の板を固定しなおすため、地下の大工道具を借りに行き、すっかり付け直す。9時まで英語を勉強してアパートを出る。フィリピン人のバシナングさんの部屋を訪ねて、写真をコピーしたフラッシュドライブを渡してからアパートを出る。銀行と両替屋に寄ってレートを見る。今日は10769vtで10000円が買える勘定だった。銀行を出ると、ヌーナのジョンさんに出会ったのでレイパコアさんに頼んでいるバッグを15日までに手に届くように手配してもらうようお願いする。朝出かける前に先輩の分3つと自分の分1つを紙に書いておいたのが役に立った。マーケットで買い物をして出たところで、農業教師のアントイネ先生に会ったので、ハッピーニューイヤーと言って握手する。今年の入学者の合格発表は何時になるかと尋ねると今日の午後ラジオで合格者の発表があるという。新聞では明日か金曜日だろうとのこと。ついては今年の新学期は当初1月25日と発表されていたのが、2月15日に延びたと言っていた。教員の移動の発表の遅れも原因にあるらしい。貴重な情報をありがとうとお礼を言う。おしゃべりをしているとき、オーガストトムに会ったので握手する。アントイネ先生にさよならをしてJICAオフィスに寄る。待望のJICAカレンダーが入っていた。まさこさんに2月15日からに変ったことを尋ねると、合格発表の遅れが新学期の開始の遅れに繋がっているという。生徒の親も発表の遅れに文句を言っているらしい。去年は1月2日の新聞に合格者の発表が載っていた。今年は発表が4~5日遅れてどうして新学期の開始が3週間もおくれるのかわからないが、教員の移動発表の遅れもその理由の1つなのだろう。ボランティア教師の立場ではありがたいことである。2月15日からであれば、2月中では2週間しかない。3月に入れば帰国準備が中心になるであろう。アパートへ帰りシャワーを浴び、洗濯をする。青年隊員から電話があって今日到着の隊員8名の歓迎会が夕方5時からあるという。参加させていただくことにする。これから昼食の準備。12時14分。昼食後居間の椅子に身体を伸ばして「剣客商売 狂乱」を読んで昼寝をする。2時半に起きて、英語の勉強。4時45分アパートを出て、JICAオフィスに娘からのクリスマスカードが届いていないか立ち寄ったが、まだ届いていなかった。歓迎会のとても眺めのいい会場へ5分前に行くが、まだ幹事は着ていなかった。まだ強い陽射しの射す海を眺めて、ビールとオレンジクマラとアイランドキャベツで包んだラップラップをいただき、今日来ていたJICAボランティアニュースを見る。5時半朝入港してきたPACIFIC DAWNが出航していった。ようやくそのころ皆さん到着。新しく来られたシニアの方にご挨拶して少しおしゃべりをする。2年前同じ場所で過ごしたことが思い出されるがその記憶に残っているのは昨年任期満了で帰国された先輩お2人のことだけである。しばらくして先に失礼する。アパートに帰りガーデンに野菜を摘んで水を遣る。夕食は野菜スープとお好み焼きにする。キャベツを刻んで、挽肉を入れ、野菜スープには貝柱の燻製を入れる。夕食後ベッドで「剣客商売 狂乱」を読んで20時就寝
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1月5日(火) 晴れ 29 ℃ 湿度 75% 日の出5時17分、日の入り18時26分 バヌアツ滞在609日目
2010/01/12(Tue)
2時起床。英語の勉強。4時にベッドに横になる。5時10分起床。ガーデンで野菜を摘んで5時20分からSBS TVで昨夜のNHK7時のニュースを見る。年末年始は山で難儀した人が多かったようだ。それも60歳に近い同年輩の方の遭難を見て、冬山に行く気持ちが分かる気がする。山の遭難では、40年前の学生時代に友人とそのお姉さんと旭川から大雪山旭岳に10月10日に登ったことを思い出す。途中まで紅葉をめでてお天気だった。ヒグマに襲われて犠牲になった記念碑あたりからにわかに風が強くなり、お姉さんは引き返し2人で頂上を目指したが、頂上は突風と雪が吹雪いて標識が雪で見えないほどになっていた。降りてきたときはすっかり晴れ渡って日高の紅葉が美しかった。山の恐ろしさを体験させてもらった。友人は旭川の出身で大学で教養の同級生だった。若かったし友人が地元の人だったので、なんの不安もなかったが、山のお天気はあなどれない。救助された人は風が強くて四つんばいになって歩いたとも言っていた。山の風と雨は半端ではない。
