FC2ブログ
3月31日(水) くもり 11℃ 湿度 71% 帰国後9日目 宝塚
2010/03/31(Wed)
2時目を覚ます。抹茶で娘の誕生ケーキの残りをいただく。ラジオ深夜便を聞きながら5時まで日記をつける。お腹がすいてきた。これから朝食の準備。4時46分 パン2枚とコーヒー、チーズ2枚カボチャ、バナナ、ミルクの朝食後、家計簿を作り直す。今まで円とバツとドルの3種類のお金を扱えるものを使っていたがこれからは円だけなので、作り変える。5時35分 メールを見るとやっと南の国からメールが届いていた。すぐ返事をしておく。これでこれからの楽しい仕事も始められる。朝9時JICA大阪に電話をして春募集の応募用紙を送ってもらうよう頼んでおく。洗濯物をベランダに干す。玄関の郵便箱の裏のプラスチックの取り付け修理をする。2つの穴を開け1円玉にも同じ穴を開けボンドで裏と表に貼り合わせる。それに細い電線を通して金具に取り付ける。義は広島に旅立った。午後車を運転してもらいジョーシンにデジカメの修理見積もりを依頼しに出かける。見積もりの費用として2100円かかる。塗装道具を一式5755円購入。1階ベランダの掃除とじゃりの草と落ち葉をとる。バイクのバッテリーを充電して取り付けたが金具が1つ取れていて取り付けが出来なかった。充電しても電気のメモリがあがらないので新しいバッテリーを買わなければならなくなりそう。バイク屋に整備を頼んだほうが確実かもしれない。バイクの調整はまた後日にする。夜病院から電話があって健康診断の費用を知らせてくれる。夕食後入浴してから居間のソファーで日本で初めてテレビを見る。BSで広島球場の阪神―広島戦である。雨の中金本の一発が決め手になり好調阪神首位を占める。オークションを見るとX30ウルトラベースDVD付きが610円であった。安く落札出来そうなので0時5分まで起きていて入札すると別に買いたい人がいて値がせりあがり、0時15分まで10分延長した末に2300円で落札できる。運送費を含めて3260円の買い物。良い買い物が出来た。それから就寝。
スポンサーサイト



この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月30日(火) 晴れ 10℃ 湿度 73% 日の出5時50分、日の入り18時00分 帰国後8日目 宝塚
2010/03/31(Wed)
3時目を覚ます。まだ机の上は片付かない。皆んな寝しずまった。ラジオ深夜便を聞く。昭和52年、53年の歌を聞く。1階の台所に入る扉の緩んだ取っ手を直す。コーヒーを飲む。今日は四国88箇所巡りのバスツアー。7時20分までに川西能勢口に集合である。これから昨夜10時までつけていた22日の日記の続きを書き始める。6時半、プラスチックごみを出す。洗濯ものを干しにベランダに出てみると雪が1CMほど積もっていたのでほうきで集めて下に落とす。洗濯を干して、7時過ぎ仕事ででかける娘の車に便乗して川西能勢口に出る。四国88か所めぐりの第一回。7時20分予定通り出発。宝塚でもお客さんを乗せて総勢42名の客。添乗員は森田さんと宮野さんの2人、運転者は田中さん、先達さんは浜口さん。8時に中国高速に乗って8時45分淡路島の室津パーキングエリア着。休憩後出発し鳴門西で弁当、お茶を積み込み。9時30分最初の1番札所、霊山寺着。本堂と太師堂で2度約6分の勤行をする。般若心経は漢字よみだが、なかにはインドの古代サンスクリット語もあると聞いた。「自分のために、この一生があるのではなく、人の為に役に立てるためにこの身体がある。この身体が健康に動く限り、最後の瞬間まで、仏様に代わって働く。その誓いが、私たちを仏様やお大師さんに近付けてくれるのです。」と書かれてあった。
仏様とは紀元前500年ごろインドで生きた釈迦であり、お大師さんとは800年ごろ日本で生きた空海であり弘法大師とも呼ばれた人である。空海は中国の長安で修行もしたという。続いて2番札所の極楽寺、3番金泉寺、4番大日寺、5番地蔵寺、6番安楽寺を1,2,6,5,4,3の順に参拝する。帰りは朝寄った、明石大橋と対岸が見れる眺めのいいサービスエリアで寄って18時川西能勢口に帰り着く。西友で納豆を買って、6時45分歩き始め7時15分帰宅する。夕食をいただき20時就寝。

この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月29日(月) みぞれ、冷たい風強し6℃ 日本7日目 宝塚
2010/03/31(Wed)
夜中に眼をさます。深夜便はお気に入りの明石勇さんだった。
洗面所の衣類の整理棚の修理をする。荷物を屋根裏部屋に移しスーツケース3個も移す。
11時病院に健康診断の予約をしに仕事を休んだ娘に運転してもらって行く。7日の13時に診察。結果を聞きにいくのは14日13時半とする。血圧を測ったら78と128であった。ときどきみぞれが横殴りに落ちてくる。午後やっと机の上にパソコンが置けるスペースができて、1年前に使ったThink PadX30を立ち上げてみる。無事動いたのでまずメールを見る。フラッシュドライブからデータをコピーして日記をつけ始める。娘の誕生日だったがバイトで22時就寝のときはまだ帰っていなかった。
この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月28日(日) 晴れ 6℃ 日本6日目 宝塚
2010/03/31(Wed)
昨夜から起きてそのまま朝まで起きてすごす。ラジオ深夜便は3時ぐらいから五木寛之さんの我が心の歌がたりの60回目の最終回だった。5年間楽しませていただいてありがたかった。
朝玄関まわりの掃除をする。前の道路の溝の草も抜き落ち葉も掃除する。汗をかいて下着を換える。
10時家を車で出る。川西の駐車場に車を置いてJR川西能勢口10時38分に乗って新大阪に向う。100名以上の死亡者を出した事故が起こったカーブを注目していた。他の乗客で既に関心を示す人はいなかった。ぶつかったマンションは無人のように見えた。大阪駅に着くと家内は一人飛び出したのには驚いた。向いの快速が早く出るので乗り換えたらしい。新大阪のシャトルバスの乗り場にいた家内をみつける。12時式場の3階で初めてお三方にお会いする。3時まで落ち着いた和室で6名で昼食を共にする。3時過ぎまで楽しい食事をすごす。その後借りるモーニングの試着をして予約する。4時ごろ新大阪からJR川西能勢口に帰る。夕食後10時就寝。

この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月27日(土) 晴れ 6℃ 日本5日目 宝塚
2010/03/31(Wed)
1時半恵那の里サービスエリアで休憩。お茶を飲む。1時50分出発。4時菩提寺パーキングエリア休憩4時半出発。4時42分栗東で高速をおりて4時55分草津駅着。1人下ろして出発。5時42分京都八条口着。10名ほどが下車。5時44分出発。高速に乗って6時16分千里で高速をおりる。新御堂を大阪駅に6時半到着。駅のそばの店で6時40分の開店に並ぶ。わかめそばとおにぎりの朝食をいただく。公衆電話で7時の宝塚線急行に乗ることを伝える。電車に載るとアメリカ人らしい男女2人づつの若者が向いの席にいておしゃべりをしていたのを聴いていた。ひばりの駅には迎えにきた新しい車で帰宅する。この日は片付けと掃除の一日であった。風呂と洗面所の掃除などをする。
夕食後7時寝る。夜清子さんから電話があり目を覚ます。
この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月26日(金) 晴れ 6℃ 日本4日目 軽井沢
2010/03/31(Wed)
夜中に眼を覚ます。ベッドで「29800円でゼッタイ満足のパソコン自作」を読む。明るくなって外に出る。きれいに白くなった雪道を歩く。しばらく行くと、レストランの工事中で行き止まりになっていた。工事の看板を見ると3月から10月までの工事と書かれていた。道を戻り自動車道路沿いに歩いてみる。美術館のようなところまで歩いて道を変えてみたら、この先行き止まりと看板が出ていたので戻ることにした。
8時朝食はパンをいただく。朝食後「無料で出来る簡単ホームページ作り」を読んで過ごす。母から息子の入学祝いと娘の結婚祝いをいただく。母から洗濯物を出せと言われて下着と靴下を出すと手洗いしてくれてあっという間に乾燥させて渡してくれた早業には驚かされた。お昼は新しく出来た店にでかける。帰国したら食べたいと思っていたラーメンを求めて川沿いの中華の家庭料理の店に入り広東麺をいただく。
午後も「無料で出来る簡単ホームページ作り」を読んで過ごす。夕方5時から近所を歩く。たった1日で雪はすっかりとけた。もみの木の香りと落ち葉の香りが良かった。夕方5時半おにぎりとブリの照り焼きをいただく。19時車で出発。軽井沢プリンスホテルウェストホテルに送ってもらう。19時50分バス駐車場に行くとバスが止まっていて始発駅のここで乗ったのはただ一人だった。バスは定刻の20時より早く19時52分出発する。うとうとしていて気がつくと21時42分長野の三ルートホテルを出発するところだった。22時43分梓川サービスエリアで休憩。お茶をいただく。23時15分松本着。乗客は39人になった。23時半松本発。
この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月25日(木) 雨 6℃ 日本3日目 東京
2010/03/31(Wed)
6時半ホテルそばの吉野家で朝特定食をいただく。ホテルで横になって過ごし10時のチェックアウトする。近くの高島屋の隣の紀伊国屋書店を訪ねる。面白そうな本「あと5年使う、XPパソコン増強バイブル」「29800円でゼッタイ満足のパソコン自作」「無料で出来る簡単ホームページ作り」の3冊みつける。
11時過ぎ新宿西口で昨日に続いて暖まる天玉そばをいただく。広尾では1時45分から最終報告。そのあと帰国手続きの書類を提出。2時半まででプログラムは終了となり、先輩にさよならの握手をしてお別れをする。急いで地下鉄で東京駅にむかう。2時55分東京駅着。3時4分の長野新幹線に乗ることができた。車中で「あと5年使う、XPパソコン増強バイブル」を読む。碓井峠の長いトンネルを抜けると真っ白で少し雪もちらついていた。4時16分軽井沢着。迎えの車で雪道を走る。木が樹氷になっていて美しかった。5時前着く。夕食は刺身をはじめご馳走をいただく。夕食後おしゃべりをする。今年96歳になる母に窪田旅行の話をするが、行きたいが無理だろうとあまり元気がない。6月の大阪での結婚式も出たいが無理かもしれない。その時になってみないと行けるかどうかわからないと言う。乗り物の乗り換えが心配らしい。車で移動するのが一番いいようだが無理をさせることになるらしい。しばらく様子をみることにする。この日は雪で冬に戻ったお天気で少し気持ちが塞がれていたのかもしれなかった。風邪をひくのを心配して入浴はしないで21時就寝。
この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月24日(水) 雨 6℃ 日本2日目 新宿
2010/03/31(Wed)
7時近くの吉野家で牛丼と漬物をいただく。9時15分ホテルを出て広尾に10時着。10時20分から最終プログラムが始まる。岡田外務大臣名の感謝状が渡され公用旅券を返却する。昼食はJICAそばのレストランで牛肉のランチをいただいた。とてもやわらかくて美味しかった。アジアと南米に派遣されていた先輩と話が出来て楽しいひと時で幸せであった。午後2時半でプログラムが終了。4時半まで青年隊員の終了をしばらく待ったが、雨の降る寒い日だったので先にホテルに帰って休むことにする。新宿西口で暖かいそばをいただく。5時ホテルに戻って布団に入って休む。6時目を覚ます。雨の中渋谷へ出かける。道玄坂の権八に6時40分。エレベーター前で声をかけられる。40年ぶりの同窓生であった。高層ビルの14階の立派な店で、日本酒とそばと焼き鳥をおいしくいただく。東京在住の13人が集まってくれた。40年ぶりにあった人も多かった。皆良い顔つきをしていたのが印象に残った。道ですれ違っても気がつかないほどに皆変っていたがしっかり昔の面影は残されていた。
2010_03_24.jpg

