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4月30日(土) 雨のち晴れ後くもり カトマンド 3時22分の気温26℃ 湿度74% ネパール37日目
2011/04/30(Sat)
3時に目を覚ます。今日の停電は4時から11時までと16時から23時の14時間。
4時までの1時間に日記と写真のアップとブログの更新をする。3時55分電気が切れる。ベッドで「鬼平犯科帳2」を読んで就寝。5時起床。冷えたレモンティーを飲んで歯を磨く。お気に入りのItuneで石原裕次郎「恋の町札幌」などを聞きながらPCの電池でExcelで名簿を登録する。昨日も沢山の人と挨拶したがそろそろ整理の仕組みを作っておかないとどうにもならなくなる。5時30分ホテルの自家発電の電気が来る。6時15分までで15件Excelでデータ入力する。6時半今日の朝食にはオクラが出る。今日は空一面の薄い雲がかかって雨がきそうだ。
食後庭でネパールティーをいただく。青年隊員が「今日ポカラに出発します」と言ってでかけて行った。大切な休日だからまだ家を決めていない人は家を探しに出かけたり契約の詳細を詰めたいという人もいる。8時出かけようと思ったら雷が鳴って大雨になる。部屋で英語のボキャブラリーカード1.have,2.doの復習をする。
これから英語の復習は毎日続けることにする。「鬼平犯科帳2」を読む。9時半ごろ小雨になったところで出かける。川は水量が増えて大量のゴミが流れていた。はじめてスーパー セルウェイを尋ねる。30cmx45mのプラスチック ラップを買う。ジャカランダのうす紫の花を写真に撮る。つぎに野菜マーケットまで足を伸ばしレモン20個とスイカ1個を買ってホテルに12時15分帰る。ホテルの食堂でネパールティーと昼食のサンドイッチをいただく。13時からお気に入りのミュージックを聞きながら日記をつける。大勢の若い日本人がホテルに来た。13時半過ぎ、部屋を清掃してくれる。ついでに汚れた運動靴も洗ってもらう。屋上に干したから5時までには乾くからと言ってくれる。写真をアップしてブログを更新する。ベッドで「鬼平犯科帳2」を読みながら昼寝する。4時起きてExcelで作ったHouse Keepingを修正する。円とドルとルピーを管理できるように手直しする。5時屋上から運動靴を持ってきて、いつものレストランに行く。今日もハーフサイズの野菜焼きそばを作ってもらう。今日のは丁度いい味付けで美味しかった。少なめで丁度いい。ホテルに帰ってお風呂に入る。入浴中しばらく電気が消える。6時風呂から上がり窓の網戸から入る風が気持ちいい。今日9時に雨の中ポカラに向かった青年隊員から途中2回もチャーターした車のパンクがあって着いたのは16時だったと連絡が来ていた。200Kmの舗装された道路であれば日本で考えるとせいぜい3時間だが一度行ってみなければ何故7時間もかかるのかわからない。マウンテンビューホテルに住み始めたとあった。いよいよ来週からポカラの病院での勤務が始まる。6時22分 7時までHouse Keepingの4月の締めをして5月分をセットアップしておく。8時ベッドで「鬼平犯科帳2」を読みながら就寝。これで4月がお仕舞い。
いよいよ5月になる。
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4月29日(金) 雨後晴れ カトマンド 1時8分の気温24℃ 湿度74% ネパール36日目
2011/04/29(Fri)
1時目を覚ます。ポットのお湯にティーバックを入れておく。今日は日本は大型連休の初日。カトマンドの今日の停電時間は6時から13時と17時から24時の14時間。今日から5月3日まで22次4次隊20名のポスティングが始まる。今日は9時半にJICAに行く。10時半派遣先への1番バッターにアサインされた。今回はネパール語の出来る若い調整員とネパール人スタッフが同行してくれるので有難い。挨拶に行くカウンターパートと職場への手土産はJICAでもらったカレンダーと宝塚市の国際協力協会からもらったボールペンと伊丹空港で買った神戸のチョコレート菓子を持っていくことにする。今日は週末の金曜日なので仕事は午後3時までと聞いている。初日だから多少の希望は聞いてもらえるだろうから今日は少し早く失礼することにしたい。まだ口座開設して以来一度も銀行窓口に行っていない。出来たら午後銀行に寄って1か月の生活費をネパール ルピーでおろしておきたい。外から大きな雨音が聞こえて来た。雨季は6月からと聞いていたがこの頃午後から雨が降り出す日が続いている。傘:チャタが手離せない。1時半大きな雷が鳴り出し一段と雨音が大きくなってきた。こんな日は通勤に長靴が必要になるだろう。出来ればビニールの長靴を探しておきたい。今日は朝ホテルに1か月分の宿泊料を払わなければならない。はじめて小切手を書き、切って渡すことになる。現金でなくて小切手で渡せるので便利である。ホテルに小切手で生活費を切って変りに銀行からルピーを下ろしてもらえればありがたいのだが、今日話してみることにしよう。そうしてもらえればお金をおろしに銀行へいかなくても済む。インターネットの代金とパソコンのアウトプット料金も精算しておきたい。いつまでも積り積ったお金をそのままにしておくのも気持ちが良くない。これから写真をアップロードしてブログを更新する。3時雨が小降りになる。レモンを搾ってレモンティーを作って冷蔵庫に入れておく。5時50分までで「男たちの伝説」を読了。
若いときよく読んだ、フレデリック フォーサイスを髣髴させられる物語で面白かった。今日はあと10分で停電が始まる。カトマンドはカッコーの声と鶏のときの声が響きわたる。5時52分 6時予定通り停電になったが、自家発電がしばらくして稼動して電気がついた。6時15分フロントに5月分の部屋代とこれまでの冷蔵庫、パソコン印刷代、インターネット代金の清算を頼む。5月分の部屋代は小切手で支払う。朝食後領収書をプラカシュさんからもらう。これでルピーが残り少なくなった。今日銀行へお金を下ろしに行く必要がある。何度も行けないから1か月分の生活費を下ろすことにする。7時半。これから今日勤務先に出かけてやることを見直して頭に入れておく。8時45分ホテルを出てJICA事務所まで歩く。9時15分事務所につく。10時過ぎ調整員とナショナルスタッフのクリシュナ ラムサルさんと車で出かける。途中渋滞していて南東からリングロードに出て左に曲がり、アルニコハイウェイを右に曲がりバクタプール方面に広い道路を走り、途中から左に入りペプシの工場があるあたりで右へ曲がりサノティミのバス停に出て左に曲がり教育局の建物につく。情報管理課のカウンターパートになるサンカルジーとその上司にあたるバララムジーに挨拶をする。とりあえず狭い仕事場であるがサンカルさんのそばに身を置かせてもらうことにする。この職場の所長のラヴァ デオ アワシャさんに挨拶をする。サノサンと呼ぶんですね。自分をディジーサルと呼んでくれといった。デレクター ジェネラルという肩書きで大きな執務室にいて隣は広い会議室をもっていた。いろいろ話してくれたが残念ながら半分も聞き取れなかったが好意的な会話をしていてくれるのはわかった。サンカルさんとデュプティ ディレクターのバララムジーさんを前にして「2人の先生としてよろしく」と言ったので、いや「友達として」と口をはさんで3人に笑われた。どこで仕事をしてもらいましょうかと、サンカルさんの執務室と少し離れた部屋の広い執務室を案内していただいたが、最初は一緒の部屋でお願いすることにした。次に一緒に行ったスポーツ省の同僚の職場を訪ねカウンターパートの上司のクリシュナジーを尋ねる。図書室も案内していただく。残念ながらカウンターパートの方は公用で海外に出張中で2週間先に帰国ということで会えなかった。最後に市内から職場までのバスの運転手に挨拶をして月曜日から利用させていただくことにする。マイティガールの先のババルマハルのバス停には9時25分の予定でカトマンドから来て、職場まで職員を運んでくれるという。帰りは5時、金曜日は3時に職場からカトマンド市内まで運んでくれて、運賃は無料ということであった。12時半ごろに教育省を後にする。空港に日本から来る人を迎えにいくという調整員と空港近くで別れホテルまで車で送ってもらう。昼食はホテルのレストランでネパールティーをいただき朝のサンドイッチをいただく。そのあと近くのワールドトレードセンター3階にあるナビルバンクに行く。1時50分に着いたが2時まで事務所の中にはガードマンが入れてくれなかった。どうやら休憩のようだった。2時ようやく事務所に入って窓口にしばらく並ぶ。やっと順番が来て小切手を見せて残高を教えてもらい小切手にネパールルピーの金額を書いてを下ろす。ホテルに戻ってお風呂に入り、疲れたのでベッドに横になって池波正太郎著「鬼平犯科帳2」を読んで昼寝する。5時半起きて日記をつける。17時から停電で電気が無いので電池でPCを動かす。18時10分 庭に帰国される先輩の記念写真を撮る。しばらくしてネパール人御夫妻が来られ又写真を撮る。珍しい焼いたたけのこをいただく。心づくしの日本の漬け物をお相伴にあづかる。21時頃帰国されるお二人を見送る。23時半カトマンド発でバングラデシュのダッカへ行き、しばらくの給油の後香港経由、成田には明日午後2時の到着の予定。新潟には4時間半から5時間の車の旅ということである。ゴールデンウィークで果たして道路がどれだけ渋滞しているのだろうか。23時過ぎまでおしゃべりをして思いがけないいろいろなことを教えていただいた。部屋に戻り就寝。24時まで停電の予定通り電気は来ていなかった。
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4月28日(木) 晴れ4時半頃小雨 カトマンド 4時半の気温24℃ 湿度72% ネパール35日目
2011/04/28(Thu)
夜中目を覚まし「男たちの伝説」を読む。4時すぎ気がつくと電気が来ていたので起きて日記をつける。
今日の停電の予定は8時から15時までと、18時から1時までの14時間。無線のスピードが速くなってネットがよく反応する。今日はネパール財務省と教育省と日本大使館への表敬訪問。いよいよ明日は赴任先へ挨拶に出かけて仕事がはじまる。外はまだ暗いが暗かった空が群青色に変わってきた。ガーガーと大きな声で鳴く鳥もいる。あひるかもしれない。鶏の声も聞こえる。5時10分 これから 今日ネパール語で話すことがあった時の為の文章を覚えておく。6時半朝食後、庭でネパールティをいただきながら、先輩とおしゃべりをする。
7時半すぎ部屋でポットを沸かして紅茶を作る。今日は予定通り8時に停電となった。8時過ぎホテルを出て、砂糖を1Kgいつもの店で量り買いして、から野菜マーケットを覗く。3個10ルピーのレモンを9つ買う。その足で服のバザールを覗く。先日気に入った帽子のあった店を探したが見つからなかったが別の店でネパールの国旗をつけた帽子を気に入って価格を90ルピーにしてもらって買うことができた。もう暑い日差しの中帽子を被ってホテルに戻る。レモンを絞ってレモンティを作り冷蔵庫に入れておく。支度をしてマスクをつけて、帽子を被って10時ホテルを出てJICA事務所に向かう。10時28分JICA事務所に到着。
