FC2ブログ
3月31日(木) 晴れ カトマンド ネパール7日目
2011/03/31(Thu)
日本は震災と津波の被害で避難所生活の長期化、電力不足による企業活動への影響も深刻化しているという。夜中何度か目をさましたが下痢は昨日の朝4時以降は止まっている。寝汗をかいたので下着を替える。2時起床。日記をつける。これから今日のネパール語の宿題を作る。ネパール語の宿題は新しく習った単語を使った文章を作ることと、日記をかくこと。2時半 5時まで復習と宿題を終えてブログの更新をする。6時半朝食。朝食後英文メールの返事を下書きする。8時15分までにネットが繋がりバヌアツへメールの返信をしておく。8時15分全員揃ってネパール語学習の教室のあるディリバザールへ向けて出発。気持ちの良いお天気のもと約30分で着く。今日はグムネ:散歩をしながらネパール語の学習をしようという企画だそうで1日歩くのかと思っていたらマイクロバスに乗って最初は、カトマンズ中心部から郊外へ行くバス乗り場の見学に行く。次いで250年前の支配者だったチェットリ族の王様が作ったというダルバル広場にある王宮を見る。日本の城ぐらいの大きさの建物であった。現在は博物館になっている。鉄砲を下げた兵士がいたので聞いてみるとイギリスの用兵で有名なゴルカ族だということであった。写真を撮る了解をもらってスマイル スマイルと言って撮る。ここで映画「ローマの休日」にあった白い階段があったのを思い出した。今日は「カトマンドの休日」という映画を作ってみたらもっとカトマンドに観光客を呼べるのではないかと単純に考えてみた。もちろん日本の青年教師とネパーリー 王族のスンダリ ケティとのロマンスである。クマリという女の子の生き神様というのを見る。この坂道で人間の身体の倍もありそうな荷物を頭で担ぐ人を見て写真を撮る。ここでレモンを売る露店があったのでネパール語の美人の先生が自分に任せておけというので付いて行くと2個10ルピー、約12円で買えた。次いで郊外の丘の上にあるチベットラマ教のお寺があるスワヤムブヌに行く。ここからはカトマンドの町が一望できた。この階段の端には物乞いをする貧しい気の毒な人たちが大勢いた。この後道沿いのレストランで食事をとる。店の中は電気が消えていて暗かった。レストランや店の中が明るいのは日本だけで、バヌアツもネパールも電気が点いていないほうが多いようである。次いで池の上に寝ている仏像を見て、市内の繁華街のボーダンナにある大きなラマ教の寺院であるストーパを見る。寺を出たら散髪屋があったので料金を聞いてみたらなんと80ルピー約94円だという。子供のころの散髪料金はたしかそんなものだった。今では1000円ぐらいが1番安いぐらいだろう。5時前ネパール語学校に戻り解散となる。今日はここまで時々腹が痛くなることがありその度に腹をさすっていたが、心配していたトイレに行きたくなることは1度も無かった。歩いて帰る道すがら砂糖1Kg62ルピーと紅茶をティーバックで100pを110ルピーで買って5時過ぎ木戸ホテルに帰る。女主人に青年隊員で風呂に入りたい希望があるのだが入って構わないかと尋ねた。以前は宿泊客以外の利用を受けていたが停電が長くなってからお断りしているとのことだった。部屋に戻りやっと昨日の早朝以来ようやく普通の便と小便が出てホットする。小便も朝6時以来約11時間ぶりである。こんな長く小便が出なかったのはヤド チャイナ:思い出せない。下痢の脱水症状で小便に回らなかったのかもしれない。ホテルに戻ってから少し食べ物が欲しくなり外に買い物に出かけてパン25ルピーを2個とドーナツ1個5ルピーと水1リットル20ルピーとスプライト500ml50ルピーを買って帰る。6時から日記をつける。ホテルに戻ったとき1階の風呂が空いたら知らせてくれとホテルの従業員に伝えておいたのだが、連絡が無いので下りてみると丁度風呂が空いていて入って構わないという。熱いお湯につかり、洗髪してひげを剃る。おとといは何度もトイレに行ったのでお尻がひりひりしていただけに熱い風呂に入れたのは有難かった。体重を計ったら64Kgで駒ヶ根の時より1Kg減っていた。7時半部屋に戻りレモンティーを飲んで日記をつける。21時就寝。
03315.jpg
03317.jpg
033110.jpg
033113.jpg
033117.jpg
033121.jpg