まだ社会の一線で活躍している人もいたがそろそろ悠々自適の生活の年代に入ってきていたので、急な呼びかけにもかかわらず、たくさん集まることができたようだ。札幌で卒業した40名のうち多くは札幌に帰っているが、東京在住は14名いるようだ。仕事でこれない人も2名いた。2名は既に事故と病気で亡くなっている。19時から22時まであっという間の3時間が過ぎてお開きとなった。今年は卒業以来40年になる。40周年記念で集まるというので場所は札幌と希望を言っておく。23時前新宿のホテルに戻る。入浴して24時就寝。
この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月23日(火) うすぐもり 6℃ 日本1日目 新宿 
2010/03/31(Wed)
4時半ごろ機内の照明が明るくなって朝食が配られる。5時ごろ右手の窓から雲海の先がオレンジ色に染まってきた。空は群青色でそのコントラストが美しくしばらく見とれて過ごした。6時10分成田着。出国の荷物検査は公用パスポートのお陰か、「JICAのお仕事ご苦労様でした」と言ってくれて、荷物は開けられずに通してくれた。待合コーナーで大きなスーツケースに貝と本など重い物を入れ込んで43Kgを佐川急便に自宅までの輸送を頼む。ヤマト運輸はMax35Kgとのことで受付られなかった。
ついで電話をしてから新宿のホテルに向う。途中の駅で先輩にお別れして新宿のホテルに11時着く。荷物を預かってもらい落ち合った清子さんと昼食をいただきコーヒーを飲んでおしゃべりをする。1時半さよならをしてから友人に電話をする。6時まで仕事があるというので6時過ぎ最寄の駅に行くことにする。
新宿のみずほでドルを円に換金し新生銀行へ行き現金を預ける。銀行カードを持っていなかったが入金は出来て助かった。5時にホテルにチェックインして荷物をすべておいて手ぶらで出かける。6時待ち合わせの駅で待っていると迎えに来てくれた。公園の夜桜を見てレストランで夕食をいただき楽しいおしゃべりをする。いろいろ教えてもらうことが多かった。食後、大学の研究室のような診察室で本を見せてもらう。PARLの本もWeblicaterの本も英文であった。22時に駅まで一緒にあるいて送ってくれたが埼京線は事故で止まっていた。奥さんが車で京浜東北線の最寄り駅まで送ってくださった。なにからなにまでの親切に感謝してお二人にまた合いましょうと言ってお別れをする。電車は途中停車が多くて新宿に着いたのは23時50分であった。ホテルに帰り風呂に入って0時半就寝。
この記事のURL | 帰国後の日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月22日(月) 雨 28 ℃ 湿度 85% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在682日目 帰国日
2010/03/31(Wed)
0時に眼を覚ます。外は雨、時々雨音が響く。スーツケースに貝とココナツシェルとサンデルウッド(白檀)で23KGを作り、手荷物に本と貝を入れる。4時におにぎりを2個いただく。5時半見送りにスタッフが車で来てくれる。雨の中空港へ。すぐチェックインして預け荷物を置くと25Kgで23Kgの2Kgオーバーで6800バツだという。スーツケースの中の貝を取り出し、22.4Kgで超過料金なしとなる。機内持ち込み手荷物は軽く20Kgを超えているがバヌアツ空港ではとがめられず持ち込むことが出来た。同じ飛行機にPMCでよくお会いする中国人の女性2名がいた。見送りに来ていただいた方々との記念写真を撮っていただく。座席はすぐ後ろに座られた。我々の座席の左隣はカンパイレストランで働くベトナム ホーチミン市に里帰りするというタ ソアン ター君であった。7時離陸する。7時25分朝食が配られる。パン、オムレツ、ジャガイモ、フルーツ、コーヒー。今回の帰国のチケット代はビラーシドニー間が2481Kmで3時間半のフライトで24650バツ、シドニー成田が7797Kmで9時間のフライトで126600バツで合計10278Kmで12時間半のフライトで151250バツであった。シドニー成田間が割高である。途中ミルクコーヒーのような、リキュールをいただく。南アフリカ製のAMARULA FRUIT CREAMというものである。先輩と2つお願いしたら鍵のかかった引き出しから大切そうに出して入れてくれた。とても美味しかった。シドニーに着いたら気持ちよくなった。シドニーの免税店で見ると1リットル入りのボトル1本33ドル、2本61ドル、3本79ドルであった。お土産に買いたかったが荷物が多いのでおきらめる。
シドニーに着くと流石に日本人が多くなる。先輩はオペラハウスを見にダウンタウンに行かれた。空港そばのレストランでニュージーランド製のオーガニック コーラと黄土色をしたパンケーキ1つをいただく。8ドル60セントで700円ほどもして驚いた。出発待合室に移り本を読んだりインターネットでメールなどをして過ごす。16時売店でツナと照り焼きの海苔巻き2本を6ドル40セント(530円)ほどで買って待合室でいただく。17時ごろ先輩戻られる。出発の荷物チェックでは貝殻を入れたバックがX線に引っかかり、荷物を出して調べられた。しかし幸い没収されず通してくれた。22時5分発のエアーバスA330-300
には日本の中高校生の生徒が大勢乗っていた。22時20分テイクオフ。しばらくして夕食が配られはじまる。飲み物はスパークリングワインとスパイストマトジュースをもらう。食事は和食を注文する。夕食後、時計を2時間もどしてからうとうとする。
この記事のURL | 終了日 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月21日(日) 小雨 28 ℃ 湿度 85% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在681日目 帰国まで1日目
2010/03/21(Sun)
2時起床。前のしたの道路は雨で光っている。レモンティーを飲む。昨夜作っておいたチラシ寿司の具を煮た鍋に小アリの行列が出来ていた。昨夜鍋にラップを被せておいたのだが隙間があったようだ。仕方なくアリを取って鍋に火を再度通す。レモンティーのお湯も沸かす。最後のトイレ周りを磨き粉を歯ブラシにつけてよく磨く。台所周りは雑巾に磨き粉をつけてよく拭いておく。2年使ったマグカップも磨き粉でよくこすったがカルシウムはなかなか取れなかった。3時からパソコンに向かう。まずサインオン時のパスワードを変更する。今日でこのパソコンともさよならである。IBM THINKPad X24という2002年6月に発売されたものでメモリー256MB、ディスク40GBでCPUは1066MHzである。OSはWindows XP Professional SP-2。今日はバヌアツでの最後の日記となります。
見ていただいた皆様、ありがとうございました。ここまで来るとあっと言う間でした。でも矢張り2年間ぐらいが丁度いいくらいの期間だったと感じています。1年ではやっと慣れたぐらいで3年では日本が遠くなってしまうような心配もあります。JICAから派遣された地域によって帰ってきた人の雰囲気に違いがあるそうです。アフリカから戻った人は本当に疲れきっていて、任地のことは話したくないというムードだそうです。
ラテンアメリカから戻った人はピントはずれなほど陽気になっているそうです。南太平洋から戻った人はのほほんとして、日本のテンポとははずれ勝ちになるようです。確かにその通りとこの話を聞いて納得できました。昔子供の時読んだ宝島はこの南太平洋を舞台にした子供向けの冒険小説です。著者のステーブンソンのお墓はサモアの首都アピアにあるそうです。誰でも一度は読んだことがあるでしょう。ロビンソンクルーソーや十五少年漂流記というのも大変面白かった記憶があります。
日本人なら子供時代誰でも一度は触れた南太平洋の冒険物語の舞台で2年間生活して子供の頃の憧れが実現出来て幸せだったと思います。1月にフィジーとトンガを見てこのバヌアツが今後一番成長していく可能性があると思いました。しかしそのテンポはゆっくりとです。日本とお隣のニューカレドニアやフィジーには直行便がありますがバヌアツにはまだありません。今後日本でツアーを企画して直行便を飛ばす人が出てきて欲しいと思っています。こちらのリゾートはオーストラリア人など白人が経営しているところがほとんどですが意外にも日本人が経営しているところもあるんです。この国のGDPの構成は働く人が20%の観光業の売り上げが全体の60%で中心です。農業従事者は働く人の65%いますが売り上げは20%くらいです。そのほか商店などの小売業と大勢の教員などの公務員がいます。水やジュースなどの飲料などは自作しています。製造業などは建設業、家具、お土産の木工などが中心です。スーパーに並ぶ品物で牛肉や生魚はパンやジャムなどはこの国で生産していますが、外国からの輸入品がたくさんあります。野菜、果物、魚などはマーケットに並びます。生産者が直売するのでマーケットには卸や小売の人がいません。中国人もマーケットにはいません。トンガやフィジーには中国人もマーケットにいましたが、バヌアツではマーケットにはバヌアツ人だけでやっています。マーケットには主としてエファテの村から野菜と果物をトラックに積んでマーケットに店を出しにきます。出展料は以前は無料だったのですが去年1mほどのテーブルを借りて1日460バツを支払うことになりました。このときはおばさんたちが反対のストライキをして1週間ほどマーケットが開かれませんでした。マーケットは主として女性が店をやっています。マーケットにはシャワーもトイレもついていてオバサンたちは利用できるので店が終わると店のなかにござを敷いて寝ています。多くのオバサンの親戚や子供たちは首都のビラに出てきているので子供の家に泊まったり、子供が店を尋ねてきたりと子供たちに会うのを楽しみにしてマーケットに通うおばさんもいるようです。さて4時半になった。
今日は朝礼拝に出かける。昼は送別昼食会を開いてくれると言う。5円玉が28枚残っていたので記念品として配ろう思いついた。そこ歯ブラシに磨き粉をつけて28枚を磨いた。汚れが落ちると真鍮の輝きが出てきた。穴あきコインは外国では珍しいと聞いていたので持ってきて初対面の人に5円玉の意味を説明した。
Good Relationが出来ることの思いを込めた日本のお土産だと言って渡した。黒くなった5円玉ではありがたみがわからないと思い金色に輝くように28枚をするのには時間がかかって骨が折れたものだが昼食を準備してくれた人々への感謝の気持ちの5円玉を少し準備できたことで少し気が楽になっている。ただお天気で大雨が降らなければ有難いのだが。昼食終了後4時に荷物を取りにきてもらうことにしている。パソコン、プリンター、スタンド、ゴルフセット、釣り道具、台所用品、炊飯器、なべ、フライパン、壁掛け時計、体重計、計量、ベッド用品、シーツ、毛布、ベツドカバー、衣類、Tシャツ、ワイシャツ、ズボン、文房具、靴、サンダル、ほうき、バケツなど。お陰でスーツケースには貝殻、サンデルウッド(香木白檀)、ココナッツシェルで作ったバスケットなどと学校からとタリスからのみやげ物品で23Kg、ボストンバッグとリュックサックには本。手提げ袋には着替えと背広を持って帰る。
本は日本語なのでバヌアツ人には置いていけないのでリュックサック1杯分をJICA事務所の図書室に置かせてもらった。もし見る人がなければ大掃除で捨ててもらえばいい。荷物を持ち出されるとき、アパートの在庫品を持ち出されないように気をつけなくてはならない。それを気をつけながら並行して掃除をしてしまう。あらかじめ箒で床を掃除しておくから、雑巾で床を拭く。戸棚の拭き掃除は既に終わっている。ガラスも網戸も歯ブラシで丁寧に水洗いしたからいいだろう。ベランダは昨日すっかり掃除して貝殻も石も畑に並べておいた。今夜はフィジートンガ旅行で使った日本手ぬぐいで作った手製の腹巻を今回もまた利用して貴重品を持っていく準備をする必要がある。貴重品は肌身につけて持つように指導されている。旅券は首から提げて、腹巻に作ったポケットに入れておく。キャッシュはビニール袋に入れて腹巻に縫い付けておく。
腹巻はトンガで青年男女に見られて大笑いされたのもいい思い出である。5時になった。これから朝食の準備とシーツを手洗いする。大きなシーツも洗ってあげたいものである。脱水機にかければ、午後4時までには乾いているだろう。さてこれから朝食の準備。それからシーツの手洗いと脱水。それからドミトリーでインターネットでメールを見て、ブログを更新します。

7時15分ドミトリーに来て、インターネットをするが応答が悪くて画面が帰ってこない。
沢山の隊員が泊まりにきているからダウンロードでもしているのだろう。
一旦やめて再度してみる。
なんと1つ更新できる。あと1つ。
今日は夜ドミに来て宿泊し、明日朝5時半に出て空港へ。
23日6時成田。新宿ビジネスホテルに2泊
25日に軽井沢へ
26日大阪へ
27日大阪着です。

見てくれた方々ありがとうございました。
これでバヌアツ日記はお仕舞いです。
パソコンをバヌアツ人に置いて帰ります。
旅行中は日記帳に書きます。
日本に戻ったらまたブログは続けます。
JICAでボランティアの試験にはチャレンジします。
運がよければ別の国で新しいテーマを教えます。
皆様お元気で、
お励ましをくださった方々、本当にありがとうございました。

7時40分で店仕舞い。

日本に帰って3月29日月曜日、ようやく社会人の最後に使っていたThink Pad X30を立ち上げてメールを読む。3月23日のデイリーポストに帰国するJICAボランティア紹介記事が掲載された案内メールを見る。
21日から29日までの日記を急いで書いておく。

21日の9時半同僚とアパートを出てPMCへ向う。礼拝のメッセージはパスター アレン ナフキでエロマンゴ出身の60歳であった。27年前日本に国際会議で行ったことがあると言っていた。司会はエミル マエルで46歳。礼拝は11時20分で終了する。はじめて来たときのように玄関でパスターと並んでして皆さんと握手してお別れをする。続いて庭で送別の昼食会に出る。磨いて金色に光る用意しておいた5円玉
を皆さんに配る。良いリレーションが出来ることを願ってという意味があると説明する。食事の後、青いシャツをプレゼントされる。これからは教会の一員だからまた来てくださいと言ってくれる。ウィリー ジョージとニケニケ ブロバダルも残ってくれた。今年独立30周年になるから遊びにおいでと言ってくれる。
挨拶に立って、私はバヌアツを第二のふるさとと思うようになってきたのは幸せなことでした。と言ったら拍手してくれた。女性たちがはなむけの歌をコーラスで歌ってくれた。1時半前にお終いにしてさよならをする。アパートへ2時前帰宅。荷物の片付けをする。4時半タリスが荷物を引き取りに来てくれる。6時ごろまでに引き取り荷物もすっかり出来上がる。同僚とおにぎりの夕食をいただく。ダリルさんに鍵を返す。7時半同僚に荷物運びを手伝っていただきドミトリーへ向う。8時前ドミトリーに着く。誰もいないようで、20時半、シニア専用部屋という隔離室に就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月20日(土) 小雨 27 ℃ 湿度 85% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在680日目 帰国まで2日目
2010/03/20(Sat)
3月20日(土) 小雨 27 ℃ 湿度 85% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在680日目 帰国まで2日目

1時目を覚ます。抹茶を飲んでから日記をつける。2年間を振り返って大きかったことを考える。やはり同期に先輩がいてくれたことは大きかった。いろいろ教えていただいた。トンガ、フィジーの旅行にも連れて行ってもらった。フィリピンのジャングルで30年間戦い続けた小野田寛夫さんガァムの横井庄一さんの存在は大きかった。ホームステイで雨の中記憶に蘇ってきたのはこの偉大な2人のことだった。尊敬できる先輩方に出会えたことも大きかった。図書室で本を読めたのは大きかった。吉村昭著「脱獄」と「漂流」の2作は大きかった。この2作では食べ物について深く教えられた。
畑で野菜づくりを楽しめたのもよかった。野菜はほとんど自分の畑で調達することが出来た。料理は気に入るとそればかり作っていた。最初は肉ジャガ、次が餃子、つぎにうどん、最後はチラシ寿司であった。
日本に帰ったら男の料理教室への参加は続ける考えでいる。テニス、卓球、囲碁の集まりにも顔をだそう。
この国でお金を使うのは食料を調達するぐらいしかなかったから自然に今後の活動資金が残ってしまっていた。インターネットはモデムは準備したが契約はしなかった。ボランティアでインターネット契約をしなかった人は他にはいなかっただろう。日本では無線で自分の机で早いインターネットを使っているが、遅い回線で高い費用のバヌアツではインターネットを引くのはもったいなくて出来なかった。引かなくても不自由はしなかったし、煩わしいのを持たずに良かった。大きな冷蔵庫は使ったのは最初の1か月だけであとは食材物置として使っていた。服は買ったことがなかった。すぐ底がぬける運動靴は2足買った。教会でセティに出会えたことも大きかった。ヌーナのセカンドハウスも良かった。2年間大きな病気をしなかったのは大きかった。風邪は毎年1回したが熱をだしたり寝込むほどではなかった。手足が傷つくことはあったが、ボイラーとよぶ深刻なことにはならなかった。傷にはバンソコウを貼るようにしていた。
コンピューターの勉強を出来たこと。つぎに勉強するテーマを見つけたことも大きかった。
学校では自由にやらせてくれて良かった。最後の頃はよく話をきいてくれて、言うとおりよくしてくれた。
お金のことでは先輩からよく注意された。物をあげても約束した金を支払わないと。幸せなことにこれまでそんなことはなかった。5時18分これから朝食の準備。
7時51分ドミトリーでインターネット。8時半まででブログの更新終了。離島隊員と久しぶりに再会する。いつまでビラにいるのと尋ねると月曜日の私と先輩の帰国を見送って翌日帰るという。満了まであと3ヶ月だという。ここまで着たら任期満了まで頑張ってと言う。8時半以降画面が変らなくなった。利用者が増えたからであろう。9時まで試みたが諦めて店仕舞いとした。町へ買い物をして帰る道電話がなる。タリスが10時にくると言う。電話が鳴って玄関に迎える。1階に住むスリランカ人が引っ越した後の部屋に入るので見せてくれと言われたので見せる。期待していた部屋だったようで喜んでいた。タリスがお土産を持ってきてくれた。硬い木で出来た槍のような戦いの道具だという。壁にかけてアクセサリーのようなものだそうだ。幸いスーツケースに入れることができた。レイパコアがバスケットをプレゼントすると言っていたが月曜日朝5時半というので無理らしい。将来の抱負を聞く。将来に大きな希望を持っていることを知る。その実現の手助けが出来ればこれまた楽しいことである。町へ出かけ最後の円を買う。アパートに戻りシャワーを浴び、洗濯をする。NHKスペシャルで100歳の詩人まど みちおさん(象さん象さんの作者)を見る。2009年11月16日に100歳になられた。幸せとは何ですかという質問に対して「現在を感謝して肯定的に見れる人は幸せです」14時になった。少し眠くなってきた。ドミトリーに忘れ物をしたので取りに行く、QuikTime Player
のインストールをしてMenziesの映像を見てみる。5時から畑に行って貝とサンゴを並べてくる。夕食はチラシ寿司をつくる。野菜スープも作る。夕食後明日の昼食会のお礼の5円玉を28枚磨く。8時半ごろからキッチンスタジアム イタリアンを見る。21時9分 練る前リュックサックをよく手洗いしてベランダに干して置く。これから就寝。雨音を聞きながらベッドで就寝。21時半