11時過ぎ車2台に便乗して役所が集まっている官庁街の塀の内側に入る。11時半頃財務省:ミニストリー オブ ファイナンスが最初の表敬訪問先。ネパール人のお偉いさんから感謝の言葉とスキルの伝授を期待する旨の話と東北大震災のお悔やみの話があった。SV/JV全員が自己紹介をする。最後に挨拶をして表敬を終わる。終了後しばらく玄関で車の到着を待つ。到着後賑やかなタメル地区にある教育相:ミニストリー オブ エディケーションを尋ねる。アンダー セクレタリー:次官補という職のハリ プラサァド ラムサルさんを表敬する。まだ若い40代だと思ったが、長身で笑顔が素敵な英語の上手な人であった。次官にもなる人なのだろう。明日赴任するサノティミで教育統計の仕事も以前していたと言っていた。名刺交換する。昨日とは対照的な大渋滞の道を車に乗ってJICA事務所にもどる。4F会議室で昼食をいただく。今日の活動の残りは3時集合のネパールの日本大使館を表敬訪問だけになった。朝青空だった空は曇が出てきて昨日同様雨がきそうになってきた。JICA事務所のパソコンを使って日記をつけておく。14時33分 3時に日本大使館に向けて3台の車で移動する。大使館へ行く道の両側にあったジャカランダという大きな木のうす紫の花が綺麗に咲いていた。北海道のラベンダーを思い出した。3時半大使館につく。予定の4時より大使が電話中ということで少し遅れて始まる。4時33分までシニア13名と青年7名が一人一人自己紹介をする。それについて神長善次大使から率直な考えや要望を話された。率直な話はトマトやマンゴー、ジャガイモや玉葱などについての成長促進剤の話など。共通した要望は専門分野のわかりやすい一覧できるものを作ってほしいというものであった。予定が少し伸びて4時35分終了。帰りは木戸ホテルまで車で送ってもらう。5時25分まで日記をつける。5時35分お風呂に入る。気持ちのいい風呂からあがり、風にあたりながら日記をつける。 5時50分 ベッドに横になり「男たちの伝説」を読む。18時半いつもの店で夕食をいただく。あまりお腹が空いていなかったのでいつもの半分にしてもらう。夕食後暗くなった道を懐中電灯をつけてホテルに戻る。ホテルの1階ロビーで明日、日本に戻られる先輩ご夫妻と航空会社でお仕事中の方とおしゃべりをする。フロントでポットにお湯をもらいベッドに横になり「男たちの伝説」を読んで19時就寝。

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4月27日(水) 晴れ午後雷雨 カトマンド 0時の気温24℃ 湿度70% ネパール34日目
2011/04/27(Wed)
23時半就寝後2時半目を覚ます。29日のポスティングの際教えてもらいたい質問内容をネパール語で作っておくことにする。4時50分電気が来た。パソコンの電池残量59%で充電が始まり日記をつける。今日も4時55分快便で一日が始まった。バヌアツの首都ポートビラの夜明けと同様カトマンドの夜明けも鶏の時の声が高らかである。カトマンドは鳥の鳴き声も賑やかである。中には綺麗な小鳥のさえずりに混じってけたたましい鳥の声も聞こえてくる。真っ黒な空が次第に群青に変わり白んでくる 朝5時3分。5時52分まででポスティングで聞きたい事柄の質問文をネパール語で作り終える。電気は来たがネットには繋がらない。今日の停電時間は9時から16時と22時から3時までの12時間である。今日のカトマンドは昨日同様のお天気である。パソコンの電池残量99%になっていた。5時56分。6時ホテルのパソコンでネパール語の質問する文章を印刷する。朝食にはヨーグルトが出た。バクタプールのヨーグルトは有名で先日ネパール語のフィールド研修でバクタプールの古都を訪ねた時先生方と良く冷えたヨーグルト30ルピーをいただいたので尋ねたら、カトマンドのヨーグルトだということであった。今日はネパール公式暦であるビクラム暦の新年である2068年1月1日(西暦2011年4月14日)になってはじめての「バンダ」という名のゼネストがあった。カトマンズ周辺郡に居住するタムサリン族とネワール族グループのバンダがカトマンズ盆地内、カブレ、ヌワルコット、シンドゥパルチョーク、ドラカ、マカワンプール、ダディン、チトワン郡界隈で実行されるという。大使館情報では主要交差点付近に群衆が集結し、道路封鎖状態になることから、一般車両、公共バスなど通行不能となる見込みという。また、学校や商店等閉店する。バンダの目的は新憲法成立を訴えているらしい。この国の自治の姿を示すのが新憲法の要点らしくその骨格が憲法の盛り込まれるようだがそれがまだ決まらないらしい。1年延期された期限が来月末になっているようだが又延期になりそうだ。15時半まで大きな混乱もなく散会になったようだ。7時50分部屋に戻り、レモンティをつくる。8時半先輩のお友達のネパール人スレシュさんがホテルに来られ一緒におしゃべりをする。11時頃からJICAの近くのスレシュさんの会社を訪ねる。バンダということで車やモーターサイクルで普段大渋滞の道は自転車と時々車とバイクが走るだけの閑散とした道になっていた。道路わきには完全防備に身を固めてプラスチックの盾を持った警官が警備を固めていたがデモ隊はお目にかかれなかった。事務所は5階建てぐらいで全館借りきりのビルで社長室で話を聞いたあと、各階と屋上まで案内していただき、プレゼンルームで会社案内をパワーポイントで説明していただいた。1997年以来14年間に及ぶ仕事のご苦労を聞く。バンダにもかかわらず、日本の仕事を納期がせまっているとのことで、会社に来られる社員は出てきて仕事をしていた。現在社員60名、テンポラリーワーカーを含めると200名になることもあるという。日本料理屋での昼食を誘われたが、あいにくバンダで店を閉めていた。弁当を他から取って準備できると言ってくれたのだがご好意を感謝して今日の会食は失礼することにする。有名な日本人のフジパンを覗いて、トリブバン大学の学生たちを見て閑散として道路でサッカーボールをけって遊んぶ子供を見ながら道を歩く。普段大渋滞になる道路やタパタリ交差点で写真を撮って、ホテルに戻る。ホテルのレストランで仲間が入れてくれたコーヒーとネパールティーをいただき朝作ったサンドイッチの昼食をいただく。昼食後部屋のベッドに横になって「男たちの伝説」を読んで休む。15時49分フロントから風呂に入れるとの電話をもらう。熱いお風呂に入ってからベッドで「男たちの伝説」を読む。16時35分電気が来たので日記をつける。ネットが繋がりメールを見る。しばらくメールのなかった広島からメールがあってほっとして返信する。今日は14時ぐらいまで晴天で暑かったがその後雷が鳴って大雨が降ったが4時過ぎには雨は上がった。今日はお昼が少し遅かったのでまだお腹が空かない。17時5分 今日の写真をアップロードする。今日の写真をメール添付で送る。コレを送ったら夕食に出かけようと思うのだが回線が遅いらしくなかなか応答が悪い。今日の停電の予定は22時から3時まで。17時45分 夕食にでかける。外は少し雨が降っていたのでホテルのフロントで傘を借りて差していつもの店に行く。店の看板のスンダリ ケティと目が会って笑顔を見せてくれた。お腹一杯になって18時半ホテルに戻ると、仲間の「讃岐うどん」を誘っていただいたがもうお腹一杯で入りませんと失礼する。部屋に戻ると朝出した洗濯物に別の部屋の伝票が入っていたのでフロントにそれを戻す。部屋に戻ってレモンを3個切って絞りレモンティーを作る。18時50分から日記をつける。ネットは有線のLANケーブルでは繋がらず、無線で繋がったが今日はやけに回線が遅い。KeyholeTVはタイムアウトになって繋がらない。この時間外から涼しい気持ちの良い風が入ってくる。ITuneで坂本冬美の「夜桜お七」などを聞きながらブログの応答を待つ。
ブログの更新をしようとするが回線が遅くてとても時間がかかる。20時に停電になった。22時が停電のはずだが今日は2時間早く停電になる。22時半「男たちの伝説」を読んで就寝。
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4月26日(火) 晴れ カトマンド 0時18分の気温25℃ 湿度72% ネパール33日目
2011/04/26(Tue)
今日の停電の予定は11時から18時と22時から5時までの14時間。昨日の話では来年の乾期である冬の季節には今より停電は長くなるだろうとの話であった。16時間以上にはなりそうである。ネパールの電力は900メガワットの需要に対して最大700メガワットの供給だという。全て水力発電である。日本が現在開発を計画中のアッパーセティ水力発電所の能力は144メガワットということだが工事をはじめてから完成するのに8年かかるという。最近ドイツの援助で完成した水力発電所は140メガワットだそうで当初の見積もりの倍の費用がかかったという。昨日はカトマンズとインドに近いタライを結ぶシンズリ道路158Kmの開発が日本の援助で開発されているとの説明があった。日本ではけして作ることの考えられないような険しい地形に作っている道路だそうだ。日光のいろは坂を思わせるくねくねと急斜面に作られた道路で今後は大変維持費用がかかりそうな道路であった。これからポスティングでの挨拶文を考えようと思うが疲れたのでベッドに横になる。蚊の鳴く声を聞いたがめし取ることは出来なかった。1時15分「男たちの伝説」を読みながら就寝。3時過ぎ目を覚ますとまだ電気が来ている。5時までは今日は電気があるようだ。3時15分からABC1008「おはようパーソナリティ道上洋三です」を久しぶりに聞きながら日記をつける。つつじやはなみずきの白とピンク、西洋からしなの黄色の話をしていた。春の黄色の花は菜の花だと思っていたが、西洋からしなだという。春は山笑う(わらう)。秋は山装う(よそおう)。夏は山滴る(したたる)。冬は山眠る(ねむる)と表現するということを教わる。机の上に蚊が飛んできたのでこんどは召捕る。ネパール省庁表敬とポスティングの挨拶のために念のためネパール語の挨拶文を1枚作った。今日は昨日よりはお天気になりそうであるが傘はリュックサックに入れて持っていくことにする。5時50分。昨夜来電気はこれまで来ている。5時半ぐらいからホテルの庭の掃除と垣根の刈り込みをするおじさんが来て綺麗にしてくれている。ネパールの人は朝早くから仕事をしている。6時半朝食後庭でネパールティーを飲みながらおしゃべりをする。8時これから出かける準備。9時から13時まで午後は2時から4時過ぎまで活動の活動の説明を受ける。明日はネパール特有の「バンダ」というものがあり特別休暇。
あさってはネパール省庁表敬訪問と日本大使館表敬訪問。明々後日はいよいよポスティング。帰り道パンを買っていつもの店で夕食。ホテルに帰ってお風呂に入る。上がってから1ヶ月に及んだネパール現地研修のアンケートを作って返信する。19時40分 日記をつけて今日の写真をアップロードする。20時ベッドで「男たちの伝説」を読みながら就寝。22時半目を覚ます。まもなく23時電気が切れて停電になる。これからは非常灯の明かりと、パソコンの電池で日記をつける。昨日今日の最後の研修に体調不良で欠席していた人がいた。出席していた中にもお腹をこわしたまま体重が減り続けているという人がいた。この国ではお腹をこわす人が多い。水は沸かした水しか飲まなかったがこれまで2度お腹をこわして65kgあった体重が来た最初の2週間で62Kgまでに減った。その後良くなって約2週間で63~64Kgに戻ってきた。周りの人の中には良くなって元気になった人がまた具合悪くなっている人がいる。全く油断ができない。良くなって元気が出てくると、勝手なもので、もう腸内細菌がネパールのものに入れ替わって順応したから以後は大丈夫という根拠の無い自信が生まれて来るのだが、どうもそうではないらしい。体調が悪くなると全く元気も出なくなってしまう。あと2週間は十分注意して生活することにする。パソコンの電池残量67%、52分というところで日記をやめる。23時半就寝。
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4月25日(月) くもりのち雨 カトマンド 5時50分の気温24℃ 湿度68% ネパール32日目
2011/04/25(Mon)
5時35分電気が来て起床。トイレで蚊を見つけたがすばしこくてすぐ見失った。トイレに蚊取りマットをつけておく。今日も昨日同様のうす曇り。今日も雨は降らないだろうが念のため傘をリュックサックに入れておく。今日の停電の予定は1時から8時と13時から20時の14時間。いつもの朝の5時半過ぎに電気がきたので自家発電が直ったようだ。今日は9時から16時までJICA事務所で研修がある。カトマンドに着いて早いもので1ヶ月がたった。心配した下痢は細心の注意を払ったにもかかわらず、2度もなった。マ パカラ プゲコ チャ。:私は下痢をしています。という文章を覚えた。以後3回目は来ていない。飲む水はホテルで沸騰させたお湯で作ったレモンティーを飲んでいる。外で出される水は飲まない。熱いお茶が出された時は飲む。辛いネパール料理とビールはしばらく見合わせている。ネパールのビールはどうも切れ味が感じられない。日本のようにジョッキまで冷たく冷やしているわけではないしビールの冷え具合もいまいちである。ラクシーと呼ぶネパールの酒はいも焼酎のような軽い日本の焼酎の味である。麦焼酎のいいちこを日本では飲んだものだが、同じように香りのいい蒸留酒である。日本同様お湯割でいただいたが結構これは飲みやすい。酔いたい時はラクシーが手軽で一番良さそうであるがあえて飲みたいとも思わない。バヌアツの時は1人では酒を飲んだことはなかった。ここでもお付き合いだけで飲むことになるのだろうが、今後は日本人の集まりに出かけていくのは控えることにしたい。異国で日本人どおしでその国のことを話しているのはつまらない。つまらない席には出ないようにしたい。 6時16分 6時半朝食の前に手紙をフロントにお願いする。切手代は35ルピー。朝食後、昼食のサンドイッチをつくり、庭でネパールティーをいただく。7時半部屋に戻り、日記をつけてネットをする。インターネットバンキングは途中で心配していた回線が切れて使えなかった。朝のこの時間が一番回線が安定していると思っていただけに肝心のサインオンをしたと同時に回線が切れたので心配することになった。次回にすることにする。今日は9時から16時までJICA事務所でボランティア研修。これから支度してでかける。8時10分
