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9月30日(金) くもり時々雨 カトマンドの日の出5時55分日の入17時51分 1時 気温24℃、湿度86%ネパール189目
2011/09/30(Fri)

2時45分起床。NHKラジオは入らなかった。久しぶりでABCラジオ1008を聞きながら日記をつける。いよいよ9月は今日でお仕舞いである。朝のあけるのが遅くなってきた。釣瓶落としの秋の日で夜の暮れるのがとても早くなってきた。昨夜は風呂からあがったらもう暗くなっていた。おはようパーソナリティーのラジオから金木犀の香りがしだしたという話が入ってきた。自宅の近くの公園でも金木犀の香りがよくしていた。この時期一斉に香りがしてくる。カトマンドに金木犀があるかどうか知らないがその香りにはまだ気がつかない。明るくなってきた。空は青空がでているが周りの山々は雲に隠れている。6時半朝食。ネパールに十数年前から5度目という方とおしゃべりをする。ネパールの日本人留学生をお世話することがきっかけで来るようになったという花つくりの農家の方である。お世話した学生の博士論文にネパールの農業組合化についてというテーマを勧めたことがあったとの話しであった。いつも来る飛行便は違っていて今回は福岡―台北―香港―カトマンドだったが、以前、名古屋―重慶―カトマンド便はヒマラヤが良く見えて1番の眺めであったという。鹿児島―インチョンーカトマンド便は安いそうだが切符が取りにくい、マウンティン フライトも乗ったことがあったが良かったという。さてこれから午前中3時間半、グラフの自動化に取り組む。8時半
少し頭がスッキリしないので今日はホテルで昨日の続きをすることにする。8時半 午前中にFlash1のチャートの全体を見る。36表であった。やさしいのが13、難しいのが1つ、その他22表。 今日は午後2時ごろ大粒の雨が降る。2時半部屋の掃除をしてもらう。3時半までで36個のチャートのうちの簡単な13個をマクロを使って作ってみる。残り23個。今日はお仕舞い。雨は止んだ。今日も大使館から健診の案内がきていた。
携帯メールにマオイストのデモが18時からあると知らせてきた。午後は池波正太郎著「青空の街」を読む。4時半お風呂に入る。5時半夕食。夕食後読書。時々停電になる。自家発電で電気が来る。7時15分日記をつける。
19時半ベッドで「青空の街」を読んで就寝。9月が終わる。23時45分目を覚ます。NHKラジオを聞くとニュースをしていたがすぐ切れる。

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9月29日(木) くもり午後雨 カトマンドの日の出5時55分日の入17時52分 1時 気温24℃、湿度86%ネパール191目
2011/09/29(Thu)

0時15分目を覚ます。日記をつける。振込みをしておく。今日はラジオには繋がらなかった。雨は止んでいて静かな夜である。昨日も雨に降られた。外出するのはお天気のいい午前中のうちにしないといけない。今の時期夕方4時から6時ごろはよく雨が降ってくる。昨日から松本清張著「張込み」「顔」「声」「地方紙を買う女」を読んだ。昔読んだことのあるものもあったような気がするが今回どれも面白く読んだ。いずれも読後感は悲しい。5時半今日も空は灰色の雲で覆われていてまわりの山も雲の中である。6時半朝食。先輩からティハールという10月下旬の休みにゴルカへの旅行を誘われる。カトマンドの西のダディングの隣のDistrictである。ネパール王国発祥の地である。9時15分ホテルを出る。オフィスのバスで10時事務所へ。バスでは青年隊員とおしゃべりをして行く。ダサインの休みは瞑想の1週間の修行体験をするという。1時間の瞑想体験をしたことを話す。先週土曜日ナガルコットへ行ったことを話したら、金曜日にナガルコット雲海ホテルに泊まって早朝ヒマラヤが見えたという。土曜日山を下って行き違いだった。1日Excelグラフの作成をマクロで自動化する仕方を試す。細かい設定をするとそこでエラーになってしまう。大体の形まではマクロで自動で作り、その後は手作業で作ってみるのが良さそうである。いろいろな機能を駆使しなければ出来ないことを知る。午後音を立てて雨が降ってくる。短い時間で止んだ。16時半でお仕舞いにしてバス乗り場へ行くと10分前にでたという。別のバスで途中まで乗って、ローカルバスに乗り換えて帰る。帰る頃少し雨が降ってきた。お風呂に入って夕食のときからNHKラジオを聞く。夕食後昼間やってみたグラフを2段階のマクロでやってみたが結果は同じであった。日記をつけて19時45分。「鬼畜」を読んで20時就寝。
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9月28(水) くもり後晴れ後雨 カトマンドの日の出5時54分日の入17時54分 3時30分 気温24℃、湿度85%ネパール190目
2011/09/28(Wed)

9月28(水) くもり後晴れ後雨 カトマンドの日の出5時54分日の入17時54分 3時30分 気温24℃、湿度85%ネパール190目 ダサイン休日初日

1時15分起床。ラジオは繋がらなかった。日記をつける。雨は止んでいて外の石畳はまだ水で光っているところと乾いているところがある。今日のカトマンドの日の出も日の入りも5時54分である。ということは昼間の時間と夜の時間が同じということか。今日は祭日。ネパールは今日から大型連休のダサインになる。事務所は10月1日から9日までが休みとなる。6時半朝食。今日のおかずはカレー風野菜煮物。昨夜UAEのチケットが安くなっていたと聞いた。新聞に国勢調査の結果が出ているとホテルのスタッフが教えてくれる。先日頼んでおいたことだ。人口は2662万人で10年前の2001年の調査から347万人増えていた。首都カトマンドの人口は174万人で66万人の増加。都市部は452万人で130万人の増加。農村部は2209万人で217万人の増加。南部タライ地区は1335万人で214万人の増加。Hill(丘)地域は1147万人で122万人の増加、Mountain(山)地域では179万人で11万人の増加であった。人口増加率は前回の2.25%から1.4%に下がった。ちなみに人口増加率1%が70年続くと人口は2倍になり1%減が69年続くと半分になるという。日本はー0.07%と出ていた。全国の結果だけで75のDistrictの結果は出ていなかったのでそれが新聞に出たら教えてと話しておく。10月分の部屋代を小切手で支払う。朝空を覆っていた雲は次第に消えて青空が見えて朝日が差してきた。8時17分 靴の繕いに出かける。タパタリチョークで店を出していた小さな女の子連れが店を出していたのでそこで見てもらう。剥がれたところに接着剤を塗ってその上から丁寧に紐で縫ってくれた。タライのNo15 Saptariの出身ということで身分証明書を見せてくれた。出身のDistrict SaptariとVDC出身の村が書かれていた。50歳で4人の子供がいると言っていた。長男の25歳の息子はSLCに通ったと言っていた。ダサインの休みには出身の古里に皆で行くと言っていた。これでまた履くことが出来そうになる。ホテルに戻って図書室で面白そうな本を探す。部屋で高橋照著「秘境ムスタン潜入記」を読む。ネパールのWestern Region Dhaulagiri Zone 42 Mustang Districtで国産車Mustangと同じ名前の昔Mustang王国のあったところである。以前はネパールの地方へ行くには政府の許可をとらなければ行けないところが多かったようだ。ネパール王国の時代地方にあった4つの王国の国王には3代に限り年に1万ルピーの年金が支給されていたと書かれていた。当時の1ルピーは20円ぐらいだった。現在は1ルピーが0.98円になっている。3月に来た時10000円が8700ルピーだった。今朝見たら10000円が10210ルピーと出ていた。半年で円が随分円高になってきている。昼食後部屋で松本清張著「張込み」を読みながらうとうとして過ごす。午後一時ごろ雨が降る。3時半街へ買い物に出かけることにする。ダサインの休日で大勢人が出ていた。道端に店も沢山出ていた。靴を探して気に入ったものが見つかったのだがもう片方が見つからない。店の人も随分探してくれたがとうとう見つからないまま大雨が降ってきた。しばらく雨宿りを狭い靴屋で大勢の人とした後レインコートを着て傘をさして歩いて帰る。道端の店店はビニールですっかり商品を包んで雨よけをしていた。道で道路が川のようになってきた。昨日同様すっかり靴が中まで水に濡れてしまった。5時半ホテルに戻り食事をしてお風呂にはいる。風呂上り「張込み」を読んで20時就寝。

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9月27日(火) くもり晴れ夕方雨 カトマンドの日の出5時54分日の入17時55分 3時30分 気温24℃、湿度85%ネパール189目
2011/09/27(Tue)