朝食後8時過ぎ英語を勉強していたらダリルさんが来て今日はレンジョーの誕生日だと食事にさそってくれる。なにがプレゼントにいいかを聞くとしばらく考えていて、ヨーヨーのおもちゃと言ったが、カラーペンとも言ってくれたので、24色のカラーサインペンと清子さんが送ってくれた新選組のユニフォームのミニチアをプレゼントすることにする。Japanese Shinsengumi’s uniformと書いたメモをつけておく。まもなく
9時。これから町へ買い物。JICAオフィスにJICAのカレンダーも配られているだろうから取りに行く。
買い物を済ませてJICAオフィスへ行くが、JICAカレンダーは配られていなかった。新聞に受験合格者は載っていなかった。フィジーからの返事が遅れているのが発表が遅れている理由だそうだが、何故フィジーにお伺いをたてなければならないのかは知らない。10時にアパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯をして肉に火を通しておく。11時これから勉強。12時にダリルの部屋を訪問する。レンジョーにプレゼントを渡す。既にたくさんのおもちゃをプレゼントされていた。昨年末のクリスマスに顔をあわせた人たちと再会する。アレンにメールのお礼をする。今日の誕生パーティーではコーラをいただいた。小さな挽肉のボールをチリでホットに味付けした料理と鶏肉の唐揚げと珍しいお菓子を美味しくいただく。「Happy Birthday Renjo」と書いたケーキを切っていただく。かわいい子供たちの喜ぶ顔を見ているのは嬉しいものであった。途中先輩が旅行の書類を届けてくださる。今日はお昼に19年3次隊の4名のシニアが2年の任期を終えて帰国するということであった。これで残るシニアは8名になるが、明日新しく2名のシニアが来ると10名ということになる。誕生会を2時に失礼して部屋に戻り英語の勉強をする。4時まで勉強してベッドで「剣客商売 狂乱」を読んで昼寝。19時に起床。既に夕焼けの残りで暗くなり始めたところで、ガーデンに行くと犬が先導して歩く。畑に水をやる。夕食はバナナ2本とパイナップルを1個切っていただく。21時に「剣客商売 狂乱」を読んで就寝。
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1月4日(月) 晴れ 28 ℃ 湿度 83% 日の出5時14分、日の入り18時24分 バヌアツ滞在608日目
2010/01/04(Mon)
1時まで日記をつけてNHKワールドを見る。JALの支援融資枠を2倍の2000億円にしたと報じていた。日航の公務員並みの親方日の丸意識と高賃金、高年金体質の改善が図らなければ、利用者の共感は得られず、利用者はJALを利用したくないのである。そうなるとJALはいたずらに赤字を流し続け、金を貸す銀行は民間では既になく、政府関与の金融機関でしかなくなってしまう。流石に現在働く従業員の危機意識は持っているようだが、リタイアーしたJAL企業年金受給者がどこまで犠牲を共有化できるかが、利用者離れを食い止める鍵になっているようだ。これまでになった原因はいろいろあるが、そのどれも改めることをして赤字の原因を取り除いていくしかない。プライドだけは人一倍高く、自分は賢いと思っているJAL関係者だけにやっかいだ。JALを欲しがっているDELTA航空やAMERICAN航空に任せて競争原理で再建をまかせたらいいと思うのだが、金を注ぎ込んでいる日本の金融機関はいかにすればこげつきを最小限にできるかが鍵で、もう政府保証しないと、貸し出せないところにきているようだし、外資に任せると貸し込んだ金が返ってこないと心配して及び腰のようだ。