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月19日(金) うすぐもり 27 ℃ 湿度 75% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在679日目 帰国まで3日目
2010/03/19(Fri)
LANの勉強。帰国したら先ず自宅のパソコンでLAN環境を作ろうと思い立つ。0時半からGentle Journeyを見る。軽井沢の軽井沢写真館が舞台の映像だ。都心から新幹線で1時間で軽井沢に着くと言う。バスで行こうと思っていたが時間によっては新幹線しかない時間になるかもしれない。今日は新幹線の時刻も調べておこう。来週の金曜日は軽井沢にいるが朝の小径を歩いてみよう。来週のホテルの予約とバス予約したものを飛行機のチケットと一緒にしておく。書類を探していたらフィジー大使館に提出する帰国届けを出すのをわすれていた。今日事務所に出してこよう。NHKワールドの天気予報を見るとフィジーを襲ったサイクロンは日曜日にはオーストラリアに達するようだ。成田からスーツケースに本などを詰め込んで家に送ることにする。
そのメールの準備をしておく。1時25分 ニュースの速報で黒マグロの禁止案が否決されたとあった。Bluefin Tuna Ban Rejectedという見出しで報じていた。日本の巻き返しが成功したということらしい。これは西大西洋での黒マグロの漁獲禁止案であった。水産関係者と赤松や水産庁幹部が喜んでいることだろう。普天間移転先候補地は名前が取りざたされる都度その地元がとんでもないと反対をする。今月中にいくつかの候補が出されるようだがその中から、地元と米軍が5月までに受け入れるところが絞られるというのはまだまだ実現の可能性は低いように思う。今日は電気のメーターをメモしてユネルコへ支払いに行こう。
9時にタリスに電話して10時のトラックで町に来てもらうよう話してみよう。2時9分
少しベッドで休んで4時改めて起床。バヌアツの思い出をまとめておく。
バヌアツとはもとからあった地名ではなく、1980年の独立の際に決まったそうだ。「我が祖国」という意味がある。今年独立30周年で大きな式典が7月30日の独立記念日となりそうだ。ナカマルというのがある。地域のコミュニティセンターのように日本語の文字通り仲間が集まる場所をいう。ナカマルは昔日本人がこの国に来て名づけたのではないかという想像しているが確かではない。カバも飲むしコミュニティとよぶ地域の大切な儀式などもこのナカマルで執り行われる。2年間日本代表として日本大使の役割をになう思いでこの国に来た。来て最初にしたのは、掃除であった。学校周りのゴミ拾い。コンピューターラボと呼ぶコンピューター室の拭き掃除、掃き掃除を2年間続けた。雑巾、石鹸、歯ブラシ、トング、ビニール袋はいつもリュックサックに入れていた。生徒がテーブルに書いた落書きを消す磨き粉も入れていた。昔読んだ東南アジアに赴任した日本の工場の工場長がしていたことは、ほうきを手にしてゴミ掃除だったということが実感できた。日本人はゴミの中で物づくりや勉強はやらないのだということを知ってほしかった。蚊がコンピュータ室に湧いたときは蚊取り線香を焚いて、ハエタタキで殲滅を図ったものだ。生徒にハエタタキを渡すと喜んで蚊を退治していた。この国で学んだことでは、悪いという言葉がないのか、使わないことを知った。あいつは悪いやつだといういい方はしない。あいつは良くないひとだという。人の悪口はあまり聞いた記憶がない。仕事より生活が第一という民主党のキャッチフレーズがバヌアツには常識として定着している。今後は帰国したら、バヌアツ大使の役割をになってこの国のことを日本人にPRしていこう。先輩方の中には、バヌアツの悪口しか出てこなかった気の毒な方もあった。ネガティブなことを言えといわれたらいくらでも出てくるが2000年の歴史ある日本と30年になろうとするバヌアツでは比較できないことが山ほどあるのが当たり前である。この国の人々のホスピタリティ一つとってもPRしたい。親切と礼儀正しさなどもそうだろう。ありがとうといくら言っても言い尽くせない思い出をもらった幸せな2年間であった。5時を過ぎた。
これから朝食の準備。朝食後デザートはバナナ。6時15分からドミトリーでインターネットをする。
メールを見てから6時25分からブログの更新。長野新幹線東京発軽井沢行きは4,24、44と1時間に3本が19時台まであった。アパートへ帰る。歩いているとビラの海に虹が出ていた。9時半アパートを出てJICAオフィスへ帰国届けを提出する。これは宛て先がフィジー大使になっている。バヌアツには大使館がなくてフィジー大使がバヌアツ大使を兼務している。人口がバヌアツの半分以下のトンガ王国には昨年はじめ大使館がオープンしている。トンガ王国は日本びいきの国王で相撲にトンガの若者を弟子入りさせたこともあり日本の皇室とのお付き合いもある。こういう関係で大使館が開設されたのであろうが、バヌアツにも将来大使が置かれることがくるかもしれない。次に電気の精算にユネルコに出向く。今朝電気メーターの数値を赤字でメモしておいた先月に精算した請求書を出して、精算をしたいからと伝える。但し電気は日曜日までは使いたいと話す。しばらく待たされた後、ボンド(契約時の預かり金)から返金があるから、午後1時半から4時半までに又来るようにという事だった。上司の承認を取るのに時間が必要だと言う。思いがけないことであった。最初使う時3600バツ支払った記憶があったが、それがボンドという自覚は無かった。最終時精算をしないで部屋を出てしまうような人もあるのだろう、そんな場合にまかなうものだということを知った。
今回の消費に対して1709バツ、最初のボンド分3763バツ差し引き2054バツが午後返金になっていた。次いで小さいスプーンを探すがいつも行く大きな店が何と閉店していて中はすっかり空になっていた。やっと5店目のチャイニーズの店で小さなスプーンを見つける事ができた。60バツ。町で2人のピキニニから魚釣りはしないのかと声をかけられた。このところウォーターフロントの釣りをしていない。見物の子供たちも楽しみにしているらしい。明日来るかと聞くから、明日行くよと答えてしまう。10時半ボンドの精算を督促のため不動産屋に顔を出す。11時ですねと言われて、11時に来るからと店を出る。ウォーターフロントのベンチで30分時間を過ごそうと、空いているベンチを探していると、上着を手にして清潔なワイシャツを着ていた恰幅のいい若い中国人と目があった。写真を撮ってあげて少しおしゃべりをする。1週間仕事でバヌアツに来て、今日午後2時の便でシドニー、香港経由でパリに帰るという。住んでいるのはスイスのジュネーブだという。それまで時間つぶしにウォーターフロントに来たらしい。同じ時間つぶしの30分、バヌアツPRに努めることにする。まず海辺のレストランで沢山の大きな魚が泳ぐ自然の水族館を見せる。次にマーケットで40バツでココナッツジュースを紹介し飲んでもらう。ココナツミルクも美味しいんだと言って、おばさんにココナッツを割ってもらって説明すると、丁寧に2つを指ですくって食べていた。手を洗う水道に案内すると、何でも知っているんですねという。次にパイナップルを見せる。50バツでビニールに取ってもらって降る雨を見ながらマーケットで食べてもらう。美味しいと食べていた。時間が無くなってきたので、最後にみやげ物で買おうと思っていたパチンコを売っていた店に案内する。大学の同窓会に集まる人へのみやげ物にパチンコを持っていこうと考えたのであった。みんな物には不自由していない生活をしているだろうから、孫への土産としてパチンコなら喜んでくれる人もいるかもしれないと考えた結果である。しかしあれほどあったパチンコは売り切れ(Sold out)たと言われたのにはがっかりした。店を出たところで、名刺を渡すと出して、漢字の名前も裏に書いてくれた。日本にはない感じで千に似た漢字でユーと読むといった。最後に年齢を聞くといくつに見えますかと聞かれたので35歳と答えると40歳と答えた。それでは私はいくつに見えるかと尋ねると65歳と答える。すこしがっかりして62歳だよと答えて握手して別れる。誠に楽しい30分だった。こちらの言うことを少しも疑わず雨の中をついて歩いて、とても楽しかったと言ってくれた。
もらった名刺は所属名がWORLD TRADE ORGANIZATION ORGANISATION MONDIALE COMMERCE ORGANIZACION MUNDIAL DEL COMERCIOと3ヶ国語で書かれていた。11時に不動産屋に出向く。なんとそれから所長の奥さんが出かけていった。聞くと銀行にお金を下ろしに行ったからしばらく待ってくれと言われる。しかたないから、ペトリーナとおしゃべりをする。彼女も日曜日ボーイフレンドとはじめてイタリアに遊びに行くという。彼氏はイタリア人で1ヶ月ぐらいバヌアツに来てはイタリアに帰る生活をしているという。彼女は6歳の娘さんがいてニュージーランドで暮らしているという。今回の旅行は2週間でシドニーからドバイを経由してイタリアに入りベニス、ローマ、トスカナに行くという。イタリア男性はやさしくていいと言っていた。バヌアツ男性はダメだといって笑っていた。彼女はポリネシアンのようでメラネシアのようにいろは黒くないがバヌアツの出身だと言っていた。帰りにはニュージーの娘のところで3泊するという。航空券代はシドニーーイタリアの航空券代は250000バツと言っていた。この国の人はみんなそれぞれ生活を楽しんでいることを知って感心した。11時半所長の奥さんが戻ってきて紙袋をわたされる。中をあらためると預けたボンド全額が入っていた。サンキューを所長の奥さんとペトリーナといって店をでる。この不動産屋はオーストラリアの会社で所長はオーストラリア人、奥さんはマレーシア人である。小雨降る中急いでアパートへ帰る。汗と雨に濡れたので、シャワーを浴びて着替えてキンさんの家を訪ねる。既に先輩は来られていた。よく整頓されて落ち着いた清潔な明るい居間でキンさんの手料理をいただく。ビルマのいい香りの香辛料の入った少し黄色いチャーハン。ピザのように大きな卵やき、鶏肉とじゃがいもの煮混み、ロースとビーフ、キャベツ千切り、新鮮な香野菜のサラダなど、の料理をいただく。果物はパンプレムースとパイナップル。日本人にあった味付けでとても美味しくごちそうになった。鶏肉の煮混み料理などは長い時間煮込まれていて身がすぐほぐれて大変おいしかった。ローストビーフもおいしいソースで柔らかかった。おかわりをさせていただく。
バヌアツに来てはじめて出会って感激したパンプレムース、この国のフルーツで1番だとお気に入りになったパイナップルをいただいて、心づくしのきんさんりかさんに感謝であった。1時15分ぐらいにさよならをする。次にお向かいの先輩の部屋をお尋ねする。奥様がフィリピン人とバヌアツ人の奥さん子供たちに折り紙を教えたといういいお話を伺って楽しかった。寒天とフルーツのデザートをいただく。丁度1年違いでこられてこれからまだ1年の任期がある。きっと大きな成果と思い出を作られて帰国の日を迎えられることだろう。我々にも理解を示してくださって大きな励ましをいただいた。3人でボクシングをリングサイドで観戦したのは忘れがたいし、その後でのぷりぷりした黒鯛の刺身も忘れられない。2時過ぎご夫妻にさよならをして、小雨のなか傘もささず、スリッパのまま学校へでかける。下校してくる生徒たちにグナイと挨拶をして学校へ。図書室は鍵がかかっていた。部屋の机にかけて電話する。タリスがすぐ来て、頼んでいた紙袋を交換する。プラグを返してくれる。XPのCDを予備にと言って渡す。どうやら調子の悪くて残っている1台が問題であるらしい。これからののビジネスを考え彼の努力の結果を明日まで待つことにする。日本に帰っても期待されている事が待っているのは有難いことである。こんなことが簡単にできるのも稼ぐ必要の無い付録の人生であればこそであろう。プロジェクターは大きな可能性を持った商品である。今後1年にバヌアツに入るほとんどのプロジェクターは日本から送るものになる可能性がある。DVD付きノートパソコンも沢山送ることになるだろう。この2年間でマラポアカレッジを支援する資本も蓄積できたので十分助けることが出来るに違いない。この資本金は勉強と調達とリフレッシュの旅行のために使うことにしよう。雨の中を学校を後にする。帰りはバスに乗ろうかと思ったが生徒で満員のバスに乗るのに気後れがして歩くことにした。思いがけなく美少女のロメラが笑顔でさよならと言ってくれたのに気が付いてあわてて笑顔で答えたが大勢の生徒がいたのでそのままさよならにした。先日は彼女からメールが来ていたので返事をしていた。ユネルコに出向きお金をもらう。両替屋に出かけ、オーストラリアドルと円を買う。22日はシドニーの空港で夜の出発まで過ごすので昼食代だ。両替屋では1000円札が無かったのでバツが残ってしまった。明日は土曜日で8時から13時まで店が開いているというので、1000円札を10枚持って7000バツの両替を頼みに行ってみることにする。スーパーで牛肉と玉葱を買って帰る。小雨の中スリッパで歩いたので足もスリッパもどろだらけ、ズボンも泥はねがついていた。シャワーを浴び、洗濯をしたあと、足をお湯に入れてブラシでよく泥を落とし、スリッパも丁寧にブラシで泥を洗い落とす。夕食は肉うどんを作る。夕食後日記をつけていたが眠くなってしまい、19時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月18日(木) 晴れ 28 ℃ 湿度 76% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在678日目 帰国まで4日目
2010/03/18(Thu)
3月18日(木) くもり時々雨 28 ℃ 湿度 76% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在678日目 帰国まで4日目