夜中目を覚ましてはベッドで「左遷」を読む。5時に起床。昨日は珍しく一日雨で土手と同じ高さまで水嵩がきていた川もあった。道路わきにビニールを広げて品物を並べる店は流石に出ていなかった。半そでのワイシャツでは少し寒かった。上着を着て丁度いいほど気温も下がっていた。政府が公務員8万人に7000ルピーを支給してスーツを誂えて提供したという記事を見た。教育局でも男女とも同じ紺色の記事の背広を着てくるようになってきた。日本であまり目にすることのなくなったしっかりした紺の厚手の生地であった。学校の生徒も小学生から高校生まではそれぞれの学校毎の制服でネクタイをつけている。公立学校の制服の色は青と聞いたことがある。大学生は私服である。昨日は2号報告書を作って英文で作った実施計画書をカウンターパートへ渡して、なにか注文があったら教えてくれと話しておいた。今週中にWeb入力を終えることにする。5時50分外が明るくなってきた。今朝は雨はあがっている、空は灰色の雲で覆われ周りの山々も見えない。昨日は合成皮の通勤靴のつま先の接着剤が剥がれて水がしみてくるようになった。帰りに通る道の脇の靴の修理屋も昨日はいなかった。今度見てもらうことにする。6時半朝食。キューリとワカメの酢の物にめだかほどの小さなごまめが入っていた。明日は五穀のお祭りの休日だという。昨日村に仕事に行った同僚の話を聞く。雨で道が土砂崩れにあって時間がかかったという。つり橋で渡ったところにある170数名の農村であったという。空を覆っていた雲は次第に少なくなって青空がでてきて陽射しも差してきた。9時15分ホテルを出てバス乗り場へ行く交差点で観光の振興で空港で働いている先輩からおはようございますと声をかけてくれて一緒に渡りおしゃべりをする。昨日は35分待ってもバスが来なかったという。たしかに昨日はバスが少なかった。今朝のオフィスのバスは少し遅く10時36分に来る。オフィスについてセオンジュさんから昨日は友人が来たので休んだと話していた。指差した空港にはうす水色の大韓航空の機影が見えた。韓国からの直行便だという。明日から2週間エベレストにトレッキングに行くという。テイクケアー気をつけてと言ってまたあいましょうといってさよならをする。大韓航空が定期便なのか特別便なのか訊ねるのを忘れた。Webを見たが27日の出発便には載っていなかった。調べてみると月・木・土の週3便ソウルーカトマンド便があった。ソウルと日本の各地にいろいろな便があるらしい。大韓航空便がバンコク経由の便より料金は安いようだ。でもバンコク経由は毎日の便があって便利である。ついでに国内線のマウンテェンフライトを見たら27日は6時半から7時45分までに4社で18便の出発予定があったことを知る。サンカルジーが来ていて昨日ローカルバスが来なかったことについて聞いたらどうやらニューヨークに行っていた首相が帰ってきた時刻でバスなどに指令がでた為だと言っていた。国内でやらなければならないことが沢山あるのに何にもしないでバスを止めるなどナンセンスだと怒っていた。昨日は珍しくお昼に出てきていた。午前中昨日の報告書を見直す。12時15分からWebのポータルに2号報告書の7つの文章を5分でコピーして申請する。午後はダサインが明けると作るFlashReportⅠのグラフについてどこまで自動的に出来るかマクロを使って試してみる。12時37分午後はもっぱらWordからのテーブルをExcelにコピーして貼り付け、それをExcelマクロでグラフを作り、コマンド登録をしてみる。このExcelを保管して、次にこれを呼び出し、グラフを消して、テーブルを消して、新しいテーブルをWordからコピーしてきてExcelの元のテーブルがあった場所に貼り付けて、コマンドを押せばすぐグラフが出来るところまでやってみて確かめる。これを予め準備しておけばボタン1つで直ぐ出来るはずだ。16時半でお仕舞いにする。サンカルジーは明日からダサインの休みで故郷のタライのNo5.MORANGへ帰郷するという。握手してハブ ア ナイス ホリディよい休みをと言ってさよならをする。次回10月8日だという。16時45分バスは定刻より早く出た。乗客はいつもの1/3だった。途中で大雨が降ってきた。傘は持っていたがバスを降りてしばらく木陰で雨宿りしたが段々雨が強くなってきたので思い切ってホテルまで川のようになった坂道を登ってたどり着く。リュックサックの中まで雨で濡れてしまった。次回から忘れずレインコートを入れておこうと思う。靴も中まで水に濡れてしまった。歯ブラシで洗ってひっくり返して乾しておく。しばらく充電していなかったデジカメを充電しておく。風呂に入ろうとしたところで停電になって真っ暗になる。しばらくして電気が来る。夕食後「左遷」を21時半までで読了。今から21年前の1990年2月に発行されたものである。久しぶりにラジオ深夜便を聞きながら日記をつける。22時就寝。

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9月26日(月) 雨 カトマンドの日の出5時53分日の入17時57分 3時30分 気温24℃、湿度85%ネパール188目
2011/09/26(Mon)

3時目を覚ます。寝汗をかいて下着を変える。雨音が聞こえている。3時15分からラジオ体操をする。ラジオ第一が終わったところでラジオが切れる。ネットが繋がりにくくなっていた。チケットの予約を見てみようとしたが回線スピードが遅くてあきらめる。6時からベッドで「左遷」を読んで起床。雨が音をたてて降り続いている。6時21分。6時半朝食。おかずはきんぴらごぼう。水力発電のダムについての話を聞く。今決まってもこれから先5~6年先にならないと出来ない仕事という。ダムは住んでいる人の立ち退きなどもあって時間のかかる仕事である。昨日の飛行機事故の話が出る。これまで1番安全といわれていたブッダエアーだそうだ。その安全神話も崩れた。マウンティン フライトを終えて北からカトマンドに入った飛行機は南東のゴダワリあたりで北の空港にターンして南から着陸しようとしたのだろう。こういう飛行機をこの部屋から時々見ることが出来る。この方向転換のあたりで高度を下げすぎて農家にぶつかってしまったようだ。やはり原因は視界不良で空港への着陸に失敗したパイロットの運転ミスのようだ。あと1分で着陸という地点での事故であった。屏風のように山々で囲まれたカトマンド空港に着陸するために普通よりきつい角度でもって降りなければならない。しかも降りたところが真っ白の雲の中で視界がきかないのではいつ同じ事故が起こってもおかしくないようだ。航空機と空港の設備の電子機械化の整備が日本の援助で計画があるようだ。今日も雨で空一面の曇り空で周りの山々も見えない。今日はマウンティン フライトだけでなく、どの便も天候不良で欠航にしていることだろう。9時15分雨の中レインコートを着て傘をさして出かける。いつものババマハルはバスが来ないので人で一杯になっていた。だれかが「ガリ アウンダイナ」「バスは来ないよ」と声をかけて人々は雨の中を歩きだした。どうしてバスとテンプーが走っていなかったのかわからない。10時オフィスにはいつも朝早くから来ているサンカルジーはまだ来ていなかった。今日はネパールに来てから半年がたったので第二回目の報告書を作る。お昼過ぎサンカルジーが来る。帰りまでに報告書の形作りをして4時半過ぎオフィスを出て5時バスに乗って帰る。今日は珍しく一日中雨であった。ホテルに帰りすぐお風呂に入る。風呂上り夕食をいただいてからUAEのチケットの予約をする。カトマンドーサルジャ間1853 miles / 2982.11 kmで 往復1420AED 今日のレートは1AED=20.8円だったから約3万円ぐらいである。LCC(Low-Cost Carrier)のエアー アラビアのサービスはどれも有料になっている。4時間のフライトで読む面白い本を探して持っていくことにする。「左遷」を読んで21時就寝。
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9月25日(日) くもり カトマンドの日の出5時53分日の入17時57分 4時30分 気温24℃、湿度85%ネパール187日目
2011/09/25(Sun)

4時起床。口内炎はすっかり良くなった。喉の咳は少し良くなったような気がする。やはり昨日の山歩きは雨にも降られたが行って良かった。日記をつける。
6時半朝食。10時前買い物にホテルを出たところで朝のマウンテェン フライトの飛行機が墜落して全員死亡のニュースを聞く。買い物をしてお昼にホテルへ戻ってネットを見ると1名邦人の可能性を報じていた。昼食をいただき横になり「左遷」を読んでうとうとする。14時起床。VB6でプログラムの勉強。18時夕食。
今日は早朝マウンティン フライトの小型機が墜落して19名全員死亡という大きなニュースがあった。カトマンドまで5Kmの村に着陸態勢に入ったのを空港関係者が見ていて落ちたという。このマウンティン フライトというのは、エベレストをはじめヒマラヤの山々を1時間かけて空から見るという人気の観光コースである。カトマンドから毎朝3社の航空会社が小型機を飛ばしていて早朝便が一番見るのにいいという。先日このホテルに泊まっていたグループは朝5時半の暗いうちに出かけて8時過ぎにはとっても良かったと言って帰ってきた。曇っていて視界が悪い時は飛ばないで翌日に延期ということもあるようだ。料金は200ドルぐらいである。今回の犠牲者の国籍は乗員3名全員と乗客3人がネパール人で、10人はインド人。残りの2人は米国人、1人は日本人の合計19名。日本人は23日にネパールに来て明日26日にネパールを離れる予定であったという。同じ飛行機に6月にチトワンからカトマンヅまで20分乗ったが全く不安は感じなかった。この国では国内便は小型機が沢山飛んでいる。今まで事故が無いので感心していたがやはり思いがけなく事故は起こるものである。They say it's safer to fly than to drive.飛行機は車より安全だ。と言われているが一旦事故が起こると全員死亡ということになるから怖い。19時お風呂に入る。風呂上り日記をつける。
30歳の犠牲者の青年の家族は身元確認のためネパールに向かうという。誠にお気の毒なことで悲しい旅になることを思わざるをえない。運命についての格言「運命は神の考えることだ。人間は人間らしく働けばそれで結構である。」「左遷」を読んで21時就寝。