朝9時前事務所のビルのエレベーターに乗ったら同じエレベーターに乗っていたネパール人の女性が私を見て、先週金曜日のプレゼンのネパール語がとても素晴らしかった:デレイ ラムロと言ってくれた。金曜日私たちネパール語のプレゼンを一番後ろで聞いていたネパール女性だった。プレゼンの最初一番後ろに居たこの人の顔を見てこの人にも聞こえるように大きな声で話し始めたので顔を覚えていた。JICAネパールにはネパール人スタッフが22人働いている。9時からJICAオフィスでネパールにおけるJICA事業の研修を受ける。午後は電気・道路。平和構築。最後は4時過ぎまでかかって保険・教育の説明。最後に今週の予定の説明があった。いよいよ28日にネパール省庁表敬訪問・日本大使館の表敬訪問の後、ポスティングという赴任先への派遣の予定の発表があった。私はなんと全員の1番最初で29日金曜日10時半に教育省へポスティングということだった。この日から5月3日ぐらいまで順々に各自がそれぞれのの職場にポスティングが行われる。いよいよ長かった研修が終わって仕事開始となる。これから派遣されたときの、挨拶の文章を考えて話せるように練習することにする。3時ごろから雷と稲光とともに強い雨が降ってきたので調整員さんに大きな傘を借りて傘をさして歩いて帰る。帰り道いつもの店で夕食。ホテルに帰りネパールティーとバナナをいただく。ネットで振込み依頼をしてからお風呂に入る。風呂上りレモンティーを作り日記をつける。写真をアップロードしてブログを更新する。昨夜蚊に両手を刺されたので蚊取りマットをドアの前において置く。20時25分 疲れたので「男たちの伝説」を読みながら21時就寝。23時半起床。NeyholeTVをつけたがNHK TVは見れたがNHKラジオがメニューに出てこず聞くことが出来なかった。こんなことは最近ははじめてであった。仕方なくABC1008大阪朝日放送「もうすぐ夜明けABC」を聞きながら日記をつける。
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4月24日(日) 晴れ カトマンド 1時39分の気温26℃ 湿度64% ネパール31日目
2011/04/24(Sun)
1時半目を覚ます。蚊を1匹見つけたので蚊取りマットのコンセントをつける。今日はあまり元気のない蚊をすぐ召し取ることが出来た。日記をつける。今日は2時まで電気が来てそれから9時まで停電なので後15分でブログを更新する。予定より早く1時55分停電になる。ブログを更新後2時半、ベッドで非常灯をたよりに吉村昭著「高熱隧道」の続きを読む。3時2匹目の蚊を見つけて召し取る。5時15分パソコンの電池の残り72%で1時間使用可能。右半分欠けた月が空に見える。鶏:ククラの鳴く時の声と、小鳥の声が賑やかになってくる。電池残量65% 59分。ベッドの中で「高熱隧道」を読む。5時40分 自家発電の電気が来た。お気に入りのミュージックを聞きながら日記をつけて写真のアップロードをする。今日やることを考える。ワールドトレードセンターの3階にあるというNABIL銀行に出かけてお金をおろすことをやってみようと思う。日本と違い銀行通帳がない。銀行発行の小切手で口座にある残高からお金をおろす。小切手を使うのははじめてである。野菜市場でレモンを買い、帽子の店を再度覗いてみることにしよう。今日はうすぐもりのお天気である。雨は多分降らないと思うが傘を持って行ったほうがほうが良さそうである。今日は弁当を持って木戸ホテルからリングロードで5Kmほどのところにあるトリブバン国際空港までヒデラ グムナ :歩きながらいていろいろ見てこようかと考える。6時半朝食後出かける支度をして7時36分ホテルを出る。野菜市場でレモンを12個50ルピアで買う。8時過ぎ衣料品のバザールは店開きをしているところが多かった。見るだけ:ヘルダイ マットラというといいよ:テクツァと答えてくれた。今日の日曜日はデモクラシー デイでネパールは祝日だそうだ。水着が160ルピア、運動靴が500ルピアから900ルピアであった。今日もガソリンスタンドには給油するバイクの行列が出来ていた。パン屋は9時過ぎでまだ閉まっていた。ナビル バンクは10時から開くというのでしばらく近くで時間を使い10時に行ってみたらどうやら今日は店のシャッターが閉まったままであった。祭日は銀行も休みのようであった。ホテルに戻り日記をつける。10時48分 部屋の安楽椅子に腰掛けて「高熱隧道」を読了。昼食はホテルの食堂でネパールティーをいただきながら朝作ったサンドイッチとバナナをいただく。午後は「中島らものたまらん人々」を読む。午後は暑くなってきたので空港まで歩くのは見合わせることにする。5時過ぎいつもの店で夕食をいただく。ホテルに帰りレモンティーを作る。お風呂に入ってから庭でネパールティーとバナナをいただき夕涼みをする。ビールを飲んでいたネパール人と少しおしゃべりをする。部屋に戻って美空ひばりを聞きながら日記をつける。ベッドに横になって「中島らものたまらん人々」を読む。今日はネットワークは繋がらなかっい。18時56分 日本に手紙を1通書く。20時ネットに繋がったのでブログを更新する。20時半 ベッドで落合信彦著「男たちの伝説」を読みながら就寝。夜中に蚊に両手を食われる。薬を塗っておく。よく探したが見つからなかった。トイレで耳元で鳴く声が聞こえた。なかなかすばしこい蚊で姿はよく見えなかった。
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4月23日(土) 晴れ カトマンド 3時38分の気温27℃ 湿度64% ネパール30日目
2011/04/23(Sat)
夜中2時半目を覚ます。この時は電気が来ていた。レモンティーをいただいて日記をつける。昨夜はネパールに来てネパール語研修修了の宴会であった。日本から来たほぼ全員が出席した。青年隊員と一緒の時間を共にするのはとても楽しいものである。しかも気持ちの良い楽しい青年男女ばかりである。しかしいい年をした年寄りが青年に甘えてばかりいては情けない。これからはネパール人との時間を多くすることに努めて、日本人と酒を共にするのはこれを最後のしようと思う。外国に来てまで、日本人との交わりばかり求めていてはもったいない。何しに外国までわざわざ来たのかということである。3時に電気が切れた。3時45分まで日記をつけたがパソコンの電池が44%になった。この辺でまた「闇の梯子」を読んで読了する。悲しい物語であった。日本のはこういう時代があったんだと思う。今朝は5時半に電気が来たが5分で切れてしまう。続いて「入墨」を読み始める。5時50分携帯がなる。出てみるとネパール人らしい男であった。名前を聞くと早口でいうのが良く聞き取れない。いつまでもわからないので切る。いつまでも電気が来ない。パソコンの電池が31%になった。
20%まで日記を続けることにする。6時5分に25%のクリテカルな状態になったとメッセージが来たのでやめることにする。6時半から朝食。朝食後ネパールティーをホテルの庭でいただく。昨日の予定通り8時青年隊員が来て一緒にネパールティーをいただきながら庭で先輩ご夫婦のお話を伺う。今日はホテルを出てアパートへ移るシニアが3人いた。楽しいおしゃべりをして11時前記念写真を撮ってお仕舞いにする。部屋に戻り電気が来ていたのでパソコンをつけて充電しながら日記をつける。11時7分で充電率24%であった。11時22分で49%。11時28分で57%。11時32分で62%。12時43分で96%。少し疲れたので安楽椅子で「入墨」を読んで過ごす。12時から朝作ったサンドイッチとレモンティーの昼食を部屋でいただく。昼食後メールを発信しておく。午後は
「入墨」を読了後、「相模守は無事」を読む。4時28分 98% 1.16時間の残量。部屋の電話のコンセントがはずれていた。どうやら昨夜はフロントからの電話が届かなかったようだ。3時にフロントに風呂を電話してくれるように電話する。4時まで読んでいると今日の停電時間である4時5分前に停電になった。4時フロントから風呂が出来たと電話がある。今日は気持ちの良い1番風呂に入る。4時15分風呂から上がり「相模守は無事」を4時半までで読了。それから日記をつける。4時28分 PCの電池の残量98% 1.16時間。今日グーグルで「ネパール日記」と入れたら一番最初にこのブログが出ていた。しばらく続けているとそうなるんだ。テストラヘサというところである。今日もそろそろいつものリンブーのおばさんの店に食事をいただきに行く。いつもの夕食をいただいて店を出てホテルへ帰る道で店の美人の姉さんに会ったので手を上げて挨拶するとにっこり笑って同じように手を上げてくれた。ホテルに戻ると一昨日来られた先輩方からボウズにと声をかけられる。思いがけなかったが飛び入り参加することにする。ジョニクロと日本のつまみをいただく。どうやら今日までで3人が新しい住まいの目処をたてることが出来たらしい。21時まででご馳走様をして部屋に戻る。レモンティーを作って日記をつける。21時18分 藤沢周平著「紅の記憶」を読んで21時半就寝。

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4月22日(金) 晴れ カトマンド 4時34分の気温26℃ 湿度64% ネパール29日目
2011/04/22(Fri)
昨夜電気が切れたが今日は2時ごろには電気が来た。3時半起きてプレゼンをリハーサルしてみる。少しずつ手直しして、話すことも追加する。 昨日習った文章も原稿に使わせていただく。ゆっくり話して9分であった。10分間以内であるから9分であればまあいいことにする。最初に断りを入れて無理しないで原稿を見ながら話すことにする。藤沢周平著「闇の梯子」を読んで就寝。5時起床。昨日の授業の復習をする。6時半朝食。朝食後庭でお茶を飲む。7時半部屋に戻ってレモンティをつくる。日記をつけてこれから出かける支度をする。このところ動きが鈍くなっていたマウスの裏の蓋をはずしてこびりついていたほこりを取り出したらマウスの動きが最初に戻って嬉しくなる。いよいよ今日で1週間が終わり明日からは2連休となる。最後のネパール語の学校になる。朝10時からネパール語の試験がある。ネパール語を聞き取ってネパール語で文章を書く問題。10個の単語から8個を選んで文章を作る問題。動詞の過去形の変化の問題。ネパールと日本の文化の違いの文章を作る問題。など。駒ヶ根の時と同様に試験は全く出来ず我ながらなさけなかった。昼食は最上階の食堂で先生と一緒に昼食のタルカリ ダルバートをいただく。あまり辛くなく、塩気は控えめで、美味しくいただけた。午後バスでJICAオフィスに移動する。青年7名が14時17分から15時24分まで。休憩を挟んでシニア6名が15時39分から16時45分まで合計13名でプレゼンテーションをする。割と大きな部屋で後ろには日本人とネパール人のスタッフが聞いていてくれたので、聞こえるように大きな声を出してネパール語を話す。いつもそうだが、ほかの人の話すネパール語を聞いてもおよそどんなことを言っているのかぐらいしか理解できない。だから自分の話していることも果たして理解してもらえているものなのかどうなのかあまり自信がない。話が単調にならないように1つの話をあまり長くしないで短く起承転結で閉じるようにしている。そういう短い話をいくつか入れて聞いてくれる人はあきないで聞いてもらえるものかを考えてつくる。