2時過ぎ目を覚ます。ベッドで「真田太平記12 雲の峰」を550頁まで読んで4時起床。日記をつける。昨日マッチを切らしてしまった。ご飯は炊けるがお汁が作れない。朝食をお汁なしでご飯だけですますか、明るくなって店が開くのを待ってマッチを買ってからお汁を作るかと考えたが、今日はお汁なしの朝食にする。5時32分外が明るくなってきた。どうやら雲の多いお天気らしい。NHKワールドを見ているとBluefinの捕獲禁止問題を映していた。くろまぐろは養殖も進んでいるが寿司ねたのチャンピオンであり世界中に寿司が広まった今日最も資源の枯渇が危惧されているものである。この2年間でバヌアツでマグロの刺身は3度口にした。1年に1度は食べたいとは思うがなくても我慢はできるものだ。漁獲禁止となるとまぐろを食べる機会が減るわけだが我慢できないことではない。今後養殖を増やす以外美味しいまぐろの刺身を確保する道は残されていないのではないか。これから朝食をいただいて、ドミトリーにインターネットをしに行く。5時51分
朝食をベランダで海を眺めながらいただく。6時過ぎアパートを出て6時45分からインターネットでメールを受発信。8時からブログの更新。NHKラジオをインターネットで聞いていたら吉野の桜は例年より少し遅れて4月3日から4日頃からが桜の見頃になるだろうと言っていた。6日に吉野千本桜のツアーに娘と行く予定にしている。3月30日は四国88か所めぐりの第一回コースの予定既に四国はこの次期桜は満開だろう。8月の広島原爆記念日には息子と参列したいと思っている。帰国して次回の出発までの貴重な日本の生活である。日本では勉強三昧の生活になるだろう。その合間にあちこち見て歩いてこよう。バヌアツから頼まれているものも調達の作業もある。帰ったら楽しい仕事と旅行が待っている。有難いことである。8時半 そろそろ店仕舞い。8時45分ドミトリーを出る。途中の店でマッチを買う。アパートに着いて畑に出て、キューリと大根の種まきをする。6月になったら種まきシーズンではあるが、何も無い畑は寂しいので蒔いておく。その後水遣りをしておく。庭師のジョンさんとおしゃべりをする。パンマで生まれて農業を4ヶ月学びサントで10年過ごし、ビラには1988年に来たと言っていた。居間で「真田太平記12 雲の峰」を10時前で読了。とても楽しい本であった。「人間は死ぬところに向かって生まれた日から進んでいる。それしかわかっていない。あとのことは全部わからない」人生とは「死ぬために生きることだ」と池波正太郎は書いている。著者のこの1万枚に近い大長編小説は天正から元和にかけての40年間、日本歴史上で有数の激動期を書かれている。これほど生き生きと描かれたものは記憶に無い。週間朝日の昭和49年12月から58年4月まで9年間にわたって書かれたものだそうだ。バヌアツで記憶に残る3人の作家を知ったのは幸せなことであった。この作家を筆頭として山本一力、東野圭吾だ。日本に帰ってこれらの著者の作品を楽しみに読ませてもらおう。パンプレムースをデザートにいただく。同僚とタリスから続いて電話があった。PMCから学校に連絡があって日曜の昼食会には必ず出るようにと連絡があったそうだ。明日手提げ袋を持って来るように頼んでおく。さてこれから机の周りを片付けて荷物の整理をしてみよう。10時50分。12時昼食後居間の椅子に身体を伸ばしてLANを勉強する。しばらくしてうとうとしてしまい気が付いたら14時であった。外は雨が降っていた。傘をさしてアパートを出てJICA事務所に出向く。最後の面談もいつもながらのネガティブな教育的指導をされる始末であった。元気付けられるものではなく、気持ちを滅入らされるばかりの不毛の30分であった。15時を回っていたので不動産屋に顔を出し買い物をしてから不動産屋に寄る。4人で車に乗り、アパートへ。在庫チェックで驚いた。在庫表以外に物があった筈だとダリルと不動産屋が言い出したのである。ナイフとフォーク、スプーン大、スプーン小はそれぞれ5個づつ最初から備えてあったという。フライパンは大小2つ。鍋も大小2つ最初からあったはずだという。まな板も最初からあった筈だと言う。それに一つ一つ反論してそんなものは無かったと言う。これは先輩から購入したもので最初は無かったと主張する。こまかいスプーンにまで記憶は無くスプーン小は4個しかなく1個明日買ってきて5個にしておくと妥協する。一つ一つに反論するのを面白がって、明らかに日本人しか使わない菜箸までこれは最初からあっただろうとおちょくり出すのにはあきれた。最初に納めたボンドから在庫チェックしてないものなどを差し引いて明日11時金を返してもらうことになっている。果たしてどれだけ戻ってくることだろう。当然全額戻るものと期待しているが果たしていくら戻るのかわからない。亡くなった象のようなバイオレットが作ってサインしてある書類であるが、ダリルも同じものを持っているにもかかわらずここには書いていないがそれは最初からあったものだと言い出したのには驚いた。約1時間少々チェックして帰って行った。先輩の部屋を訪ねてわずか余った野菜の種をお渡しする。畑に朝、夕出向き水遣りをすることも楽しいものだったとお伝えする。心配していたユネルコへの電気の支払いについていいアドバイスをもらったのは有難かった。明日は忙しい。ユネルコへの支払い。ボンドの精算。学校へのパソコンの精算とも果たして午前中に終わるだろうか。午後からおよばれされているがそれから円に両替が出来るだろうか。午後は1時ぐらいまでに切り上げさせていただき、銀行へ行かないことには円が調達できないかもしれない。明日中に両替出来なければ、土曜日の両替では円が調達出来ない可能性も高い。途中シドニーでの昼食代として20オーストラリアドルぐらいは換金しておいた方がいいだろう。円が無ければ最悪USドルにでも換えておくしかない。明日1日で16万バツを円にしなければならないかもしれない。市中の両替屋にある円はおおよそ10万円ぐらいでそれ以上は銀行へ行かないと無いのだ。夕方今年最後のうどんを作る。水が少し多かったようで昨日の方が良い出来だった。おいしい肉うどんをいただいてから、居間に椅子に身体を伸ばして一休みしてうとうとしたようだ。それから日記をつける。20時5分。ベッドへ移りLANを勉強していると目が冴えてきてしまい起きてマラポアカレッジリーのLANのIPアドレスを確認する。10.10.1.X X=141~175 255.255.255.0を使っていた。ドミトリーのインターネットのIPアドレスは192.168.0.7 255.255.255.0を使っていることを確かめる。23時半からBegin Japanologyでは日本の真珠だった。よく見慣れた賢島の橋の上からの海を映していた。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月17日(水) 晴れ 28 ℃ 湿度 85% 日の出5時50分、日の入り18時00分 バヌアツ滞在677日目 帰国まで5日目
2010/03/18(Thu)
0時目を覚ます。ベッドの中で「真田太平記12 雲の峰」を読む。39頁、4月4日外様大名を病床の近くへ招集して家康はこう言ったという。「各々、家康が天寿もこれまでじゃ。われ亡き後も大樹(秀忠)あって天下の政事を統領いたせば、さらに憂うることもあるまい」「なれど、なれど万一にも、大樹の政事に間ちがいあらば、各々は大樹に代わって天下のことをはかるがよい。天下は天下の天下なれば、われはこれを怨まぬ」一語一語ちからをこめて、家康はいいはなった。そうだ。秀吉は死にのぞんで、家康をはじめ五人の大老と五人の奉行に対し、幼かった我が子の秀頼と豊臣の将来について、どこまでも忠誠をつくすことを誓約させた。さらに泪ながらに「たのみまいらせる。たのむ、たのむ」と恥も外聞もなくなく懇願するのみであった。というのと違い「将軍に不満あらば、各々が兵をあげて天下をとろうとも、怨みにはおもわぬ」といいはなった。「本心とはいいがたいが、それだけの自信があればこそ、これだけの誇大な言葉が吐けたのであろう」と著者は書いている。この後4月17日に75歳の生涯を閉じている。1時まで今日教育省でのスピーチを頭の中でしゃべっみる見る。やはり原稿は持たないでしゃべる方が簡単な単語と単純な表現しか出てこないので良さそうに思う。駒ヶ根で英語のスピーチは2回記憶にあるが、最初にした美術館へ行ったときにしたのが緊張もせず、なめらかにしゃべることが出来て、聞いた同僚が「良かったよ」と言ってくれた。研修の最後に同じスピーチをしたのだが、これは「緊張してたのか、最初の方が良かった」と言われたのを思い出す。最初の方は原稿を忘れていてほとんど原稿の内容を話せた感じがした。少し笑顔も見せる余裕があった。2度目は大勢の人のスピーチを聞いた後でしたのだが緊張してしまっていたようで、話す楽しみなど全然持つことが出来なかった。話し手が話すことに喜びが持てなければ、聞く側も苦痛でしかないだろう。若いとき代理店の技術者を前にアプリケーション ソフトウェアの話をしたが、それを聞いた上司が感心してくれたことがあったが自然体で自分の考えを話したのが良かったようだった。緊張した表情で話すのではなく笑顔で話すようにそれだけを心がけて今日はやってみることにしよう。2時半になった。これからベッドで横になって読書。5時起床。ご飯のスイッチをつけて野菜スープを作る。今日を入れてあと5日分の食材を見てみる。いつも使うコンソメスープの素はあと3個になった。お茶漬けのりは7個残っている。調味料は少し余らすぐらいだ。7時のNHKワールドニュースを見る。最初に鳩山内閣発足後6ヶ月たったそうだ。前阿呆内閣と較べると大臣の放言陳謝というのがあまり出なくなったのは良かった。生意気な阿呆の放言も聞かれなくなって良かった。マニフェスト通りには簡単には行かないのは実行力の無さというより、そもそも無理なことを掲げていたから割り引いて考えなければならない。早くも鳩山弟のように自民党離党者が出てきたのはいかに野党になると暇になるかをおもわざるを得ない。大臣をしていたら周りがほっておかないが、野党であれば寂しいものなのかもしれない。2つ目のニュースはフィジーのサイクロンだった。1名陸上で犠牲者がでたらしい。この2年間この国にサイクロンが来なかったのは幸せだった。来た前年に一度来たと聞いた。7時いつもの豪華定期客船P&O Pacific Dawnが入港してきた。今日も昨日同様お天気は良さそうだ。今日は8時から教育省訪問、午後から新聞社のインタビューと聞いている。8時前にJICA事務所に行って図書室で本を返してこよう。持ち帰れない本も本棚に置かしてもらっておこう。コンピュータ関係の本などだ。
7時半これから支度をして出かけよう。7時26分。リュックサックに本を入れてJICAオフィスへ7時45分着。図書室で本を返却する。8時15分総勢5名で教育省へ出かける。8時半からバヌアツから男性3名女性1名登場。
日本人の教育省に配属中の2名の青年隊員も参加してくれる。教育省に配属されていて帰国する隊員3名がそれぞれ活動報告をスピーチする。最初に指名されて話をさせてもらった。詳しい活動内容は文章にして渡してあるので詳しい活動は省略して約数分話をさせてもらう。ゆっくりと笑顔で主にディレクターのROY OBEDの目をじっと見つめながら噛んで含めるように話をさせてもらう。この人はEmae出身のマラポアカレッジの出身者でもある。隣の島のマキラ出身のシェイム サイモンも知っているし、向かいの島のマタソーも知っている。アイコンタクトは話をする時の基本である。青年隊員は2人とも話をするとき、あらぬ方向の空間を見つめて話していたが、これでは話の力が伝わらない。2人とも現職で中学と高校の教師をしているのだが、生徒に話しかける時は生徒の目を見てしゃべっているのだろうが、保護者に話すときはアイコンタクトができていないのだろうと思った。説明をパワーポイントを使い、中に動画も入れて説明していた。動画はこういう使い方をするのだということを教えられた。9時から質疑応答があって9時半終了となった。ROY OBEDさんが今年は「今年は独立30周年だから7月30日の独立記念日に遊びに来てください」と声をかけてくれた。
マタソーのことをバヌアツのモンサンミッシェルと命名したと話したらその意味を理解してくれたようだった。モンサンミッシェルは世界遺産に登録されているフランスの海の中に聳え立つ教会である。マタソーはのこぎり山とも呼んだものだが、その雄姿に憧れて先輩と高速ボートをチャーターして2008年11月15日ヌーナから渡った島である。JICAオフィスに帰って見ると一緒に帰国する先輩がいて髪を切ることになった。昨日先輩も自分で髪を切ったそうだ。前庭に面して椅子にかけて髪を揃える。自分も昨日刈ったところだが、すこし後ろを揃えてもらいと思っていただけに誠に有難かった。先輩の髪はひどい虎刈りになっていたので整髪のしがいがあった。何処にだしても恥ずかしくないほど丁寧にそろえてみた。息子や娘の髪を切ってやると言ってもけしてさわらせようとしないので、先輩のように髪を切らせてくれるのは大変嬉しい。考えることは同じで昨日は先輩も自分も帰国に合わせて最後の髪を一人で切っていたわけだ。10時半から帰国する4名にデイリーポストの記者のインタビューがあった。40分ぐらいで終わってアパートへ帰る。シャワーを浴びてから昼食はお茶漬け海苔とデザートをいただく。洗濯をしてから居間の椅子に身体を伸ばして「真田太平記12 雲の峰」を140頁まで読む。JICA事務所に預けていたパスポートを受け取り、買い物に出かける。両替屋で福沢諭吉を3枚購入。マーケットでバナナ・なす・肉などを買う。今日もよくまあこれほど太ったものと驚くほどの朝来た船のお客さんの白人男女が町をかっぽしていた。日本人には見かけない体形で太りすぎで長くは生きられないに違いない。以前不動産屋にいた白人の女性は象を思わせるほどに太っていたが元気そうに車に乗っている所を見た次ぎの週に亡くなっていた。太りすぎで心臓に負担が大きかったようで49歳だった。アパートに帰ってシャワーを浴び洗濯をする。机の上のクロスも手洗いして干す。次に肉を下ごしら、レモンティーを作り、夕食のうどんの生地を120gの小麦粉で作る。ビニール袋に入れて足踏みを2回する。小麦粉はあと1食分うどんを作れば使い切る。米も丁度使い切るか1食分残る予定である。5時朝来たP&O Pacific Dawnが汽笛を鳴らして桟橋を離れていた。今日はいいお天気でお客さんには良かったであろう。それから日記をつける。あと帰国までにしなければならないことで頭の痛いのは電気の精算である。日曜日にアパートを出るので日曜日までは電気を通しておいてほしいのだが、そんなことが頼めるのだろうか。電機会社は土日が休みだろうから金曜日にお金の精算をしなければならないとすると土曜日一日電気が無いとご飯も炊けない。明日電気会社に出かけて日曜日まで電気を通しておいてもらいそこまでで支払いをどうすれば出来るのか相談してこよう。お金を預けておいて支払いをJICAスタッフにお願いするかアパートの先輩にお願いするかしなければならないかもしれない。5時15分静かに船が出港していった。これから読書。夕食はさっき食べたバナナのせいでお腹がすいてこない。17時23分 18時過ぎから夕食の準備。今日のうどんは丁度良い柔らかさの生地が出来た肉うどんでおいしく出来た。夕食の準備を始めたとき時マッチが1本しか残っていなかったのに気が付く。最後の1本のマッチを慎重に使って夕食の準備を始める。夕食後居間の椅子に身体を伸ばして読書。「真田太平記12 雲の峰」を292頁まで読んで一休みして日記をつける。今日2つのことを思い出す。今回帰国する中学校の教師をしている現職隊員に任期途中での帰国を考えたことは無かったかを尋ねたのに対しての答えだった。帰国したら忙しい学校教師の毎日が待っているのがわかっていたから、それと較べたらここで教員に音楽教育を教えていることがとてもいい経験をさせてもらっていると自覚していたから、任短は考えられないことだったと言っていた。もう一つは先輩が言っていた、帰国時プログラムにかかわる旅費の支給規定についてである。そこには帰省にあたって支給する交通費については、原則として帰国時プログラムの最終日に直帰(帰路直行)する場合のみ支給されます。但し、自己都合により帰省日を変更する場合は、帰国時プログラム最終日から3日以内に帰省地着となることを条件に支給されます。とあるので帰国した日から3日以内というのは間違いである。21時21分になった。明日は14時半からJICA所長面談。15時半から不動産屋の部屋のチェック。ダリルさんにも明日の15時半から立ち会ってくれるよう伝えておいた。これから荷物の整理。24時まで読書して就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月16日(火) 雨時々晴れ 27 ℃ 湿度 90% 日の出5時50分、日の入り18時02分 バヌアツ滞在676日目 帰国まで6日目
2010/03/16(Tue)
3月16日(火) 晴れ 27 ℃ 湿度 90% 日の出5時50分、日の入り18時01分 バヌアツ滞在676日目 帰国まで6日目