ビーチクラフト 1900
事故機と同型機 ビーチクラフト 1900 乗務員2名、乗客18名乗り

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ビーチクラフト 1900の機内
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9月24日(土) 雨くもり時々雨 カトマンドの日の出5時52分日の入17時58分 5時20分 気温25℃、湿度85%ネパール186日目
2011/09/24(Sat)
夜中1時前目を覚ますがそのまま寝て4時起床。外の石畳は雨で光っていた。日記をつける。紅茶をつくる。6時半朝食。雨は上がっていたが空は雲で覆われていた。お天気は良くないのでヒマラヤの眺望は期待できない。どうしようか迷っていたのだが、朝食時同僚が丁度時間があるのでお供しますよと言ってくれたのに励まされて簡単な支度をして一緒にナガルコットへ行ってみることにする。
ナガルコットはカトマンドゥより北東に約35km離れた標高2100mの丘でヒマラヤの展望台として知られる。東の方角にはヒマラヤの尾根が大きく開け、エヴェレストからさらに東の峰々まで見渡せるほか、正面にはランタンジュガール山群、西にはマナスル山群まで望めるという。日本からのネパールツアーでは最初にカトマンドに着くと先ずこのナガルコットに向かい最初の一夜をナガルコットで過ごすスケジュールが多いという。運がよければ日没と日の出をヒマラヤの山々と一緒に見える。ツーリストはこの後、ポカラやチトワン、ルンビニなどのネパールの観光地に飛び、帰りにカトマンドに戻って市内の旧跡を見学して帰国するというのが多いコースだと聞いた。7時半ホテルを出てババマハルからバクタプール行きのバスを婦人警官に教えてもらい乗る。バスは休日で空いていて座れる。8時20分頃バクタプールに着く。ナガルコット行きのバスの発着場までは歩くのにはすこし距離があるのでバスに数分のる。8時40分頃着いてしばらく近くの大きな丸い池の魚を見て出発を待つ。沢山魚がいて大きなのもいたが釣りをする人は一人もいなかった。9時発発車のバスは9時6分に出発する。最初からかなりの人で座れないも大勢居た。麦の種を入れた大きな袋を2つ積んで途中まで運んでいた婦人がいた。いくつかの大きな荷物も積み込まれていて途中の家々まで送られていた。山の途中で乗る人も降りる人も居た。若い青年達は終点まで行った。若者は大勢屋根の上に乗っていた。美しい段々畑や段々の稲田を見て10時16分終点ナガルコットに着く。ナガルコット銀座から終点まで若い車掌が運転手に代わって終点までジェットコースターのようにスピードをだして運転して屋根の上の青年達が悲鳴を上げていた。肝試しのサービスだったようだ。バクタプールのナガルコット行きのバス乗り場でタクシーを勧誘するネパール人が日本語でタクシーなら40分、バスだと2時間と言っていた。地図では10Kmぐらいにしか見えないので2時間はかからないだろうと思っていたがやはりタクシー勧誘のセールストークであった。時間はたっぷりある。急ぐ旅ではない。タクシーだと800ルピー、バスだと25ルピーではバスに乗る。ナガルコットではバクタプールから20Kmと看板があった。地図では10Kmぐらいに見えたが曲がりくねった坂道だけにそれくらいになるのだろう。雲がかかっていて素晴らしい景色は見えなかったがカトマンドの街中を歩くのとは違い綺麗な空気の林の中を歩くので気持良かった。山道の途中で子供が開いて店で小さなインスタントラーメンを買って食べながら歩く。歩いていると2人の子供が飛び出してきてナガルコットから見たヒマラヤの綺麗な絵葉書を勧められた。それぞれから1枚づつ買う。雲がなければ眺めの良さそうなホテルで部屋を見せてもらい料金を訊ねる。5棟だけの小さなコテージが雰囲気があって良さそだったが全てふさがっているということで見られなかった。大きなホテルでは27室というのもあった。料金はシングルで600ルピーからツインで1000から1500ルピーであった。雨が降ってきたのでホテルの食堂で昼食をいただく。しばらく雨宿りをして晴れたら見えるというヒマラヤ方向を見る。見ているうちに雲がどんどん流れて山々が見えたり隠れたりする。山の日当たりのいい斜面は何処でも綺麗な段々畑が作られていた。小降りになったところで帰りのバスの出発場所まで下りてドライバーにバスの出発時間を尋ねる。その時間まで曼荼羅の絵や土産ものなどを見て過ごす。茶店などが中心でみやげ物の店は1つしか見つからなかった。帰りのバスは1時に発車。この時雨は止んでいた。帰りもゆっくり慎重な運転で安心できた。道路を踏み外してがけ下へ落ちたら大事故になるがガードレールなどは無かった。出発してバクタプールに近づいてきた時大雨が降ってきた。その前にバスを止めた警官からの指導で屋根の上に載っていた若者達が下ろされて車内に入ってきて窮屈になっていたのだが丁度大雨が降り出す前で良かった。バクタプールには2時に着く。その場所の近くからカトマンド行きのバスが出ていて2時16分バスが出発する。朝もバスによってはババマハルからバクタプールのナガルコット行きのバス乗り場まで行くバスがあったようだ。3時過ぎババマハルに着く。ホテルには3時半前帰る事ができた。バスを降りた時には雨は上がっていた。お天気には恵まれなかったが美しい農村風景を見ることができて良かった。稲はたわわであと1ヶ月以内に収穫だろうということであった。ネパールの若者が大勢のグループできていて楽しそうだった。驚いたことにナガルコットまでの道路は全てアスファルト舗装されていた。外人の観光客は白人のグループを見かけたが多くはなかった。日本人は見かけなかった。4時45分お風呂に入ってさっぱりする。風呂上りエアコンにあたりながら日記をつける。5時40分 夕食をいただいて江波戸哲夫著「左遷」を読んで19時就寝。口内炎は気にならなくなった。

晴れた時のナガルコットからのヒマラヤ

nagarkot_himarayan_view.jpg

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9月23日(金) 雨くもり雨 カトマンドの日の出5時51分日の入18時1分 3時 気温26℃、湿度85%ネパール184日目
2011/09/23(Fri)

2時起床。今朝はNHKラジオが入らなかった。懐かしい「昭和の唄」で「九月の雨」などを聞きながら日記をつける。起きた時は降っていなかったが外から雨音が聞こえてきた。今朝は6時45分から8時45分までお別れをさせてもらう。明日はお天気であれば憧れのナガルコット2100mに出かけてみたい。5時過ぎ疲れて横になる。6時明るくなって雨が止んだ。空一面の薄い雲。山がくっきり見える。今日はお天気になりそうだ。6時10分 6時半朝食。今日のおかずはなすの煮物。6時45分からお別れ式に庭に出て空を仰いで参加させてもらう。9時半バスで10時過ぎ事務所。サンカルジーはPCに向き合っていた。今日もPowerPointで入力画面の仕上げ。昼食までに仕上げる、午後はAccess VBAのエラーが解決出来ない。3時のバスでマイティガールに3時半。一緒におりたセクレのおばさんから調子はどおと聞かれたので咳が出てと答えて、あなたはいかがですかと尋ねると、喉が痛くてとジェスチャーで喉をさすっていた。ホテルに荷物を置いて、3時45分事務所へ向かう。橋のところで雨が降ってくる。16時20分過ぎ事務所へ。先客をしばらく待って預けていたパスポートを受け取り書を書いて入手する。取りに行けるのが今日と来週の金曜日しかないことに気がついて出かけることにした。帰り道雨が本降りになってくる。お陰で埃っぽさが押さえられる。ホテルに帰るとお風呂が空いていたので直ぐ入る。風呂上り懐かしい「昭和の唄」を聞きながら日記をつける。
高杉良著「銀行人事部」を読んで20時就寝。


以下のメールがあった。
大使館からのお知らせ(11-62)     9月23日
外務省巡回医師団による健康相談会について

 標記について以下の要領にて実施しますので,添付資料を熟読のうえ,
お申込みをされる方はメールまたはFAX,電話にてご連絡願います。
1.日時
10月22日(土),23日(日)
  両日とも10:00~12:00,13:00~16:00
2.場所
日本大使館多目的ホール
3.お申込み
  氏名,年齢,性別,希望日時,相談希望科目(内科・皮膚科等),
連絡先を記入のうえ,10月14日(金)までにメール(またはFAX)
で申込み下さい。
  また,大使館窓口・電話での申し込みも受け付けています。

大使館からのお知らせ(11-63)           9月23日
ダサイン期間中の計画停電について

 このたびネパール電力公社は昨日,計画停電表を公表し,当館で英訳した
ものを当館ホームページに掲載・更新しましたのでご参考願います。

1.9月22日~27日 週10時間
2.9月28日~10月8日 週6時間

先日この国に寺子屋を提供しているという日本のグループがホテルに泊まっていた。朝早く若いメンバーの女性が振袖を着て皆さん揃って大統領に表敬訪問に出かけていった。この国では2008年に初代の大統領としして制憲議会選挙で当選した議員の選挙によってラムバラン・ヤーダブ氏が選ばれた。議会は第1党「ネパール共産党毛沢東主義派」がラム・ラジャ・プラサド・シン氏、第2党「ネパール会議派」がラムバラン・ヤーダブ氏 第3党「統一共産党」第4党「マデシ人権フォーラム」でそれぞれの党が押した候補者が1回目過半数に届かず、2回目の選挙で2,3,4党連合が成立し過半数を取って当選した。南部タライ17番ダヌシャ出身。小作農に生まれ、インド カルカッタ医科大学で医科外科学学士を取得、カルカッタ大学熱帯医学科で学びのちに医学博士号を取得。南ネパール、タライ地方の病院で医師として働いた。ネパール会議派から立候補して下院議員に初当選、保健大臣をした。ネパール会議派・代表幹事をしていた。穏健なマデシ政治家といわれている。副大統領はマデシ人権フォーラム法務部長で元最高裁判事をしていたパラマーナンダ・ジャー氏 80歳で、大統領、副大統領ともにマデシ出身である。