政府は1000億を注入して一息つかせ、さらに1000億注入するという。再建のための金ではなく運転資金に必要らしい。この先いくら必要なのかだれもわからない。さて今日から、部屋のガラクタを1日1つは捨てることにしよう。捨てなければ身軽に帰れない。1時40分これから英語の勉強。3時半ベッドで一休みして4時半起床。5時ガーデンで野菜を摘んで朝食。6時15分今年最初の定期観光船「P&O PACIFIC JEWEL」が入港してくるのを見る。太平洋の宝石の船名にふさわしい美しい船で写真に撮る。立ってビラを眺めるお客さんの姿が見える。いつもより1時間早い入港である。昨夜降っていた雨もすっかり上がって今日は気持ちの良い晴れのお天気のようだ。今日は学校へ出かけコンピュータのソフトのインストールをしてこようと思う。どれもウィルスに感染しているので学期の初めは必要である。久しぶりで学校まで歩いて行こう。昨日はシェイム先生に3度電話したがいずれも留守番電話になっていて繋がらなかった。6時半。7時半アパートを出て学校へ。学校の玄関口の脇にある校長先生の家を訪ねる裸で出てきた先生にハッピーニューイヤーと挨拶して、JICAバヌアツのカレンダーをプレゼントする。コンピュータ室へ行って、マシンのディスクをフォーマットしてXPを初期導入する。7台のPCの導入が11時半までかかる。やもりの糞で汚れている机の上や鍵盤の上を拭き掃除する。床も掃除をする。今日は半分近くやったがDVD ROMが動かないものが3台もあった。その他3台ほどはばらばらになっていた。昼前から図書室に移りKey hole TVで大阪毎日放送ラジオを聞きながらインターネットのメールを見て、ブログを更新する。3月23,24日の新宿のホテルを予約する。2時まででお仕舞いにして暑い中アパートへ帰り、シャワーを浴び洗濯をしてから、JICA事務所に行く。新しく着任されたスタッフに挨拶をする。図書室で本を探し、町へ買い物に出かける。ボンマルシェでDIGISELのカードを1500vt分と瞬間接着剤を買い、肉屋で肉を、マーケットでバナナ、レモン、パイナップルを買って、JICA事務所に寄ってからアパートへ帰る。シャワーを浴びて、洗濯をしてから、野菜をガーデンに取りに行き、夕食はうどんを作る。6時25分頃に綺麗な大きな夕日が水平線上に沈んで行った。その後を追うように朝入港してきたPACIFIC JEWELが沈む夕日に向けて出航していったのを写真にとる。夕食後日記をつける。これから今日借りてきた池波正太郎著「剣客商売 狂乱」を読んで就寝。21時
Pacific Jewel
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1月3日(日) くもり時々雨 28 ℃ 湿度 83% 日の出5時14分、日の入り18時24分 バヌアツ滞在608日目
2010/01/04(Mon)
0時半目を覚ます。下の道路を見ると光って濡れていて、雨が降っていたようだったが、雨はあがっていた。1時NHKワールドニュースを見る。銀座の宝石屋に泥棒が入って3.2M$の盗みがあったことを報じていた。土曜日の朝に2人組みの犯行らしい。福袋に8000人が行列を作って、白髪頭の男性が頼りない足取りで女性に手を引いてもらってデパートの福袋売り場に走り込む姿を映していた。福袋のことをLUCKY BUGと紹介していた。40歳ぐらいの男性がインタビューで、家に寝て過ごしていたが、福袋だけは買いにこようと思っていたと話していた。どうやら日本の正月は初詣と福袋買いが新年の恒例行事になってきている感がある。正月の3日間は神社とデパートにとって1年に1回のかきいれどきになっている。今日1日の過ごし方を考える。午前中は新年の礼拝に出る。お昼に先輩のお宅を訪ねる。帰りにこの町1番のボンマルシエナンバー2に寄って買い物をする予定。明日からは学校に出かけてマシンのセットアップをしに出かけようと考えている。1時50分。4時まで英語。マンゴーをいただく。時々雨音がしていた。4時8分 朝5時雨の中傘をさしてガーデンに野菜を摘みにいく。