4時起床。ぼろぼろになって繕い続けて着てきた寝巻きを解体する。この寝巻きは20年前宮崎のサンホテルフェニックスでもらった貴重なものである。この2年間毎晩着続けてぼろぼろになった。捨てる気が起こらず、寸法を測ってから解体する。再生の為に破れていない肝心なところだけ残しておく。日本に帰ったら材料の布を調達して手作りの寝巻きを作ろうと思っている。有り余る時間の日本でする楽しみが1つ増えた。料理も裁縫も楽しいものである。2年間でほころびた下着は手拭いや雑巾にした。Tシャツからは巾着袋を作った。巾着袋の紐は底が抜けて履けなくなった運動靴の2本の紐を使った。半ズボンは2つ破れを直しながら使った。長ズボンは1つしかはかなかった。これも破れを直して使い、帰国の際はいていく。下着上下は新品を5つづつ持ってきたが2年間もった。これは引き取ってもらうのは失礼だから持って帰る。次の派遣までは着られるだろう。次の2年間の派遣が決まったらまた新しいものを揃えればいいだろう。ワイシャツ、ズボンは全部置いていく。マラポアカレッジでは破れている制服を着てくる生徒が少なくない。破れていない制服を買うお金がないようだ。日本のように繕うというのはしないようだ。破れたままでも平気で着てくる。破れているのを気にしている様子をみたことはない。美人の女生徒が破れた制服を着てきて気の毒に思ったことがあったが本人達はあまり気にしていないようで、いつものにっこり笑顔を見せてくれていた。5時半からNHK日本語ニュースを見る。自民党の鳩山離党のニュースが出ていた。下がり続ける鳩山政権の内閣支持率にもかかわらず人気が一向に上がらない自民党に見切りをつけて人気者の舛添などを担いで新党を作りたいらしい。これから朝食6時40分。食事をしたらドミトリーでインターネットでメールを見て、ブログの更新。今日は久しぶりで雲が薄く明るい。でも相変わらず湿度は90%に張り付いたままである。
朝食後7時45分ドミトリーに来てインターネットを始める。8時55分まででメールの処理。これからブログの更新。9時20分までで店仕舞い。町へ買い物をして海岸を歩いて帰る途中先輩にお会いする。しばらくおしゃべりをしてJICAオフィスへ帰国のE-チケットをもらいに出向く。どうやらオーストラリアで乗り換え時間が8時間以上になると一旦バヌアツで預けた荷物を受け取り、また次の便のチェックイン時に預けなければならないという話を聞く。今回は22日7時半ビラ発でシドニーに11時10分着。同じ日の22時5分シドニー発で成田に6時10分着の予定である。オーストラリアには10時間55分滞在することになる。そうなると、ビラで預けた荷物の出し入れが必要となると厄介になる。オーストラリアのチェックは厳しいという。食料は持ち込み禁止。木も貝殻もだめらしい。チケットを発行した旅行代理店に確かめに行くことにする。旅行代理店ではビラで預けた荷物はシドニーで出し入れは必要なくそのまま成田まで送られるという事だった。つまりビラで預けた荷物はシドニーで開けられることはないわけである。オーストラリアでは
機内手荷物で持ち込もうと思っていた貝殻は没収らしい。そうであれば、預けるスーツケースの中に入れる分しか送ることが出来ないわけである。貝殻だけでなく、木や食品も没収らしい。機内にペットボトルや食品も持ち込み出来ないようだから、シドニーで昼食用にチラシ寿司のおにぎりを作って持っていこうと考えていたがこれは没収されるので昼食はシドニーのレストランでいただくことにする。スーツケースの中に入れた本を出して、貝殻を詰め込めるだけ詰め込むことにする。ついては貝殻や木でできた土産物や食品は22日出発であれば18日に空港の傍にあるクアルティーンデパートメント(Quarautine)に行って消毒を受ける必要があるという。飛行機に積み込む荷物だけでなく、船便で送る場合などでも必要だという。一体それはいくらかかるのかと尋ねるがけして金額を言わない。とうとう5000vtと言ったのでそんなにかかるのと驚いてしまった。殺菌の方法がスプレーをかけるらしいと聞いて持っていくのをやめようと決めた。消毒剤をかけられるのは気持ち良くない。貝殻を手荷物で機内持ち込みはやめて、スーツケースに入れて、機内持ち込みは本を紐にくくって持ち込む事にする。乗り換え時間が11時間もあるから本を沢山読めることだろう。前回帰国した時はリュックサックに入れていたノートパソコンを調べられらがココナッツバスケットは調べられた記憶がない。これで荷物の準備の方針が決まった。あとは貝殻の取捨選択だ。明日は朝教育省への表敬訪問。午後は新聞社のインタビュー。明後日は午後JICA所長面談とアパートの備品在庫確認に不動産屋が来てチェックする。不動産屋の待ち合わせは2時にしていたが所長面談が2時半にあるので3時半にしてもらうように話しておく。これから荷物の詰めなおし。アパートへ帰り、シャワーを浴び、洗濯をする。久しぶりに強い陽射しが出る。今日は洗濯ものの乾きが早そうだ。湿度は85%まで下がっている。13時45分。居間の椅子に身体を伸ばして「真田太平記12 雲の峰」573頁を読み始める。とうとう最終本なんとか帰国までに読了できそうだ。全部で7000頁に及ぶ信長、秀吉、家康の三代記を真田昌幸、幸村の真田一族で描いたものだ。真田太平記の意味を調べて見る。太平記とは軍記物語の意味だそうだ。真田一族の歴史軍記物語である。もともとは応安(1368~1375)~永和(1375~1379)の頃までに書かれたもの。北条高時失政・建武中興を始め、南北朝時代五十余年間の騒乱の様を書いたもの。全40巻。作者は小島法師説が有力とされている。真田太平記は信長から家康まで大変詳しく書かれていて面白く読めた。20時17分明日は8時半に教育省表敬訪問。8時15分までにJICA事務所へ訪問する。
3時半頃から台所周り、洗面所、納戸の掃除をする。6時半夕食後、スーツケースの荷物の詰め替えをする。
8時すぎから表敬訪問の原稿を記述しておく。20時55分 21時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月15日(月) 雨時々晴れ 26 ℃ 湿度 90% 日の出5時50分、日の入り18時02分 バヌアツ滞在675日目 帰国まで7日目
2010/03/15(Mon)
3月15日(月) 雨時々晴れ 26 ℃ 湿度 90% 日の出5時50分、日の入り18時02分 バヌアツ滞在675日目 帰国まで7日目
夜中3時起床。時々大雨が降る音が聞こえてくる。湿度計はMaxの90%に張り付いたまま。
昨日の荷物の整理でチェックイン時預け荷物はスーツケース1個にみやげ物と本と大物衣類などで20Kgになるように作る。学校でいただいた5Kgの重さのお土産もスーツケースに納まった。
機内持ち込み手荷物はリュックサックとボストンバッグと紙袋と貝殻をいれたプラスチック袋の4つに分けておく。10Kgであるがこちらは多少多くてもかまわないとして貝殻も持って行ってみることにする。
どうやら航空別送荷物(アナカン)も船便も利用しなくても済ませそうだ。
運良くお咎めがなければ貝殻も日本に持っていけるかもしれない。スーツケースにはハサミ、ナイフ、ねり歯磨きなど機内に持ち込めないものを入れる。財布や現金は身につける。フィジー、トンガ旅行で作った、日本手拭いで作った腹巻をつけて貴重品はそこに縫い付けるか、そこのポケットに仕舞えるように作っておく。パスポートは首からかけて、腹巻に仕舞えるポケットをつけておきそこに収まるようにしておく。
紙袋にはまだ寒い日本の冬の服と着替えを入れていく。嵩張るが重くはない。ボストンバッグにはスーツケースから取り出した本や机の周りに並べていた小物などを詰め込む。ボストンバッグの嵩はたいしたことないがこれはかなり重くなる見込みだが10Kg以内にしておく。
5時半になった。朝食をベランダでいただく。
6時50分からドミトリーでインターネット。NHKラジオ深夜便明石アナウンサーを聞く。7時19分までインターネットでメールをみる。これからブログの更新。今日も昨日までの3連続雨降り同様のお天気らしい。
今日は最後の散髪をしようと思う。7時21分から7時40分までで終了。ドミトリーを出て町へ買い物に出かける。エアーバヌアツの事務所に預け荷物と持込荷物を聞きに行く。エコノミーチケットで預けは23Kgまで無料、それ以上は1Kgにつき700VTかかるという。機内持ち込み手荷物は7kg以内だそうだ。最近日本から来た同僚は成田からシドニーまでは30kgまで無料だったそうで、25kgを預けたそうだ。シドニーからビラまではエコノミーチケットで預けは20Kgまで無料だったそうで5kg超過で9800VTほど支払ったという。
機内持ち込みは7Kgだそうで特別計量するわけではないらしい。嵩が大きくなければ7Kgを過ぎても許してくれるらしい。今日は23KGの荷物を作ることにする。ヌーナの海岸で拾った貝殻も持って行きたいのだがオーストラリアで没収される可能性が高いという。是非持ち込みたい貝はスーツケースに入れて隠しておき、没収されてもかまわない大きな貝はビニール袋に入れて機内持ち込みをしてみよう。これでほぼ荷物を別便で送らなくても、全部30Kg以内で持って帰ることができそうである。後は、荷物を入れて見て調整しよう。気をつけないといけないのは、機内持ち込みが許されていない、ものがあるのでそれはスーツケースで預けることである。洗面所でバヌアツ最後の散髪をする。スキバサミで刈る。後ろ髪を揃えカミソリで剃る。洗面道具入れも手洗いする。外は陽が出たと思うとまた降りだすことを繰り返している。11時21分。これから昼食の準備。昼食は肉丼を作りベランダで海を見ながらいただく。
食後居間の椅子に身体を伸ばして読書。少しうとうとする。書類を残すものと捨てるものを取捨選択する。
JICAオフィスに郵便物を取りに出かけようかと思ったが雨が降り出したりするので出かけないで過ごす。少しずつ荷物の整理を進める。夕食は散らし寿司を作り野菜スープといただく。デザートはバナナ。夕食後本を読んで過ごす。21時からNHKワールドを見ながら日記をつける。21時23分 そのあと23時45分まで
「真田太平記11 大坂夏の陣を読了。0時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月14日(日) 雨 26 ℃ 湿度 90% 日の出5時49分、日の入り18時04分 バヌアツ滞在674日目 帰国まで8日目
2010/03/15(Mon)
0時半目を覚ます。2時半までベッドで「真田太平記10 大坂入城」を読了。大坂冬の陣の大坂城のろう城戦が12月のわずか3週間の戦いで堀を埋め立てることの和議で決着させ翌日から8万人といわれる参陣者を動員して素早く外堀と内堀まで埋め立ててしまったという、最初からここを落としどころに戦を始めた家康の戦略を知る。1回の戦いでは結果は勝つにしろ長い戦いと大きな犠牲はまぬがれなかったと読んでいる。味方に大きな犠牲者が出る前に大砲で天守閣に砲撃し和議に持ち込み、次回の戦いでは少ない犠牲で勝利するための手を打っている。
もしこれが家康ではなく、秀吉が攻め手の大将だったらその戦略は違っていただろう。残りは2巻となった。
次は「真田太平記11 大坂夏の陣」567頁。外は雨音が時々強くなる。湿度計は目盛りが90%までしかないので昨日、今日は90%に張り付いたままである。
金曜日に見た春募集ではネパールの職業訓練校でコンピュータ技術の教師の派遣要請があった。プログラミングやネットワーク技術を学んで就職の促進を図りたいというものらしい。とりあえずこれを考えてみることにする。どうやら教材も一から作る必要があるものもありそうである。そうなるとまた新しいことを学ぶことが出来る。教えることは学ぶことである。教えるための勉強は、自分が学ぶための勉強よりより理解がすすむ。4時過ぎから自動車革命2を見る。電気自動車を開発するsmall hundredといわれるメーカーがあるという。中国では13万円の電気自動車が農村部でも売れ始めたという。アメリカでは1000万円する高級電気自動車が売れているという。6時朝食後英語の勉強。そのあと「真田太平記11 大坂夏の陣」を読み始める。9時半まだ雨なので教会はお休みにする。靴もまだ金曜日からベランダに干しているが乾いていない。スーツケースにいただいたお土産と本や衣類を詰め込んでみる。21.5Kgぐらいの荷物になった。この分だと機内持ち込みと合計30KGに収めることが出来そうになってきた。お土産はココナッツで作ったフラワーバスケットとサンデルウッド(白檀)ヌーナの渚で拾った貝殻など。貝殻は重いので小さなかいを少しスーツケースに入れて大きな物はビニール袋に入れて手荷物にする。制限オーバーだが目こぼししてくれたら持っていくし、超過料金を求められたら品物放棄とすればいいだろう。12時から同僚とベランダで昼食をいただく。昼食後いろいろと教えていただく。3時半近くまでいろいろおしゃべりをして過ごす。今日のビラは時々雨がやんではまた降りだすことを繰り返しているこれからデータのバックアップ。15時38分
居間の椅子に身体を伸ばして「真田太平記11 大坂夏の陣」を読む。夕食はお昼の残りご飯と野菜スープ。
雨のビラの海を見ながらベランダでいただく。夕食後読書続き。20時予備の身分証明用の写真を印刷しておく。20時45分まで。本を読んで22時半日本に電話してみる。夜中0時まで本を読んで就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月13日(土) 雨 26 ℃ 湿度 90% 日の出5時49分、日の入り18時04分 バヌアツ滞在673日目 帰国まで9日目
2010/03/13(Sat)
雨音で目を覚ます。3時半起床。同僚の置いていってくれた資料を読んでから日記をつける。朝の日本語ニュースを見ながら朝食する。デザートはパッションフルーツを2個。本の整理をする。全部で6Kgぐらい。それとみやげ物にもらったものが5Kg。8時前から居間の椅子に身体を伸ばして「真田太平記10 大坂入城」を読む。329頁「世の中の事は、一寸先もわからぬものよ」「世の行く末が、わかったつもりになるのは、いかにも浅ましいことだ」332頁「家康は医薬にも造詣があり、「結句、おのれの身体は、おのれのみがわきまえている」健康を害したときは、みずから薬を調合して服用するほどであった。と書いてあった。外は雨で昨日から停泊している豪華客船の船名も双眼鏡でも読めない。いい魚がマーケットに出てくるようになったので今日も魚を探しに雨の中に出かけようと思うが相変わらずの雨で時折強く降ってくる。8時20分。
思い切って8時半買い物に出ると丁度ダリルさんが車を出すところだった。親切にも町へ行くから乗っていきなと言ってくれる。郵便局の前まで送ってくれた。郵便局で船便の運賃を尋ねる。10Kgで6350VTだという。アナカンの9300VTより安い。15kgでは8850vt。20Kgで11350vtと言う事であった。日本からこの国まで船便が5ヶ月かかったが、バヌアツから日本への船便は1ヶ月もしないで届いたという信じがたいことを聞いた。そうであれば船便でもかまわない。しかし飛行機で預けと機内手荷物で合計30Kg持っていけるのだから先ずは30Kgでどこまで持っていけるかの目処を立てるのが先でそこからはみ出た分を船便なり、アナカンにすればいい。マーケットで魚、バナナ、ナス、パッションフルーツ、ボンマルで玉葱、人参、SPARで肉を買う。海沿いに歩いて帰る。旅行者のご夫婦に話しかける。オーストラリアから昨日Pacific Sunで来たという。船のの故障で昨夜は出航出来ず停泊したという。故障の影響で費用がかからなくなるようなことを言っていた。旅費は14日間で3200オーストラリアドルだそうで、船内はお金がかからないような事を言っていた。少し雨が落ちてきたのでさよならをしてアパートへ帰る。魚を煮付けて、肉を下ごしらえし、人参を刻む。シャワーを浴びて洗濯をしてから昼食は海苔茶漬けとデザートはバナナ。食後日記をつける。
13時12分 居間の椅子に身体を伸ばして「真田太平記10 大坂入城」を読む。14時半タリスが荷物を引き取りにくる。16時まででファミリーのバスが迎えに来る。それから支度をしてドミトリーに。16時半からインターネット。メールを見て1つ発信してブログを更新して17時までで店仕舞いとする。特に何もなくてほっとする。1アパートへ戻り夕食の準備。8時Pacific Sunが雨の中出航していった。夕食後居間の椅子に身体を伸ばして「真田太平記10 大坂入城」を読む。20時日記をつけてからまた本を読む。22時皆で夕食を終えた時かと思って家へ電話すると初が今バイトから帰ったところ、ルと義は広島へ下宿探し。福はまだ仕事から戻っていなかった。22時半就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月12日(金) 雨 27 ℃ 湿度 90% 日の出5時49分、日の入り18時04分 バヌアツ滞在672日目 帰国まで10日目
2010/03/12(Fri)
3月12日(金) 雨 27 ℃ 湿度 90% 日の出5時49分、日の入り18時04分 バヌアツ滞在672日目 帰国まで10日目

3時目を覚ます。雨音が聞こえる。2年前にはじめて来た頃の夜中の雨音を思い出す。昼間は晴れたり小雨でも夜中には音を立てて雨が降っていた。先日のメッセージの最後に1文を追加したいと思いついた。
Finally I want all of students to remember the next message.
Boys and girls be ambitious.
Not only for your own,but for God,Jesus Christ and Vanuatu.

3時40分になった。
昨日の息子のメールを思う。幼いときから身体を病んで苦闘した人生であった。これからは病んだ人を治す勉強の場を与えられたことを感謝してやっていってもらいたい。「神を知るは知識の始めなり」というメッセージが箴言にあったと思う。へりくだった心根でいないと勉強は進まない。秀吉が辞世の句と読んだ、
「つゆと落ち、つゆと消えにしわが身かな」偉大な人物も死を目の前にして自分がつゆでしかない存在だということを悟っていたことを教えてくれている。4時からNHKワールドを見る。4時半からは好きなGentle Journeys  Local Train from Heart to Heart をみる。今日の一日を考える。「何事も無く終わってホットしています」。「出来ないのだが感謝をなるだけ言葉や行動で示すようにしたい」とベテラン21年勤務の64歳の女性の言葉があった。5時になった。これから朝食の準備。朝食後雨が小降りになったので6時半アパートを出る。
学校が雨で停電していることを心配していたが運良く電気がきていた。コンピュータ室にはようやく今年の授業時間割が貼られた。ようやく開始らしい。7時15分。これからインターネット。7時54分までメールを見てからこれからマシンのチェックとインストール。なんとIPLできなかったバックアップで使ったPCがIPLできた。今から取れなかったデータを取り直す。インターネットUnaccompanied baggage航空別送荷物(アナカン)を調べる。飛行機に搭乗のチェックイン時に預ける荷物は通常エコノミーで20Kg、ビジネスは30Kgまで無料でそれ以上は超過料金がかかるということだが、アナカンにするとその超過料金より安く航空便で送れるという。昨日ダリルからアナカンにすると1Kg255バツで送れるという。教えてくれた空港のところへ電話して料金を尋ねると10Kgで9300vtだという。話が合わないので直接空港の窓口を訪ねて確かめてみようと思っていた。雨が良く降るが電気は切れないので助かっているがこういう日は大抵停電が起こったものである。雨なので学校のバスに乗って町まで行きたいがまあ雨の止み間に歩いて帰ってもいい。9時47分 今日は空港にアナカンのことについて聞きに行こうと思っていたが、雨音を聞いているととても出て行くのが億劫になってしまい、JICAオフィスにメールして問い合わせることにした。果たして答えを返してくれるだろうか。そんなことは自分で調べてくださいと言われそうである。以前聞いていた、エコノミーチケットではチェックイン時23Kgまで持込無料、機内は7Kgまでと聞いていたのだが、それぞれ20Kgと10Kgとインターネットには掲載されていたので、この点も尋ねておく。当日3Kgオーバーですからと超過の支払いを求められ、あわてさせられる事態が予想される。汗をかきながらスーツケースから3Kg分の荷物を機内持ち込み用に取り出したりする姿が目に浮かぶ。10時40分 雨は時々強くなるが停電にはならない。休み時間にロメラを見たので写真を送るからメールアドレスをメモして持ってくるように話をする。昼休みにメールアドレスを書いて部屋に来てくれたので2年間に日本からの便りに貼られていた切手をプレゼントする。ほとんど清子さんからいただいた浮世絵などもあるきれいな切手である。そしてメモにあったアドレスに写真をメールする。カヨが部屋に来たのでおかしくなったと言っていたノートパソコンはどうなったのかと尋ねると、ハードウェアの故障だったので修理にだしているがまだ戻ってきていないという。2年ぶりにJICAのホームページの春募集を見る。4件のコンピューター技術の派遣要請があったのではたして出来そうな内容があるか見てみる。そのあと1時半ごろやっといつもの停電になった。照明もエアコンもインターネットも使えなくなったので、暗い中でタリスとおしゃべりをして小降りになるのを待ってすごした。停電は1時間たっても回復せず雨も小降りにならないので2時半まだ強い雨の中を帰ることにする。傘を持たない多くの生徒が、屋根のあるところで雨やどりをしてバス待ちであふれていた。強い雨の中、いつもどおり傘をさしてゆっくりと歩けるところを選びながら歩きだす。ところどころ水が川のように流れている。去年だったか、今はUSPにいるルイッサが大雨の中へ傘も持たず一人で決然と歩きだした光景が思い出された。そのあとしばらく待ってバスに乗ったのだが、その時の雨は今日より強かった。バスは途中でルイッサを追い越したのだが、制服が身体にぴったりついたびしょぬれで川のようになった道路の中に足の半分も水に入れて歩いていた姿を思い出す。あれを思えば今日の雨はまだたいしたことはないし歩いて帰るた生徒も少しはあった。うしろから歩いていたのは1つの傘で男女の生徒だった。おしゃべりが楽しいらしく絶えず朗らかな大きな女生徒の笑い声が雨を忘れさせてくれるほどに楽しかった。アパートに帰ってシャワーを浴び、洗濯をして、すっかり濡れた靴も洗いベランダに干す。残りご飯を海苔茶漬けでいただきデザートはパンプレムースを半分。しばらく椅子に身体を伸ばして「真田太平記10 大坂入城」を300頁まで読む。それから予備のパソコンの英語版OSの導入作業を始める。XP-Jを読ませようとするとCドライブ17GBのほかにDドライブ3GBがあるという。Dドライブの3GBを消してCドライブを20GBにしたいとあれこれやってみるがうまくいかない。仕方なく同僚に電話して助けをお願いする。しばらくしてプログラムを持ってきていただきFDISKでパーティションの統合の仕方を教わって試みてみる。最後にXP英語版のBOOTABLE CDを使って導入作業を21時15分開始することになった。ここで同僚は帰られる。21時54分XPの導入終了。22時からOFFICE2003の導入開始~22時08分終了。22時11分からAVGの導入開始~22時18分終了。22時半まで後片付けをする。今日はFDISKを教えてもらったのは有難かった。今後はFDISKが使えればXP-Jのフォーマット機能を使う必要がなくなった。FDISKでディスクのフォーマットが出来るようになる。ここでBOOTABLE 英語版のXPで一回で導入ができる。23時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月11日(木) 雨 28 ℃ 湿度 79% 日の出5時48分、日の入り18時05分 バヌアツ滞在671日目 帰国まで11日目
2010/03/11(Thu)
3時目を覚ます。4時までベッドで「真田太平記10 大坂入城」を読んで4時起床。昨日は送別会があっていよいよ帰国モードの気分になってきた。昨日はタリスのPCの再導入をしていて別の1台の故障を見る羽目になってしまい、今日は思いがけず昨日の続きで学校へ行くことにする。気の重いことである。社会人人生でもトラブルを抱えていた時代は辛いものであった。大変危険な状況にあったと思うがよくあれほどの渦中をよく乗り切れたものと思わざるをえない。それと較べると、どうということはない。NHKニュースを見る。昨日の日本は春の雪嵐で大変だったそうだ。鎌倉の鶴が丘八幡宮の800年になるイチョウの大木が倒れたという。高知城で最も早い桜の開花があったという。これから朝食の準備。5時38分。7時過ぎ小雨の中傘をさしてアパートを出る。7時半学校へ行きインターネットでメールを見る。子供から思いがけない嬉しいメールをみて早速おめでとうの返事を出す。嬉しいことの近くには悲しいことがあることも知っているのでけして油断は出来ないが今日は喜びを分かち合いたい。9時になった。図書室にいたロメラに声をかけて記念写真をとってしばらくおしゃべりする。9時半から中央の入り口でタウンへ行くバスを待っていた。農業教師のアントイネとおしゃべりする。プロジェクターを欲しいという。この国で新品は20万バツもするという。日本で中古であれば3万円ぐらいで買えそうだ。10時を過ぎても来ないので仕方なく歩く。アパートに着いて、ダリルさんから荷物はアナカンにすれば1KGが255バツで持って帰れると教えてくれる。本当にそんなに安く持っていけるのだろうか。空港にあるAir VanuのMichell 23858を教えてくれる。電話したが10KGで9300バツだという。良く話が合わないので空港においでというので、話を聞きにいこうかと思う。Unacompanied baggageというのだそうだ。昨日もらった硬い木で出来た食物置きは5KGのものであった。マーケットへ出かけて肉、人参、レモン、とダンボール用接着テープと空き箱2個を買ってくる。空き箱1個は20バツである。シャワーを浴び、洗濯をして、2時頃に遅い昼食をいただく。夕食の下ごしらえをする。部屋の床をほうきではき出して日記をつける。4時ごろから向かいに出来た韓国のKIA MOTORのオープニング式典でライブミュージックが始まる。あいにくの雨なので大きなテントを駐車場に張ってやっている。昨年11月のマラポアカレッジの卒業式もバスケットコートに大きなテントを張ってやっていた。6時から同僚と一緒に夕食をして8時ごろまでおしゃべりをしてそれから写真を撮ってもらう。撮影者の声かけが被写体の人物の表情を和らげるのに大切なことを改めて知らされる。パッとしない被写体ではあるが腕のいい撮影者といいカメラによってどんな素晴らしい写真が出来るか楽しみである。そのあと、今日学校で撮った写真をパソコンに落とし調整する。21時23分。これからベッドで本を読んで21時半就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月10日(水) うすぐもりのち夕方から小雨 28 ℃ 湿度 79% 日の出5時48分、日の入り18時06分 バヌアツ滞在671日目 帰国まで12日目
2010/03/10(Wed)
0時になった。これから送別会のスピーチを考える。
今日は昼食会が送別会である。
少しは話をしろと言われるかもしれないので、準備しておく。
マラポアカレッジスピーチ原稿
Malapoa college speech manuscript