スポンサーサイト



この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月30日(水) うすぐもり カトマンド ネパール6日目
2011/03/30(Wed)
2時起きて水分を補給せねばとペットボトルの水を沸かす。しきりに玉子の腐ったようなゲップが出てくる。2時42分これから紅茶を飲む。水には気をつけて飲まないようにしていたが食べ物が消化できずにお腹をこわしたのかもしれない。お茶を作るのも億劫になったがポットボトルの水をポットでわかして3時お茶を飲む。4時まで昨日の復習をするがわからない単語がいくつかあったので今日聞くことにしよう。4時からネット作業をしようとしたがインターネットに繋がらなかった。ベットに5時過ぎまで横になり5時15分起きる。ネットにつながったので火災保険金を振りこみ処理とメールをしてからブログを更新する。6時半からの朝食でははじめてパンとコーヒーとゆで卵をいただく。朝食後ホテルの女性ご主人にサノティミのアパート情報を教えてもらえないかと話をする。7時半部屋に戻り、日記をつける。この時間ネットには繋がらなかった。
8時15分木戸ホテルを出発して調整員さんの先導でネパール語の教室まで約2Kmの道を30分かけて歩く。すがすがしいお天気で気持ちが良かったが歩くのが少し億劫であった。ネパール語のクラスではネパールジーから3名にこれまでの単数表現に加えて複数表現の仕方を学ぶ。次いで先生が変わりムナジーから新しい単語を学ぶ。ついでムナジーと1対1のコミュニケーションでいろいろ質問する。ダンネバードという言葉はネパールではあまり使わないと聞いたがどうなのか?ネパール語のアクチェール:文字は読み書きするのに難しいのではないか?ネパールから出稼ぎによく行っている国はどこなのか?ダサインの祭りにはふるさとに帰るのか?ふるさとはどこなのか?タライ地方の東の端だと言っていた。バスでは夜6時に出てあくる日の7時か8時につくのだという。お金がかかるが飛行機では1時間で行けるという。土曜日が休日で金曜日は半ドンだということも聞いた。これから毎日1対1コミュニケーションがあるのでなにか聞きたいテーマを考えておく必要がある。昼食は近くの店で菓子パンとマンゴージュースをいただき、朝のゆで卵の1個:ウシネコ アンダ
をいただく。午後は先生が変わり新しい単語を聞いてから、プレゼンテーションを5分から7分する。これまで行った旅の話をする。先輩もお腹が痛かったようでいつもの元気がなかった。3時半終わってから先生がレモンジュースを作ってくれたので先輩と2人で美味しくいただく。それから朝来た道を2人で歩いて帰ってきたがお天気で気持ちが良かった。ホテルに帰るとそのままベッドに横になり就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月29日(火) うすぐもり カトマンド ネパール5日目
2011/03/30(Wed)
2時過ぎ目をさます。やはりインターネットが繋がらなかった。IPLをやり直してみたがやはりインターネットが繋がらなかった。2時半からネパール語の復習をする。4時までしてインターネットをしてみるが、やはり繋がらない。外から雨音が聞こえてきた。雨季は6月から9月というが、普段の3月、4月は暑くなると聞いたが今年はそうでもない。カトマンズに着いた25日の昼過ぎは暑かったが以来あまり太陽が照らない。
4時半就寝。6時起床。外の雨はやんでいた。朝は小鳥の鳴く声が良く聞こえる。インターネットに繋がってメールの返事をしておく。6時半朝食。ご飯と味噌汁をいただく。朝食後8時35分まで部屋でネパール語の復習。8時45分JICAの車で2つの場所にネパール語の現地学習に向かう。木戸ホテルから1.5Kmほどのティリバザールという場所のおしゃれな高い住居の建物が並ぶ一角の小さな教室で青年と一緒の4週間の研修が始まる。今日はネパール先生とアヒカリー先生がネパール全般の事柄について日本語もご存知なので時々日本語で話したが、ほとんどネパール語で教えた。最初に簡単なジャーンツ:試験のようなことをして最後に3つのチームわけがされた。昼食は近くのレストランでカレーをいただいた。ルーは少し唐辛子の辛味が強かった。米はタイ米のようにほそなががった。午後3時半で本日の授業が終了して明日から3つのチームに別れてネパール語の授業が行われる。4時にホテルに戻って5時まで一休みをして駒ヶ根で教わった先生のお宅の夕食にお呼ばれしてお尋ねする。17時2台のタクシーを呼んで先生が連絡のあった場所までラッシュアワーで大渋滞の中をしばらくかかって行く。タクシー代は130ルピー。訪問する手土産のお菓子と自分たちの飲むビールを冷えていなかったが買う。そこから指定された場所がわからずうろうろする。やっと電話が繋がり最初着いた場所まで迎えにきていただく。ようやく先生の実家のお店について5階建てのビルの最上階にある食堂にお邪魔する。お姉さんお二人とそのお嬢さんが準備してくれたネワールの料理をいただく。デザートにはヨーグルトをいただき美味しかった。20時ごろまで歓談をしたがこの日、5時出かけるころからお腹の具合が悪くなりホテルに帰って下痢をした。風呂に入ってベットに横になったがしばしば来る腹痛でトイレに数回行って下痢を繰り返す。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月28日(月) うすぐもり カトマンド ネパール4日目
2011/03/28(Mon)
昼食がご馳走だったのであまり腹はすいていなかったのだが夕食用に買っておいたパンとコーラをいただく。
それから日記をつける。メールを見てブログを更新する。今日は9時半にJICA事務所に出かける。銀行口座開設手続きや予防接種などがある。3時に電気が切れる。しばらくして又つく。4時に起きる。6時半までネパール語の復習をする。6時半朝食。いつものご飯と玉子のスクランブル、ひじきの煮物、漬物、味噌汁をいただく。たらこのふりかけでお代わりを2回する。8時40分仲間と3人で歩いてJICA事務所までマスクをして歩く。約30分で着く。2階にはマレーシア大使館があり3階と4階にJICA事務所がある。今日は3階のセミナールームで航空券とE-チケットの提出。銀行口座開設のための書類作り。ネパール人スタッフの紹介。車で渋滞した道を車に乗ってネパール インターナショナル クリニックへ腸チフス予防接種を受けに行く。帰り道フロントガラスに雨が落ちてきた。昼食は1時半からJICA事務所の近くのレストランでいただく。大皿にチャーハンと好みのカレーをとってもらい、清潔な感じのテーブルでいただく。コップに入れられた水には口をつけなかった。その後2時から安全対策の手引き。3時20分から生活オリエンテーション。4月中にアパートを探して5月から新居で生活を始めれるようにということである。明日からはネパール語の研修が開始される。週5日間が4週間の予定で4月22日が最終プレゼンテーションである。その後1週間JICA研修とネパール省庁表敬訪問を経て4月29日配属先に行きそこから実際の仕事が始まる予定である。本日のオリエンテーション終了後、担当調整員さんに挨拶をして住宅について尋ねる。その後健康管理担当さんと面談後JICA事務所を出て、近くのナマステスーパーで買い物をして、昨日行ったレストランでパンを買い、りんごを買って木戸ホテルに帰る。夕食をいただいてからメールをして日記をつける。インターネットが繋がらなかった。21時ごろベッドに横になり就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月27日(日) 曇りのち小雨のち晴れ カトマンド ネパール3日目
2011/03/27(Sun)
夜中1時半目をさます。今日も犬のほえる声が外から聞こえてくる。ホテルは自家発電で電気を各部屋に供給しているのでこの時期の長い停電にはあまり困らない。これから写真の整理とメールの送信とブログの更新。
3時半ごろから電気がすっかり消えたのでベッドで就寝。5時40分発電機の音が聞こえてきたので電気がついた。インターネットも使えたのでしばらくメールとブログ更新をしたが途中から使えなくなったので仕方なく後ですることにする。6時10分 気がついて見るとPCのAS電源が入ってなかった。電池は99%から53%になっていた。古いPCなのでフル充電で1時間程度使えることがわかる。6時ぐらいから外は明るくなる。今日はうす曇である。昼間は暑いが朝はすがすがしく少し寒いぐらいである。6時半から1階で朝食をいただく。ご飯と玉子は目玉焼きにしてもらう。大根おろし、小松菜のような野菜のおひたし。つけもの、味噌汁、昼食後のコーヒーをいただく。朝食後7時半から日記をつける。10時から電波時計の時計合わせ方を調べる。結局あわせ方がわからなくてあきらめる。11時半迎えの車2台にシニアとその家族計16名が乗って所長の自宅を訪ねる。日曜日から1週間の仕事が始まるネパールである。学校も役所も日曜日は休みでない。JICA職員は日本と同じ休みにしているので土日は休みである。JICAボランティアは任国の休みに合わせるのを基本にしている。カトマンド市内の地図を見ながら車の進行を見て今どこを走っているか確かめる。こんな時間にもかかわらず高校生らしい制服の生徒が数人で道を歩いているのを見て今の時間何故歩いているのか不思議であった。狭い道をくねくね曲がりながら、時には対向車が来るとすれ違うのに数センチでかわす運転手の妙技に関心しながら、突然飛び出すバイクや自転車にヒヤッとさせられながら所長宅に到着。敷地の中に数台の大きな車が駐車できるスペースと複数のネパール人が居た。自宅の居間には30名ほどの人の為にソファーがそろえられていた。エベレスト ビールという缶ビールをいただき各自大皿に巻き寿司、ポテトサラダ、ご飯とカレー、煮込み鶏肉などのご馳走を取りいただく。先輩のシニアの話を聞きながら食事をする。食事のあとデザートのチーズケーキとパパイヤをいただく。シニアの話題はもっぱら住まいの話が多かった。良い住まいの条件は大家がいい人であることのようである。早速良さそうな住宅の情報を前回に続いて派遣された先輩シニアから聞いて見学をする日取りなどを話している人も居た。先日は前回の隊から歓迎会の夕食をご馳走になったが、既に活動をしている先輩シニアから住まいの情報を聞く機会があればと感じた。若い青年との話題は火曜日から始まるネパール語の研修の話しで、たくさんの宿題が出されるというのと、毎日日記を書かされるというものであった。所長は新任のところを回ってインタビューをしながらアドバイスもされていた。外国からの援助を国づくりの柱の1つに組み込んでいるこの国はそれを当然のこととしている援助なれのところがあるとは、これまでにもよく聞いた話である。あれこれ注文は多いらしい。前回はおねだりをされたという記憶はないが、今回はそれが出て来ることがあるらしい。最初にこれまでの前任のシニアのどういう活動が助かったか、どういう支援を期待しているのかなどをしっかり聞いておくことが必要だとあらためて思い直した。3時過ぎに中庭で全員の記念写真を撮って木戸ホテルまで車で送ってもらう。木戸ホテルでは1階のお湯の1番風呂に入って汗を流す。4時過ぎホテル周辺に買い物に出かける。交差点では停電で信号がついていないので、婦人の交通警察官が手信号で交通整理をしているのを感心して写真に撮る。排気ガスのなかでマスクをしている警官も多くいた。周辺の店をいろいろ覗き、きれいな店を見つけて夕食の材料を買ってホテルに戻る。このころまだ暑かったので布団をかけずにベッドに横になるとすぐ寝てしまい、目が覚めたのは7時半になっていた。少し寒気がしたのでふとんをかけて又寝なおす。目が覚めたのは0時半であった。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月26日(土) 晴れ カトマンド ネパール2日目
2011/03/27(Sun)
夜中に何匹かの太い犬の鳴き声がしていた。毎年カトマンドでは犬にかまれる隊員が沢山でるとの話が昨日あったことを思い出す。4時10分突然音を立てて電気が切れた。どうやら計画停電になったらしい。真っ暗になったので仕方なくベッドに横になる。6時前電気がついた。6時45分1階に朝食に出かける。洗濯物はホテルで無料で洗濯してくれるというので下着をフロントに出しておく。味噌汁と大根おろし、トマト、白菜の煮物、オムレツとごはんという朝食でご飯は1杯おかわりをいただく。お茶をいただき朝食後はコーヒーもいただく。コーヒーも無料だという。これらのサービスはネパール人の従業員がしてくれる。TV放送局の指導をされているという専門家の方とテーブルが一緒になり、おしゃべりをする。トンガでも仕事をされたというので尋ねてみると同期のさえさんもご存知であった。8時からネパール語のTVを聞きながら日記をつける。ネパール語の意味の全体を把握は出来ないのだが言っている単語と構文は聞いたことのあるものが多いのでその意味が頭に入っていたらかなり理解出来そうであった。英語のニュースなどでは早口で何をいっているのかさっぱりわからないということがあるのだがネパール語ではそれはない。日本語のアナウンサーの話すスピードと同じような速さでもあり単語と構文の意味がわかればかなりわかりそうでもある。写真を読み込んで編集をする。9時半調整員さんが迎えに来てくれる。時計の時間あわせが間違っていたので集合に少し遅れてしまった。最初に美味しいパン屋さん「フジベーカリー」を見る。続いてネワール族の3つの王朝の1つというマンガル バザールという世界遺産にも登録されている古都の建物群を見る。次いでスーパーマーケット「ナマステ」をたずねる。ここには電気炊飯器が1300ルピーぐらいからあった。その先200mには緑色のビルに「セルウェイ」というもう一つのスーパーがある。次いでグリーンウィッチ ウィラードホテルの向かいのドミトリーを訪ねる。ホテルで綺麗な赤い花、ラルパテ フルLalupate Phulの写真をとる。ドミトリーは2階が青年隊員の宿泊場で、シニアは1階の図書室の利用は出来るが2階は立ち入り禁止という。次いで木戸ホテルの北にある104年鎖国と愚民政策をしいたラナ宰相一族の作ったというババール マハルを見る。ついでカトマンドの秋葉原といつたおもむきのタメラ地区を歩く。池や川の小魚の干物も売られていて臭かった。トレッキングの道具を貸したり売る店も多く全てここで揃えられるという。その近くの日本料理屋で昼食をいただく。総勢16名がいろいろな好みの注文をしたので全部揃うのに1時間近くかかった。豚肉とキャベツの味噌炒め定食200ルピー+税金10%の220ルピーをいただく。随分待たされたがボリュームもあって、漬物、味噌汁もついてとても美味しかった。日本では食事の感謝は「ごちそうさま」であるが、ネパールではそれと同じことは「ミト ラギョー」:美味しかったと率直な表現である。「デライ ミト ラギョー」とても美味しかった。でもいい。そのあと帰り道の食品店でミネラルウォーターのペットボトル1リットル入りを15ルピーで買う。ホテルの冷蔵庫の1リットル入りのペットボトルは59ルピーで、安いと思っていたが、外で見つけたミネラルウォーターのペットボトル1リットル15ルピーの安さには驚いた。しかも内税になっていて15ルピーだけであった。帰りは乗り合いバスの乗り方の練習ということでラトナパークからマイクロバスに23人乗ってタパタまで乗る。料金は1人12ルピーだという。細かいのがなかったので15ルピーを支払う。1000円が870ルピーだから1ルピーは1.2円ぐらいである。タパタ交差点の近くで下りて木戸ホテルまで歩く。帰宅後水シャワーを浴びてから日記をつける。5時からホテルの近所に食べ物の買い物にでかけるが良さそうな店が見つからず帰ってくる。しかしホテルの近くまで来て道に迷ってしまった。自転車の若者に道を尋ねるとあっちだという。そちらに歩いたがどうもおかしいので道端にいたおじさんに尋ねると反対の方向をさしてあのニロ:青いところだというので見てみるとガードマンがいつも居る青い小さなボックスの壁であった。夕食はホテルに併設するレストラン田村でいただくことにする。17時50分。18時過ぎから夕食。落ち着いた高級感のある日本風レストランでネパールビールのヒマラヤビールを飲む。てんぷらやおろしそばや焼き鳥、冷奴、酢の物などをいただく。途中から青年7名が来る。ネパールで思いがけない日本の食事を青年たちとともに楽しませていただいた。青年にホテル自慢の家族風呂とシングルルームの部屋を案内する。終わってから青年は2台のタクシーを呼んでドミトリーへ帰っていった。部屋に戻りベッドに横になって就寝。