ラムバラン・ヤーダブ氏
ラムバラン・ヤーダブ 初代大統領
1948年2月4日生まれ63歳
所属政党 ネパール会議派
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9月22日(木) くもり陽射し カトマンドの日の出5時51分日の入18時1分 4時 気温24℃、湿度86%ネパール183日目
2011/09/22(Thu)

2時半起床。レモン4個を搾りレモンティーを1.5リットル作る。2時45分から6時のNHKラジオを聞く。台風15号のニュースと沢山の避難勧告。6時半から久しぶりにラジオ体操をする。痰がからむ咳ではないが相変わらず止まない。今日は岳母のお通夜がある。そのネパール時間13時45分から14時45分まで一人で偲び別れを惜しませていただくことにする。安直の謗りを免れ得ないことは重々承知の上であるが仕方が無い。人ごとではなく自分が死んだ時のことも考えておかなければならない。死んだら家族だけで偲んでもらえれば十分で有難い。その後関係者には亡くなった通知をしてもらうだけにしてもらいたい。お墓などは必要ない。3世代過ぎたら維持するのが出来なくなるだろう。希望を書いておこう。
「墓地を買うことなど断じて無用たるべきこと。勿論、葬式、告別式など一切無用のこと。
弔問、供物の類はすべて固辞すること。生者は死者のためにわずらわさるべきにあらず。
私を知ってくれる友人たちの記憶の中に生を得れば、それで満足。」
岳母にはいつも心にかけていただいた。今朝のネパールの新聞にホーム大臣という人の写真がでていた。朝食の時その新聞を読んだが何を言って写真がでているのか結局わからなかった。ホーム大臣というのは国内の治安を司る警察を管轄に持つ。簡単にいうと警察の親分だ。日本の昔の内務省が警察組織を管理していたように、ホーム大臣は内務省とも言うべき組織である。どうもこの人は新首相がすこぶるクリーンと見られていて期待されているのとは正反対で国民にはっきりとしたイメージが焼きついているポリティシャンと定評があるようだ。タライのNo6サンサリ出身で以前はネパール会議派に属していたが、マデシの会派に移り2代目首相の政権誕生に貢献し副首相を手にしている。工業相や運輸省も歴任している。今回の4代目の政権誕生にマデシを束ねて参加し、副首相と内務大臣を手中にしている。どうやら大きな政治力を持っているようで政権のキーマンの一人に違いない。
この人も首相にならって国産車ムスタンを買ったらしい。大統領も私的な車としてムスタンをかったようだ。
多様な民族で構成される国づくりに多様な指導者の力をいかに結集して難しい問題に答えを出していくか首相のリーダーシップに多くの人が期待して今後の進展に注目している。
8時15分ホテルを出る。陽射しが出て暑くなったところを25分歩いてエベレストホテルに着く。お土産を見て9時に3人揃ってタクシーで職場へ。9時20分着。いつもの通りサンカルジーは既にきてPCに向かっていた。今日は昨日の作業の続き。1日昨日の続きのFlashⅠの入力画面をPowerPointに写してコメントをつけて一応完成。もう一度見直すことにする。その後Access VBAをしてエラーが出てその解決がつかないで時間切れ。4時40分お仕舞いにしてバス乗り場へ。5時のバスに乗って帰る。夕食をいただいてから入浴。
同じ教育局にいる青年隊員と階段で会う。尋ねてこられたご両親がこのホテルに泊まることにしたということで嬉しそうな笑顔が素敵だった。高杉良著「銀行人事部」を読んで20時就寝。


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ビジャヤ クマール ガッチャダール 副首相 内務大臣
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9月21日(水) 雨後くもり カトマンドの日の出5時51分日の入18時2分 6時 気温24℃、湿度85%ネパール182日目
2011/09/21(Wed)

夜中1時目を覚ます。昨夕から口内炎が出来る。昨日の小倉さんの勉強会でバッタライ新首相の就任20日間のパフォーマンスを聞く。期限付きの難問を抱えながら国連総会に出かけているわけであるが考えていることは、ネパールに帰ってからどういうふうに2つの問題解決を図ろうかということだけだろう。6時起床。
今朝は空一面の雲で山々も雲の中であった。昨日は今年はいつまでも雨が多いという話がでていた。長続きする雨ではないが毎日のように降っている。6時半朝食。朝食の時ネパールの国産車「ムスタン」についてプラカッシュさんに尋ねる。国産車で200万ルピーぐらいだという。トヨタの新車は2000万円ぐらいするという。大臣は300万以内の車に乗り換えるようにと新首相からの命令が新聞に出ていたという。これまでMinister of Financeは2000万円の車に乗っていたという。どうするだろうか?9時半過ぎ、雨の中バスが来た。10時過ぎ事務所につく。バスから降りて事務所までの道すがらラビンドラジーから昨日一昨日どうしたと聞かれる。事務所にはすでにサンカルジーが仕事をしていてセミナーはどうだったと聞かれる。これからの1年半の実行計画作りのセミナーだったと答えると、一緒に計画を作ろうと言ってくれる。何か手伝うことがあったら言ってねと話しておく。メールを発信しておく。これから現行システムの入力画面のハードコピーをとって入力の文書物を作る。10時45分 今日は入力画面をペイントで編集してPower Pointに22画面ほど貼り付けて16時半。今日はネパールティ2杯ご馳走になる。いつものバスはメンテナンスということで出なかった。明日の朝も休みだとラビンドラジーが教えてくれる。途中までラビンドラジーと一緒にバスにのる。ネパールの国産車の「ムスタン」が走っていたら教えてくれといったら、小さな車だそうだが、結局今日は見れなかった。のりかえのコティソールからヒマラヤを見ることができた。明日の朝は少し早くローカルバスで出かけようかと考えていたらコティソールで一緒のテンプーに乗ったセオンジュさんが明日は日本の隊員が職場見学に来るので一緒にタクシーで行くから乗っていかないかと声をかけてくれる。少し早く行こうと思っていたのだが折角さそってくれたのだから一緒に行くことにする。9時にエベレストホテルの玄関で待ち合わせということになる。マイティガールまで一緒にテンプーに乗っておしゃべりをする。ホテルへの帰り道にパンを買って帰る。荷物を整理したところでお風呂が空いたと電話をもらう。6時過ぎお風呂に入る。6時半お風呂を出て日記をつける。Keyhole TVが復活したようで懐かしい「昭和の歌」を聞きながら日記をつける。久しぶりにNHKラジオも聞くことが出来た。「ラジオ深夜便」が聞けるのが楽しみである。19時 夕食後口内炎の薬になるものを薬箱を探して第一三共胃腸薬細粒を1包を飲む。お湯を沸かして紅茶を作る。20時45分からNHKラジオ深夜便0時のニュースを聞く。台風15号で広い範囲で大雨のニュース。
高杉良著「民僚の転落」を読んで21時就寝。


国産車Mustangに乗るバッタライ首相

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9月20日(火) 雨 カトマンドの日の出5時50分日の入18時3分 5時 気温26℃、湿度80%ネパール181日目
2011/09/20(Tue)

1時すぎ起床。「懐かしい昭和の歌」を聞きながらレモンを3個搾ってレモンティを作る。昨日はそれほど痰が絡むわけではないのだがよく咳がでた。昨日帰り道途中まで一緒に歩いた同僚が最近は職場まで歩いていないという。いつも約40分ぐら健康の為いつもマスクをして歩いていた人だが、喉を痛めて最近は車という。昨日ポカラから来た若い看護隊員がポカラは空気がいいのが良いと話していた。カトマンドは雨で無いといつも埃っぽい。光線が当たると空気の埃がキラキラ光って見える。車は道路の土を舞い上げて走っている。もちろん車の廃棄ガスもにおいも強い。道路から離れると静かで大気汚染を感じることは少ないのだが、時々野焼きのビニールを焼く臭いがしてくることがある。これはバヌアツでも同じであった。どこの開発途上国でも買い物袋のビニールと飲料のペットボトルのゴミを野焼きをしている。日本ではプラスチック製品を野焼きすると発ガン物質を発生させるなどの理由で最近は出来なくなっている。畑の草木を焼くことも難しくなっている。燃やして煙を出すとすぐ警察に電話されてパトカーが飛んでくる。雨は止んだようだが外の石畳は濡れて光っている。2時半 3時休む。6時15分起床。朝食の時地震直後に緊急連絡網で安否確認が無かったことの話が出た。昨日も同じ話題が出ていた。今回の地震では犠牲者が増えて68名死亡との報道もある。安全会議があったばかりである。何故今回緊急連絡網の安否確認をしなかったのか不思議なことであった。日本人的感覚ではあれぐらいの揺れでは事故は起こらないと判断をしたのかもしれない。地震直後から携帯がつながりにくくなったという。ドミトリーのインターネットは繋がらなくなったという。いざ天災が発生したときのとっさのアクションが難しいということを今回の地震で学んだことである。8時から8時37分まで今日の小倉さんのセミナーの資料を読む。これから出かける支度。雨は止んでいる。8時55分ホテルを出る。出たところで時々見かける女の子が英語で声をかけてくれたのでおしゃべりしながら歩く。ザナザティのマガル族のマンズManjuという13歳の少女で中学生だという。英語が好きだといっていた。あなたの英語は美しいですねといったらきれいな声でサンキューと言った。今日は急いでいるからまたおしゃべりしましょうと言って別れる。今日は9時半から12時半まで昨日の続き。眺めのいい部屋で昼食をいただき次回の2時半までPCを使いメールの返事をしておく。14時半から小倉清子さんの話を16時まで一番前で聞かしていただく。足元にいくつかの爆弾をかかえながらどこまで新政権の舵取りを新首相ができるか、次回の11月30日が次の山場という話しを学ぶ。最後に若い隊員からこの国の政治化に問題解決能力があるのかとの質問に対して、私はネパール人を尊敬していると語っていた。東大で農学を学びトリブバン大学で修士を学びネパール生活19年の方だけにネパールの政治家もよくご存知のようである。期待のバッタライ新首相ではあるが政権発足早々足を引っ張る内務大臣やマオイストの副議長勢力などがいて肝心の和平プロセスの形作りと憲法案が11月30日までに出来るか見通しは明るいものではない。多くの国民の期待をになっている人のようでこの人で出来なければネパールに明日は無いところまで来ているようなので是非成功させてほしいものだ。首相の指導力が試されている。ホテルに16時半帰ってお風呂に入り風呂上り日記をつける。これから夕食。夕食後30分かかって年末の健康診断一時帰国の申請の2度目の入力をする。高杉良著「王国の崩壊」を読んで20時就寝。