How are you everyone?
Today i’m here to appreciate to you all.
I learned hospitality from ni-Vanuatu and I love it..
I’m happy to see that the counterpart teacher and the students were both excellent.
I found my way in this country what should I do when I get back to Japan.
My motto is positive thinking and don’t be afraid to take chances and do new things.
After I returns to Japan, I’m thinking to set up a small business for your country.
I have worked as a systems engineer for 36 years in Japan.
In that long time some customer’s person who worked with me became the president or a director afterwards .
My hope in the future is to support ni-Vanuatu to be a businessman, president, and director in your country.
I made data base of the graduates from Malapoa College since its foundation by relational data base such as MS Access, and made data entry update, establishing inquiry system with RDB Access.
Although it’s not difficult to make program, it’s difficult to prepare accurate data.
I entered from 1966 to 1998 students 2814 students data,but not yet enter until now.
In about first 30 years,I want to ask you some questionsl. Are you OK?
First question is which island is the most student come from?
Please answer top three islands. You know, correct answer is Abmae,Efate and Pentecoste.
2nd question is how many foreign country students enter to this college?
Correct Answer is about 35 foreign countries.
3rd question is from which countries the most students came? Are you OK?
Please answer top four countries. Correct answer is U.K,Fiji,Australia and New Zealand.
I want to ask you a next question.
Who do you think the most important person in JICA Vanuatsu Office?
In my opinion it’s Mrs. Helen who studied in this college and has worked in JICA .
Why I think she is the number one?
Because there is no alternative person for her. I think.
I think the keypoint is her rich information.
She knows all Ni-Vanuatu who contacted with Japan.
I think if you know many information,you can think and try to do many things.
I hope to continue to maintain students data base.

Thank you for your attention.
Thank you very much for your kind assistance and cooperation.
Thank you so much for everything especially principal,deputy principal and Mr Shem..
I’m happy to come to think of VANUATU as my second home.
I wish to do my best for you if I am allowed to have chances again.