そういう短い話を全体として不自然にならないように話の順序を並べ替えて全体の起承転結が出来れば全体の話に流れが出来る。一応形づくりが出来てから全体における話のポイントを作ることを考える。全員のプレゼンが終わり来週からの予定を聞いて終わる。今日の予定が終わってから担当の調整員と話をする。前任のSVにもお会いする。ヒマラヤホテルに宿泊しているという。JICAの玄関で青年隊員と会う。懇親会のヒマラヤホテルまで一緒に歩く。途中の話でホテルに戻り、先輩ご夫妻にご挨拶して明日またお目にかかる約束にして、宴会のあるホワイトハウスに出かける。21時ごろまでコーラをいただく。最初に出てきた出てきた鶏肉は黒こげになっていて肉は硬くて塩でしょっぱかった。小さな1つをいただいたが塩辛くてもっと小さなものをとれば良かったと後悔した。水牛の小さな焼き肉は1つ口にしたがこれも肉が硬くて塩気が強くてしょっぱく小さな1つをいただいただけだった。小さなさつま揚げ風の黒ずんだ揚げ物も1口食べてみたが、これは塩気が強く1口だけであとは食べることができなかった。ソーセージ風の揚げ物はミンチを揚げたようなものであったがこれも塩気が強かった。肉物はどれも塩気で日持ちを良くしているようで、塩辛いのが共通していた。この国ではベジタリアンが多いが、塩辛くて硬いこの国のこんな肉では食べたくなる気持ちはけして起きない。餃子が2種類出てきたが餃子の衣が厚くて中身の具は塩辛くて、たれは辛いばかりで2度と食べたくなる味ではなかった。ピーナツのピリカラ炒めはからいばかりでピーナッツが半生で一口食べたが、あまり食べたらまずお腹をこわしそうなものだった。どれもしょっぱく、辛いものが多くて2つと食べられるものはえびせんに似たお菓子だけであった。食べ物に関しては誠に期待はずれで2度と行かないであろう店であった。酒を飲んでいた人は塩辛いものを口にしても食べられると言っていたが、身体にはお勧めできない料理ばかりであった。カトマンド生まれのネワール族の45歳ぐらいの日本語をよくしゃべる人は日本でも生活していたという人だがお腹が不自然に膨れてメタボリックシンドロームそのもののような生活習慣病を持っていることを伺わせる人であった。21時頃400ルピーを支払ってホテルへ帰る。ホテルではこの時電気が来てなかった。今日JICAオフィスに来ていた母からの手紙を読む。母は石巻の津波にあった親戚の皆さんのことばかりが書かれていてお見舞いを送ったと知らせていた。21時半過ぎから非常灯でベッドで藤沢周平著「闇の梯子」を読んで、風呂の空く電話の連絡を待っていたが連絡はなかったようでそのままベッドで寝てしまう。
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4月21日(木) 晴れ カトマンド 5時42分の気温26℃ 湿度62% ネパール28日目
2011/04/21(Thu)
5時半起床。お湯を1.1L沸かす。日記をつける。歯ブラシをお湯と小さなブラシで洗う。レモンティを作りながらブログを更新する。6時になる。今日もカトマンドはお天気である。朝食後ネパール語の学校へ。今日は車が少なかった。風もあって日頃の車の排気ガスがあまり気にならなかった。薫風香る日本の5月を思い出した。聞いた話によると車は10リットルまでバイクは5リットルまでの給油制限が始まったという。1リットル89ネパールルピーというから1リットル110円ぐらいで日本よりは安いがネパールに人にとっては物価の安いこの国ではけして安くはないであろう。普段ガソリンスタンドには車とバイクが長蛇の列を作って給油を待っている。給油は1日がかりの仕事でもあると聞いた。さほど広くないカトマンドの町だから1時間も歩けばかなりの所まで行けるし、平坦なカトマンドの町であるから自転車で十分だと思うのだがバイクを乗りたがる人が多い。若者だけでなく中年ドライバーも多く見かける。今日は仕事で出てきそうな単語を多く教わる。仕事でこれから出てきそうなレターの書き方も学ぶ。3時50分終了して学校を出る。野菜の市場でレモンを買って衣類の市場で帽子を見る。150ルピーぐらいで気に入った帽子があったが今日は見るだけにして買わなかった。いつもの店で夕食をいただく。ホテルに帰ると昨日部屋で落として見つからなかった消しゴムが机の上に置いてくれていた。小さな消しゴムではあったが有難かった。電話があって風呂に入る。風呂上りホテルの庭でバナナをいただきネパールティーをご馳走になる。部屋に戻り日記をつける。いよいよ明日でネパール語の研修は終わる。昼食は全員で学校でいただく。午後はJICAオフィスで最終のプレゼンテーションがある。これからそれのリハーサルをする。18時45分 ベッドに横になったらそのまま布団もかけずに寝てしまった。目が覚めたのは21時半であった。昨日は23時で電気が切れたので今日も23時までとプレゼンの準備をする。原稿をパソコンに入力してホテルのプリンターで23時半に印刷させてもらう。1ページ5ルピーだという。2ページを印刷する。今日は電気は23時52分に切れた。今日はこの時間までホテルの庭が賑やかであったが、電気が切れて外は真っ暗になった。車も電気に合わせるように帰っていって静かになった。これからベッドに入ってプレゼン内容を読み返す。23時56分。
いつも歩く道で出会うネパール美人の写真を載せておく。
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4月20日(水) 晴れ午後雨 カトマンド 0時の気温26℃ 湿度68% ネパール27日目
2011/04/20(Wed)
0時過ぎ、ラジオ深夜便 午前3時台 〔にっぽんの歌こころの歌〕ポップスシンガー・思い出のヒット:加藤登紀子集昭和45年、1970年作品「知床旅情」を聞く。東京へ出た年であった。時代おくれの酒場、島唄、百万本のバラ なども。1時までで最終プレゼンで話すことを日本語で準備してみる。「ネパールでこれからの2年間をどのように送りたいか」というテーマで話をすることにする。このテーマが一番話しやすい。2時15分まででネパール語で10分程度のスピーチ原稿を作り上げる。今日先生に見てもらって形作りをすることにする。職場に赴任した後はカウンターパートにネパール語の先生になってもらい、毎日今日のようにスピーチ原稿を考えて直してもらうことを続けていけば話せるようになっていくことであろう。ベッドで「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」を読んで3時半就寝。5時半起床。レモンティーを作りブログを更新する。
朝食後庭で先輩とおしゃべりをして過ごす。8時過ぎホテルを出る。青空で良く晴れた。風も少しあったのでスモッグは少なかった。ネパール語の学校ではムナジーにプレゼンの内容を見て直してもらう。ありがたいことであった。3時からの最後のクラスでは仲間といろいろ質問をする時間であった。質問をするのは結構難しいものである。授業が終わってパンを買って野菜市場を覗いて帰る。高校生らしい珍しい制服を着た4人組のスンダリケティと目があってうれしくなる。いつもの店で焼きそばをいただく。リンブーのおばさんからミトチャと聞かれたので。ミトチャと答える。ホテルに帰ってお風呂に入る。部屋に戻って日記をつける。カトマンドの今は寒くなく、暑くなく良い気候である。ベッドで「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」を読了。就寝。22時45分目がさめる。起床。ネットには繋がらなかった。23時停電になる。非常灯の明かりでネパール語の復習をする。3時電気が来たが就寝。夜2回扉をたたく音が聞こえた。誰ですかと声をかけたが応答が無かったので開けなかった。その後もう一度扉をたたく音が聞こえた。今度は返事をしなかった。1回だけでたたくのは終わった。ホテルではうかつにあけて強盗であったらそれまでである。これからは電話があって、返事をした時だけ扉を開けることにする。



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4月19日(火) 晴れ カトマンド 0時8分の気温26℃ 湿度63% ネパール26日目
2011/04/19(Tue)
0時目をさます。月はぼけていた。0時5分ラジオ深夜便午前3時台 〔にっぽんの歌こころの歌〕歌でつづるお国めぐり町めぐり:横浜の歌 芹洋子「赤い靴」中村雅俊「恋人も濡れる街角」などを聞く。これから昨日のネパール語の復習をする。4時ごろ疲れてベッドに横になる。6時起床。6時半朝食。お昼のサンドイッチをつくる。7時15分ホテルを出る。動詞の変化形のテストがある。11時の昼食の前から雨が降り始め気温が下がって寒くなった。昼食は暗い教室の後ろに入れてもらっていただく。午後に「科学は世界を良くするか」のテーマでデベートがある。「良くしない」を話した青年たちのネパール語が上手になっていることを知った。シニアは「良くする」を主張したが受身になってしまった感があった。デベート後ネパール語の最終プレゼンテーションについて説明がある。時間は1人10分間ということであった。運良く3時過ぎ雨が上がって学校を後にする。おととい知った野菜の市場を覘きレモンを買う。いつもの店によって夕食をいただく。ホテルまでの帰り道また小雨が降っていた。帰宅後風呂に入り、ベッドで「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」を読んで就寝。23時半目がさめる。起きてレモンティーを飲んで日記をつける。
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4月18日(月) 晴れ カトマンド 0時54分の気温26℃ 湿度70% ネパール25日目
2011/04/19(Tue)
0時45分停電になる。「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」を読んで就寝。5時45分起床。動詞の変化形を復習する。
6時半朝食。朝食のおかずでお昼のサンドイッチを作る。部屋に戻りレモンティを作る。今日は1リットルで3個の小さなレモンを搾って入れて作る。日記をつけて今日のデベートの単語を調べる。今日のテーマは「科学世界を良くしているか」というテーマをネパール語でデベートをする。良くしているという主張で話をする側にまわる。科学の進歩のおかげで多くの食料を確保することが出来た。労苦の少ない労働をすることが出来てきた。便利快適な生活を手に入れることが出来た。長生きでき、病苦から解放されてきた。しかし科学の進歩にもかかわらず心の救済は創出されない。先進国は自然環境を開発で犠牲にしてまで開発途上国を開発して資源を手に入れることをしてきている。開発途上国にとっても豊かさを手に入れるために多少の環境悪化の犠牲を甘んじて受け入れて工業国の仲間入りを目指している。もちろん科学は世界を良くして来たが、反面科学のおかげで失われていくものも多くあることを学んできた。今なお学んでいる。安全対策が万全と信じられていた原発が手のつけられない危険なものと知ったのは今回が初めてであった。これからの科学は科学によって創出されてきた多くのものがあった一方、人間の知恵では計ることの出来なかった失われた多くのものを回復することも科学技術に求められている。7時51分 8時10分ホテルを出てネパール語の学校へは8時36分につく。9時から昨日の復習をして10時ごろから全員でネパールの孤児を収容した小学校と養護施設を見学に行く。以前はネパールの役所で運営していたものだそうで今はNGOによって運営されているということである。約140年前に作られたという当時の為政者が作ったという石作りの大きな建物の中に0歳から17歳までの約200名の孤児を約40名のスタッフがお世話している。外国の若いボランティアたちも子供たちの相手や体の不自由な子供の世話をしていた。広い中庭のある大きな建物であった。電気が切れていて暗い中でジグソーをしている子もいた。この施設に子供のことで相談する人たちか大勢の人が来ていた。ここで世話をしている青年に案内していただく。こんにちわと声をかけてくれた子供たちもいた。責任者から話を聞く機会があった。年間予算は2千万ルピーだということであった。為替レートでは2350万円ぐらいだが日本での1000円が10000円ぐらいに実感のするこの国では2億3500万円ぐらいというところのようだ。1時15分学校に戻り遅い昼食をいただく。2時45分から4時まで駒ヶ根で習ったことの復習をして今日は修了。終了後いつもの店で夕食をいただきホテルに戻る。4月29日以降のホテルの賃貸契約書を取り交わす。入浴後霧の果て 神谷玄次郎捕物控」を読んで6時半過ぎから日記をつける。満月が煌々と見えた。ベッドに横になって本を読んでふとんをかけずに寝てしまう。