ネパール連邦民主共和国 歴代首相

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プラチャンダ 初代首相
(別名 プスパ・カマル・ダハル)
2008年8月15日ー2009年5月4日 
ネパール共産党毛沢東主義派


kumar Nepal首相
マダブ・クマル・ネパール 2代目首相
2009年5月23日ー2011年1月3日
ネパール統一共産党


カナル前首相
ジャラ・ナト・カナル 3代目首相
2011年1月3日ー 2011年8月29日
ネパール統一共産党


バッタライ新首相
バブラム・バッタライ 4代目首相
2011年8月29日ー 
ネパール共産党毛沢東主義派

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9月19日(月) 雨後くも夕方雨 カトマンドの日の出5時49分日の入18時5分 5時 気温26℃、湿度78%ネパール180日目
2011/09/19(Mon)

3時起床。外は雨であった。心配していた悲しいメールがきていた。朝6時までで「懲戒解雇」を読了。先日読んだ三菱化学合併前の時代の三菱油脂を舞台にしたノンフィクションの作品のようだった。
今日も空一面の曇り空である。6時半朝食。おかずは竹の子の煮付け。昨日の地震が新聞に写真入りで載っていた。道路沿いの壁が倒れて亡くなった人があったという。Webではインド北東部シッキム州のネパール国境に近いヒマラヤ山中で18日、マグニチュード(M)6.9の地震があった。両国の広い範囲で揺れが観測され、地元テレビによると、少なくとも7人が死亡。別のものはインド北部のシッキム州で現地時間の18日午後6時10分ごろ、マグニチュード(M)6.9の地震があり、同国と隣国のネパールで少なくとも11人が死亡した。シッキム州では建物の倒壊や土砂崩れが発生し、救助作業が続けられ 。とあった。このホテルの50代のオーナーのネパール人は始めての地震の経験だという。今朝方まで降っていた雨は明るくなって上がった。今日と明日は計画策定研修。以下の安否確認のメールがきていた。

大使館からのお知らせ(11-61)     9月19日
地震による安否確認
 昨日午後6時25分頃発生したインド北東部を震源とするM6.8の
地震を踏まえ,現時点での皆様方の安否を確認したいと存じます。
そこで,以下のとおりご協力をお願いします。
氏名,住所,連絡先,安否状況を速やかに以下のメールへ報告して下さい。
(電話も可とします。)

6時半朝食のおかずは竹の子の煮物。8時22分ホテルを出て事務所に8時55分。9時からセミナーで中心テーマはプロジェクト サイクル マネージメント(PCM)というプロジェクトの計画・実施・評価のうち、計画作りを学ぶ。関係者分析・問題分析・目的分析というところまで農業協同組合の組織強化目的の計画策定をしてみる。昼食は13時から14時。午後は16時で終了。雨の中ホテルへ帰宅後、入浴。メールと振込み。夕食後日記。19時37分 お湯を沸かして紅茶を作る。高杉良著「王国の崩壊」を読んで20時就寝。
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9月18日(日) 地震がある。くもり後雨 カトマンドの日の出5時49分日の入18時5分 5時 気温26℃、湿度78%ネパール179日目
2011/09/18(Sun)

夜中何度か目を覚ましベッドの中で「影の車」を読了。昭和36年1月から8月までの作品7編である。その時代の日常の様子がわかって面白かった。5時起床。先週は健康診断一時帰国で受診する医療機関を探した。これまでいつも受診していた病院が健康診断をとりやめたということで近所の別の病院に問い合わせたのだが予約はしていないという。帰国したあくる日から3日以内に受診するのがルールになっている。特に内視鏡検査は行った当日は実施日を予約して予約した日に実施することになっているという。今のうちに予約できるところを探してなんとか目処をつけることが出来た。この健診で再赴任出来なくなる人もいた。中には健診後直ぐ手術して帰任が遅れている人もいる。シニアの女性は体重に増減が無かったにもかかわらず栄養失調状態と判定されたと聞いた。果たしてどんな結果になることやら。今回はどんな結果が出てきても驚くことはない。自覚症状としてはこれまで皮ふのかゆみを意識したことは少ないがこの半年でかゆみを感じることが多くなった。この国で青年男子隊員が皮ふのかゆみの症状が治まらず赴任後わずかで帰国になったケースがあったそうだ。豆の食べ物アレルギーもあったようだ。先日以下のメールがきていた。

大使館からのお知らせ(11-60)     9月16日

【再確認】外務省巡回医師団による健康相談会について

 標記について以下の要領にて実施しますので,添付資料を熟読のうえ,
お申込みをされる方はメールまたはFAX,電話にてご連絡願います。
1.日時
10月22日(土),23日(日)
  両日とも10:00~12:00,13:00~16:00
2.場所
日本大使館多目的ホール
3.お申込み
 氏名,年齢,性別,希望日時,相談希望科目(内科・皮膚科等),
連絡先を記入のうえ,10月14日(金)までにメール(またはFAX)
で申込み下さい。 また,大使館窓口・電話での申し込みも受け付けています。

最初の案内を見たときは行くつもりはなかったがこれが何度目かの案内だったし折角ネパールまで来てくれるのだから思い直して22日の午後受診することにして申し込みをしておく。今日も空は雲で覆われている。午前にStep32-37,午後に38-43までAccess VBAの実習をやってみる。15時半。今日は勉強の合間に高杉良著「指名解雇」を読む。20年前パイオニアで起こった管理職の指名解雇を扱ったものである。これから日本のリストラの嵐が吹き荒れた。4時前から雨が降ってきて次第に強くなってきた。5時お風呂の電話をもらって入浴。5時20分風呂からあがったら雨は上がっていた。18時27分「指名解雇」を読んでいたら地震で建物が揺れだした。暗くなったホテルの庭に人が大勢飛び出して大声をだしている。ネパールではじめて経験する地震であった。地震は長く時間ゆれていた。2分ぐらいは続いたように感じたが1分ぐらいだったかもしれない。建物の揺れはゆらゆらとした小さな横揺れであって加速度を感じるような揺れではなかったが長かったのと次第に大きくなりそうで思わず身体を低くした。建物はミシリといった音はたたなかった。幸い大きな被害がでるほどの地震ではなかったが怖かった。震度は1か2というぐらいであったろう。阪神淡路の地震の前にはなんども身体に感じる地震があった。これが大地震の前触れでなければいいが。19時10分までで「指名解雇」を読了。続いて高杉良著「懲戒解雇」を読んで20時就寝。


インド・ネパール地震 68名死亡

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9月17日(土) くもり カトマンドの日の出5時49分日の入18時6分 0時半 気温26℃、湿度78%ネパール178日目
2011/09/17(Sat)