03261.jpg
03262.jpg
03264.jpg
03265.jpg
03268.jpg
03269.jpg
032610.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月25日(金) うす曇 バンコク 29度 ネパール1日目
2011/03/26(Sat)
夜中に目をさまし、家に手紙を書く。7時待ち合わせて朝食は昨日と同じ店に行く。ワンタンをいただく。朝食代と昨日の飲み会とあわせて1000円。8時ホテルに戻りチェックアウトして8時15分のホテルのマイクロバスで空港へ。空港では機内手荷物検査では見事にミネラルウォーター2本が見つかり没収されてしまった。どうやらX線でわかるようだった。公用旅券の威力は大きくて、それを見せると「オフィシャルパスポートか」といって優先的に前へ進めることが出来た。カトマンド行きの5C待合場ではサヤミジーから借りてきたトピーを頭に被って過ごしてみた。そこでネパール人らしい女性に話しかけてみた。ネパール語で話しかけたのに驚いたように目を丸くして、「あなたはネパール語がしゃべれるのですね。あなたのネパール語は私の日本語より上手ですね」などと言ってくれたのでうれしくなっておしゃべりがはずんだ。4年間日本の文部科学省の給費留学生として大阪市立大学の博士課程で医学を学んだというルナ バァタァ シャルマという人で、日本の4年間で漢字は難しくて良くわからなかったと言っていた。わたしの考えだがテワナガリー文字は少し書くのが特に難しいのではないかというと、バフン族だというその女性も確かにそう思うと言ってくれて自分には漢字は難しかったがひらがな、カタカナはわかると言っていた。従って論文は全て英語で書いたという。ネパールに戻ったら、ネパールで一番歴史のある国立トリブタン大学医学部の大学院で教師をするのだと言っていた。カトマンド行きの飛行機はほぼ満席で隣になったのは西洋人の顔つきでネパール人に見えなかったので声をかけないでいたのだがスチワーデスがネパール人に渡す申告書を渡していたのを見てネパール語で話しかけてみた。韓国で建設業で働いていてネパールには休みで帰りまた来月韓国に行って2年間働くのだという。ネワリー族のスバルナ マナンダルという青年であった。名前を手帳に書いてもらうと、英語で書くので、テワナガリー文字でも書いてもらったがきれいな字で書いてくれた。ヒマラヤが見えるかと目をこらしたがパハール:山は見えたがヒマラヤ:万年雪の白い山は見えなかった。機内ではネパール語の単語を見て覚えようとしてみた。カトマンド到着後の手荷物検査は全くフリーパスで手荷物はバヌアツの時のようには開けられなかった。PCとデジカメを2台づつ持ち込むことを考えたが2台目は税金を取られる可能性があるというので今回は見合わせたのだが、どうやらこれもオフィシャルパスポートのおかげだったのかもしれなかった。空港の出口ではサヤミジーがカメラを撮って出迎えてくれていた。ほぼ真夏の陽気のカトマンドで30度以上あった感じがした。JICAで手配してくれたマイクロバスでしばらくカトマンドでの滞在先であるホテル木戸の202号室にチェックインして荷物を部屋に入れる。荷物を運んですぐマイクロバスでJICAネパール事務所に行く。所長から期待と責任の話しと健康管理担当の女性から水と犬と予防接種などの注意、調整員の女性からオリエンテーション、男性調整員の方が円をネパールルピーに両替をしてくれる。とりあえず当面のお金と来週銀行口座を開いて預けるルピーとして1万円を8700ルピーに交換しておく。18時過ぎ、今年1月に派遣されたがかりの1つ前の22年3次隊の青年達がボウズ:宴会をネパールレストランで開いてくれるというので有難く参加させていただく。ビールと、カレー、チャーハンなどをご馳走になる。いつも新しく来た隊員の歓迎のご馳走を前の隊員がするのが恒例となっているそうだ。前の隊は総勢20名でシニアはわずか1名であったという。青年隊員のビールで乾杯の音頭のあと、カレーやチャーハンなどお腹一杯になって、タクシーで木戸ホテルに帰る。タクシー代は350ルピー。ホテルに帰ってお金が会わないことに気がついた。どうやらルピーを使ったのはこれが初めてだったので500ルピー紙幣を100ルピーと間違って支払ってしまったようだった。ウパエ チャイナ:仕方が無い。次回は気をつけよう。 夜日本に、着いたとのメールを発信して日記をつける。1時間ばかりネットにつなぎブログを更新する。カトマンド1日目
2011_03251.jpg
2011_03252.jpg
2011_03253.jpg
2011_03254.jpg
2011_03255.jpg
2011_03256.jpg
2011_032511.jpg
2011_032512.jpg

2011_032513.jpg
2011_032514.jpg
2011_032515.jpg

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月24日(木) 曇り 成田日の出5時39分 日の入り17時54分 最低1度 最高11度 湿度28% 出発日
2011/03/26(Sat)
1時半目をさます。昨日つけたままのNHKBS1で地震のニュースでは東京の水道を赤ちゃんは飲まないようにというニュースをし続けていた。おにぎりの残りの1個をお茶でいただいて風呂にお湯をためて入浴する。そのあと2時半からラジオ深夜便でハンクウィリアムスを聞きながら3時からは岡林信康を聞きながら日記をつける。4時からサヤミジーの3月11日の最後の音声を聞きながら日本で最後の手紙を書く。今でも教育的指導をしてくれ励ましてくれる96歳になる恩人にである。あまりの達筆でよく読めない文字の手紙をくれるのだが大体の意味は「説教をされているんだな」などの意味はわかる。前回のバヌアツ行きでは「2年間などすぐですよ」との励ましに送られて旅立ったものだ。5時半ぐらいから明るくなってきて外の日本提案が見えてきた。5時43分から地震を感じた。震度1か2ぐらいであったろうが少し長く揺れていた。6時15分まで何度も3月11日のサヤミジーの音声を聞き、3月2日の音声も聞きながら6時15分そろそろチェックアウトの準備をする。6時25分チェックアウトして6時35分のホテルのバスで成田空港第一ターミナル4階国際線出発ロビーへ行き、ANAスカイポーター窓口で宅配荷物を受け取る。7時50分全員そろってチェックインEカウンターで機内預け荷物30.7Kgを預けて待合室へ。10時50分発のほぼ予定通り11時テイクオフ。機内では1992年の大ヒット作品ケビィン・コスナー、ホイットニー・ヒューストン出演「ボディーガード」と2000年日活映画役所広司主演「どら平太」を見てすごす。成田―バンコク間4649Kmを7時間かかって18時バンコクのスワンナフームsuvarnabuhuml空港着。気温29度と日本の夏であった。バンコク時間は2時間の時差があり現地は16時。空港にNOVOTELホテルのマイクロバス2台ですぐ近くのホテルへ。チェックインして仲間と空港のレストランの中からタイ料理の店にはいり、ワンタン、餃子、トムヤンクン、マンゴー、スイカ、ビールなどを10名の仲間と楽しくいただく。お腹一杯になって8時ホテルに戻り、9時まで仲間の部屋でビールとウィスキーとナッツなどでおしゃべりをして過ごす。バンコク時間では夜の9時だが日本時間では11時なので失礼して就寝。広い部屋に戻り風呂に入って下着を洗って就寝。
2011_03243.jpg
2011_03244.jpg
2011_032410.jpg
2011_03245.jpg
2011_03246.jpg
2011_03247.jpg
2011_03248.jpg