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4月17日(日) 晴れ カトマンド 6時23分の気温24℃ 湿度70% ネパール24日目
2011/04/18(Mon)
日本は日曜日の休日だがネパールでは休みではない。今日から1週間が始まる。この感覚に慣れるのにしばらくかかりそうである。今日は電気がくるのが遅く6時20分になって自家発電をつけてくれた。6時半から朝食。昼のサンドイッチを朝の野菜と、バターと蜂蜜で作る。小さな薄い食パンを6枚で作るボリュームで丁度いい量になる。部屋に戻ってレモンを5個搾ってレモンティーを1リットルと500ml作る。500mlは昼食用に持っていき、1リットルは冷蔵庫に入れておいて部屋で飲む飲料とする。8時日記を書いてこれから出かける準備。
今日は学校への道の途中の文房具屋でスティックのりを買う。メイドイン コリアで35ルピーであった。道端の野菜売りのおばさんからレモン5つ25ルピーで買う。今日も1日ネパール語の研修。電話の会話を学ぶ。プレゼンテーションはこれまでの人生で一番嬉しかったことを話す。4時過ぎクラスが終わりネパール先生からサノティミで貸家の情報を教えられる。土曜日に見てくることにする。帰り道野菜の市場を覗く。レモンを沢山売っている店を見つける。朝買ったレモンと同じ大きさのものが3つで10ルピーというので6つ買う。帰り道いつもの店で野菜やきそばをいただく。少し唐辛子の辛味がいつもより強くて口の中が熱くなった。ピロ:辛味をナラケコ:入れないでとはっきり言うようにしなければならない。いつものパン屋でパンを買って帰る。ホテルの利用料金について話をする。1ヶ月の料金は特別料金にしているので貸家の場合のような日割り料金はないとのことであった。最後の月は2013年3月23日にカトマンドを離れるが3月分は1ヶ月分の料金が必要で23日から月末の日割りは戻ってこないとのことであった。風呂に入ってベッドで藤沢周平著「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」を読む。そのまま寝てしまい気がついたら23時であった。日記をつけてメールを見て返信しておく。23時41分 飛行機の飛ぶ音が聞こえてくる。ここでは夜中に飛行機の飛ぶ音が聞こえてくる。トリブバン空港が近いのでよく飛行機の飛ぶ音が聞こえてくる。空港からカトマンド市内まで歩いても1時間もあればたどり着く近さであるがネパールの人は歩くよりバスに乗る人が多いようである。ラジオ深夜便を聞きながらブログを更新する。日本は暖かくなって桜前線は北上している。23時50分から郷ひろみを聞き今日のネパール語のディベートを考える。3時台だけで地震のニュースがあちこちからあった。
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4月16日(土) 晴れ カトマンド 2時55分の気温24℃ 湿度70% ネパール23日目
2011/04/17(Sun)
2時半起床。電気が来ていたので起きる。2時45分、6時のラジオのニュースを聞く。しばらくして切れる。外から犬:ククルの鳴く声が聞こえてくる。ここの犬は昼間死んだように寝ているが夜になると元気にほえる。
住居手当申請書を作る。4時停電になったので就寝。6時起床。しばらくして電気が来る。6時半から朝食をいただき庭でお茶を飲んでバナナをいただく。今日もいいお天気になる。今日は1日ホテルでゆっくり過ごすことにする。東野圭吾著「仮面山荘殺人事件」を読む。午前中第四幕まで読み昼食はレストランでパンとコーヒーをいただく。午後1時半までで読了。最後に大きなドンデン返しがおきる。真実は悲しみが原因であったことを知る。2時から明日のプレゼンを考える。午後3時から渡辺淳一著「流氷への旅 上」を読む。昔読んだことのある本だったかもしれない。5時まで読了。いつものレストランへ出かけ野菜焼きそばをいただく。 5時半ホテルに戻り日記をつける。17時44分 18時入浴をする。入浴後吉村昭著「高熱随道」を読む。0時目を覚ます。0時15分から ラジオ深夜便 午前3時台 〔にっぽんの歌こころの歌〕 作家でつづる流行歌:森田公一(作曲)作品集、時代おくれ、あの鐘を鳴らすのはあなたなどを聞く。
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4月15日(金) 晴れ カトマンド 1時15分の気温23℃ 湿度68% ネパール22日目
2011/04/15(Fri)
1時15分ベッドで考え事をしていたら電気が来たので起きて日記をつける。ラジオ深夜便で明日への言葉「コンピューターおばあちゃんの会」代表の大川加世子さんの話が飛び込んできた。81歳でパソコンのメールなどでおばあちゃんどおしのコミニュケーションを図っていると言う。おばあちゃんの多くの旅行といえば親戚の葬式に出かけるくらいで旅行もしない老人のために年2回旅行も呼びかけてしているという。5時のニュースを聞きながらブログを更新するが回線スピードが遅くて写真のアップロードができなかった。ラジオから山の紹介のなかでいきなり「パハール」という言葉が出てきた。ネパール語で「たおやかな山」という意味だと紹介していた。今時「たおやかな山」と言われてもどんな山なのかわかる人は多分いないだろう。たおやかとはあらあらしくないさま。しとやかなという意味が辞書にはある。ネパール語で「ヒマラヤ」は白い、万年雪をいただく山のことをさすのに対してパハールは日本の山はパハールと呼ぶ。ネパールから駒ヶ根に来たネパール人が冬の南アルプスと中央アルプスを見て、日本にもヒマラヤがあるんだと言ったそうだが夏になって、ヒマラヤがなくなって「パハール」だけになったと言ったという話を思い出した。3時半就寝。5時半起床。今日も穏やかな一日になるようだ。小鳥の鳴く声を聞きながら日記をつける。日本は桜が満開で暑くなっているという。今日はネパール語のクラスは今週の最終日。授業の後JICA事務所へ出かけて銀行や住宅についての情報を見に行くことにする。明日は貴重な週1回の休日:ビダ デーンである。朝食後7時10分ホテルを出る。いつもの道路わきの野菜売りのおばさんからレモン6個30ルピーで買う。ネパール語のクラスを3時まで。今日のプレゼンのテーマは「日本の新しい世代の好きなこと」歩いてJICA事務所へ行く。小切手を渡され使い方を教えていただく。健康管理の部屋を覗き足が良くなった報告をする。そのあとナマステスーパーによって歯磨きチューブを買う。ホテルへの帰り道に今日からホームステイに行くシニアを乗せたバスと行きかう。夕食はいつもの店で野菜焼きそばをいただく。少し量が多かったが全部食べる。ホテルに戻って風呂に入り、お気に入りの音楽を聴きながら日記をつける。次回のプレゼンのテーマはこれまでで一番嬉しかったこと、悲しかったこと。悲しかったことは話せないから楽しかったことを話すしかないがなににしたものか。19時就寝。
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4月14日(木) 晴れ カトマンド 4時15分の気温25℃ 湿度69% ネパール21日目
2011/04/15(Fri)
西暦2011年4月14日はネパールの公式の暦であるビクラム暦の2068年1月1日である。であるから今日はネパールでは新年となり役所なども休日になるという。JICAネパール事務所も今日は休日となる。しかしこの日は特にお正月のお祝いなどしないらしい。ネパールでは4月14日から新しい年が始まり、翌年の4月13日がビクラム暦の12月31日となる。1年は西暦の4月14日から翌年の4月13日までをビクラム暦の1月1日から12月31日としている。5時半起床。振込み手続きをしておく。6時半から朝食をいただく。おかずが多かったのでご飯は1杯だけにしておく。庭にでて日本茶を飲みながら小鳥のさえずりを聞きながら目を閉じる。日本は大きな地震がまだよくあるようで大変な状況が続いている。特に原発については深刻度が増してきているように見える。7時45分 8時前停電になる。8時10分ホテルを出る。今日は午後新年のお祝いということで先生方が甘い揚げドーナツとジャガイモのカレー煮をおやつにご馳走していただいた。3時から4時までは新しく派遣される職場についてネパール先生からのアドバイスがあった。16時過ぎ学校を出る。帰り道でパン屋に寄って、夕食は野菜焼そばをいただきホテルに17時過ぎ帰る。入浴してから日記をつける。19時フロントでコーヒーとバナナをいただく。明日のプレゼンテーションについて考える。「日本の新しいジェネレーションの好む事」というテーマでボルナ チャハンチューということで文章を作ってみる。19時半までで大体作り終える。明日個別の時間先生にみてもらうことにする。19時40分日記をつける。昨日から居る蚊が見つかってようやく召し取る。赤黒く血を吸っていた。これでゆっくり寝れそうだ。ネットワークが繋がらなくなったので20時15分今日は店じまいにする。20時半就寝
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4月13日(水) 晴れ カトマンド 4時15分の気温24℃ 湿度69% ネパール20日目
2011/04/13(Wed)
3時に蚊の音で目が覚める。非常灯をつけて蚊を探したが見つからず又寝る。5時に電気が来る。起きたが頭がふらふらする。蚊に刺されたのかもしれない。部屋を明るくして蚊を探す。壁にとまっていたのを見つけてマウスパッドでつぶす。5時10分から日記をつける。昨日はなんども起きて良く眠れなかった。お腹の具合も良くなって気持ちが楽になっていたが、ちょっとしたことでふらふらしてしまうのだから油断ができない。体のどこかが不調になると元気が出てこない。やはり健康でなければやる気が出てこない。6時半朝食をしっかりいただく。8時過ぎ雨の中をゆっくり歩いてネパール語の学校へ行く。いつもの道端の店でレモンを6つ30ルピーで買う。今日はマイクロバスで先生と一緒にサノティミの教育省とオーガニック:有機農業のモデル農園を見学する。10時サノティミの教育省を尋ねて全員で挨拶をする。4月2日図書館を案内してくれた方も出席していた。仲間とネパール先生がいろいろ質問をして説明をしていただく。次にバクタプール郡の教育省を訪ねていろいろ質問する。次いで有機農業のモデル農園を訪ねる。段々畑の美しい畑が続いていた。畑に出来ていたアスパラガスの先を取っていただいた。やわらかくて甘くて美味しかった。女性が大きな草をしょって働いていた。清潔に豚、にわとりも飼っていて堆肥も作っていた。世界遺産にも登録されているというバクタプールのお寺を覗く。ゴミが少なくて落ち着いたところであった。名物の良く冷えたヨーグルトをいただく。30ルピーであった。帰りはマイティガールでバスをおろしてもらいホテルに4時半ごろ戻る。お風呂に入ってから、いつものレストランで夕食をいただく。今日は豚肉入りのチョウメン50ルピーをいただく。ホテルに戻ってコーヒーとバナナをいただき部屋に戻ると18時であった。それから日記をつける。18時39分 お気に入りの音楽を聴きながらベッドに横になる。うとうと寝てしまう。目が覚めたのは21時過ぎであった。蚊のなく声が耳元に聞こえてきた。
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4月12日(火) 晴れ カトマンド 4時15分の気温24℃ 湿度63% ネパール19日目
2011/04/13(Wed)