キンさんが雨水を大きなプラスチックの入れ物に取っていた。8時半シェイム先生に電話をしてみたが繋がらなかった。朝食後9時15分雨が上がったところで傘を持たずアパートを出る。教会に行く途中チャイナタウンで買い物をしようとしたが店を閉めているところが多くて目当ての店もシャッターをしていた。教会では玄関のところでドロシーさんにお会いして、ハッピーニューイヤーと言って握手する。礼拝はセティさんとメッセージはドロシーさんであった。礼拝がはじまってから雨が降り出し終始風が強かった。ドロシーさんのお話は20分ぐらいで礼拝は11時13分までで終了した。最近では一番短い礼拝であった。礼拝後玄関でセティとハッピーニューイヤーと言って握手する。礼拝後少し早かったので、ボンマルシェNO2へ行って買い物をする。新聞は1月1日のを置いていた。11時45分ごろ先輩のお宅を訪ねる。ベランダで昼食をご馳走になる。トンガのさえさんと、みかりんに電話をして元気な声を聞く。トンガはバヌアツより2時間進んでいて、フィジーは1時間進んでいる。旅行の打ち合わせをしてから、帰国の準備などを確認する。既に先輩は荷造りを始めたそうで、大きなスーツケースがいくつも並んでいた。帰国の1か月前に思いがけなく大きな金額の移転費用がバツで支給されるというのを見落としていた。通常荷物を日本に郵送する費用に使うらしい。入国の際にはほとんど手ぶらで来たので日本から物を送らなかったが、荷物を送る場合の通称アナカンとよぶ運送会社に郵送を頼む金額は、日本からバヌアツまで50KGで114450円、60KGで132600円、70KGで151250円であった。これは航空便で送られるので、1か月ぐらいで着いたという。郵便局からであれば最大20KGまでで船便で10250円の運賃である。バヌアツから日本へはもう少し運賃がかかりそうだ。この国で増えたものは全てこの国に置いていこうと考えている。帰国に際して一杯荷物を別便で送る先輩方の話をよく聞くが持ち帰るのは思い出だけあればよい。日本から持ってきた物は出来るだけ持ち帰るのはよそう。ThinkPad2台もプリンターも印画紙も双眼鏡もムービーカメラも置いて帰えろう。フラッシュドライブのデータだけもち帰れたらそれで十分である。日本から持ってきた本も全部学校に置いて帰ることにしよう。後任のボランティアには役にたつであろう。日本には軽いスーツケース1個とボストンバッグ1個に入るだけの荷物を持ち帰ることにしよう。それもバヌアツの思い出のこもったものだけを。15時半までいろいろおしゃべりをして沢山の果物などのお土産をいただいてさよならをする。町の店はその時間閉まっているところが多かった。途中で青年隊員に道で出会いおしゃべりをする。明日任地へ帰るという。別れてすぐにメリリンが海辺のスタンドバーの入り口の黒板に白墨で呼び込みの看板を書いているのに出会う。そんな仕事をしているのを知らなかったので、何時まで仕事をするのと尋ねると今日は8時半までだという。店の行き帰りはだんなさんが車で送ってくれるという。2人の子育てがあるのだろうがUSPにも通い始めたと聞いていたが、仕事を始めたとは知らなかった。この国の女性は一般に良く働く。マーケットで働くのは女性中心である。仕事をして収入を得たいというのは女性共通のメンタリティーのようだ。しかしだんなはどう思っているのだろうかと思う。海辺は家族連れで泳ぐ人が多かった。アパートへ帰るとイビランが大声で泣いている声がしていた。ダリルがさかんになだめているようだった。お母さんが颯爽と仕事場にでているのと、対照的にダリルのご苦労を思わざるを得なかった。シャワーを浴びて、洗濯をして夕食の準備。ガーデンに犬と行って野菜を摘んで水遣り。雨は時々降るが止むと陽射しが出たりして蒸発も早いので水遣りは欠かせない。きゅーりの苗はどうやら難しそうだ。20cmぐらいから伸びなくなった。夕食は野菜と肉と貝柱で美味しいダシの出た雑炊をいただく。夕食後ベッドで就寝。19時。22時半起床。NHKワールドでアイヌの番組を見る。23時ニュースではReturn Rush Peaks in Japanという帰省ラッシュで新幹線、航空会社のカウンター、東名高速下り線の渋滞を映していた。レモンティーを飲んで、米を1.5号水洗いして日記をつける。