この記事のURL | 出発日 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月23日(水) 曇り 宝塚日の出5時59分 日の入り18時12分 最低4度 最高9度 湿度36%  出発まで1日
2011/03/23(Wed)
2時半目をさます。ラジオ深夜便でヘンリー・マンシーニ作品集(2)ひまわり、「華麗なる賭け」から 風のささやき ほか をしていたが最も好きな「ひまわり」は終わっていたのが残念だった。ソフィアローレンが良かった映画も好きである。いよいよ出発の日が来た。昨年の今日はバヌアツのドミトリーに泊まって朝早く空港まで調整員の運転する車で送られたのが昨日の事のように思い出されてくる。3年前の明日は、伊丹から羽田に飛んで、リムジンバスで成田に行き夜の便でフィジー経由バヌアツに3月25日行った。これもよく記憶が甦ってくる。少し寝汗をかいたので布団のシーツと一緒に洗濯をしておく。サンドイッチとミルクティーの朝食をいただき、ついでに明日の朝の分も作っておき、今日の夕食の梅干入りのおにぎりも作っておく。6時これから床の拭き掃除などの清掃をする。今日は天気予報では晴れるが気温は低くなるようだ。
5時から日記をつける。札幌の先輩からいただいたメールに返信をしておく。洗濯物を2階ベランダに干す。今日もうぐいすの鳴き声を聞く。風が強くて冷えていた。布団も干しておく。2階の寝室、廊下、トイレ、階段、台所、食堂、居間、和室の床を雑巾で拭く。うさぎのケージのマット交換。ウサギの一角を全て出して床を拭く。ウサギの毛が端に一杯になっていた。風が強くて沢山落ちたなつみかんの葉っぱを拾う。1階のベランダの下を掃除する。椅子をにわとり小屋の中に入れておく。缶とビンをゴミ出す。7時半になって部屋に入り日記をつける。続いてサヤミジーの音声を聞きながら机の周りの書類を整理する。お天気になったので布団も干す。12時までに冷やしうどんの昼食をいただいく。庭の最後の大根を千切りにしてうどんと一緒にいただく。食器をかたづけ、ごみをまとめて外のゴミ箱に入れて布団を取り込む。部屋を掃除して雨戸を閉めてから、
これから荷造りをして13時のバスで町へ出る。バスで町へ出る。チケット売り場で180円の券を160円で買い13時23分の阪急電車で蛍が池へ。13時35分に着いてモノレールで空港まで乗ろうかと改札まで行ったが13時36分発が出るところだったので乗らず、お天気のなか昔からよく知っている空港までの道を歩く。サラリーマン風の中年がかばんを提げて3人ほどが歩いているのを見て昔の自分の姿を見るようだった。13時50分空港につくと昔よく乗った梅田行きのバスが出るところだった。昔よく乗った時は410円ぐらいだったが620円になっていた。昔はいつもJALに乗っていてカウンターが近かったが今日はANAだったので空港を端から端まで歩く。14時ANAカウンターでチェックインして空港の売店でネパールの教育省のカウンターパートへのお土産に神戸のチョコレート菓子を見る。赴任するのは現地の語学研修後の1ヶ月ぐらい先になるので日持ちの良さそうなものを選んで買う。14時15分11番乗り場に行き、駐機していた14時25分発の松山行きのロンバルディアを写真に撮る。10年前の今日娘の大学の卒業式に松山に行っていたことを思い出す。これまでの人生で最も幸せな時期であった。14時45分エアバス320 166人乗りはほぼ満席で通路を挟んでお隣には旅なれた風のご夫婦が乗っていたが同じラベルを荷物につけていたのでご同業だったかもしれなかった。予定通り15時55分ごろ成田着。バスで空港まで移動して成田空港のトイレを使ったてみたが以外にもウォシュレットではなかったのは少し驚いた。外人が日本に来て先ず驚くのは成田空港のトイレでウォシュレットがあって驚くということを聞いていたのでそうでなかったことに驚いたわけである。16時10分の周辺ホテルへいくバスはでたところだったので、明日の集合場所である国際線出発フロアーを覗いてみる。大勢の人ごみの中でひときわ大きく鳴きつづける犬の声には驚かされた。どうやら外国までペットを持っていくらしい。若い女性からアメリカンエキスプレイのカードをわたされ開いてみると当たりとあったので渡すとボールペンをくれた。
バヌアツの友人にあげたら喜んでくれただろう。16時30分バス乗り場に行ってみると明日一緒に行く仲間と会った。震災では岩手には帰らず東京で過ごされたそうである。岩手に帰るには帰られただろうが、また東京に出てくるための手段が見通せなかったので東京に出て出発の準備をされたという。随分ご不自由なことであったようだ。16時40分成田ビューホテルのバスが来て2人の客を乗せて出発。次の第二ターミナルで5人ほどの客を乗せて出発16時50分ホテル着。チェックインして若いフロントマンに「30年前ホテルのオープンの際、コンピューターシステム導入で泊りがけで仕事しに来てました」と話すと、「私が入る前ですね。随分徹夜をしたらしいですね」という話をしてくれた。タバコは吸わないというと、部屋は窓から日本庭園と池が見渡せる広いツインルームをアサインしてくれた。タバコの臭いが無くて気持ち良かった。現役の時はホテルのコンピューターシステムの導入をよくさせともらった。当時各県の代表的なホテルで仕事をさせてもらい泊めてもらい、いい思い出が沢山ある。部屋でお茶をのんでおにぎり2個をいただいてベッドでNHKBS1ニュースを見る。東京の水道を赤ちゃんは飲まないようにというニュースであった。福島の野菜、牛乳などは出荷できないで廃棄しているという。生活保障をしてくれと農林大臣に二本松の市長などが陳情に行ったという。ニュースを横になって見ていて就寝。
2011_03231.jpg
2011_03232.jpg
この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月22日(火) 曇り 宝塚日の出6時 日の入り18時11分 最低8度 最高13度 湿度54%  出発まで2日 帰国後365日
2011/03/22(Tue)
4時からラジオを聞きながら足の裏と膝に光線をあてる。5時起床。ネパール語の復習をして朝食をいただく。ラジオ体操の前に庭に出てうぐいすの鳴き声を聞きながら草取り、石ころ取りをする。6時半からラジオ体操をする。それから日記をつける。メールを見ると東北の青年たちも予定通り出発するらしい。今日は一日曇りだが明日は晴れるようだ。6時47分 8時半までネパール語の復習をして、裏山に息子と一緒に登る。頂上では日差しが出てきて暖かくなった。頂上で日記を書いてからゴミを拾って下りてくる。9時半帰宅後日吉に電話する。続いて10時35分までネパール語の復習。メールを見ると明日宿泊する成田ビューホテルから前日の確認メールが入っていたので手帳に予約番号、ホテルの電話番号を書いておく。
16時まででネパール語の復習を修了する。夕食の準備をして洗濯物を取り込む。16時15分
マラポアカレッジの校長先生からいただいた地震と津波のお見舞いに対して返信のメールを作って出しておく。これから旅行の準備をする。6時半夕食後息子が広島に帰っていった。8時15分からNHK BS2で昭和41年の映像を見る。9時半に風呂に入り日本のJICAの連絡先とネパールの住所と電話の連絡先を伝えておく。22時半就寝。
この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月21日(月) 雨 宝塚日の出6時1分 日の入り18時10分 最低9度 最高15度 湿度74%  出発まで3日 帰国後364日
2011/03/21(Mon)
4時目をさます。足の裏、膝、お腹に光線をあてる。4時半起床。昨夜手洗いしたワイシャツ3枚にアイロンをかけて乾かす。5時半朝食。昨夜から雨が時々音をたてて降り続いている。今日はスーツケースを1つ出す。
後はパソコンにリュックサックに入れて持っていく。6時15分。朝食後ラジオ体操をしてゴミをまとめる。
スーツケースには結局31Kgを詰め込みこれ1つを持って行くことにする。10時佐川急便から電話があって10時10分集荷に来る。荷物を出してから10時15分のバスで町へ下る。駐輪場で自転車を借りて買い物に行く。Canon IP90のインクカートリッジ2つと靴を買い11時15分駐輪場に戻る。西友でパンを3斤買って11時半のバスで帰宅する。昼食をいただいて日記をつける。ネパール語の復習を始めたが眠たくなって1時半から1時間昼寝をする。ネパール語の復習をする。時々雨があがった庭に出て草とりをして風呂場に干していた洗濯物をベランダに干しなおす。夕方Faxが入る。夕食はビールと冷奴とおかずをいただく。夕食後日記をつける。
風呂に入ってからNHK BS2で昭和33年を見る。その後12時までネパール語の復習をして就寝。



この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月20日(日) 晴れ 宝塚日の出6時3分 日の入り18時9分 最低10度 最高16度 湿度60%  出発まで4日 帰国後363日
2011/03/20(Sun)
3時に目をさます。布団を干したお陰で暖かく敷き毛布の電気を点けずに寝たにもかかわらず寝汗をかいていた。下着を替えて足の裏と膝に光線をかけて3時半起床。ミルクティーを飲みながら新約聖書をボンドで繕う。40年前の日にちがあちこちに書かれているものだから傷みも出てきている。先日はしおりのひもが切れたので新しくした。4時過ぎから日記をつける。明るい照明の下で出来るのだから電気のある暮らしのありがたさを感じる。1日15時間の計画停電の暮らしがどんなものか想像できないがネパールで生活するのであればネパール人と同じ暮らしを経験してみなければ始まらないであろう。今日は宅配業者に連絡して明日荷物を集荷してもらうようにしなければならないが、まだ手付かずである。今日は奈良と広島の子供たちと夕食を共のする。
これからブログを更新してネパール語の復習をする。6時10分朝食。6時半ラジオ体操。階段と台所、食堂、居間、和室の雑巾がけ。ウサギケージの清掃とマット交換。洗濯物をベランダに干す。7時半に日記をつけて、ネパール語の復習。9時気分転換に息子と庭に出て、キュウリと大根の種まきをする。そのあと洗濯物を2階のベランダに干す。9時半からネパール語の復習。昼食後午後から荷造りを始める。一通りつめて17Kgになった。1つが32Kgまで上限なのであと15Kg詰むことが出来る。スーツケース1個だけで間に合いそうである。ANAスカイポーターに電話して明日荷物の集荷をお願いする。集荷の時間の指定はできないという。
あとはパソコンをリュックサックに入れて機内持ち込み手荷物にする。夕食は全員5名でスシローへ行く。約30分待ってようやく順番が来る。30分以上待つと待つ割引で400円ひかれて6340円であった。満腹 プギョウになって帰宅。全員そろった記念写真を家で撮る。娘は21時川西池田まで車で送られ帰る。それから家族写真を印画紙に印刷する。11時過ぎ入浴して12時就寝。
この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月19日(土) 晴れ後くもり 宝塚日の出6時4分 日の入り18時8分 最低8度 最高16度 湿度52%  出発まで5日 帰国後362日
2011/03/20(Sun)
夜中目が覚めたが6時に起床。6時半から居間でラジオ体操をする。体操後新聞を読みながら朝食をいただく。庭から今年最初のウグイスのホーホケキョの声を聞く。この声にはいつも励まされる。食器を洗って、3月8日のサヤミジーのネパール語の音声を聞きながら日記をつける。今日は1日良いお天気になるようだ。今日はネパール語と仕事関係の荷物を1つのスーツケースに詰め込み、明日は別のスーツケースに衣類や生活雑貨を詰め込むことにする。明日は宅配業者に荷物の集荷依頼して、明後日には荷物を出すことにする。7時半。午前中ネパール語の復習。久しぶりで広島から明日戻る息子のために布団を干す。2階の床、廊下、階段、トイレの拭き掃除もする。ノートパソコンの画面も清掃する。11時45分まで。12時10分から昼食の準備。昼食後もネパール語の復習。時々休んで風呂の残り水をバケツで庭の夏みかんとイチジクの木の根元にやる。夕方日吉から電話がある。次いで軽井沢から電話がある。松島のおじさんに電話をする。石巻は1階まで水が来て2階に2日過ごして無事であったそうだ。農機具やビニールはハウスはすっかり津波で流されたが母屋の2階でかろうじて2日間過ごして無事だったそうで息子さんの家に身を寄せているという。矢本のおばさんも無事で家に住めなくなったので娘さんの家に身を寄せているという。入院中のおじさんは3階に居て2階まで水が着たが無事だったという。皆さん大変な思いをされたが、無事でなによりであった。今回はどんなになっていても「仕方が無い」ネパール語の「ウパエ チャイナ」と半ば覚悟していただけに本当にうれしかった。夕食後日記をつける。入浴してから22時15分までネパール語の復習をする。それからベッドでマルコ伝を読んで就寝。