4時目を覚ます。起きて冷えた紅茶をいただく。今日もお腹の調子は良い。今日は昨日学校でだされたプレゼンテーションの課題である、「田舎の生活と都会の生活とどっちが好きか」というテーマを考える。田舎の生活の方に手を上げておいた。シニア6人と青年7人合計13人のうち田舎に手をあげたのは4名で都会希望のほうが多かった。生活していくうえでまず考えるものとして、便利:スビスタと不便:アスビダという問題がある。ネパールではヒマール チェットラ:万年雪の高地の地域、やパハール チェットラ:山岳地域に住むのと、タライチェットラ:平地地域に住むのでは便利さにには大きな差:アンタルがあるのだろうが日本ではネパールほどの大きな差は無い。若い:ジャワーン、時は、生活をするために金を稼ぐということが必要:パルツァーになる。田舎で暮らして金を稼ぐより都会で暮らして金を稼ぐほうがその機会は多いし子供の教育の機会は都会の方が多い。仕事を終えた年寄り、年をとった男:ブラ、年をとった女:ブリにとっての生活の課題で、金を稼ぐ:ポイサ カマウヌ、という事は必要はないが、どうかして金を必要としない生活:ポイサ パルダイネ ジーワンが重要なこと、ザルリー クラになってくる。これまで野菜:タルカリを作る:バナウネ、を趣味:ソークにしていた。家の近くには畑:バリもある。残念:アブソーツ、なのはそばに海がないので魚を釣ることが出来ないことぐらいである。しかし2年間南太平洋のバヌアツで暮らして週末にはアパートから歩いて10分のバヌアツの山下公園でピゴーという美味しい魚を釣っては煮魚:マチャ パカウヌ、にしていただいたのが楽しい思い出として記憶にある。今日本で住んでいる家は海抜100メートルほどの丘の上にあり今の時期うぐいすやカッコーの鳴き声を楽しめる自然:プラクリティに恵まれている。しかし周りは住宅が建ち並び少し息が詰まりそうになる。若いとき生活をするために金を稼ぐための生活をするための住居として作った家であって、都会の真ん中の職場にも通勤に便利で、生活環境も備えた場所として選び作ったものではあるが、これから最後を迎えるまでの人生を送る場所としてはあまり面白くはない。ナラマイロ ジャスト マライ ラグツァである。ネパールは料理の味はしょっぱくて、辛くて、油っぽいし、人と車とオートバイが多くて、いつ事故にあってもおかしくない緊張した毎日を送っている。ほこりっぽいばかりの道路を歩いていて、まだいい面が見つからないでいるが、日本にはない生活の素晴らしさを知ることを楽しみに辛抱強く生活することにしよう。5時半、外は白みかけてきて、鶏の時の声と鳥の鳴き声が賑やかになってくる。ここの人は朝が早い。停電が長いせいか、暗くなったら寝て、明るくなったら起きる生活をしているからだろう。もう向かいの中庭を箒で掃いている人がいる。町に多く出来ているプライベートスクールは朝6時半から授業が始まるという。学校を出た若者は中東や韓国や日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドに仕事に出かける。国内にいい職場が少ないこの国では若者が海外を目指すのはあたりまえになっている。子供の時から英語を学習しているし、家庭でも英語を使う家族もあるから英語は大変上手な子供が多い。6時半朝食は玉子焼きのおかずでしっかりいただく。8時13分ホテルを出てネパール語学校のあるデイリバザールまでマスクを着けて歩く。今日の授業では仲間のシニアが熱を出して休む。2人に対して歴史的過去形という動詞の変化を習う。これは良く使うからといって教えられた。1時半からは2組に別れて向かい合い「都会の生活より田舎の生活の方が良い:ラムロ」というテーマで2つに別れて討論をする。田舎派はシニア2名、青年4名、都会派はシニア3名、青年3名であった。3時までそれぞれネパール語で主張をして修了した。3時からは単純過去の動詞の変化形を復習する。明日まで5年前に何をしていたかを今日習った歴史的過去形で日記を書いてくるという宿題が出される。また派遣される職場でする仕事についてプレゼンテーションを言われる。4時過ぎ教室を出たのは最後で先生も生徒も誰もいなかった。帰り道で青年に会ったのでパン屋でパンを買って別れる。帰り道いつものモンゴリアンのリンブー族のおばさんの店でいつもの野菜焼きそばを頼む。今日はヌン:塩をトーライ・トーライ、サノ・サノと言って、テール:油もトーライ・トーライと言って作ってもらう。今日の味付けはこれまでの3回のうちで一番美味しかった。リンブーのおばさんが美味しかったかと聞くのでデライ ミトチャと答えておく。次回は次のメニューを頼んでみることにしようと思う。ホテルへの帰り道小雨が降る。ホテルからの帰り道のマネージャーと出会ったのでしばらく立ち話をする。必要なものがあったら言ってくださいと話してくれる。ホテルへ帰ってコーヒーをいただき、バナナを3本いただく。部屋に戻り日記をつけていると風呂が空いたと電話がくる。熱いお湯に身体をひたして身体を伸ばす。風呂から上がって日記をつける。6時53分 メールに返信しておく。19時15分 20時半までお気に入りの音楽を聴きながら5年前のことをHISTORICAL PASTをつかってネパール語で日記を書いてみる。ネットには繋がらないのでここでひとやすみすることにする。21時就寝。22時半目がさめる。22時45分からラジオ深夜便の2時からのニュースを聞く。福島原発で危険レベルをレベル7に引き上げたという発表があった。交通事故で頭に傷をおった10代前半の男の子が脳死と判定され臓器移植を拒否する意志がなかったことと、本人の親が臓器移植に同意したため、初の子供の臓器移植に向けた準備され始めたというニュースを桜井洋子さんがしていた。2時5分からのスクリーンミュージックの最初は「ベンハー」であったが、早速地震のニュースが割り込みであった。23時ネパールは停電になって電気が消えて外も見ると真っ暗になっていた。ラジオも聞こえなくなった。昨夜は一晩中電気が来ていたが今日は早めの停電らしい。これから再度の就寝。23時2分 
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4月11日(月) 晴れ カトマンド 0時55分の気温26℃ 湿度58% ネパール18日目
2011/04/12(Tue)
0時53分 Ituneで高橋真梨子を聞きながら日記をつける。ネパール語の語学研修は今週から3週目に入る。
1時に電気が切れる。ベッドで休む。5時45分電気が来る。昨夕いただいた野菜やきそば:チョウメンでお腹は大丈夫であった。6時半朝食をしっかりいただき7時13分ホテルを後にする。道端の野菜売りからレモンを8個40ルピーで買う。8時からネパール語のクラスがスタート。今日は新しい単語と郵便局での手紙の出し方の文章を学ぶ。午後2時からはホームステイのプレゼンテーションを聞く。皆さんネパール料理で大いに歓迎されたようだがネパール語の生きた学習の機会というのはあまりなかったようであった。クラスが3時過ぎで終わって帰る道すがらの店で砂糖1Kgを62ルピーで買う。昨日いただいたホテル近くのレストランで野菜チョウメンをいただく。今日は塩と醤油を入れないで油を少なくして料理してもらったが塩は入れないのではなく少なめにしてもらった昨日のほうが丁度良さそうであった。ホテルに戻ってすぐ風呂に入る。電気がまだ来ていなかったのでホテルの前庭のテーブルでコーヒーとバナナをいただいて空を見て過ごす。5時45分部屋に戻ると自家発電の電気が来ていたのでお気に入りの音楽を聞きながら日記をつける。19時疲れたのでベッドで休む。

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4月10日(日) 晴れ カトマンド ネパール17日目
2011/04/10(Sun)
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0時半でラジオ深夜便昭和61年美空ひばりの「愛燦燦」を聞く。1時半までラジオを聞きながら復習をする。
2時停電になる。停電用蛍光灯のもとでジョウロを作る。3時就寝。5時半外が白んでくる。向かいにある発電機が結構大きな音がなりだす。自家発電の電気がくるのは6時ごろである。6時ごろに電気が来るのを当てにしてPCの電池で日記をつける。鶏の鳴く声、小鳥の声が賑やかになってくる。今日は日曜日。日本は休日だがここでは週の最初の仕事の日である。レモンティーを作って6時半から朝食。玉子焼きは塩と醤油を抜いて砂糖を1杯入れてもらい美味しくいただく。子供の生活を支援するNGOの方と朝食をいただきながらおしゃべりをする。朝食後庭で垣根を刈るのを指示している人がいてパラソルの下でおしゃべりをする。40年前に建設の隊員で来た方であった。今回はご夫婦でネパール人を尋ねての旅のようでホテルのオーナーとも長い友人だという。奥さんもご一緒に来られていた。ネパールの政府系の航空会社で10年来ネパールに来ているという方ともおしゃべりをする。9時前ホームステイから最初の人が帰ってくる。部屋に戻ったのは9時過ぎであった。LANケーブルがネットワークに繋がらないので無線でネットに繋ぐ。お気に入りの「太陽がいっぱい」などを聞きながら日記をつける。9時40分2番目の人が帰ってくる。お天気なので町へ散歩にでかけることにする。みやげもの店で絵葉書を買う。1枚10ルピー。4枚で40ルピー。店の女性は丁寧に紙袋に入れてくれた。帰り道いつものパン屋でパンを買う。ホテルのレストランで昼食をいただく。部屋に戻り日記をつける。買ってきた絵葉書を書いてフロントに出しておいてもらうように頼んでおく。1枚当たり日本までの切手代25ルピー。4枚で100ルピー。14時半。夕方5時過ぎフロントから風呂が空いていると電話がある。入浴して髭をそり体重は63Kgであった。お腹の不調は良くなったのでこれからはしっかり食べて体重を65Kgにまで戻すようにしたい。風呂からあがりホテルそばの近くのレストランに夕食を取りに行く。外は少し雨が降っていたので傘を部屋に取りに帰り傘をさして出かける。一番近くの広いレストランに入る。はじめてなので無難そうな野菜焼きそば、チョウメンを頼む。ネパールは塩気が強い料理が多いので塩と辛味はトーライ:少しと言って頼む。出来た焼きそばはなにもかけずにいただいた。まあ美味しかった。料金は40ルピー。今日は朝はご飯を1杯半。昼はパンとコーヒー、夜はやきそばと久しぶりにしっかり食事をした。今日入ったレストランのおばさんの顔つきは日本人と良く似ていた。どの民族かを尋ねたら「リンブー族」だと言って蒙子系だという。自分は日本人だから蒙古系で一緒だと言って笑ってみせた。しばらくはこの店の料理を順々に試してみることにする。食事を終えてホテルまで約5分の道を帰る。遠くから雷が鳴り出し時々雨が降ってくる。今日日本は地方選挙の日である。ネパール時間18時になった。日本では21時15分なのでかなり結果がでていることだろう。ベッドに横になり、目が覚めたのは21時であった。東京では石原が4選を果たした。民主は地方選挙でも負け続け菅は阿呆と同じ末路を歩み始めている。21時56分 23時までCIAネパール情報で経済・軍隊を見る。23時45分からラジオを聞くと地方議会の選挙速報をしていた。
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4月9日(土) 晴れ カトマンド ネパール16日目
2011/04/10(Sun)