1時半起床。昨日の安全管理で聞いた話を書いておく。今年になって増えた事故として携帯電話の紛失を挙げていた。特にバスで失くしたケースが多いという。中には満員のバスの中で複数人のグループがバスの出口を塞いでしまい出ようとあせった日本人のリュックサックやポケットから財布や携帯を抜き取るという手口もあると聞いた。紛失というより強奪というべきものもあるらしい。公共バスは満員が当たり前だからリュックサックは背中にかけるのではなく、胸に抱きかかえるものだと教えられる。交通事故では今年になって起きた2件を聞く。1つはタクシーに乗っていて追突されたというものでこれは運が悪かったというしかないだろう。もう1つは歩いていて後ろから来た自転車にぶつけられたというものであった。このケースは後ろから自転車が近づいているのに気がついていたので少し道路の脇まで寄ったにもかかわらずぶつけられたというものだった。これは気がついたなら通り過ぎるまでしっかり見届けようというアドバイスであった。先日のバスとタクシーの交通ストライキの時は歩道を歩いて職場に行った日の帰り道歩道で後ろから来たバイクに接触されたことがあった。日本と違ってこの国では道路であろうと歩道であろうとどこでもバイクは入ってくる。しかも当たっても謝ることはしない。若者であったが後ろから来て腕にぶつけておいて、お前が悪いんだというような顔をしてにらみつけられたので頭にきたことがあった。車道より一段高い歩道も歩いていてもけして安全ではない。大使館から警備対策官が来て危険物の話があった。鉄管爆弾、ピース缶爆弾、圧力釜爆弾の写真を見せてくれる。タクシーやバスに仕掛けれれることが多いという。バスの中で見つけたら直ちに降りて下さいというアドバイスだった。いつも満員のバスだから直ちに降りられるわけがないのであるが。南のタライとカトマンド周辺で爆弾テロは多く起こっている。爆発力は大きなものではない。爆発を起こす犯人の目的は政治的要求というよりは、爆発物で脅かして企業などから金を取ろうというものが多いという。爆弾は道路に置かれていることも多く、それで遊んでいた子供が爆発して亡くなったという。手製拳銃がインドから4000ルピーから10000ルピーくらいで入ってくるという。インドから入ってきた雷管も映してくれた。トレッキングでは高山病の注意では高度に慣れながらゆっくり上げていくことの必要性が話された。日本から来る知り合いと登る場合、相手は限られた日程の中で無理をしがちになることが多いという話があった。あと覚えておく注意として、高い山では雪も氷もあるところを歩くこともある。そんなときガイドがアイゼンなどを準備してくれてそれをつけて歩いたりして事故が起きた時保険の対象から外れるのだという。アイゼンやピッケルなどがないと登れない山登りは保険の対象外ということのようだ。以前ハングライダーの事故も保険が効かないということを聞いたことがある。ヘリコプターの手配、日本まで寝たきりで搬送されることになったりしたらまたその費用が全て個人の負担になったら大変な額になるだろう。やはり犬に噛まれたときの話があった。どんなに狂犬病の予防接種を受けていても、噛まれて1日以内に注射を打つ必要があるという。狂犬病の犬かそうでないかは犬を観察する以外判断のしようがないという。狂犬病の犬は10日間のうちに死ぬという。しかし飼い犬なら観察できるだろうが野良犬の多いこの国だから噛んだ犬を10日間観察することなどまずできない。ヒマラヤホテルのセーフティボックスにお金を預けていた専門家がチェックアウトの時お金を入れていた封筒が軽くなっていることに気がつたという話しがあった。ホテルの貴重品預かりを信用してはいけないということである。部屋のダイヤル式の番号もルームサービス係りであれば細工をして簡単に開けることが出来るという話しを聞いたこともある。その巧妙な手口を聞いてなるほどと感心したことがあったがもう忘れた。こういうものは肌身はなさず持っておくというのが昔からの基本であろう。ネパールでも大地震が起きる頃といわれているが地震の時、金と小切手帳と携帯電話を持って逃げろという話があった。どこへ逃げるかそれぞれ指定の場所が地図で示され配られた。カトマンドは住んでいる地区が10に別けられていてそれぞれに区長さんと副区長さんが決められていて避難場所が決められていた。いたれりつくせりの安全管理のてんこもりの話しであった。所長さんの話しは風邪声が少し痛々しかった。ウィルス性の風邪がまだ治まっていないようだ。5時半暗い中を大きな車でグループが出かけて行った。マウンテン フライトという。エベレストなどの山々を飛行機で約1時間かけて見てまわる人気の観光フライトである。今日はお天気でいい眺めが見えたようだ。6時明るくなって山の稜線がくっきりしてきた。6時半朝食。おかずはヒジキ。近頃急速に頭が薄くなりはじめたのでヒジキを食べたかった。朝食後バネパとポカラのシニアの話を聞く。昨日の朝はアンナプルの眺めが良かったという。庭のベンチで雲が増えてきた空を雲の中を飛ぶ飛行機を見る。少し細かい雨がパラついた。7時半から1時間ばかりAccess VBA Step31を勉強。8時45分から同僚が声をかけてくれたチベット仏教の瞑想センターへ出かける。ジャワラケルの静かな住宅街の会場は変っていてドビガードの住宅まで迎えに来てくれて行く。2人のために瞑想部屋を準備してくれて瞑想の仕方を教えてもらいやってみる。我々2人だけのために時間をかけて説明してくれた。大切なものとして1.Buddha 仏陀、2.Dharma経典、3.Sangha(Monk)坊主、仲間で我々はRefugee難民でありダルマを唱え、仏陀のお陰でEnlightenment悟りに至らせてもらうという。大切な念仏として次のセンテンスを示された。
「TAYATHA,OM-MUNE MUNE MAHA MUNA YE SOHA」「仏陀様 どうかこの世の大きな煩いを取り去ってください」
というものであった。日本の真言寺の経文の表紙に書かれていたネパール文字に似たものは、Truth way「真実への道」という意味だろうと教えてくれた。ネパール語の単語とは違うと言っていた。梵語だろうと同僚が解説をしてくれる。瞑想meditationの型を教えてもらい姿勢を正して何度か呼吸に注意をしながらやってみた。11時20分にお礼を言って失礼する。動物園の壁沿いにジャワラケルまで出てタパタリ交差点までもどる。いつもの市場へでかけ果物を買って2時半ホテルへ戻る。3時半ベッドに横になり4時半まで昼寝をする。
Access VBAの勉強をして6時過ぎ入浴。7時夕食。「影の車」を読んで20時就寝。


今日が最後のFar WESTERN REGIONのマハカリMahakali zoneゾーン:県のDarchula district郡。Mountain地域に位置するダルチュラ郡(District75番)。面積は2,322 km²。2001の人口は121,996名。村は41のvillage development committees (VDC)sがある。Darchula iが郡都。郡都Dharchulaは北西のインドに接していて伝統、文化、人々のライフスタイルはインドと非常に似ている。今年はネパールで10年ごとに実施する国勢調査の年である。今回は10年前の人口数値で75のDistrictを見てきたが今年の数字が手に入ったら10年間で各地域がどのように増減したかを見て、最新の学校の状況も見て、第二回75District紹介をしてみたい。日本であれば首相がいて県知事がいて市長がいるように受け持ちテリトリーによって政治をする人はいるがネパールでは大統領と首相と大臣はいるが、郡知事もカトマンド市長もいない。全部中央官庁の直轄で75のDistrict、ネパール語のジッラ:の行政が行われている。それが原因の1つと思うがDistrictによって発信されている情報量に大変差があるような気がした。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が225校ある。3歳、4歳の人口:8,129名。1年生から12年生までの学校の数は356校。公立学校は345校、私立学校は11校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで30,480名、6年から12年のセカンダリースクールで17,693名の合計48,173名、教師の数はプライマリ-スクールで1,332名、セカンダリースクールで602名の合計1,934名


ダルチュラ郡(District75番)

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9月16日(金) くもり時々晴れ カトマンドの日の出5時48分日の入18時9分 0時半 気温26℃、湿度78%ネパール177日目
2011/09/16(Fri)

0時起床。静かな夜である。時々何頭かの犬の鳴き声がはじまる。昼間はおとなしく寝ている犬が多いのだが夜には番犬の役目を怠らない。ホテルの周りには周囲を高いレンガ作りの壁を張り巡らした邸宅とも呼べるような大きな住宅が並んでいるが普通番犬を何頭か飼っている。バヌアツでも同じで住宅の周囲を高い金網で囲み犬を飼っている家が多かった。ただ南洋の犬は昼間からネットの外を通る人に歯をむき出して猛烈に吠え掛かっていて昼間から番犬の役目を果たしていた。おそらくカトマンドでは餌を与えられている犬は少ないのであろう。毛並みのいい美しい犬を見たことがない。やせて、皮ふ病に罹っている犬もよく見る。足を折ったりしているビッコの犬も時々見る。街の生ゴミを牛にまじって犬もよくあさっている。カトマンドに来て最初に注意をされたのは犬にかまれることであった。寝ている犬を踏んだりしたとき、あやしていたりしたりしたとき、突然噛まれることが多いという。狂犬病の治療薬はないそうで不幸にして噛まれて発病したら100%死ぬと聞いた。だから昼間街を歩く時は道に落ちている大きな牛の糞や犬の糞を踏まないこと、でこぼこや穴に落ちない注意とともに寝ている犬を踏まない注意が欠かせない。日本では早足で歩いていたものだがこの国では明るい時にゆっくり注意して歩いている。暗くなったら出来るだけ部屋に戻っている。今日は年に1度の隊員総会である。事務所近くのヒマラヤホテルである。ここは4ツ星ホテルで100室あり屋外プールとテニスコートがある。1泊税サ別で朝食つき73ドルからと木戸ホテルの55ドルより高い。昨日の続きのAccess VBA Step17 「DOAを使用する」をやってみる。3時半ベッドに横になり「影の車」を読ん4時前就寝。5時に起床。6時15分までAccess VBA Step20までやってみる。朝食のおかずはオクラ。ネパールでは「ラムトリヤ」と呼んでいて人気のある野菜だという。納豆のようにご飯に混ぜて食べるという。ドミトリーへの行きかたを教えてもらう。ドミトリーは今日の午前中大掃除だそうだ。総会前に寄る事にする。8時からAccess VBA  Step25をしていた9時45分に停電になる。9時55分に電気が来る。10時から続き。
12時前ロビーでネパールティーをご馳走になって昼食をいただく。12時20分ホテルを出てドミトリーを目指す。何人かのネパール人に尋ね尋ねて12時50分ようやくドミトリーまでたどり着く。青年達はもう出かけたようで一人も会わなかった。図書室にAccess2007の本を探したが残念ながらなかった。12時57分ドミトリーを出て事務所へ行く。健康管理室を訪ねおしゃべりをして出たところでなんと駒ヶ根のネパール語教師と会った。2ヶ月前に帰省していて来週月曜日に日本に帰るという。1時55分ヒマラヤホテルに行く。2時から5時まで安全管理の話しが中心であった。最初に全員が起立して東日本震災で亡くなった方々とこれまでにネパールに派遣されて亡くなった4名の隊員に1分間の黙祷をしてはじまった。これまでにネパールにはシニアボランティア147名、青年が1140名ほどが派遣されてきたという。現在派遣中はシニア30名、青年61名でシニア30名というのは世界でも最も多い国の1つということであった。ネパールの素晴らしいところとしてやはり家族の絆の強さをあげていた。ネパール服が見に着いた若い女性が美しかった。5時にお開きとなって5時半ホテルにもどる。お風呂に入って夕食をいただいて6時半日記をつける。ベッドで「影の車」を読んで20時就寝。