2時45分まででスピーチ原稿を作る。この国では思いが伝わればいい。
適当に考えさせる質問も入れれば眠気もなくなるだろう。

今日は夕食時、同僚との送別懇親会である。そこでは2枚の文章を準備した。
一つは「船がつくる波」人との別れを書いた 宮本輝さんの文章だ。
「船が通って行ったあとの、あの静かな二つに別れて離れていく波である。
船と波とは別々のもののように見えるが、波は船から生じたものだ。
謎めいた、人間というものから生じたということになる」
もう一つはここに来る直前に書いた文章である。これを見ると帰国したらまた書いておかなければとも思うが、あまりその気はおこらない。先日は青年隊員から今年のナカマルというJICAバヌアツの歴史ある隊員雑誌の原稿を呼びかけてくれたのだがお断りした。本が出来れば見るし、知り合いにも読んで欲しいと送りもするが、今年はCDのみの配布だという。苦労している姿を親にCDを送っても見れる親は少ないだろうし、人に送ってパソコンを開いてまで見てくれる人はいないだろう。誰も見てくれないものを作る気持ちがわからない。無駄なことはやめたらいいと思うのだが続けるらしい。人に読んでもらうための雑誌ではなく、隊員のガス抜きの意味でCDに封じ込めるようなものだ。CDだけ作ることの無意味さを知ってそのうち本が復活するかやめることになるだろう。インターネットの時代、日本で安くつくり印刷して送るなり、運賃を考えても安く出来る方法はいくらでもあると思うのだが、ここだけで考えるものだからとんでもない見積もりになるようだ。人の目に触れるところにはカラー印刷の本を作って置いているのだがそれを見ると昨年は1人MAX原稿6ページとあったにもかかわらずそれが守られておらず、とんでもない長いつまらない文章も掲載されていた。一人MAX1ページにしてカラー印刷の本を作るようにしたらいいと思う。どんな長い文章でもいいなら編集委員はいらない。3時半になった。これからベッドで「真田太平記10 大坂入城」
を読むことにする。5時起床。朝食をNHK TVのニュースを見ながら朝食をいただき6時半アパートを出る。学校へ出かけ7時前からインターネットでメールをする。NHKラジオを聞きながらこれからブログの更新をする。日本はなごり雪らしい。8時5分シェイム先生が今年最初の11年生のクラスを始めたようだ。
ウィルスに感染したタリスに今日も尋ねると忙しくてデータコピーをしていないというので、代わりにしてやることにする。2つのフラッシュドライブを使い、データをコピーするマシンにデータをコピーする。9時20分 12時15分ぐらいまでで一通りのデータコピーを終わる。11時58分 12時半から昼食会。1時50分に終了。ヘレンさんがJICAオフィスの代表として出席してくれた。思いがけなく硬そうな木で出来た大きなサラダを入れるような物をもらった。
いただいたお土産
バヌアツでは料理を大きな器にもってそれを取って食べるバイキングスタイルが多いが、それ用の取り皿のようである。一体何キロになるのだろうか。これを持ち帰るのはとても無理である。折角いただいた品物を人にあげてしまうのも失礼なことだから明日郵便局から船便で送ることにしようかなと考える。バヌアツの記念の宝物にして代々使っていけそうなものである。14時。
14時45分からウィルスに感染したタリスのPCをXP-Jの導入をする。4時25分まで作業をしてお仕舞いにする。タリスのPCのOSを導入しているのと並行してデータをコピーした代替マシンに空の16GBのフラッシュメモリーを取り付けてデータを一気にコピーを始める。これが3時間かかると出てきたのが2時間ぐらいになったときなんとそのマシンがエラーを出して動かなくなる。IPLも出来なくなる。何とも不運なことである。CDから異音も発生する。以外にタリスがあわてないのに驚いた。フラッシュメモリーに書かれた三分の一ほどのデータでも助かったと言っている。日本人のように何事も悪いほうに考えるのではなく、いいことを考えてよしとするのに感心はするが疲れがどっと出た。ウィルスに侵されていたタリスのPCにインストールはOS日本語版次英語版のXPで終了しOffice2003とPDF Reader、AVG Anti Virusを導入するところまでして終わる。学校からプレゼントされたおみやげ物は重いので今日は学校へ置いておき、明日また取りにきて10時の学校のタウン行きのバスに乗って持ち帰ることにする。また明日と言って学校をあとにする。途中で雨が降り始め濡れる。豪華客船が出航していくのが見える。17時20分アパートに着く。シャワーを浴びて濡れた服を着替えして17時45分アパートを出る。18時前アンカーインに着く。メリリンが迎えてくれた。水曜日でおもったほど騒がしくなく曇ったビラの海辺のテラスで最後に会いたいと思っていた全員の方々とお会いすることができて幸せであった。8時まで同僚のプロはだしの高座に笑わせてもらって、楽しいひと時を過ごさせてもらった。別の同僚が差し入れてくれた心づくしのアイランドキャベツの玉子焼きの太巻き、大根の漬物、新鮮きゅーりのみそづけなどの料理の差し入れも美味しくいただいた。食事はピーハーからケータリングしてくれて、海苔巻き寿司、ポテトサラダなどであった。みなさんの心づくしの会合を感謝してあっという間の2時間であった。最後にこれまであまりこういった飲み会にも参加せず自分勝手な行動をさせていただいたことをお詫びする。でも気が進まないことはしないで過ごしたからこそこれまで2年間の終わりを迎えることができたとも思うとも話す。健康問題では特に精神的な問題が大きいと思いそれを注意してきたこと。最初の任地が人に優しいバヌアツであって良かったと思うこと。今後もSVの試験は受けてみようと思うことなど伝える。1回目はラッキーにもいいところに来れたが、2度目はSVとしての役立ち度合いはJICAで測られてしまっているわけだから簡単ではないだろう。しかしこれまでの経験で不足しているところを日本で勉強して受験資格のある間はチャレンジしてみたいと思う。これまでの社会人人生でも最初からうまくいった経験は思い出せない。しかし2度目3度目の仕事で少しづつ経験を積んで自信の持てる分野をつかむことが出来てきた。自分の考えどおりに仕事が出来た時代は本当に幸せなことであった。みなさんと別れてメンジス組みはおしゃべりをして一緒に暗く濡れた夜道歩いて帰る。シャワーを浴び、ベッドで「真田太平記10 大坂入城」を読んで21時すぎ就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月9日(火) うすぐもり 28 ℃ 湿度 72% 日の出5時48分、日の入り18時07分 バヌアツ滞在670日目 帰国まで13日目
2010/03/09(Tue)
0時目を覚ます。ベッドで「真田太平記9 二条城」を286頁まで読んで4時に起床。ニュースでは鳩山支持率が発足当初の70%から38%に下がって、不支持率が20%から50%に上がったことを報じていた。これは鳩山と小沢の脱税と収賄の問題と普天間の迷走が大きいのだが普天間はこの傾向を変える目玉である。しかしどうやら期待はずれの結果となりそうでありさらに今の傾向に拍車がかかりそうである。4時半からドキュメンタリー20分を見る。高島の寶当神社による島の島起こしを見る。島の320名は全員野崎姓だという。寶当袋など縁起がいいものを商売道具として猫の祈りの姿まで縁起物としているという。ドリンクの名前が「当たるソーダ」。宝くじで島起こしに成功したという。5時になった。これから朝食の準備。残り13日となってそろそろ食材を残さないように使いきるようしよう。小麦粉とスターチをこのところ使わないので残ったままになっている。永谷園のお茶漬け海苔もせっせと使えば使い切る。コンソメスープの素の固形スープは丁度使い切れそう。これからは夕食はうどんを作ることにする。今日はドミトリーへ行って4月1日から3日の東京行きのバスと宿の予約。5時20分NHKワールドで吉野の桜を映していた。桜にも300種類もあって吉野には200種類の桜があるという。山一面の桜が見事であった。吉野を歩くときは杖が似合う。先日昨年の長野県高遠桜を調べてみた。4月6日開花、10日満開、14日散り始め、16日落花盛ん、17日散り終わり。とわずか10日ほどの花の命であった。満開の時期に軽井沢に行って高遠桜を愛でてこようかと考える。4月6日の奈良県吉野千本桜はどのようなところだろうか。5時33分これから朝食の準備。5時40分からSBS TVでNHKニュースを見ながら朝食をいただく。6時半からドミトリーでインターネットをする。NHKラジオを聞きながらメール、ブログを更新してから、4月1日、3日のバスと2日の宿泊予約をする。3月30日の四国八十八箇所お遍路バスツアーも予約する。9時45分まででお仕舞いにする。10時アパートへ戻る。昼まで読書。昼食はお茶漬けとパッションフルーツのデザートにする。昼食後包丁をグラインダーで研ぐ。1時半前に電話会社の請求書と先月支払った領収書を持って出かける。電話会社ではしばらく待たされたが差し出した先月の領収書などをコピーして昨日着ていた請求書は支払わなくてかまわないという事になった。これで本当におしまいだねと確認して電話会社を後にする。わけがわからない昨日の請求書のお金も支払いの準備はしてきただけに得したような気持ちになってしまう。マーケットでバナナを買って肉屋で肉を買う。帰り道バスから顔をだして声をかけられた。運転していたのはセセだった。今日は肉うどんを作ろうと思う。2時半アパートに帰宅。シャワーを浴び、洗濯をしてから15時半まで居間の椅子に身体を伸ばして読書。弟九巻も485ページまで読む。それから日記をつける。これからうどんの生地を作る。肉は薄切りにして甘く煮ておく。15時55分。4時半まででうどんの生地を足で踏んづけて作る。少し固めの生地になった。牛肉は5つに切って煮こむ。煮込んだあと冷えてから薄く削ぎ切りにする。5時までで「真田太平記9 二条城」を読了。5時半からうどんにスターチをかけ細く切って茹で上げる。汁を砂糖、塩、醤油、味の素で作る。肉に玉葱1個を薄切りにして一緒に煮混み肉うどんを作る。夕食後ベッドで「真田太平記10 大坂入城」557頁を読み始める。19時就寝。22時半目を覚ます。ベッドで読書。23時半起床。パッションフルーツを2個いただく。今日の送別会のスピーチを考える。今日は3人が送られる。2人のバヌアツ人女性教師は最年長教師のマラポア3期生1968年入学のレワニさんと5期生1970年入学のマーガレットさんだ。マーガレットさんの同級生だったのが、夫で校長のルイさんであり首相のナタペイであり最初の女性国会議員になったヒルダ リニがいる。こういう人と一緒に送られるのだから光栄なことと思う。1970年は札幌の大学を卒業して霞が関の役所に通産技官として勤めだした年であった。日本は1969年にGNPが世界第2位になって2009年まで40年間その地位を確保していたが今年中にその座を中国に明け渡すという。中国は2020年には1位のアメリカをも追い抜く勢いだと言う。日本は40年間世界にメイド イン ジャパンの製品で豊かさを獲得したが、今のものづくりはどんどん中国に移っていて日本で生き残る工場は難しくなってきている。毎年100以上の工場が閉鎖しているという。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月8日(月) うすぐもり 28 ℃ 湿度 72% 日の出5時48分、日の入り18時07分 バヌアツ滞在669日目 帰国まで14日目
2010/03/08(Mon)
2時起床。2001年ハワイのコンベンションでもらったTシャツを処分して作った巾着の紐を運動靴の紐で作りかえる。3時過ぎからNHKワールドで夕張の医療にたずさわる村上医師たちの姿を見る。「こどもを守ろう。医者を守ろう」ありがとうメッセージなど医者に感謝するメッセージを貼りだして医者のやる気を起こさせる一方、夜寝ないで働くのは医療従事者であれば当然でしょうと言うおばさんがいたりする。そういった体制がとれるところが少なくなっている過疎の医療機関で働く医者にそれをやらせたら過労死するかやめて出て行くしかないだろうにそれをわかっていないおばさんもいる。地域医療に従事するために老人医療に特化した医者を教育する医学部を作ったらどうだろうか。看護師を老人医療従事者にしてもいいかもしれない。医学の分野は広いので医学部6年とさらにインターンなどの実地研修もある。これを4年で老人医療だけに特化して教育する。老人相手が出来るために話術は必須であるが手術の技術は必要ない。老人医療医学部では落語を必修にして話し方を磨く。手術が必要な場合はその設備と出来る医者のいるところに回す。老人は自分の心配を話したがるだろうし、医者の考えを聞きたがるし、薬をもらいたがる。話はよく聞いてあげるのと話をしてあげて、診察が出来て手術などの必要性の有無が判断できれば良い。但し薬は出さない。老人があちこち機能不全になるのは当たり前だからその対処の薬を沢山出すようだが無駄なことである。風邪薬など必要ない。開業医をしている友人が風邪がはやるとうっかりしていると高額納税者にされてしまうと言っていたが、患者が風邪薬を欲しがって医者には見てもらうより薬をもらいにくるのでそうなっている。風邪を治す薬はないそうである。風邪薬には眠たくさせて眠らせる機能や発汗を促す機能などがあるだけのようだ。レモンティーに砂糖を沢山入れ、生姜をすって入れたものを飲んでいればいい。しかし自分が風邪をひくと利かないとは判っていてもわらにもすがる思いで薬を飲むのであるがこの次からは自然療法で対処してみよう。医者であれば誰でも憧れる医者のいない過疎の村で地域医療に首を突っ込むが老人の話を聞いてあげるのが医者の仕事と気が付くとすぐに老人過疎の地域で働く魅力もないことを知って将来の期待もなにも持てなくなるのだろう。そんな地域では子供も少ないから学校も不便で結局子供たちは都会の学校に行かせ、自分は地域の老人に囲まれて単身赴任を余儀なくされることになる。これでは面白くもないし悲劇であり喜劇である。自分では医者にはかからないようにしている。最近の3年間で病院にいったのは、JICAの健康診断と歯の歯石を取ってもらったぐらいだ。日本では国民健康保険が高額なのには困ったものだ。なにも受診しなくても毎月35100円払っていた。今度帰ったらまた支払わなければならないのだろうか。一昨年帰国した際、歯医者で歯石を取るのに100%自己負担で5500円ほどかかった。しかし毎月の保険料を支払うことを考えたら安いものだ。今度は国民健康保険をやめて、任意保険でがん保険や手術保険に入ろうかと考えているが、それが許されるのだろうか?国民健康保険は国民の義務だそうだが罰則は特にないらしい。お金を納めていない人も多いらしい。しかし国民健康保険金が未納につき強制的に差し押さえますと言われても困る。帰国したら地域の役所へ所得証明書をもらいに行き、その後それを役所に提出すると役所が国民健康保険金を通知してくるるらしい。その月額費用を見てやめます。支払いませんとできるのだろうか。私は国民健康保険金を支払いません。自己責任の任意保険でやります。とできるのだろうか。日本は生きていくだけでもお金がかかる国である。以前何五木寛之さんが言っていた。言うまでもなくベストセラー作家で高額納税者であるが何年も国民健康保険を支払い続けているが具合悪くても医者には行かないそうで何年も保険の利用がないので感謝の粗品をもらった。それもしょうもないものをもらったと笑っていた。こういう人には感心はするがまことに国民健康保険はおかしな保険だと思う。5時19分になった。これから朝食の準備。7時アパートを出て学校へ。コンピューター室は開始延期のビラが貼られたままであった。いったいいつから授業をはじめるのだろう。7時半から図書室でインターネットをして過ごす。12時前までインターネットメールをし、ブログの更新をする。校長先生がインド人の新しい統計の先生をつれて挨拶に見えた。握手してインドの人は数学や統計で優れた学者を出してますねとインド人の先生に挨拶をする。校長先生には水曜日の昼食会に出させていただきますと話す。タリスと今後のノートパソコンについて話をする。全てDVDつきが欲しいという。最初にいっていたベーシックな機能だけではもうだめらしい。隣の部屋に居たロメラと目があって笑顔を見る。若い笑顔にこころ寂しくもなる。この次は水曜日に来るといって学校を出る。帰り道途中で最後の紅茶を買って店を出たところでシェイム先生にあう。次は水曜日に来るといって別れる。アパートへ帰り、シャワーを浴びて、洗濯をしてから居間で椅子に身体を伸ばして「真田太平記8 紀州九度山」を読む。3時過ぎで一休みして町へ買い物に出かける。JICA事務所によって郵便物をとる。清子さんから便りがあった。電話会社から請求書がきていた。先月末に支払ってこれが最後かと尋ねて、最後だと言われて支払ったのだがまたの請求である。このようなことがあるかと思って先月末支払ったときよくよくこれで支払いはおしまいですかと尋ねたのだが、心配した結果になった。明日電話会社にこれと先月支払った領収書を持って行ってみよう。マーケットで買い物をして海沿いにアパートへ帰る。シャワーを浴び、洗濯をしてから18時までで「真田太平記8 紀州九度山」を読了。野菜スープを作り、チラシ寿司をいただく。夕食後6時20分から日記をつける。これから「真田太平記9 二条城」545頁を読み始める。6時45分 ベツドで本を読みながら19時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月7日(日) うすぐもり 28 ℃ 湿度 73% 日の出5時45分、日の入り18時14分 バヌアツ滞在668日目 帰国まで16日目
2010/03/07(Sun)
2時起床。今週は10日水曜日のお昼に学校で送別の昼食会があり、夕食時に直ぐ近くのBARである「Anchor Inn」でSV仲間の送別の飲み会がある。Anchorは船などを錨で止める、固定するという意味のほかに、しめくくる、最後をかざるという意味もある。ちょっと賑やかなのはしめっぽくならずにいいかもしれない。ビラの海に面したテラスで最後をかざるのになにをしようかと考える。期待と不安を抱えてやってきたが最初に多くの青年隊員が空港に出迎えてくれて、ビラの海沿いの「Number one Café」で昼食会をしてくれたことを思い出す。青年隊員たちのフレンドリーな歓迎とJICAオフィスでの大勢の歓迎会は緊張していた気持ちを和らげてくれた。2年間を振り返ると受けた好意の多さに比べてお返しすることの少なかったことを思わざるをえない。2年間健康であることは任務を続ける条件だと思うが意外に病気や怪我などよりも精神面の健康の要素が大きい事を知った。これまでの60年間の人生で鍛えられたどれだけ辛抱、忍耐、我慢が出来るかということも大切であった。生きる上での楽しみを持つことも大切であった。まず職場の人と仲良くやっていけるか。仲良く出来なくても好意を持てるところを見つけることが出来るかどうかは大切である。次に職場で自分は何が出来るのか、自分の価値はなにかを見出すことも大切である。自分がいてもいなくてもいい存在と自分の居場所が見つけられないと1日が楽しいものにはならない。日本人は仕事が無くて1週間を送るより、疲れ果てて仕事帰りの一杯や休みの週末を楽しみに肉体的には疲れていても精神的には不安感を持たないような生活に慣れてしまってきている。この国では日本のようには仕事をしない。それでも組織は回っている。民主党は生活が第一というキャッチフレーズで政権を取ったが、この国はまさに仕事より生活が第一が定着している。2年間のこの国の生活でリタイアー後の当面のこれからの日本での生活が見えてきた。
矢張り人のためになること、相手が喜んで一緒になってやってくれること。大きな利益はいらないが利益を出せること。難しくないこと。たえず勉強を続けないといけないもの。この国でビジネスを立ち上げる事を支援して将来人を雇える社長をつくること。を日本で自分も小さな仕事を立ち上げてはじめよう。ボランティアの先輩で自分の教えた生徒がその国の大臣になったと誇らしげに話していたのを思い出すが、たまたまそういう優秀な学校の教師をするチャンスに恵まれれば生徒は将来大臣にもなるわけでその人の指導とは関係ないと聞いていて思った。2年間教師をさせてもらって、この生徒達は間違いなく将来この国の指導者になることを確信した。生徒は選ばれた人たちであり、皆その自覚を持って勉強に来ているのである。教師と公務員以外の就職先をこの国に作ることが今後必要だと思う。幸い長い社会人での仕事では一緒に仕事をしたお客さんの中から、最初一緒に仕事を始めた時には課長補佐の肩書きであった人がその後、常務、社長などにまでなった方々を見てきた。もちろんその方々は努力もされ優秀であったのは間違いないが、その方々は会社の中ではコンピューターでも会社の第一人者と一目置かれたことも選ばれた要素の1つであったのだろうと思っている。今後は日本からバヌアツ人の社長を作ることを楽しみに仕事を続けていこうと考えている。学校の昼食会ではお礼の挨拶原稿を準備して練習しておこう。ここが良いと思ったとおり高等学校の教師を選んだのは正解であった。優秀な生徒を教えるのは楽しいものである。トンガのさえさんみたいに障害児童の養護教員やジャマイカのコジマさんのように知的障害者教育などに比べたらどれほど楽かわからない。教師たちも流石に優秀なひとたちであった。4時10分からNHKスペシャルを見る。Made in Japan
ものづくりが日本から中国にシフトしている。昨年日本の100の工場が閉鎖したという。東芝の超高機能テレビ、3TBを持ち8Chan26時間同時録画が可能という。100万円の価格だという。既に北米ではVISIOというブランドが薄型TVが席巻されているという。台湾資本が中国で起こしたAmTRANという会社は10社以上の他社ブランドのTVを800万台も作っているという。日本向けには32型の薄型テレビが49800円だという。台湾資本が上海で起こしたのQUANTA COMPUTERは従業員6万人を抱え世界のノートパソコンの生産委託を1日10万台、世界の4台のうちの1台はここで作られているという。1日10万台も本当かと思ったので今度世界のパソコンが年間何台売られているのか調べてみよう。5時になった。これから朝食の準備。6時朝食後、支度をして6時16分からドミトリーにインターネットをしにくる。楽しみにしていたNHKラジオはメニューから落ちていて聞けなかった。メールをみて、ブログを更新する。今日は誰か洗面所を使う音がしていたが食堂に顔を出した人はいなかった。7時15分でお仕舞いにしてアパートヘ帰る。9時まで居間の椅子に身体を伸ばして読書する。9時思いついて、寝巻きと椅子のカバーを手洗いしてベランダに干す。9時半教会に出かける。途中10年ぐらいの東海大学の学生さんと会っておしゃべりする。10時5分から礼拝に出る。太ったパスターの話を聞く。11時15分に礼拝を終え帰り際今日司会を務めたエルダーに声をかけられ、帰国の日をたずねらられる。22日月曜日と伝えるとその日の前日の礼拝後送別のささやかな昼食会をしてくれるという。ありがとうと出席させてもらいますと言って教会をあとにする。礼拝後の昼食会は庭でテーブルに並べられる大きな皿にもられた料理を取るバイキング形式で年に数回あり楽しみにしている。思いがけなく教会で昼食会をしてくれるという事に感謝する。デジカメの日付、時間も買った時の昔にリセットされてしまい、修正がきかないので、最後の写真は同僚にお願いしてみることにする。今日は聖歌隊の歌がなかった。時々聖歌隊が講壇の横に座らないことがある。帰りスーパーで買い物をしてウォーターフロンとの海沿いに魚を見て歩いて帰る。
アパートへ帰りシャワーを浴び、洗濯をして昼食は鯛茶づけでいただく。買ってきた肉と人参を下ごしらえしてから納戸の荷物整理をして2度ゴミ箱に足を運ぶ。夕食は魚の雑炊で昨日の魚をすべていただく。夕食後ベッドで「真田太平記8 紀州九度山」を読んで19時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月6日(土) うすぐもり 29 ℃ 湿度 75% 日の出5時45分、日の入り18時14分 バヌアツ滞在667日目 帰国まで17日目
2010/03/07(Sun)
1時起床。レモンティーを飲んでNHKワールドを見る。中国のニュースが多い。人民会議のニュースらしい。13億人の中国の存在感はアメリカに肩を並べるまでになってきた。9億人のアフリカへの進出も目覚しいそうだ。バヌアツでも変らない。急な成長の陰に歪があるのはどこでも同じで多民族国家の中国の将来は
平坦ではないにしろ今や世界の生産工場となってこれからの成長は将来とも変らないことであろう。バヌアツでも日本でもメイド イン チャイナに席捲されてきている。2時半NHKワールドで相模原市のコジマ技研工業の串さし機械をみる。Skeweing machineと言っていた。3時16分 昨日ばらばらにした帽子で使えなくなったところは半そでの開襟シャツ1つを使って部品を作る。結局つばと帽子のよこがわをのこして残りはワイシャツを切って作る。朝食後8時半まででようやく完成する。身体の一部になっているような帽子なので直して良かった。こんなことであれば、帽子もなんとか作れてしまうことを知る。帰国したら今回置き換えられなかった部品も新しくして作ろうと思う。時間は余るほどある毎日が日曜日だからである。こちらへ来るまで同じ帽子を探して歩いたが無かった。作ることなど思いもつかなかった。作る材料には事欠かない。8時半支度をして町へ魚を買いに行く。雨上がりの道をウオーターフロントの濡れた芝生を素足でサンダルで濡れて歩く。マーケットに入った途端とシェイム先生からひろさんと声がかかって食堂から出てきた。どうして奥さんと朝食を食べないのと聞くと食料を買いに来たんだと言っていた。来週水曜日校長先生主催のお別れ昼食会をするからと話があった。校長先生の奥さんでソーシャルサイエンスの教師をしているマーガレットさんともう一人の先生もやめるという。ありがとう、水曜日の昼食会には出させてもらうし月曜日にも学校に出ると伝える。魚を沢山売りに出ていたので1匹買う。600gぐらいの黒鯛に似た魚が400バツであった。
2010_0306_1.jpg
パッションフルーツと生姜と醤油も買って帰る。帰り道で同僚にあってしばらく立ち話をする。アパートに9時50分帰宅。シャワーを浴び、洗濯をしてからレモンティーつくりと魚の煮付けを作る。それから日記。12時になった。これから昼食の準備。簡単に煮魚をほぐし、ご飯に載せお茶漬け海苔の鯛茶漬けとする。デザートは昨日買ったパンプレムースの一番小さいのを半分いただく。16時半までで「真田太平記7 関が原」を読了。どうも厚い文庫本で1冊600ページぐらいあるから読むのに2日はかかる。あと5巻であるからまだ10日かかる勘定だ。これを読み出すと英語も、帰国準備の荷物整理もできなくて困るが仕方が無い。部屋をほうきではきだしゴミを外に出してくると犬が遊びたそうにしていたので、ガーデンに行く。畑を貝で耕す。今は暑いので野菜作りは難しいが大根の種を撒いておこうかと考える。5時足がかゆくなってきたので部屋に引き上げシャワーを浴びる。犬のハッピーも少し運動できたようである。夕食は簡単に昼食同様、魚の身をほぐしご飯に載せお茶漬け海苔の鯛茶漬けとする。デザートはバナナを2本。夕食後日記をつける。今の椅子に身体を伸ばして「真田太平記8 紀州九度山」を9時まで156ページまで読む。この第8巻は626ページである。21時すぎ就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月5日(金) うすぐもり 29 ℃ 湿度 75% 日の出5時45分、日の入り18時14分 バヌアツ滞在667日目 帰国まで18日目
2010/03/05(Fri)
0時半目を覚ます。昨夜見たNHKワールドJentle Journeys Men of Graniteを最初から見る。
茨城県笠間市稲田は花崗岩(Granite)の産地。そこの人々の営みをみる。メールを準備する。
1時からベッドで「真田太平記7 関が原」を読み休む。4時起床。メールを準備する。5時からニュースを見る。平野と北沢が米大使を尋ね、キャンシュアブ陸上案を提案したという。普天間の移設先の検討委員会があったと思うが、これがその結論だったのだろうか。キャンシュアブの海を埋め立てて作るのが2006年の合意案で海の自然を壊すと批判があるので陸上案にしたらしい。アメリカの納得が得られるのだろうか。社民党の代替案も放送されていたが、それらはどうなったのだろうか。今日は朝食後、インターネットをしにドミトリーへでかけよう。5時20分。6時半すぎドミトリーに来てインターネットをする。8時ぐらいまでは使えていたが、青年隊員が起きてくるとみんなインターネットをするようで回線がビジーのようになった。
ちっとも画面が変らなくなった。ビラ在住の青年男女隊員が次々に起きてくる。しかし宿泊簿には離島隊員の名前しか書かれていなかった。他で音楽などをダウンロードされるとインターネットの画面が変らなくなってしまう。隊員が起きてくるととたんにインターネットの応答がしなくなってしまう。遅い回線スピードだから仕方が無い。ドミトリーでインターネットを使えるのは6時から8時ぐらいまでである。9時10分 4月1日からの週末のスケジュールを考える。宿と交通手段を見ようとするがちっとも応答しなくなった。諦めて終わることにする。9時半アパートヘ戻る。少し「真田太平記7 関が原」を読んでから帰国荷物の名札を作ることを思い立つ。来るとき作った名札のソフトコピーを更新して作る。10時21分荷物宛名ラベル作成と印刷、3月23,24日の新宿ホテルのインターネット予約の印刷、26日の軽井沢から大阪のバスのインターネット予約の印刷をする。11時46分になった。これから昼食の準備。昼食後帰国するスーツケース、リュックサック、ボストンバッグに帰国用の荷札を取り付ける。そのあと読書。15時半になって町へ買い物にでかける。アーケットの手前で日本人らしい青年5人がイリリキ島への渡船場でバヌアツ人になにごとか尋ねていた。日本人ですかと訪ねたら、東海大学の学生だという。昨年も来た船で今年も来たわけである。昨年は3月13日に東海大学の学生さん数名を教会にさそったことがある。イリリキ島へ渡るのに金がかかるかを尋ねていたらしい。以前は無料で渡れたのだが、今はここで1500バツの券を買って島でその券でレストランを利用できると説明する。直ぐにじゃそうしようと決まったらしい。日本の大学生にとって1500バツ(1300円)などたいした金ではないのだろう。この国では大人が1日働いて1000バツが普通でもっと少ない稼ぎも珍しくないのだ。いつまで居るのかを尋ねると日曜の午後出航だという。それならもし時間があれば日曜日教会の礼拝においでと勧める。10時からなので9時45分に来るように話して向かいに見える階段を上がった場所を教える。米2kgマーケットで大きなパンプレムースを3個買う。今年もパンプレムースが出始めてきた。日本のグレープフルーツに似ているが苦味はなく甘さが多い。熊本名産の晩白柚(ばんぺいゆ)はバヌアツのパンプレムースとそっくりの見た目と味である。晩白柚は大変高価だが、パンプレムースは今日買ったのは3個で100バツ(85円)であった。3個はそれぞれ1kg,1.2kg,1.3kgで合計3.5kgである。パンプレムースはグレープフルーツのフランス語のようだがこの国の人もこう呼んでいる。
重い果物を3つビニールネットに入れてマーケットに運びたった100バツだから日本では運送費を考えたら利益がでるのだろうかと思うが、手入れもしなくて家の周りの大木で出来るのだから安いのだろう。はじめてこの国にきて見て驚いた果物であった。何よりいいのは日持ちがする。置いておけばさらに甘みが増す。だからこの実はしばらくおいてから食べるのがコツである。実は学校にもパンプレムースの木が沢山ある。時々生徒達がお腹を空かせると学校の敷地のブッシュに入ってバナナを取ってきたり、パンプレムースの実をもいだり、木に登って取ってはお腹を満たしているようである。木には登らないがたって手を伸ばせば取れる実を採って机の中に入れておきしばらくたって外の皮が柔らかくなったらたべると丁度いい。学校でとったパンプレムースの実も家に2個おいてあるのだが、今日見たのは大きくて安かったので買ってきた。
マーケットの傍で女生徒2人と男生徒2人と会ったので手をあげて挨拶した。アパートへ戻りシャワーを浴び、洗濯をする。帽子も洗う。日本でも使っていてよれよれになった帽子を見て一昨年年末に健康診断一時帰国した際にしっかりしたつばの広い帽子をもらってきたのだが、やはり長く使っているものが良くて繕いながら使ってきたが流石に限界になった。捨てようかと思ったが、思い直して、全部解体してみることにした。
解体して部品を取り替えて再構成して作り直せるかチャレンジしてみることにする。夕食後「真田太平記7 関が原」を読んで就寝。19時
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月4日(木) うすぐもり 29 ℃ 湿度 75% 日の出5時45分、日の入り18時14分 バヌアツ滞在666日目 帰国まで19日目
2010/03/04(Thu)
0時半目を覚ます。起きてNHKワールドでようこそ先輩課外授業で子供たちに生け花を教えている番組を見ていると電気が切れた。向かいの建物の明かりも切れていた。仕方なくベッドで横になってヘッドライトで「真田太平記6 家康東下」を読む。そのうち外で明かりが点くようになったがアパートはつかない。2時ごろになってようやく明かりが点く。3時半までベッドで本を読んですごし起床。レモンティーを作り昨日作ったメールを手直しし日記をつける。今日の一日を何して過ごすか考える。学校でインターネットが使えたならば、プロジェクターを調べてみよう。学校では2台欲しいらしい。バヌアツに来てからの2年のメールをくれた方々のメールアドレスの整理と日吉の件でやることはないか考えてみよう。もう4時41分まだ真っ暗なのにニワトリの時の声が時々聞こえてくる。朝食後NHK日本語ニュースを見る。東北の1500mの山に登山した60代と70代の3人が登頂後下山の道に迷って雪の中に穴を掘って2日間過ごして生還したニュースを見た。じっと動かず体力を消耗しないようにしたことが生還に繋がったと報じていた。6時45分アパートを出て学校への途中アンブりムから来ている12年生の女生徒と一緒におしゃべりをしながら学校へくる。11年生からマラポアに入ったそうで、10年生のナショナルイグザミネーションは7科目だったという。1.英語、2.フランス語、3.数学、4.アグリカルチャー(農業)、5.ベーシックサイエンス、6.ソーシャルサイエンス、7.テクノロジーだったそうだ。毎日家に帰って2時間ぐらいは勉強するという。アンブりレムにはご両親と兄弟2人、姉妹1人の家族6人だという。ポートビラには親戚の家に住んでいるという。いつも学校の行き帰りバスに乗らずあるいている。インディペンデントパークの近くに住んでいるという。大方片道45分ぐらいはかかりそうである。去年も一人で歩いているところを良く見たがアンブりムの村に1つあるプライマリースクールを出てマラポアカレッジに入ったのは彼女一人だけだったそうだ。ポートビラには9年生から来て10年生の試験で11年生からマラポアカレッジに来て今年12年生である。アンブりレムには毎月船で帰るという。船は途中エピによって2日かかるという。アンブりムのほうがビラより好きだ。季節は秋が好きだと言っていた。学校で別れてコンピュータ室の扉を見ると、コンピュータ室をクリーンアップしているからクラスの開始を延期と書いてあり、いつ始まるかかかれていなかった。メールを送信して日記をつける。8時タリスが出てきて、昨日図書室をオープンしたら沢山の生徒が来て忙しかったのでデータのコピーが出来なかったと言っていた。ウィルスに感染していて危険な状態だから早く必要なデータのコピーをとるように言っていたのだった。本を探しに来た女生徒がとてもいい香りがしたので、いい香り、香水と聞くとサンキューと言って笑顔を見せてくれた。髪には白い花を挿していた。11時近くまでインターネットをして下校する。コンピュータ室を覗くとパソコンの前に座っている生徒がいた。暑い日照りのなか下校する途中携帯が鳴った。先輩からであった。気をつかっていただく方がいて有難いことである。アパートへ帰りシャワーを浴び、洗濯をしてから野菜スープをつくり、昼食はおにぎり3個いただく。昼食後居間の椅子に座って「真田太平記6 家康東下」を14時40分までで読了。この中で記憶していたい文章を写しておく。489頁 (岳父)本多忠勝は「いつにても、わしが役に立つことあらば遠慮のう、申さるるがよい」と信幸にいってくれた。518頁 織田信長は妻の実家の内乱に乗じて美濃へ侵入し、ついに稲葉山城をわがものとしたのである。そのとき、信長は「周の文王、岐山(きさん)より起こりて天下を治む」の故事にちなみ、その岐山と、孔子の生地の曲阜の一字をとって、岐阜の名を城につけた。織田信長の、「天下平定」の夢は、このときに生じ、以後は、その現実化に向かって驀進することになる。アパートを出て、JICA事務所の郵便だなを覗き、町へ買い物に行く。円は先週よりさらに高くなっていた。買い物をして海沿いを歩きアパートへ帰る。シャワーを浴び、洗濯をしてから肉と人参の下ごしらえをする。5時半からはNHKワールドでJentle Journeysを見る。このテーマ音楽がいい。日記をつける。今日も夕焼けが美しい。 これから夕食の準備。
18時20分 20時まで居間の椅子に身体を伸ばして読書。それからベッドで就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月3日(水) うすぐもり 29 ℃ 湿度 78% 日の出5時45分、日の入り18時14分 バヌアツ滞在665日目 帰国まで20日目
2010/03/03(Wed)
夜中目を覚ます。「真田太平記(五)秀頼誕生」を読了。このなかで秀吉が醍醐の花見を終えて伏見城に帰って詠んだ有名な辞世の歌が出ていた。(244ページ)
「つゆと落ちつゆと消えにしわが身かな
なにはの事もゆめの又ゆめ」
こののち8月に63歳の生涯を終えている。日本史上だれもが知る秀吉がわが身をつゆにたとえ
作った大阪城などもゆめのようにはかないものと言っているのが最後の気持ちと知り人生を学ばせてくれる。翌年若いときからの仲間であった大老の前田利家が3月に大阪で62歳の生涯を終えている。60歳から新しい自分の人生のはじめと考えることにした。幸運にもチャレンジの場を与えられ2年間を終えようとしている。先月で62歳になった。もう秀吉の時代であればそろそろ辞世の歌を考えなければならない歳になった。
しかし、この国でこれからの日本でやることが見えてきたのは有難かった。昨日カウンターパートの先生が最後の報告書に親切なコメントを書いてくれていた。あまりスキルもなく、英語も下手にもかかわらずなんとかこれまでやらせてもらって感謝あるのみである。私の最後のレポートに書いてくれたコメントをここに書かせてもらっておこう。
Hiro has been an outstanding teacher and technician.
He has enabled the computer studies department to complete last year's program
and has helped in getting the computers ready for this year.
His positive work ethics and good attitude has helped the department and
his efforts are very much appreciated. シェイム サイモン
身に余るコメントであり、嬉しいものであった。
よくこれだけの英語がすらすらと書けるものだとこの国の人の英語力に感心せざるをえない。
「つゆと落ちつゆと消えにしわが身かな ヌーナの事もゆめの又ゆめ」と辞世の歌に出てくるかもしれない。
この国に美味しいまぐろや黒鯛の刺身がときどき魚屋で売られると聞いた。来た当初は何度かその魚屋に行ったものだが一度もそれを目にしたことがなかった。午前中に行かねばないらしい。明日は午前中尋ねてみよう。帰国までに美味しい刺身に出来そうなものが手に入るようだったら、同僚、先輩方と美味しい炊き立てご飯でいただきたいものだ。今は大根をマーケットで見かけないので刺身のつまは、キューリを細く切るか、玉葱で代用してもいい。とても美味しいマグロの中落ちが売られることもあるとも聞いた。帰国までの楽しみの一つである。帰国で持ち帰る荷物の目処がついた。ヌーナの海岸で拾った貝がら、ココナッツの実で作ったフラワーバスケット、バヌアツ地図のテーブルクロスなどと本を入れたスーツケースで23Kgつくり、これを預け、機内持ち込みはリュックサックとボストンバッグに7Kgのまだ寒さの残る日本で着るものを詰め込むことにする。2台のパソコンもプリンターもDVDも双眼鏡も携帯も生活道具一切はこの国の人へ置いていくことにした。2台のパソコンはこの国のパソコン事情に合わせて古い物を持ってきた。OSはWindows2000でインターネット検索ソフトはRel.5を使っていた。一昨年から新たにインターネットで5回の報告書が提出できるようになった。流石に開発ではRel.5のインターネット検索ソフトではテストしていなかったようで、自分のソフトでは動かないものがあった。その後Rel.5でも動くように対応してくれたが、一時帰国の際、OSはWindowsXPにしてインターネット検索ソフトはRel.6にした。それでも使っているノートパソコンは現役で働いていた時に使っていた10年前のモデルであるが、DVDで映画も見れるし、バッテリーも現役であり2年間何の故障も起こらなかった。そのかわり取り扱いは丁寧にしてよく埃や小アリをハケで払うようにしていた。他の先生方のパソコンより薄くて軽くてキータッチが優れていてこの国では今でも人気が高いが日本で使っている人はいないのではないか。日本ではやはり10年前に仕事で使っていたパソコンを娘が2年前まで辛抱をして使っていたが、大学進学のおり新らしいものを買ってVistaにしていた。碁石・碁盤・持って帰らない本はドミトリーに置いていって使ってもらうことにしよう。
昨日はもう一つ送別会の案内があった。以前シニアの集まりだと聞いていたので参加する考えでいたのであるが、だれかれ問わずからかう癖が出てしまう青年にも案内していることが残念だった。後味の悪さが残ってしまうのである。会場は静かに話が出来るところが良かったがどうやら大声を出さないと聞こえないぐらい賑やかなところである。しかし折角考えてくれたものだから、参加させていただこうと思っている。3時20分になった。英語の勉強を少ししてベッドで休む。5時起床。ご飯のスイッチをつけて、野菜を刻み野菜スープを作る。コンソメスープの素も帰国までに丁度使い切りそう。お茶漬け海苔はまだまだある。朝食後お天気になったのを見てベッドのシーツとマクラカバーを手洗いする。ついでに置いていく靴の汚れをとる。
2010_0303_1.jpg