0時45分蚊のなく音が耳元でして目を覚ます。部屋の明かりをつけてKeyholeTVをつけるとNHKラジオ深夜便の4時のニュースを聞く。蚊はどこに隠れたのか姿が見えなかった。〔明日へのことば〕「メシが握れない選手はボールを握るな!」立命館大学教授・管理栄養士 海老久美子さんの話を聞く。昨日銀行口座登録できなかったボランティアポータルをもう1度やってみると登録できた。蚊取り電子マットをつけておく。1時25分、日本時間4時40分、目の前を蚊がプーんと飛ぶのを見たが両手でパチンと召し取ろうとしたが残念ながら取り逃がす。1時33分 3時半壁に止まっている蚊を発見してようやくつぶしてベッドに横になる。6時まで電気は来なかった。6時半朝食。ご飯と玉子焼きをしっかりいただく。部屋でレモンティをつくり、日記をつける。仲間は昨日からホームステイである。このところお腹の調子が良くなかったので休ませてもらうことにした。今日は床屋と買い物とネパール語の復習をして過ごす。今日のカトマンドはうす曇。7時53分 出かける支度をして8時13分ホテルを出て近くの川のしたの床屋を見る。ここも50ルピーだという。すぐできたのだが、近くを裸で踊る青年がいたので少し危ないと思い、見合わせる。学校への道沿いの床屋を目指す。土曜の休日のせいで流石にバイクと車の数が少ない。床屋の前で人が3人いたので待っている人かと列のどこに並べばいいか尋ねると客ではなかった。外に立っていた青年が早速理髪道具を出して始めてくれた。大きな椅子と大きなガラスが正面にある。停電中か照明は無くて薄暗いが、陽気に良く笑う青年で丁寧に約40分もかけてはさみで切って、後ろにカミソリをあてておまけに頭のマッサージをしばらくしてくれた。日本でこれほど時間をかけて散髪してもらった記憶は最近無い。料金は50ルピー約60円であった。床屋を出て9時20分から町を散歩する。王宮前の公園ではクリケットやなにか遊ぶ青年が大勢いた。10時までにホテルに戻る。部屋はすっかり掃除されシーツも交換されていて気持ちよかった。ただ停電中であった。バッテリーで日記をつける。10時半 ベッドでしばらく休む。11時15分ベッドを起きて鏡で頭を見てみる。実にすっきりと刈り上げられていた。これまで2008年の1月から3年4ヶ月自分で髪を刈っていたがネパールでは床屋へ行く楽しみができて少し嬉しくなった12時10分、ホテルのレストランでトーストとコーヒーの昼食をいただく。小さな食パン4枚とコーヒー2杯。食事は朝しっかりいただいたからお腹はあまり空いていない。こんな時、胃に重いネパール料理を食べると消化不良を起こしてしまう。トーストにコーヒーぐらいが軽くていい。夕食もこれくらにリンゴのフルーツぐらいをいただけば十分であろう。これで少しづつ体重も戻していきたい。12時45分。午後は靴下の繕いをしてから朝行った散髪のことをネパール語で日記に書き、今週の復習をする。とても見直しただけでは覚えきれないが今度出てきた時少しでも記憶に残っていたらそれで良い。午後3時ぐらいから雲が出てきて雷も遠くで聞こえるようになってきた。今日はホームステイの家族とネパール市内見物などしていることだろうがそろそろ家路につくことだろう。15時12分 久しぶりにお気に入りのミュージックを聞きながらメールを作る。
16時15分メールを発信する。日本では18時半ごろであろう。17時フロントから風呂が出来たと電話をしてくれる。熱いお湯に入って髪を洗い、髭をそる。からすの行水ですぐあがり、ベッドで足のかかとにメンソレータムを塗り、左足のふくろはぎにD.F.O.Gelを塗る。昨日までの痛みは有り難いことに少し緩和している。17時27分 18時過ぎからレストランでパンとコーヒーの夕食をいただく。夕食後屋上を案内してもらう。18時50分日記をつける。20時就寝。23時起きてネパール語の復習をする。

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4月8日(金) 晴れ カトマンド ネパール15日目
2011/04/10(Sun)
4時15分目がさめる。水便は止まる。ネパール語の復習をする。6時一時停電になり自家発電のモーターが鳴り出す。6時半朝食はご飯とゆで卵を1個いただく。7時40分メールを発信する。8時10分ホテルを出る。
午前中は11時まで。昼食は庭でパンとレモンティとゆで卵をいただく。午後3時まで家族の関係と呼び方を教わる。授業を終えてホームステイに出かける人と別れて歩いてJICA事務所に行く。メールボックスの資料を受取り、部屋の情報を見て、仲間に良さそうな部屋の写真を撮り、健康管理担当とお話をして薬をもらい事務所を後にする。近くのナマステスーパーで買い物をしてホテルに帰る。風呂に入ってから銀行口座の登録をするがうまくいかずキャンセルされてします。仕方ないのでまた後日することにして日記をつける。21時ベッドで就寝する。0時45分蚊のなく音が耳元でして目を覚ます。
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4月7日(木) 晴れ カトマンド ネパール14日目
2011/04/08(Fri)
6時起床。トイレへ。少し水便。携帯を充電。レモンティーのお湯を沸かして日記をつける。レモンティーを作って朝食はパンとコーヒーをいただく。8時10分ホテルを出る。露店でレモンを4つ25ルピーで買う。個別指導を2回受ける。1度は野菜と果物の名前を教わる。村落開発隊員には必要な情報である。昼食はパンとレモンティ。4時までプレゼンテーション。「日本の田舎の生活」について話をする。下校時中華レストランで餃子を頼む。塩抜きにしてもらいたれは酢醤油にしてもらう。出来るまでしばらく時間がかかった。そのあとANGANというパン屋で食パンを買ってホテルに帰りロビーでコーヒーをいただく。部屋に戻りしばらくしてお風呂に入る。風呂上り日記をつける。19時25分 水便は朝だけで止まっている。どうやら腹下しの問題は解決しそうである。ベッドに横になり休む。22時30分目を覚ます。トイレで小便をする。これまでここで小便でいきむと大便が水便で出たものだが今日は出なかった。これだけでほっとする。明日からのホームステイには行きたかったが土日の2日間休ませてもらうことのほうが今は有難い。もう塩辛いカレー味の香辛料の料理とビールはしばらく見合わせることにする。何がお腹をこわした原因かははっきりしないが食べたものに原因があることだけは間違いなさそうである。昨日個別指導を受けた先生にお腹をこわすことはないかと聞いてみたら、時々はこわすと言っていた。これまでなんともないという人はよく気をつけるポイントを承知しているようだ。話を聞いてみるとなるほどと思わさせられる点があることもある。23時自家発電が修了して停電になって外は真っ暗闇になった。ノートパソコンの電池は1時間しか持たないがそれでも助かる。しばらく休んでまた電気がきたらネパール語の自習を再開することにする。11時15分就寝
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4月6日(水) 晴れ カトマンド ネパール13日目
2011/04/08(Fri)
5時過ぎ起床。昨日は夕食を抜く。相変わらず小便と水便が一緒にでる。今日から朝はおかゆをいただくことにする。7時15分ホテルを出る。8時からネパール語ぼ学習。個別学習ではネパールの学校制度を聞く。この国の国家予算の1番は教育費用だという。3時ごろに調整員さんが来てホームステイの資料を渡される。明日のプレゼンテーションのテーマはくじを引いた結果「日本の村の生活」が当たる。4時前ホテルに帰って一休みしてお風呂に入る。62Kgと3Kg体重が減っていた。 5時から日記をつける。6時20分までメールの返信をする。21時までプレゼンテーションの準備をして就寝。夜中少しトイレに。水便。
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4月5日(火) 晴れ カトマンド ネパール12日目
2011/04/07(Thu)
6時前に起床。朝食後レモンティを作る。7時44分日記をつける。今日は朝からお天気で暑くなりそうだ。
8時15分ホテルを出る。1日ネパール語のクラス。教室の日陰は冷えるので長袖を着る。1日体調が良くなく1日が過ぎるのが長く感じられた。午後のプレゼンテーションはクラーク博士を紹介した。1対1のコミュニケーションではネパールの年金のついて尋ねる。4時過ぎ学校を出て5時前ホテルに帰宅する。入浴して5時半ベッドで休む。22時目を覚ます。先月末には1時普通の便が出たこともあったが4月1日からこのところ毎日小便と水便が一緒にでる。8日からのホームステイ先での生活が思いやられる。調整員さんにホームステイのキャンセルをお願いすることにする。体が重かったが23時起きて日記をつける。23時15分停電。ベッドで休んでいたら11時25分またついた。日記をつける。ネパール語の勉強は見合わせて寝る事にする。
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4月4(月) 雨のち曇り カトマンド ネパール11日目
2011/04/04(Mon)
1時半目を覚ます。寝汗をかいていたので下着を替える。昨日は暑い日差しの下を良く歩いたので汗をかいたので1度に2組の洗物が出たのだが洗濯をしてもらえるのがありがたい。寝起きは相変わらずの軟便であった。左足のふくろはぎは少しはれている。しかしまだ大したことは無い。これからネパール語の復習。2時頃から稲光がしていたが雷の音とともに雨が降ってきた。ネットによると2011年3月11日の大震災による大津波は10mの巨大防潮堤を乗り越えられた。岩手県宮古市の田老地区で、東日本大震災の津波が高さ37・9メートルまで山中を駆け上がっていたことが3日、東京大学地震研究所の現地調査で分かった。と出ていた。全長約6000kmにもなる万里の長城の大きさは高さ平均7.8m、底幅6.5m、上幅5.8m、 5頭の馬が横に並んで通行できるという300Kgにもなる花崗岩やレンガで作られているというがこれでも今回の津波はらくらく乗り越えてしまう。多分破壊もされてしまっただろう。これを防ぐ巨大防波堤は人間業では作ることはできそうもない。3時までネパール語の復習をしていたが電気が切れて外も闇につつまれる。仕方なくベッドに寝て5時半電気がきて明かりがついて起きる。6時半まで復習をして朝食にいく。玉子焼きは昨日教わった、塩を抜いて、砂糖を入れて醤油も入れない玉子焼きを注文する。昨日町で買った食パンをトーストしてもらうように頼む。ありがたいことにパンに塗るジャムとマーガリンも持ってきてくれた。7時半から今日のプレゼンの話を考える。バヌアツの学校の卒業式の話をすることにする。7時45分から日記をかく。今日はネパール語の日記は昨日の馬のパレードを見たことを書く。7時47分 8時23分ホテルを出てネパール語のクラスへは8時50分頃につく。9時から人称がテミ、テミハルの時の現在、過去、肯定、否定の動詞変化を教わる。最後にウニを学びそれを使った文章を作るのが今日の宿題であった。午後からウナジーから1対1でからすの話の文章の読み取りと質問に対してネパール語で答えを書く問題に答える。最後はネパールジーへ質問でそれぞれの質問に対して答えてくれた。3人のお孫さんがいるというネパールジーの20歳の頃の話を聞いた。地方の学校で学校へ行った時53人の同学年で女生徒は自分1人だったという。16歳で結婚したが親同士が決めた結婚で結婚するまで相手の顔を知らなかったという。4時過ぎ今日のクラスを終了して20分ごろ学校を後にして50分帰宅。今日は1番風呂に入る。風呂上り、パンとレモンティーをいただいて6時までベッドで休む。6時から日記をつけてメールに返信しておく。
プレゼンテーションの準備をしてホームステイの予定を見る。お土産と自分の飲み水と着替えなどを8日の金曜日は持ってホテルをチェックアウトしてネパールクラスへ出て、夕方16時にホームステイ先に向かう。8,9日の2泊して10日に再びホテルに帰って11日からネパール語クラスを再開である。ホームステイ先に気にいってもらえたら最大7泊までのホームステイの延長が認められるという。どうもお腹の具合がいまいちなのでネパールの家庭のネパール料理では2日で帰ってくることになりそううだ。22時まで勉強して就寝

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4月3日(日) 晴れ カトマンド ネパール10日目
2011/04/04(Mon)
今日は日曜日でこれまでの感覚では休日だがこれからは1週間の仕事の最初の日である。
月曜日が来たような気分である。