この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月18日(金) 晴れ 宝塚日の出6時6分 日の入り18時8分 最低1度 最高9度 湿度54%  出発まで6日 帰国後361日
2011/03/18(Fri)
2時目をさます。まだ少し風邪気味なので3時から足の裏、膝、お腹に光線をかけて身体を暖める。ラジオを聞きながらベッドの中で過ごし4時半起床。ミルクティーを飲んでからネパール語の復習。5時半から朝食。6時15分日記をつける。ネパール語の復習。9時15分のバスで町へ買い物。10時35分のバスで帰宅。昨日の表敬訪問記と交通費をJICA兵庫にFaxする。ANA運送サービスにいつまでに送ればいいかを問い合わせる。20日に集荷依頼をして21日に集荷してもらうことにする。昼食は煮込みうどんそば。お天気になってきたので午後2時布団をベランダに干す。2時26分 3時インターネットで「水道救急車」を見て電話して見てもらうことにする。16時から17時に来ると言ったが17時になったがまだ来ない。夕食をいただき18時を過ぎたがまだ来ない。18時半ぐらいに「水道救急車」が来る。クリンスイの留め金をはずしてパッキンを探すがパッキンがみつからないという。結局水漏れは直らず最初のポタポタの水漏れがザーザーと水が止まらないぐらいにひどくなってしまい元栓を閉じてもらうことにした。最初の水漏れを完全に壊してくれて5000円を支払う。全部器具を替える見積もりを火曜日に出すといって帰っていった。大きな見積もりが出そうである。疲れてしまい入浴せず20時ベッドに入り就寝。
この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月17日(木) 晴れ時々雪 宝塚日の出6時7分 日の入り18時7分 最低2度 最高7度 湿度52%  出発まで7日 帰国後360日
2011/03/17(Thu)
今日はお天気になるが気温は低く少し風がありそうだ。朝から兵庫県庁へ表敬訪問。午後は宝塚市役所へ表敬訪問。これで派遣前の行事はお仕舞いになる。3時起床。5時までネパール語の復習。朝食をいただく。屋根に薄っすらと雪が積っていた。6時半ラジオ体操。ウサギのケージマット交換。ゴミだし。8時5分過ぎのバスで町へ。阪急で三宮に向かう。9時45分兵庫県庁公館に金澤和夫副知事を表敬訪問をする。10時から10時45分。出発する17名、帰国した7名の24名の挨拶の最初に進行係りから一言挨拶をと指名されたカメルーンから小学校教師をして帰国したおばさんが、全員の代表と勘違いしたようで長々とつまらない話をしたのであとの23名は話す時間が無くなってしまった。困ったさんであった。次いで記念写真を撮って岩屋の兵庫JICAで激励会に出席する。ここでは11時45分から12時半まで沢山の関係者から激励の言葉をいただく。午後、宝塚市役所で待ち合わせることにしてJR灘まで雪と風が吹く中歩く。大阪へ向かう電車に乗ってしまい気がついて反対の三宮の電車に乗り換える。三宮のトラベラックスでドルを買おうとしたがお客さんが全くいない。おかしいと思い、ひとまず両替を見合わせ、みずほ銀行に行ってドルを買おうとしたらマシンダウンで出来ないという。みなと銀行と三井住友で出来ると教えてくれたのでみなと銀行を尋ねると場所が違うという。やっとそこにつくと長蛇の列。やはりトラベラックスより条件が良かった。聞くと1時間は並ばないと両替が出来ないというのであきらめて宝塚へ向かう。宝塚南口で降りて道を尋ねると、逆瀬川が近いというので、1つ前の駅まで乗って急いで歩いて2時45分市役所に着く。3時から3時半まで中川智子市長を表敬訪問。30分肩のこらない話を聞いたりしたりで記念写真を撮ってもらい失礼する。逆瀬川から宝塚駅に着いた時、ホーム反対側から梅田行き急行が出るとこであわてて乗り換える。この時バッグを車両に置き忘れたらしい。宝塚から2つ行ったところでバッグを忘れたことに気がつき、売布の駅員に話をする。駅員は宝塚と逆瀬川に電話で問い合わせをしてくれて、しばらくして宝塚駅からバッグを保管していると連絡がある。ほっとして宝塚駅に引き返しバッグを受け取り、雲雀へ。5時のバスで帰宅。帰宅後宅配便で不在通知の伝票をみて今日の19時から21時に届けてもらうように手配する。スパゲティグラタンとパン、紅茶の夕食をいただく。そのあと日記をつける。今日は失敗続き一日だった。どうも頭がぼけてきているようだ。20時 20時半日本郵便から書留が届く。21時間違い電話が2度かかる。21時半今日のブログの更新。23時までネパール語の復習。母からハガキが入った手紙が届いたので心配しないでとハガキに書いておく。深瀬先生から届いたモネの水蓮と橋の絵葉書に「途上国 暗き現実 架くる橋 水蓮の花 いよようるわし」と書いていただいた励ましの手紙を読む。 マルコ伝を読んで就寝。
2011_03174.jpg
2011_03175.jpg
2011_031712.jpg

この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月16日(水) 晴れ時々雪 宝塚日の出6時8分 日の入り18時6分 最低2度 最高7度 湿度46%  出発まで8日 帰国後359日
2011/03/16(Wed)
0時を過ぎる。今日は冷え込むようだ。0時半ベッドへ。就寝。1時半目をさます。マタイ伝を読んで寝る。3時起床。ネパール語の復習をする。5時半朝食。6時10分公園へラジオ体操に行こうかと思ったが寒いので今日もやめておく。18日まで冬型の寒気団に覆われるというのでしばらく大事をとることにして昼間に暖かくなったら出かけることを考えることにする。オークションで購入した手帳を確かめる。15日11時に集荷されたことを確認する。果たしていつに着くのか。6時半居間でラジオ体操をする。ゴミをまとめて、台所、食堂、居間、1階和室の床の拭き掃除。洗濯物をベランダに干して庭の落ち葉をひろい、夏みかんの根っこにバケツ1杯の水をやる。ウサギのケージのマットを替えて一休み。ペットボトルをゴミに出す。9時15分のバスで町へ出る。食材を買い、明日の切符を買い、昨夜つかなくなった40型と32型のセット蛍光灯を買う。10時35分のバスで帰宅。新しい蛍光灯をつけてみたが点かなかった。ランプのせいではなく中の部品が原因と判断して新しいのを買うことにする。電気屋のチラシを見て近くのミドリ電化に電話する。12時19分。昼食後1時45分のバスで町へ出る。西友に蛍光灯を返してミドリ電化で省エネシーリングライト86Wを買う。3時のバスで帰宅。居間のライトをはずして新しいライトを取り付ける。簡単に取り外し、取り付けることができた。修理しようとしても古い蛍光灯だから果たして部品があったかどうか。修理の時間と費用を考えたら新しくしてもいいかと考える。15時50分 17時までネパール語の復習。夕食を作り日本酒と冷奴。寄せ鍋で暖かい夕食をいただく。夕食後日記をつけてこれからブログを更新する。今日はあまりネパール語は進まなかった。夕食後7時ベッドで休む。9時半入浴。10時から11時半までネパール語の復習。明日は県庁と市役所に表敬訪問。
この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月15日(火) 晴れのち曇り 宝塚日の出6時10分 日の入り18時5分 最低10度 最高13度 湿度60%  出発まで9日 帰国後358日
2011/03/15(Tue)
夜中寝汗をかいて目をさます。下着を替えて光線を足の裏、膝、お腹に当てて起床。今日からラジオ深夜便をしていた。マタイ伝をベッドの中で読んで1時半起床。少し喉がいがらっぽく風邪のひき始めという感じである。ミルク紅茶を飲んで日記をつける。メールを読むと11日駒ヶ根を発った八戸の青年は13日には山形県の酒田、昨日14日は弘前経由青森まで着いて今日は八戸へ向かうという。青森―八戸間は高速道路が走れたとして車で1時間40分はかかる距離である。ご家族がご無事だというのがなによりではある。阪神大震災の時の不自由だった移動を思い出す。一日ネパール語の復習で過ごそう。2時。4時までネパール語のエコを復習する。5時ミルクティーとパンとカレーの朝食をいただく。ベッドに横になりマタイ伝を読む。7時起床。昨夜汗をかいた下着とパジャマを手洗いして洗濯物をベランダに干す。7時半からネパール語の復習。過去形、動詞の変化を復習する。気分転換に外のゴミ箱の蓋と椅子のペンキ塗り。庭の草取り。みかんの木にまだ残っていた夏みかんをとる。長い間取らなかったので少し柔らかくなっていたがいただく。10時20分日記をつける。天気予報では今日から寒くなるとのことだったが風もなく穏やかで日差しが暖かい。メールによると仲間の青年が無事ふるさと八戸へ着いたとあった。
国民健康保険はネパールへの転出届けだけであとは役所が手続きをしてくれるという。昼食はいつもの煮込みうどんそば。デザートは夏みかん。午後もネパール語の復習をする。5時2階の廊下、階段などを拭き掃除をしてからベランダに干した布団を取り込み、洗面所のマットも取り込む。
日記をつけてメールを見てこれから夕食の準備。夕食をいただいている時JICAのネパール担当の方から電話がある。派遣の隊員が震災で出発に影響がないかどうか確認をしているという。当方は予定通りとお伝えする。夕食後NHKBSHIでキリマンジャロ登山を見てから日記をつける。福島原発の放射能漏れの数値が大きくなってきていて危機感が増してきている。夕食後ベッドでマタイ伝を読んで寝る。21時半起きて風呂に入り、ネパール語の復習をする。22時31分静岡県東部で震度6の地震があったという。11時20分まで。日記をつける。