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1月2日(土) くもり 28 ℃ 湿度 78% 日の出5時13分、日の入り18時23分 バヌアツ滞在607日目
2010/01/04(Mon)
レモンティーを作りいただく。1時過ぎから日記をつける。下の建物から若者の声が聞こえてくる嬌声も時々響いてくる。今日一日の作業を考える。
1. 新聞を買ってマラポアカレッジ合格者のExcel登録と入学者分析 。
2. 買い物:紅茶・果物
3. 洗濯:シーツ
4. 在庫登録
5. Vt円レートを見る。
6. 英語勉強
1時55分まで英語データベースを見てから、シーツを手洗い。1時56分。
3時半就寝。5時起床。5時タオルケットを洗濯機に入れて畑で野菜を摘む。5時20分から元日19時のNHK日本語放送を見る。気温5度の中、若い女性が長い行列に長い時間並んで待って、福袋を買って中からトイレに敷くシーツが入っていたのには驚いた。よくこんなものを買うのに寒い中を並ぶのだから誠に物好きなことと呆れるしかなかった。中には中年の婦人が福袋は例年15は買いますと言っていたのにはマタマタ呆れてしまった。京都の金閣寺は雪が積もっていた。6時洗濯物を取り出しベランダに干す。8時まで英語勉強して、日記をつけてこれから買い物に出かける。8時10分。釣りの餌を作って出かける。新聞売りの子供たちは出ていなかった。ウォーターフロントで釣りを始めるが今一歩のところで魚は釣れなかった。大きい魚が餌の前まで来て、食うかどうか考えているようなのだが残念ながら食いつくところまで行かなかった。肉屋は開いていて買う。マーケットに店は出ていなかった。ボンマルシェは開いていて玉葱を買う。新聞は1月1日の新聞が売られていて、マラポアカレッジの合格者の名前は出ていなかった。明日また見てみよう。BRED銀行は閉まっていたが町の両替屋Goodiesは開いていて今日の円相場は10909vtであった。円安傾向が続いている。帰り道の海では海に入ってお父さんが子供たちと釣りをしていた。アパートへ帰り、乾いたシーツをベッドに敷きこみ、シャワーを浴び、洗濯をしてから、ガーデンに野菜を摘んでくる。昼食はお茶漬け海苔と野菜スープ。スープにはタロー芋のおろしと挽肉の甘辛煮込みを入れていただく。昼食後居間の椅子に身体を伸ばして井上昭正著「国際協力専門家になるには」を読み始めて昼寝する。2時半目を覚ます。日記をつけてからこれから英語の勉強。15時9分 16時頃に同じアパートの同僚が青年隊員からいただいたと言ってマンゴーのおすそわけと言って持って来てくださった。3個いただく。お返しにアボカドをお持ちいただく。早速一番柔らかな1個をむいていただく。薄緑の皮をむくと果肉はオレンジ色でとても甘かった。今日はマーケットに店がでていなかったので、果物が手に入らなかったので思いがけないマンゴーの差し入れは有難かった。16時半勉強を終えて夕食をなににするか考える。なににするといってもこのところうどんかお好み焼きの2通りのレパートリーしかないのであるが、昨夕はうどんだったので、今日はお好み焼きにする。これからガーデンに行って野菜を摘んで水をやってこよう。堆肥を取ってきて、瀕死状態のきゅーりの根元に寄せておこう。今日は一日曇り空で時々陽射しが出てタオルケットもすっかり乾いたようだ。シーツも1か月ぶりに洗濯して気持ちのよいベッドに寝れるだろう。明日は早くも日曜日である。16時43分
5時すぎ犬とガーデンへ行き野菜を摘んでから堆肥をきゅーりの根元に寄せて水遣りをする。夕食はお好み焼きにする。小麦粉50gとキャベツ100gと挽肉50gとタローおろしを20g。それと野菜スープとレモンティの夕食。夕食後ベッドで本を読んで就寝。19時。

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