昨日見た便りでは3月23日の帰国の日は東京の桜の開花日だと2月15日に気象庁が予報したという。日本での新しい日々を桜が向かえてくれるようでラッキーである。その2週間後の4月6日は吉野千本桜をめでに娘と散策する予定。今日はメールで4月の男の料理教室を申し込んでもらうよう頼んでおこう。8時32分。
メールの準備と写真の取り込み。間違って日時を最初にリセットしてしまったようだ。これからドミトリーへ出かけてインターネットが出来るか見に行く。9時51分。
10時すぎドミトリーに行くと離島から青年隊員がきていてインターネットが使えないと言っていた。おかしいな昨日見てくれたはずだがと言ってやってみると接続出来るようになっていた。メールの返信などをしてブログを更新して11時15分お仕舞いにする。青年隊員が洗濯機が昨年から壊れて使えないと言っていた。スタッフは皆そのことを知っているのだが直してくれないとこぼしていた。言葉だけではなくメールでちゃんとお願いしないとだめよと言ってみたが、どうもしっかり問題を伝えて解決をお願いしていないようだった。どうも青年隊員はJICAオフィスに物事をお願いするのを遠慮しているようなところがあるのかもしれない。あるいは言ってもネガティブな答えしか帰ってこないからと、最初から諦めているのかもしれない。インターネットが繋がらない問題はメールで依頼して、TVLに連絡して現地で見てもらい繋がるようになるまでお願いしてから3日で解決している。明日洗濯機の件はメールをしておこう。11時15分魚屋に行くと大きな赤身のマグロがあった。それを切ってもらい氷を袋に入れてもらい手に持って帰る。わさびと醤油で玉葱のスライスを水洗いした刺身のつまで久しぶりにマグロの刺身で昼食をいただいた。12時45分タリスから電話がある。学校には必要であれば電話してくれたら行くからと言ってある。明日学校へ出かけることにする。午後シーツをベッドに敷きこみ枕カバーを取り付ける。午後は「真田太平記6 家康東下」を読む。夕食は6時チラシ寿司。夕食後、メールの準備をして日記をつける。6時半夕日が美しかった。写真をとる。日時が変わってしまい修正しようとするが、画面が見れないので直せない。仕方ないのでそのまま使うことにする。これからベッドで読書。18時46分 19時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月2日(火) うすぐもり 28 ℃ 湿度 80% 日の出5時45分、日の入り18時14分 バヌアツ滞在664日目 帰国まで21日目
2010/03/03(Wed)
1時半目を覚ます。3時半までベッドで読書。起きて4時NHKワールドを見る。ハイチに続いて、チリ地震で津波の被害と地震の被害を報じていた。5時にご飯のスイッチをつけてお汁を作り始める。7時10分アパートを出ると小雨が降っていたので傘を取りに帰る。傘をさして歩くと途中で雨がやむ。7時35分コンピュータ室のドアが開いていたので、中ヘ入って見るとシェイム先生がいた。明日からクラスを開始するという。テーブルの拭き掃除をして教材の手伝いをして8時15分図書室へ行く。5号報告書の添付資料をメール添付で提出する。メールの返信などをする。タリスとおしゃべりをする。タリスのノートパソコンで図書室のプリンターを使えるようにしたいと言うので、HP2280プリンターのドライバーをフラッシュドライブでコピーすると、ウィルスの影響でフォルダーサイズが1.41MBに変えられてしまう。プリンターを使えるようにするより先にシステムの入れ替えが先だと話し、データのバックアップをして他のコンピューターにコピーすることを勧める。前から同じ事を言っているがちっとも先へ進まない。そのうちシステムが動かなくなって何とかしてくれと言い出しそうだ。かれのシステムは3ヶ月ぐらい前に1回システムの再導入をしてやっている。その時はバックアップを取っていなかったがIPLも出来ない状態だった。今はウィルスに感染していて危険な状態である。早くバックアップを取ってシステムを再導入してウィルスの無い状態にしないと危険である。ブログの更新をしていた12時45分今日最初の停電が起こる。照明が消え、エアコンが止まり、ラジオも聞けなくなって、今日もこれで店仕舞いにすることにする。図書室からは女生徒の朗らかな笑い声が聞こえてくる。暗い中でこの日記をつけてきたがこれぐらいでお仕舞いにする。12時50分 コンピュータ室を覗いてシェイム先生にさよならをしてアパートへ。13時30分アパートに着くと昼休みをアパートで過ごしていた同僚と会っておしゃべりをする。暑くて汗をかいて目が覚めるとのことで、天井のファンを一番弱くして寝ると汗をかかなくなったと披露する。荷物を部屋に置いて電話、防犯アラーム、本を持って出かける。JICA事務所の手前の交差点で車の接触事故があったらしく、かなりくたびれたトラックの運転手が、バスの運転手に飛び掛り、運転席から引きずりおろそうとしさらになぐりかかっていた。トラックには凹んだり傷ついた箇所がわからなかったがバスの方はかなり側面に凹みが見えていた。普段おとなしく見えるバヌアツ人であるが、まるで人が変ったような激しさに驚いた。外国で車を運転していて事故にあった時は、どんなことになるかわからないから逃げろと教わったものだが、今日のトラブルを見ていると確かに一人で対応するのは危険であることがわかる。幸い2年間車とは無縁の生活をしていてその不安はなかった。帰国が近づくと不思議に事故や盗難、物の紛失など身の回りでトラブルが起こりがちと聞いていたが今日は思いがけない怖い場面を見てしまった。2年間これまでそういうトラブルとは無縁の生活を送れてただただ幸せだったがこの先あと3週間ある。まだ油断できない。JICA事務所によって、最終5号報告書の添付資料オリジナルを提出し、借りていた防犯アラームを返却する。昨日メールでお願いしたドミトリーのインターネットの接続をTVLと今ドミトリーでやっているところと聞いた。郵便だなに清子さんの手紙があった。図書室で手紙を読む。思いがけない訃報の便りだった。しばらく便りが無かったのでどうしたことかといろいろ考えていた。昔札幌の恩師がしばらく便りが無くてどうしたことかといろいろ考えていたことを思い出す。重病にあって大手術をされたあと長く療養されていたことをあとで知ることになった。申し訳ないことだった。いつもお元気で病気などとは思いもしていなかった。この度はさぞ気落ちされていられることだろうがお元気になられることを願わざるをえない。借りていた本を返却して新たに3冊かりる。マーケットとボンマルシェ、SPARなどで買い物をして海沿いにアパートへ帰る。マラポアの制服を着た生徒を見ると寂しくなる。残り3週間を生徒とコンピュータ室で過ごしたいとも思うが、ご苦労さんではあるが、シェイム先生に後はお願いして大人しくしておこうかとも思う。シェイム先生はコンピュータクラスは明日からと言っていたが明日から言葉通りに始められるだろうか。4時に朝入港してきた、「Pacific Princess」が出航して沖合い左の方向へ曲がって行った。ほうきで部屋の床をはきだし、ベランダもはきだし、シャワーを浴び、洗濯をして、肉と人参の下ごしらえをして野菜を刻み、夕食の野菜スープを作る。夕焼けを見ながら夕食をいただき、デザートはパッションフルーツを2個いただく。そのあと日記をつけて現在19時19分。これからベッドで読書で就寝。19時半就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