2011_03151.jpg

この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月14日(月) 晴れのち曇り 宝塚日の出6時11分 日の入り18時4分 最低10度 最高16度 湿度68%  出発まで10日 帰国後357日
2011/03/14(Mon)
5時半マタイ伝の続きを読む。6時起床。床の拭き掃除をする。朝食後、ゴミを出して裏山に散歩に行く。
7時45分戻って洗濯物をベランダに干す。8時。8時10分のバスで町へ出かける。病院に8時20分 64番の札をもらう。8時半から受付開始。いつもの薬をお願いする。9時15分 90日分の薬を処方してもらう。病院には410円。近くの薬局に薬をお願いして買い物をする。薬代は2980円。買い物をして銀行で国民健康保険の今期最後の支払いをする。3400円。雲雀の役所の出張所へ転出届けを出してくる。3月24日ネパールへ転出ということで。窓口の人は前回のバヌアツを覚えていてくれた。雲雀から10時45分のバスで帰宅。メールを見たらバヌアツのマラポアカレッジの校長先生から地震と津波の被害のお悔やみのメールが来ていた。今日の午後は1時のバスで車の免許の更新手続きに出かける。町へ出て自転車を借りて伊丹の免許更新センターへ出かける。2時について2時20分から講習。4時5分終了。新しい免許証をもらって4時45分自転車を戻す。5時のバスで帰宅。米を洗ってご飯のスイッチをつけ、2階ベランダの洗濯物を取り込み、豚汁をつくり、ビールと冷奴と豚汁と納豆の夕食。6時10分日記をつける。福島の原発の対応はどうやら試行錯誤のやり方に終始しているようで先の見通しが立たないようである。夕食後ベッドでマタイ伝を読んで就寝。


この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月13日(日) 晴れ時々曇り 宝塚日の出6時14分 日の入り18時3分 最低4度 最高11度 湿度52%  出発まで11日 帰国後356日
2011/03/13(Sun)
6時起床。今日もラジオ体操は震災のニュースでやらなかった。2階の部屋、廊下、トイレ、階段、台所の床、食堂の床、玄関の床、居間の床、和室の床を雑巾で拭く。ゴミをまとめて出す。庭のみかんの木の落ち葉を拾う。7時半ゴミ拾いと山登りに出かける。タバコ、チリシ、プラスチックボトルなどを拾いながら英語のボキャブラリーカードを読みながら山に登る。いつものおばさん組に頂上で会っておしゃべりをする。しばらく飛行機の離陸を眺めて写真を撮り山のノートに3行日記を書いてゴミ拾いをしながら下山する。いちばんいやなゴミはご丁寧に犬の糞をビニール袋に入れてすててあるのだ。ご丁寧に袋に入れてしっかり結んでいるのだから自分の家まで持ちかえって捨てればいいものをいつもそうして捨ててある。帰宅後日記をつける。TVでは震災のニュースばかりである。昼食後ネパール語の復習をする。疲れると庭に出て草取りをする。夕食後まだ6時は明るくて草取りをする。部屋に戻って日記をつける。メールを見ると青年はふるさと八戸へはまだ着いていなくて山形だという。ご家族は無事だというのがなによりの便りであった。東北に住む仲間は皆さん大変な苦労をして家に向かったようだ。道が不通であったりして途中で足止めにあっているようだ。頑張れというだけである。今回は手帳を作る予算が無かったようなのでオークションで買うことにする。送料込みで180円。18時過ぎベッドで休み21時半入浴して0時からネパール語の復習をする。寝る前マタイ伝から読み始めて寝る。
DSCF6910.jpg
この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月12日(土) 晴れ時々曇り 宝塚日の出6時14分 日の入り18時3分 最低4度 最高11度 湿度52%  出発まで12日 帰国後355日
2011/03/12(Sat)
6時半からのNHKラジオ体操は地震のニュースで取りやめになった。7時起床。新聞の一面見出しは「日本巨大地震」であった。TVも地震のニュース一色。政治も地震で休戦になったという。朝食後10時15分まで部屋の掃除。バスで町へ出て郵便局、銀行、買い物をして11時半のバスで帰宅。昼食を食べようとしたところで12時20分西濃運輸がスーツケースを届けてくれた。格安の855円を支払う。昼食後日記をつけようとメールを見ると、昨日駒ヶ根からの帰路、東京へ向かった人は東京まで行けず駒ヶ根に戻ったことを知る。九州へ行くのに名古屋へ出た人も新幹線を使えなかったようだ。皆さん八戸マンを心配していた。被害の少ない日本海回りで八戸へ向かったらしい。果たしてどこまで行けたやら。これから荷物の整理をする。16時半までネパール語の音声を聞きながら荷物を整理する。少し疲れたので気分転換に庭に出て草取りをする。17時20分まで草取りをして部屋に入る。鯵を調理して煮魚にする。夕食はビール、冷奴、鯵と雑炊をいただく。夕刊を見ると津波に洗われた町は跡形も無く家も流されていた。夕食後ネパール語の音声を聞きながら日記をつける。18時52分 ベッドでラジオを聞きながら就寝。
DSCF6907.jpg
DSCF6908.jpg

この記事のURL | 出発までの日々 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月11日(金) 晴れのち雪 駒ヶ根日の出6時5分 日の入り17時50分 最低-4度 最高3度 湿度58% 研修65日目、後半35日目 最終日 派遣まで13日目 帰国後354日
2011/03/11(Fri)
訓練最終日。2時に目をさます。ベッドの中でラジオ深夜便午前2時台 〔ロマンチックコンサート〕リラックス・サウンズムード音楽演奏家で聴く日本のメロディー元禄花見踊り、遠くへ行きたい、五木の子守唄 ほかを聞く。2時40分起床。3時すぎから3月3日に放送した、わたしの思い出の名画(4)作詩・作曲家 小椋 佳さんの話をWebから聞きながら今日のスケジュールを見る。朝9時までに部屋を整理して点検を受けて退出することになる。午後12時半から14時まで壮行会があって訓練修了となる。帰りのバスは訓練所を14時半頃出発する。普通苦労したことでも終わってみればあっというまだったと感ずることが多いものだが今度の訓練は苦労しただけにまだそうは感じられない。しばらくたてばいい思い出となるのかもしれない。3時半部屋が寒く身体が冷えてきたので布団に入る。5時半起床。中間テストの2月5日の音声を聞きながら、最後の紅茶をいただく。部屋の扉の汚れを雑巾に洗剤を付けて拭く。雑巾を洗って干しておく。シーツやフトンカバー、枕カバーを1階に出してくる。6時40分 朝の集いが多目的ホールBであるとアナウンスがある。とうとう今回の訓練は外ではなかった。7時から朝礼で総勢172名であった。今日の国は日本。白地に赤丸で構成されています。赤は真心、白は純潔を表している。丸い形は円満な心と太陽を意味していて、日の丸が国旗として成立したのは今から約140年前の幕末の時代だということである。今日は歌を歌って体操はなし。7時25分から最後の朝食をいただく。9時まで部屋の掃除とスタッフによる部屋の確認後鍵を返す。ネパール語の教室の清掃。ホワイトボードを雑巾できれいにする。9時20分から修了式の練習をする。10時から所長講話。11時からホールCで修了式が始まる。外務大臣の挨拶代読は昨日の貴島善子さんがされた。駒ヶ根市長などの挨拶があって全員に修了証が渡される。12時20分まである。12時半からホールAで壮行会が行われる。立食で寿司などをいただき貴島善子さんともおしゃべりをする。関西出身と言われていたので尋ねてみると同じ宝塚出身だということであった。一緒に写真を撮らせていただく。14時37分先生やスタッフの皆さんに見送られてバスで大阪を目指す。途中休憩した時ドライバーから大きな地震があったと聞く。ラジオを聞くと14時46分三陸沖でマグニチード8.8の観測史上最大の地震であり岩手、宮城を中心に大きな被害があったようである。途中3回サービスエリアで休憩して7時京都に着いた時、JICA東京から電話でバスに乗車している隊員の安否の問い合わせがあった。大阪には20時着。梅田で天丼をいただき、20時40分の急行に乗る。21時5分ひばりについて迎えの車で帰宅。地震のニュースをTVでみて地震による津波の威力や火災を見る。東京でも帰宅を急ぐ人がバスやタクシーを待つ人の行列が写しだされる。八戸市も大きな被害が出たようである。八戸マンに大きな被害がなければよいが。0時就寝
日本国旗
2011_03111.jpg
2011_03114.jpg
2011_03115.jpg
2011_03117.jpg
2011_03118.jpg