日はFar WESTERN REGIONのマハカリMahakali zoneゾーン:県のBaitadi district郡。Hill地域に位置するバイタジ郡(District74番)。面積は1,519 km²。2001の人口は234,418名。村は63のvillage development committees (VDC)sがある。Baitadiが郡都。バイタジは1791年以前にはKumaunのチャンド王に支配されていた。その後シャハ王朝のネパールに統一された。 1991年ネパール国勢調査の時点で郡都バイタジには5,352の人口があった。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が392校ある。3歳、4歳の人口:15,874名。1年生から12年生までの学校の数は541校。公立学校は525校、私立学校は16校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで69,078名、6年から12年のセカンダリースクールで32,260名の合計101,338名、教師の数はプライマリ-スクールで2,150名、セカンダリースクールで1,067名の合計3,217名。


バイタジ郡(District74番)

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9月15日(木) くもり カトマンドの日の出5時48分日の入18時9分 0時半 気温26℃、湿度79%ネパール176日目
2011/09/15(Thu)

0時で一休みして日記をつける。0時23分ジェット機の爆音が聞こえてきた。国際便が出発したようだ。出発便の最終はUAEのSHARJAH行きの23:25:00発であるが遅れて出発したのだろう。カトマンドのトリブバン国際空港は都心から約4Kmと近いところにある。国内線は大抵プロペラ機の20人乗りから50人乗りで朝6時半から出発のものが10便ほどある。国内線の最終便は18時40分でカトマンドにつぐネパール第2の大都市であるタライのBiratnagar行きである。昨日帰りのバスを待っている時教育局の建物の脇の空き地を畑にしているところで感心したものがあった。畑の鳥よけにカセットのテープを使っていたのである。今ではカセットテープは使うこともなくよく捨てていたのだが、中の細いテープは結構長い。しかも強靭で水や光にあたっても簡単に切れるものではない。軽いから風があればひらひら揺れて、しかも日光があれば反射してきらきら光る。畑の鳥獣から表土を守る紐としてカセットテープが使えることを教えてもらって嬉しくなった。日本に帰ったらまだカセットテープが少し残っているだろうから畑で種まきの後に棒を周りに建ててカセットのテープで鳥よけに使ってみることにする。1時横になって休む。4時起床。
振込みをする。Keyholeで懐かしの「昭和の唄」をやっていたので昔の歌を聞きながらAccessをやってみる。
他のテーブルにあるデータを参照するルックアップウィザードを使ってみる。やりたかったことが出来ると胸のつかえがとれてホッとする。6時半から朝食。今朝は昨日と違って先輩と2人きりの静かな食事。キューリとワカメの酢の物のおかず。先輩の現役時代の話を聞かせていただく。朝空を覆っていた曇間から朝日が差してきて今日も日中は暑くなりそうだ。8時20分外からお隣の小さな男の子が真っ白な空手着姿で帰ってきた。この国では小さな男の子の空手着姿を時々見かける。10時オフィスには今朝もサンカルジーがきていた。今日は最初に今朝やってみたTableのLinkをMySQL DBでやってみる。作成後のLinkでMsgが出てSaveが出来なかったが、Districtの名前を持ってくることが出来た。10時半。今日は昨日の続き。AccessとVBAを見てみる。16時半までVBAを見る。サンカルジーに明日から火曜日まで休むことを伝える。シーユー ネクスト ウェンズデイと言って事務所を出る。今日はバスは玄関口にいた。17時バス出発。17時半ホテルに帰宅。お風呂に入って夕食を終えたのが19時であった。それから言語バーについて調べて見る。「影の車」を読んで20時就寝。

今日はFar WESTERN REGIONのマハカリMahakali zoneゾーン:県のDadeldhura district郡。Hill地域に位置するダデルドーラ郡(District73番)。面積は1,538 km²。2001の人口は126,162名。村は21のvillage development committees (VDC)sがある。Dadeldhuraが郡都 。この地域は、多くの地元の宗教の寺院がある。ここにはほとんどネパールへの観光客が訪れていないが、チベットのKailaish山へのローカルルートとHumla地区のRa Raの湖へのローカルルートを含んでいる。
Nagi Mallaという王国がネパール統一前にここにあった。
話し言葉はDotyalliであり、住民の大半はヒンズー教です。地区は完全に農村ばかりでありまだ近代化され
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が272校ある。3歳、4歳の人口:9,062名。1年生から12年生までの学校の数は260校。公立学校は243校、私立学校は17校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで30,148名、6年から12年のセカンダリースクールで18,663名の合計48,811名、教師の数はプライマリ-スクールで1,366名、セカンダリースクールで743名の合計2,109名。


ダデルドーラ郡(District73番)

Dadeldhura district1
Dadeldhura district2

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9月14日(水) くもり カトマンドの日の出5時48分日の入18時10分 3時 気温26℃、湿度80%ネパール174日目
2011/09/14(Wed)

2時目を覚ます。起きてレモンティーを飲んでから日記をつける。昨日は事務所で地震防災のシニアに会ったので1934年のネパール大地震の情報について調べてもらうよう話しておく。ポカラへバレーボール指導に行ったというシニアの話しを聞く。受け入れ側の準備が出来ていなくて苦労したようだ。以前コロンビアに野球の指導で行った青年の話を思い出した。ちっとも子供達が集まらないのが困ったというものだった。今月末で今後1年半の実施計画書をつくることになっているが、既に作った人のを見せてもらった。A3用紙に2年間のバーチャートと英語で書かれていた。来週19、20日はこの研修会がある。これまでは大抵サンプル仕様や前任者の作ったものを参考にして作っていたわけであるが、今度の2日間どういう中身かはじめてだけに楽しみである。昨日会った人たちで名前を思い出せない人がいた。名簿を見て名前を確認しておく。
朝食のおかずはなすの煮込み。今日は大勢のグループで賑やかであった。寺子屋を寄付するという団体がこ
れから大統領に表敬に出かけるという。現在の大統領はラムバラン・ヤーダブさん63歳で2008年7月21日ネパール初代の大統領に選ばれた。District番号18番のタライのダヌシャ出身。インドのカルカッタ医科大学で熱帯医学を学んだ医師でネパール会議派に属す。これまで保健大臣を2期務めている。副大統領もマデシ出身パラマーナンダ・ジャーさん77歳。地域政党・マデシ人権フォーラム党法務部長で元最高裁判所判事である。日本へ手紙の投函をお願いする。切手代35ルピー。9時半過ぎバスがくる。10時10分オフィス。今日はサンカルジーが来ていた。停電になったがすぐに電気が来た。会社に書類郵送の連絡メールをしておく。今日はVB6の標準的ファイル更新、追加、削除プログラムの文書化をして印刷する。午後からはAccess VBAをWebで見てみる。いきなりは難しそうなので今日はAccessの復習をしてFormをつくるを見る。VB6のMySQL更新、追加、削除プログラムの文書化したものをサンカルジーに渡しておく。16時38分オフィスを「では明日またお会いしましょう。シー ユー」といってさよならをする。今日のバスは4時47分に出発した。5時半帰る。少し雨がパラついたが本降りにはならなかった。風呂が空いていたので荷物を置いてから直ぐに入る。熱い風呂で気持良かった。風呂上り夕食。6時40分から日記をつける。「影の車」を読んで20時就寝。
23時目を覚ます。梨をむいていただく。MySQLのDBをAccessでリレーションシップの定義をしてみる。
以下のメールが来ていた。
大使館からのお知らせ(11-59)     9月14日

計画停電増加(週18時間)について
 このたびネパール電力公社は本日、計画停電表を公表し,
当館で英訳したものを当館ホームページに掲載・更新しま
したのでご参考願います。
停電時間は,週11.5時間から週18時間(1日約2.6
時間)へ増加となります。
在ネパール日本国大使館ホームページ
http://www.np.emb-japan.go.jp/jp/