朝方4時まで途中休みながらネパール語の復習などする。4時に電気が切れたのでベッドで休む。5時半電気がついたので今日のプレゼンテーションの準備。今日はバヌアツの紹介。6時半朝食で玉子焼きをいただく。7時15分ホテルを出てネパール語のクラスへ。教室の近くで昼食用のパンを2つ買う。8時からクラス開始。最初はムナジーから複数形の現在形の肯定、否定、過去形の肯定、否定を習う。次に1対1で今日のプレゼンテーションを見て訂正してもらい昨日の家探しの話をする。次に1対1でネパール語の文章を読んで読解をする。テーマは健康で日本人の腹痛の症状を書いたもので自分のために1対1のテーマを選んでくれたようだった。昼食後午後はプレゼンテーションをする。テーマはお気に入りの町。バヌアツを紹介させてもらった。3時早く始まったので早く終わる。お天気でもあったので、町を歩くことにする。日曜日から1週間が始まるこの国で今日は馬祭りということで休日になっているようで広い広場を囲む柵の外には大勢の観客が詰めかけ露天が歩道の両脇にぎっしり並んで日本の縁日のような賑やかさであった。タメルの繁華街を歩き買い物をしてしばらく何が見えるのかと少し高いところに行って広場を見る。映画「ベンハー」であった競争馬車のようなのが数台パレードをしていた。横一列に並んだのでいよいよレースでも始まるのかと楽しみにしばらく大勢並んでいる階段の上に立ってしばらく見ていたが馬車は止まったままでレースがはじまらないので隣の人に聞いてみるとどうやらパレードだけでレースはないらしい。そこであきらめて帰る。そこから木戸ホテルまで人ごみにもまれて歩いて帰る。途中露店のモモを買って歩きながら食べながら帰る。最初値段を聞いたら40ルピーだという。帰ろうとすると30ルピーだと声をかけてきた。折角声をかけてくれたのだから戻って多すぎるからこの半分で15ルピーにしてくれと言って5個のモモ:蒸し餃子を木の葉で作った皿に入れてくれる。ホテルまでの帰り道歩きながら5個のモモをいただく。ネパール人は塩:ヌナを好むようで塩辛い:ヌニロなものが多いがこのモモも塩辛かった。また辛味:ピロもきいているのが多くて、モモにかけられたソースはカレー味のピリカラであった。また全般的に脂っこい:デライ テロなものが多い。食べた後どうしても水が欲しくなる。この味のモモを食べ続けたら高血圧になりそうだ。日本人なら塩を入れないで、ピリカラソースの替わりに醤油と酢のソースで食べたいところだ。木戸ホテルにつくと丁度風呂から上がる人がいて入れ替わりに入れてもらう。よく歩いたので汗をかいていた。風呂上り下着を繕い左足モモのはれたところにはれ止めの軟膏を塗る。7時ポットにお湯を沸かして紅茶にレモンを搾ったレモンティーとパンの軽い夕食半。夕食後ベッドで横になり就寝。

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4月2日(土) 晴れ カトマンド ネパール9日目
2011/04/02(Sat)
0時が過ぎた。ホテルの自家発電のお陰で日記も作れる。0時5分ネットが繋がった。最初に目に入ったのはアフガニスタン北部マザリシャリフで1日、国連の事務所が襲撃されて11人が死亡した。このうち8人が外国人の国連関係者というニュースであった。繋がったのはわずか3分間ぐらいのものでまた繋がらなくなった。
今日ははじめての土曜の休日である。日曜日から1週間の仕事がはじまるネパールである。今日は朝ホテル近くのマイティガールという場所のバス停から隣のバクタプール郡のサノティミという勤務先のある町を見に行くことにしている。0時15分先日経験した卵の腐ったようなゲップが時々出てきてお腹も時々痛みがやってくる。これから昨日ならった単語と複数形の変化を復習する。新しい単語は20回聞けば覚えるものだと聞いたが頻繁に出て来る単語以外は覚える努力をしておかないと、また聞いてもいつもはじめて聞くようではいつまでたっても覚えることができない。1度覚える努力をしておいてこそ2度目、3度目聞いたとき、これは前に聞いたぞと思い出すようであれば覚えが早くなるだろう。ネパールでの教え方はどんどん教えてくれるから、あとは覚えるだけである。駒ヶ根での教え方は自分には難しい授業だったがここでは易しく教えてくれるので大変楽である。ただ先生は日本語はそれほど良く知らないから日本語の意味は何が正しいかはときどき怪しいこともある。先生との1対1の会話は聞いたことに何でも答えてくれるので生徒の問題意識次第で多くのことを知る機会になる。プレゼンテーションは新しい単語と表現を身につける良い機会である。仲間のプレゼンテーションを聞いても面白い話は残念ながらまだ聞けないが、自分の話も同様に辛抱して聞いてくれているのだろうと思い、少しは面白い話が出来るようになりたいものと思う。ただ昨日は最後に1対1のコミュニケーションの相手をしてくれた先生が自分の地震の話がとっても良かったとほめてくれたのは以外だった。励ますために言ってくれたものと思って、何が良かったのかは聞かなかったが本当に1つでも記憶に残ってもらうようなメッセージを伝えたいものである。0時35分 部屋の壁を飛ぶ蚊を見つけて召し取る。矢張り蚊が入ってくることを知った。蚊帳は荷物になるので篤志のメーカーがプレゼントしてくれるということだったが荷物になるのを嫌ってもらわなかった。蚊帳の中に寝るのも辛抱の居ることでもある。日中死んだように寝ている犬がこの時間盛んに吠え立てる。番犬としての役割を存分に発揮している。0時45分これからネパール語の復習。3時までで一休みしてベッドに横になる。4時起きて5時まで勉強。そこで電気が消えてベッドへ。5時50分起きて日記をつける。6時半から朝食。休日にもかかわらず食堂は大勢いた。休みを利用して家探しとカトマンドから離れた赴任先へ見に行こうという人たちである。8時半にホテルを出て歩いてマイティガールのサノティミ行きのバスに乗る。オールドサノティミのバス停に9時につく。待ち合わせ場所を通り越してきたようでバスで戻る。先輩シニアとバス停で落ち合い教育省の図書室を覗く。職場の建物の屋上に上がって、はじめてヒマラヤを遠望することが出来た。その後ご自宅を訪問する。緑が多い住宅地にあって3階建ての3階でとても住みやすそうなフロアだった。お茶をご馳走になって食事に向かう途中貸家とホテルを見る。昼食はレストランでビールとやきそばといただく。1時お別れして1時半ホテルに戻る。風呂が出来ているというので今日も1番風呂に入る。2時半疲れたのでベッドで休む。21時起床。レモンティーとパンをいただく。一時良くなったと思ったお腹の調子は相変わらず良くない。時々痛くもなる。まあ辛抱出来ないわけではないのであまり気にしないことにする。23時 4月の土曜日は住まい探し。5月からは家賃で多少足が出るこのだが電気は自家発電があること、インターネットが出来ること、朝食があることを考えれば納得できる。今のホテル暮らしに不自由ないので、家探しをあわてることはない
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4月1日(金) 晴れ カトマンド ネパール8日目
2011/04/01(Fri)
いよいよ4月である。若葉が芽吹く希望の4月が来たと考えたい。3月11日の震災以来人生を考えた人が多かったことだろう。誰にも朝はくる。昨日見た多くの気の毒な人たちのお陰で自分たちがなんと恵まれた人生を与えられているかを思わざるをえなかった。はたして自分があの境遇にあったとしてああして生きて行く事ができるだろうかと考える。過酷な境遇に生きるチベット仏教であるラマ教の大きなストーパを見て、以外にもラマ教の資金の豊かさを感じたものだが、チベット高地という過酷な貧しい暮らしの人々が宗教に、生きるよりどころにしていることを思った。中国がチベットを領有してから世界各国からラマ教への寄付が来ることもお金が豊かにある理由ということも聞いた。お寺には万国旗のように色とりどりの旗がついていたがそれにどうやらお経らしいサンスクリット文字が書かれていることを知った。3時に目をさます。今日も寝汗をかいていた。下着を着替える。トイレに入る。わずかに出た便はまた柔らかかった。まだ本調子ではないようなので今日も無理せず、食事にも気をつけよう。喉が乾いたのでポットに水を約600cc入れてスイッチをつけておく。携帯電話を充電しておく。昨日写真をパソコンにアップしていて撮った日時が違っているのに気がついたので時間を再設定する。日本時間をネパール時間の3時間15分時間を戻す。今の時間停電時間のようなのだが、ホテルの自家発電のお陰で電気があるので有難い。今日から4月。日記も、ハウスキーピングも4月分の設定をこれからする。日記は1か月分づつのWordファイルにしていて、パソコンの起動で自動起動する設定にしているので今日からは3月のファイルの自動起動を取り消して4月のファイルを自動起動するための設定にする。ハウスキーピングはExcelに月ごとのワークシートにしているので各種残高繰越と曜日設定の設定が必要である。今回のように円とルピーの2通りのお金の管理と両替機能もその都度付与したりするからいつまでも完成品にはならない。3時半。4時過ぎまでハウスキーピングの設定途中で一休みしてレモンティーを作っていただく。5時半ぐらいからネットが繋がったのでブログの更新をする。残念ながら6時に電気が切れてブログ更新は途中であった。朝食後CIAのネパール情報をみる。8時過ぎの朝のトイレでは普通の大便が出る。これから出かける支度。8時12分 8時15分にホテルを出てネパール語の教室のあるディリバザールへ向けて出発。気持ちの良いお天気のもと約30分で着く。今日はこれまでで1番足が軽く歩くことが出来た。午前中はネパール語で書いた日記を添削してもらう。次いで複数形の動詞の変化のおさらいをしてから新しい単語の学習をする。昼食は11時から12時半までマンゴージュースと菓子パンと普通のパンをいただいて、玄関前で太陽に当たって身体を暖める。午後はプレゼンテーションを青年と一緒に聞く。今回は地震について話す。日本が火山の爆発で出来た火山列島であるから昔から地震はしばしば発生しているということ。17年前の阪神淡路大地震の話と今回の地震でともに大地震が起きる前小さな地震が時々:カヒレカヒン起こっていたことを話した。駒ヶ根に居た時も時々揺れて17年前のことを思い出して不安を感じたのでこの日記にも明け方揺れた時のことを書いておいた。阪神淡路大地震の起こった時は1月17日朝5時47分はベッドの中で目を覚ましていて横になっていたが、グチャグチャと大きな音とともに家が大きく揺れたが、前年立てたばかりの家だったためか倒壊はかろうじて免れたことなどを話した。長い間水をもらいに出かけたことや、ガスが使えなかったことなど、地すべりで飲み込まれた家々のあったところを見た記憶や、無残に破壊された家々の話などまだまだ考えていたのだが、聞く側はあまり面白くもないと考えて話をシッディオ:終わりにした。3時からは先生とマンツーマンでネパール語の会話の練習をする。最初に昨日のグムナ ザンツのことをネパール語の日記で書くのを手伝ってもらう。そのあとネパールの家作りで荷物運びをする男女建設労働者や昨日見た大きな荷物を運ぶ運搬人や交通婦人警察官などの賃金について尋ねる。また多く見かけた語学学校やコンピューター専門学校などの授業料を聞く。3ヶ月、6ヶ月、12ヶ月コースなど。カトマンドが土地バブルになっていると聞いてきたが市内でいちばん土地の高い地域、庶民がカトマンドで住む家を建てるための土地代としてどれほど必要かなどを教えてもらう。また2階建て、4階建てなどの家をつくる建設代と工期などはどれほどかかるのかも聞く。おそらく日本では子供だった頃の費用ぐらいだった。4時過ぎ今日の授業が終了して明後日は8時スタートのクラスでプレゼンテーションではこれまで住んだ町で1番気に入った町について話せというのがテーマであった。駒ヶ根の最終プレゼンテーションでは福岡が1番と話したのだが今回はバヌアツが1番ということでバヌアツ紹介をさせてもらうことにする。帰り道、教室を出たすぐの道端でレモンが売られたので2つ買うことにしたが10ルピー紙幣が無かったので20ルピーで4つ買う。ネパール人のおばさんが笑顔を見せてくれて嬉しかった。マイティガールでは明日バクタプールのサノティミに行くバス停を尋ねて確かめておく。高校生らしいスンダリ ケティにネパール語で尋ねると綺麗な英語で教えてくれた。ホテルに帰ると風呂に入れるというので1番風呂に入る。風呂上りに部屋で夕食をとる。今朝作って冷やしておいたレモンティーとパンの夕食。6時半ゆるい便が出る。明日はサノティミの先輩を訪ねる予定だが念のため電話をしておく。どうやらこちらのメールに返事をしていただいているにもかかわらず1つも届いていなかったことがわかった。19時39分 20時半まででもう1度ゆるい便が出る。ネットも繋がらないので休むことにする。23時目を覚ます。水のような便が出る。ベッドで横になってバヌアツ紹介のことを考える。23時半にも矢張り水のような便がでる。このまましばらくお腹を空にさせてから熱いレモンティを飲むことにする。
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