この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月10日(木) 晴れのち曇り 駒ヶ根日の出6時7分 日の入り17時49分 最低-4度 最高5度 湿度34% 研修64日目、後半34日目 派遣まで14日目 帰国後353日
2011/03/10(Thu)
4時過ぎに目をさます。しばらくベッドのなかでラジオ深夜便を聞いて4時半起床。今日1日のスケジュールを見る。13時50分までネパール語の発表会でそれから荷造りを終えて16時からの外務省講話が1時間、17時25分から45分まで荷物の搬出、夕食後は部屋と教室、共有部分の清掃が22時半まである。しばらくおきていたが寒いので5時20分ベッドに入る。7時からの朝礼ではニジェール。オレンジが北部のサハラ砂漠と独立を、緑は南部と西部の豊かな土地と繁栄を、白は平和と純潔を表している。中央の丸は太陽で、国民の権利を守る強い意志を表している。派遣待機になった8名の青年への励ましの意味を感じた。朝食後部屋で日記をつけて、スピーチを練習する。8時45分からネパール語14名クラス全員でスピーチをする。流石にシニアは話をするのになれた人が多かった。若い人はよく準備している人が多かった。大変面白い話を聞けて楽しかった。今回は話の順序を書いたメモと覚えていない単語をメモして話した。5分ぐらいのものを作ったがゆっくり話したので10分ぐらいかかったかも知れない。易しい話だったから誰にも話は理解されたと思う。日本語で話す内容を箇条書きで書いておいたのであわてることはなかった。づっと気にかかっていたものがなんとか終わって良い経験をさせてもらったものと思う。昼食はカレーをいただき、部屋で日記をつける。12時33分 13時から最後のネパール語のクラス。先生から朝のスピーチの講評がありそれぞれに励ましをいただく。赤本の残りを説明していただき1時50分で終了。2時からの講座は前回聞いていたので欠席させていただいた。2時15分これから荷造り。1時間でスーツケースに荷物を押し込んで3時15分から部屋の床掃除をする。掃除機が出払っていたので拭き掃除をする。拭いた後床が明るくなった。4時からは外務省 国際協力局 政策課 企画官の貴島善子さんが来て話をされる。出身は関西で1990年 京都大学(法学部)卒業し外務省入省したキャリアで話し上手でもあり内容もわかりやすくて感心した。平成23 年度ODA 概算要求などを担当しているそうだ。対外事業の予算の作戦参謀の立場で前線の2等兵に位置する我々のロジスティクスも考えられるようだ。入省して中国で1年、アメリカで1年留学しアメリカ、メキシコ、韓国、中国、北朝鮮などを担当し、外務省人道支援室長、気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15コペンハーゲン)では気候変動課・気候変動交渉官を担当している。今後とも日本の外交の中核を担う人だろうと今後の活躍を注目していくことにする。外務省の役人から営業の話も聞けて感心した。昔営業のイロハを学んだ時聞いた話を思い出した。そういえば昔勤めた会社は製品の優秀さでは一目置かれた存在ではあったが、それより営業は提案力だと教え込まれたものであった。訓練最後に元気な話を聞けて幸せなことであった。4時45分話を終える。スーツケースを青年に階段をおろす時手伝ってもらってトラックに荷物を積み込む。ネパール語の教室の清掃に行くがまだ先生が仕事をしていたので明日にする。明日担いで帰るリュックサックに荷物を詰める。その後今日は3階部分の共有場所の清掃では洗面所と乾燥室の床をモップで拭く。17時45分から夕食。夕食後談話室で囲碁を囲む。白番を持って20目勝たせてもらう。その後観戦にまわる。20時半中押しを見届けてから風呂に入る。21時風呂からあがり日記をつける。いよいよ明日修了式、壮行会を終えて大阪までバスで帰る。21時18分 ブログを更新して22時就寝。ニジェール国旗
2011_03102.jpg
2011_03101.jpg
2011_03103.jpg
2011_03104.jpg

この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月9日(水) 晴れ 駒ヶ根日の出6時8分 日の入り17時49分 最低-4度 最高5度 湿度38% 研修63日目、後半33日目 派遣まで15日目 帰国後352日
2011/03/09(Wed)
6時起床。スピーチ原稿を見て直す。今日の朝礼も多目的ホールCである。7時からの朝礼の国はコスタリカ。かつての中央アメリカ連邦の旗に、フランス革命にちなんだ自由を象徴する赤を加えており、赤は自由を勝ち取るために流された血、白は平和、青は澄みわたる空を表わす。紋章に描かれているのは、観光資源にもなっている3つの火山(イラス火山、ポアス火山、アレナル火山)、太平洋とカリブ海、帆船など。民間で使用するときは紋章を外す。青年1名とシニア1名が派遣される。歌の練習を1回する。歌の練習でなぜか一人で舞い上がってよく雑音を発していた人は今日はしなかった。昨日注意した人がいたようだった。ラジオ体操後7時10分から朝食。青年の大部分の人とシニアの一部の人が皇太子の御接見に8時20分のバスで出かけた。御接見は16時から16時40分なので東京でしばらく時間待ちになるようだ。10時半までスピーチ原稿を直す。これからノートの整理。お昼までに約三分の一の復習をする。昼食はシニアばかりで人数が少なかったのではじめて気がついた人もあった。昼食後1時からネパール語の先生への感謝ボードを作る。30分ほどで作業を終える。1時45分からネパール語の復習をする。2時半眠くなってきて一休み。外は雪が降る。5時までにネパール語のノートの復習を終える。5時過ぎサービスエリアのファミリーマートに買い物に出かける。5時45分から夕食をいただき、6時半から入浴をする。7時過ぎに戻って日記をつける。明日は5時までに荷物をまとめなければいけないが14時から16時までの2時間しかない。17時には荷物を出さなければならない。これから1時間荷造りをしてみる。19時半から1時間スーツケースに荷物を入れ込み、あとは明日の2時間あればあわてなくてもで荷造りは出来るだろう。
東京に出かけた人たちは17時過ぎに出発したとしても21時ごろまでかかるだろう。それから荷造りとなると今日も寝るのが遅くなることだろう。くしゃみが出てきたので21時すぎベッドに入って一休みをする。
21時すぎに青年の声が廊下で聞こえてきた。無事に帰ってきたようだ。21時半就寝。
東京に出かけた人たちは17時過ぎに出発したとしても21時ごろまでかかるだろう。それから荷造りとなると今日も寝るのが遅くなることだろう。くしゃみが出てきたので21時すぎベッドに入って一休みをする。
21時すぎに青年の声が廊下で聞こえてきた。無事に帰ってきたようだ。21時半就寝。
コスタリカ国旗
2011_0309.jpg
2011_03092.jpg
2011_03094.jpg


この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月8日(火) 晴れ 駒ヶ根日の出6時9分 日の入り17時48分 最低-3度 最高5度 湿度40% 研修62日目、後半32日目 派遣まで16日目 帰国後351日
2011/03/08(Tue)
5時半起床。日記をつけて今日の予定を見る。午前中3回のネパール語のクラスと午後は2時間旅行会社からの説明と健康管理の説明がある。7時から朝礼。今日の国はパラオ。青地は太平洋、黄色の円は満月をかたどったものである。青年1名とシニア1名が派遣予定。朝食はパンをいただく。朝食後先生に送るカードを書く。8時33分日記を書く。8時45分からのクラスでは赤本の解説。昼食は鉄火丼をいただく。毎日ご馳走をいただいたがまもなくこれもお仕舞いになる。1時から任国への旅行の説明と公用旅券とネパールまでの切符とバンコクでの1泊ホテル宿泊券をもらう。公用旅券取り扱い注意の説明がある。2時40分まで。4時から健康管理の説明。3時16分まで葉書を書く。これからスピーチ原稿を読む。5時過ぎサービスエリアに葉書を出しに行く。5時20分から体育館で備品の整理をする。5時45分から夕食。夕食後USBをとりにでかける。洗濯をする。20時からベッドで休む。21時半洗濯物を取り込む。日記をつけて21時50分からネパール語のスピーチの準備。1時20分まで ベッドでスピーチを作って就寝。
パラオ国旗
2011_03081.jpg
2011_03082.jpg
2011_03083.jpg
2011_03084.jpg




この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月7日(月) 雪 駒ヶ根日の出6時11分 日の入り17時47分 最低1度 最高6度 湿度58% 研修61日目、後半31日目 派遣まで17日目 帰国後350日
2011/03/08(Tue)
5時半起床。今日のネパール語の日記は昨日書いたノートのことを書いて、それを見ていただいて間違っているところがあれば、直してくださいと書いておく。6時15分からこの日記をつける。今日は5回のネパール語のクラス。そのあとボランティア スピリット意見交換会がある。若者数名とシニアは自分1人だけ意見交換会である。若者の話が聞けるのが楽しみである。今日の昼には帰りのバスのお金を支払う。大阪まで4500円である。今日の夜は最後のネパール語の発表の5分間スピーチの内容を準備をする。明後日は1日自習なのでそこで作って話す練習を終えたい。6時半。カーテンを開けると外は雪が降っていた。湿った雪で外が雪で一面白くなっていた。これで今回の朝礼はすべて屋内でやることになりそうである。これからネパールへ行ってからも使える文章を最終スピーチで話すことにする。7時からの朝礼はサモア。赤は国民の勇気を、青は自由と美しい海を表わし、五つの白星は南天に輝く南十字星で、純潔を象徴する。 1997年7月に国名が「西サモア」から「サモア」に変更された。4名の青年と1名のシニアが派遣予定。バヌアツの校長先生はサモアの南太平洋大学サモア校で農業を学ばれた。今朝は思いがけずに悲しいお知らせがあった。ここまで頑張ってきて退所した人の気持ちを思う。朝食後のクラスで先日の試験の結果を聞く。合格にしてくれていた。朝は授業についての感想を話させていただく。昼食後バスのお金を支払い午後のセミナーの会場の設営をする。午後2回のネパール語のクラスのあと、15時10分からボランティア スピリット意見交換会を5名の青年とする。終わってから診療室で目薬をもらう。17時45分から夕食をいただき風呂に入る。19時24分日記をつける。ネパール語の5分間スピーチの原稿を書いていると青年から原稿を書くようにと尋ねてくる。30分ほどで書いて9班に入れてくる。メールを見ると先生への感謝ボードを書くようにとあったので10時50分まででネパール語の文章を書く。私はネパールとネパール人を大好きになりたいです。と書いてみるが明日先生に正しく書いてもらって書くことにする。10時54分からブログを更新して、11時半就寝。サモア国旗
2011_03075.jpg
2011_03072.jpg
2011_03071.jpg
2011_03073.jpg
2011_03093.jpg
2011_03074.jpg
2011_03076.jpg
2011_03077.jpg


この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月6日(日) 晴れ 駒ヶ根日の出6時12分 日の入り17時46分 最低-3度 最高9度 湿度48% 研修60日目、後半30日目 派遣まで18日目 帰国後349日
2011/03/06(Sun)
目が覚める前夢でアンディに会った。1月15日の夜に東京でパーティの案内をもらったが出られなかった。奥さんのお披露目パーティだったようだった。お相手はJOCVの教え子らしい。5時起床。寝起き最後の日曜日の過ごし方を考える。幸い日中晴れのようなので駒ヶ根の町を探訪したい。昨年は広島と小樽の町を歩いて図書館で本を読んで一休みをしたのが思い出に残っている。朝食まで「旅の指さし会話帳 ネパール」を読む。
7時20分から朝食はおかゆをいただく。毎日ご馳走がでるので見るからに太った人が多い。これまでの60日で5Kg増えたと今朝も男性シニアが笑って言っていた。以前若い女性に体重は変わりませんかと聞いて顰蹙を買ってしまったことがあった。女性は体重が増えることに大いに気にしているのでその話はできない。これまで出されたものは残さず食べてしかも前半はご飯を大盛りにしてもらっていたにもかかわらず体重は65Kgのまま増減は全く無い。朝食後近くの畑まで散歩して南アルプスと中央アルプスの写真を撮ってくる。風が強くて畑にはまだ氷がはっていた。部屋に戻って「旅の指さし会話帳 ネパール」を読む。10時過ぎサービスエリアに出かけてリンゴを送る手配をしておく。昼食後自転車で町へ出かけようと思ったが既に自転車は出払っていたので歩いて訓練所を出る。とても風が強かった。1時間ほど歩いて1時半訓練所に戻り「旅の指さし会話帳 ネパール」を読む。17時45分から夕食。今日もシニアが中心で若者は外食をする人が多かった。夕食後風呂に入る。風呂上りネパール語の復習をする。20時からブログの更新。
2011_03062.jpg
2011_03064.jpg
2011_030611.jpg
2011_030610.jpg
2011_03069.jpg
2011_030613.jpg
2011_03061.jpg
2011_03068.jpg
2011_030612.jpg

この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月5日(土) 晴れ 駒ヶ根日の出6時14分 日の入り17時45分 最低-6度 最高8度 湿度30% 研修59日目、後半29日目 派遣まで20日目 帰国後348日
2011/03/05(Sat)
5時起床。朝までネパール語の復習をする。7時の朝礼の国はバヌアツ。緑色は緑豊かな国土を、赤色は独立闘争で流された血の犠牲を忘れずに国民が一致団結しようという決意を、黒色は土地の肥沃さとメラネシア人
を、黄は平和とキリスト教信仰をそれぞれ象徴する。青年1名とシニア1名が派遣予定である。今日もいい天気であったが朝礼は屋内であった。いつものラジオ体操、朝食後8時半からネパール語の試験。聞き取りの試験が9時半までの1時間。9時40分から11時40分まで書き取りが2時間。合格点にはかなりとどかなかった。日本語に似ているので日本人には習得し易いと言われるネパール語であるが、習ったことを整理しておかなければこれまで習ったことが埋もれてしまうので残された時間はそれをすることにする。昼休みに日記をつける。昼食後1時から会話の試験。14時半までで終了。長い研修の最終試験が終了した。
15時10分から語学終了オリエンテーションがある。そこで習ったことは1週間で76%が消えていくので毎日勉強することの話があった。16時から部屋で終了時アンケートを書いて洗濯をする。帰るまでにあと1回の洗濯で持ってきた600gの洗剤が丁度無くなる。今日はクラスの打ち上げがあるが疲れてしまったので欠席させてもらうことにした。あと残りの課題は3月10日のネパール語での発表会である。青年隊員は8日に特別行事で全員上京する予定である。17時45分最終アンケートを提出してから夕食をいただく。最後の土曜日の夜とあって宴会に出かけた人が多く居残りの人ではシニアが多かった。夕食後コロンビアへ行かれるシニアの方と談話室で囲碁をする。最初白を持って25目負ける。次に黒を持って中押し勝ちであった。20時風呂に入りに行く。なんと風呂に来ていたのは囲碁をした方との2人だけであった。風呂上り日記をつける。今日の語学終了オリエンテーションの話では試験結果に教師による授業中の評価を加味して終了を評価するという。20時46分
バヌアツ国旗

2011_03051.jpg
2011_03052.jpg
2011_03053.jpg


この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月4日(金) 晴れ 駒ヶ根日の出6時15分 日の入り17時44分 最低-1度 最高3度 湿度32% 研修58日目、後半28日目 派遣まで21日目 帰国後349日
2011/03/04(Fri)
5時半起床。ネパール語の数字を覚える。昨日習った覚えたい文章を書く。7時から朝礼。トンガ。1970年の独立時に制定された国旗。カントンの十字はキリスト教国であることを、白は純潔を、赤は聖なるキリストの血を表す。青年1名とシニア1名が派遣の予定。朝食後日記をつける。明日は最終試験。よい成績は期待できないのだが、どういう結果になるのだろうか。朝は昨日の復習をする。昼食後数字を覚える。午後は形容詞の復習をする。3時から復習をする。5時10分借りた本を図書室に返す。5時45分から夕食。7時に入浴。風呂上り100までのアンカーを覚える。20時から22時まで構文を復習する。23時就寝。
トンガ国旗
2011_03041.jpg
2011_03042.jpg
2011_03043.jpg


この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月3日(木) 晴れ 駒ヶ根日の出6時16分 日の入り17時43分 最低-6度 最高0度 湿度38% 研修57日目、後半27日目 派遣まで22日目 帰国後348日
2011/03/03(Thu)
夜中目をさましベッドの中で「ネパールの学校から ジャパニー先生見聞記」を読んで5時半起床。今日の日記は昨日のクラスで覚えておきたいネパール語の文章を書く。6時から昨日の音声を聞きながらこの日記をつける。6時40分館内放送で今日の朝礼がこれまでと同じホールであると案内された。今日は外であるかと思ったが今日も屋内であった。今日の国はソロモン。青色は南太平洋の豊かな水を、緑色は美しい自然と国土を、黄色は太陽を象徴する。5つの星は国土を構成する主要な島々を表わすと同時に、南十字星を表現している。先の戦争ではガダルカナルがあることで有名である。青年3名が派遣の予定。
朝3回のネパール語の学習。ひな祭りの昼食は刺身があった。後宅配係りでダンボールの販売。午後3時までこれまでの後半の授業を復習する。ゲームで数字を覚える。夕食はカツどん。夕食後入浴。入浴後ネパール語の復習。ニジェールの話を聞いてWebサイトを見るとアフリカのニジェールの治安が悪くなってきている。最近旧宗主国のフランスの2人が誘拐されて殺されたという。市内のレストランの利用は控えるようにということであった。8名が派遣予定である。22時半。23時就寝

ソロモン国旗
2011_03032.jpg
2011_03031.jpg
2011_03033.jpg
2011_03034.jpg

この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
3月2日(水) 晴れ 駒ヶ根日の出6時18分 日の入り17時42分 最低-1度 最高8度 湿度36% 研修56日目、後半26日目 派遣まで23日目 帰国後347日
2011/03/02(Wed)
4時目をさます。「ネパールの学校から ジャパニー先生見聞記」を読んで5時半起床。著者の野村晴久さんは愛知県立刈谷高校の現役教師を休職して2年間ネパールのセカンダリースクールで活動された。野村さんの活動には感心することばかりである。その61ページにトルストイの言葉として「物が満足にあるということは不幸の条件であっても、幸福のそれとはなり得ない」というのがあった。日本は物であふれているが日本で生活することで幸福に感じている日本人はけして多くないことでこの言葉は説得力がある。今日から3日間はネパール語のクラスは1日5回で午後2時間は自習で5日の最終試験の準備の時間に当てられている。7時からの朝礼はパプアニューギニア。国旗の左に描かれている5つの白い星は、南半球を象徴する南十字星を意味している。また、赤地は太陽と国民の力を、黒地は肌の黒いメラネシア人を表現している。 赤地に黄色い鳥は国鳥である極楽鳥を画いている。青年3名とシニア1名が派遣の予定でこの国には男性だけが派遣されている。朝食後日記をつける。8時25分語学交流会の手紙を提出する。8時45分からネパール語のクラス。し続いているの表現を習う。昼食後体育館で卓球をする。午後クラスメートをネパール語で語る練習をする。15時クラス終了後ネパール語の復習をする。地元の県と市の表敬訪問の日が決まる。県の集合は17日の9時45分。市の集合は14時45分ということであった。17時から班会議。夕食後風呂に入る。最終ネパール語のスピーチを何にするか考える。歌を歌うのでも良ければ「上を向いて歩こう」をネパール語に訳して歌うのもいいかと思ったが歌は駄目かもしれない。19時20分 ノートを復習して21時ベットで「ネパールの学校から ジャパニー先生見聞記」を読んで22時就寝。
パプアニューギニア
2011_03021.jpg
2011_03022.jpg
2011_03023.jpg




この記事のURL | 駒ヶ根訓練 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