今日はFar WESTERN REGIONのマハカリMahakali zoneゾーン:県のKanchanpur district郡。タライ地域に位置するカンチャンプール郡(District72番)。面積は1,610 km²。2001の人口は377,899名。村は20のvillage development committees (VDC)sがある。Mahendranagarが郡都 。Kanchanpur地区にはハカリ川が西側を流れる。Shuklaphata野生生物保護区国立公園がある。
以前はマヘンドラナガールとネパールの故王マヘンドラの名前に由来していた街の名は2008年に共和制になってからBhim Duttaさんに変更された。遥かネパールの最西端にありインドやハカリ川の国境から6キロにある。ここにはindegenous Tharuの人々を含む様々な人種の人々が住んでいる。
マヘンドラナガールはカトマンズ、ポカラ、パタン、ビラトナガール、ダーラン、ビルガンジとバーラトプルの都市に次いでネパールでは人口第8位の大都市である。ここはインドとの国境から東に5kの場所でカトマンズの西700キロにある。 1991年ネパール国勢調査の時点でそれは62050の人口があった。[1] 2001年の国勢 調査は80.839であった。先住民Ranatharusだがすべての民族グループのがいる。お祭りではバラモンとチェットリは主にゴウラ(一般的にGaura Parbaと呼ばれる)を記念して、民族Tharuの人々はDhikri祭りを祝う。最近になってDashainを主要なお祭りとして受け入れている。マヘンドラナガールでは、マハカリのゾーンの主なビジネスの中心地で、マヘンドラナガールの国内空港がある。バスサービスは、国のすべての他の部分へのMahendaranagar接続します。マヘンドラハイウェイは、ネパールの最長の高速道路で東部の都市と接続されている。
道路輸送は、マヘンドラナガールはインドの首都ニューデリーからネパールに最も近い都市であり、インドとネパールの間の産業活動の中心地であり、またネパールで最も住みやすい場所のひとつである。

幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が635校ある。3歳、4歳の人口:26,957名。1年生から12年生までの学校の数は409校。公立学校は262校、私立学校は147校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで86,134名、6年から12年のセカンダリースクールで56,142名の合計142,276名、教師の数はプライマリ-スクールで2,151名、セカンダリースクールで1,355名の合計3,506名。


カンチャンプール郡(District72番)

Kanchanpur district1
Kanchanpur district2

View

indian army camp at kala pani
Kanchanpur view2
Sunset in Dododhara
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Kanchanpur view1
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9月13日(火) 晴れ夕方雨 カトマンドの日の出5時47分日の入18時11分 2時 気温27℃、湿度75%ネパール173日目
2011/09/13(Tue)

2時に目を覚ます。昨日同様静かな夜である。朝はいつも6時半からの朝食後少しひんやりしてきた庭に出て7時半から8時まで空を眺め小鳥を見るのが日課になってきた。先日はルリ色の美しい小さな小鳥を見た。この2~3日前から青空とうすい雲やすじ雲に秋の風情を感じてきた。昨日は朝のバスの中から職場の建物の隣の草っぱらに沢山のススキが目に飛び込んできた。5時前までMySQLとAccessで作ったデータでプログラムの実行を確かめてADO記述を確かめる。ついに違う結果の原因がつかめなかった。お湯を沸かして紅茶を作る。シャワーを浴びて休む。6時起床。6時半朝食。おかずは白菜の旨煮。朝食後カイラリのダンガディ空港の写真をコピーさせていただく。レモンを4個搾ってレモンティを作る。今朝は9時27分バスが来る。10時にオフィスに着く。今日もサンカルジーは顔を見せていない。かわりにバララムジーが部屋に訊ねてきておしゃべりをする。10時20分 その後先輩に電話をして訊ねることにする。お昼過ぎまでいろいろアドバイスをもらう。昼食を職場の食堂で一緒にいただく。道路際の茶店でネパールティーをご馳走になる。1時ごろ見送られてサノティミからローカルバスに乗る。来るのを長い間待ったバスだけに最初から既に満員に近かった。きついバスからやっと降りて歩いてホテルには1時半すぎに帰る。3時過ぎまで写真の画質調整などをする。3時15分ホテルを出てセルウェイ スーパーまで久しぶりで歩く。途中で日本人関係者7名と会って挨拶をする。ラップを2本買って店を出たら雨が降っていた。傘をさして事務所へ。久しぶりで顔を会わせる人が多かった。元気そうな表情の人がいる一方でそうでない感じの人もいた。若い女性達にはやつれた感じの人はいなかった。シニアの仲間は大抵身体が絞られきった感じで落ち着いたようであった。窓口で年末休暇の職場の承諾書を提出し、日本から届いた在留証明書をもらう。その後ネパール人の女医さんから注射の前の事前確認の診察をしてもらう。問題なしということでネパール人の男性医師から破傷風の予防注射を左腕上腕にしてもらう。事務所を出てBhat Bhateniスーパーへ傘をさして歩く。およそ2週間分のスモークポークハム500gとチーズ500gマヨネーズ500gとトマトと玉葱を買う。ホテルへの帰り道、お昼にマイティガールの道で出会って挨拶したシニアと再度道で出会った。5時半ごろ雨は上がっていた。この時間ラリトプールからカトマンズに向かう車の大渋滞を初めて見た。これほどの渋滞があったとは知らなかった。5時45分ホテルに戻る。ガネッシュさんがお風呂に入れますと声をかけてくれる。久しぶりの熱いお風呂に身体を伸ばして入り気持良かった。風呂からあがってエアコンで汗を飛ばしながら夕食をいただく。夕食後日記をつける。ホテルの封筒に日本の宛名書きをして在留証明書を入れる。メールボックスにあったお土産のお礼のメールをしておく。「影の車」を読んで20時就寝。

今日はFar WESTERN REGIONのセティSeti zoneゾーン:県のKailali district郡。タライ地域に位置するカイラリ郡(District71番)。面積は3,235 km²。2001の人口は616,697名。村は44のvillage development committees (VDC)sがある。Dhangadhiが郡都。カイラリ地区の郡都Dhangadhiはカトマンズの西660キロに位置する。インドと国境を接しインドから流浪の人々のための国へのエントリポイントの1つである。2001年ネパール国勢調査ではDhangadhiには11738世帯で67447人口があった。これはネパールの西では最大で国内では第9位の人口の町である。そのうち12%がダリットのカーストに属し、36%はザナザティと少数民族、バラモンとチェットリが52%と多い。年間人口増加率は5.16%と高い。 市内からネパールの他の主要都市と、更にインドとも結んでいる空港はDhangadhiの街の中心から10Kmのところにある。雄大なヒマラヤ、チュリア山脈と肥沃なタライ地方の美しい風景の素晴らしい景色が楽しめる。Dhangadhi空港 は平均海抜690フィート(210メートル)の標高にあり長さが1524メートル(5,000フィート)の滑走路を持っていて1964年に出来た。100人乗りのジェット機Fokker 100が乗り入れるよう拡張されているのでそうなるとトリブバン国際空港に次いで国内で第2位の空港になる。
Dhangadhiの見どころとしてはJokharタール湿地帯、Dhangadhiパーク、Bandevi寺院、ラクシュミナラヤン寺院とNainaデビ寺院などがある。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が908校ある。3歳、4歳の人口:43,536名。1年生から12年生までの学校の数は605校。公立学校は508校、私立学校は97校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで135,314名、6年から12年のセカンダリースクールで86,912名の合計222,226名、教師の数はプライマリ-スクールで3,848名、セカンダリースクールで1,632名の合計5,480名。


カイラリ郡(District71番)

Kailali district1
Kailali district2

Dhangadhi airport

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Dhangadhi市街

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Jokharタール湿地帯

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Dhangadhiパーク

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Bandevi寺院

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River

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9月12日(月) 晴れ カトマンドの日の出5時47分日の入18時12分 0時 気温26℃、湿度80%ネパール172日目
2011/09/12(Mon)

2時目を覚ます。静かな夜。犬の鳴き声がしない。昨夜は雨は降らなかった。今夜はネットに繋がらない。どうやらプロバイダーが原因のようだ。今週は火曜日の夕方に予防注射。16日の午後は隊員総会。地方の隊員にとっては楽しみなカトマンドへの出張。総員90名位のボランティアとスタッフで100名ぐらいになる見込み。19日と20日は実施計画書策定指導を受講予定。20日は小倉さんの話しを聞く予定。在留証明書を現況届けの代わりにE-Mailしておく。4時シャワーを浴びて「影の車」を読んで休む。5時半起床。今日は珍しく空に雲が無く周りの山々は雲で隠れていた。地震の年表を見ていたら1934年1月15日インド・ネパールで地震 - M 8.3、死者1万人というのがあった。どうやらカトマンドで起きた77年前の大地震はこれのようである。朝食のおかずは里芋の煮物。とても美味しかった。昨日の読売新聞を見る。昨日は2001年の9月11日から10年、3月11日の東日本震災から6ヶ月であった。初めて食堂で会ったフィリピンの若い女性とおしゃべりをする。セントラルリージョンの21番ラメチャプ郡の山の子供達を支援するNGOで何度もネパールに来ているという。朝食後庭に出て小鳥と空を見る。薄緑色の鶯に似た小さなことりが花をついばんでいた。今朝は青空であったが飛行機の飛ぶのを見れなかった。今日からお風呂が入れますとガネッシュさんが言ってくれる。オリンピックにアジアから日本と北朝鮮が代表に決まった。9時31分にバスが来る事務所に10時過ぎつく。今日はお二人ともお休みであった。。16時半まで更新プログラムを作り実行する。Access DBでは更新、追加が即座に反映されるが、MySQLは一旦プログラムを終了させないと更新、追加が反映されなかった。DBのファイル接続の設定だけが違うのでそこを勉強する。先日今週、来週のオフィスを休む申請レターを出したが、その返信レターを届けてくれた。16時半お仕舞いにしてバス乗り場へ16時40分。しばらくバスを待つ間、同僚とおしゃべりをする。その後ソンジュさんとおしゃべりをする。17時前バスは出る。ホテルに戻ると楽しみにしていたお風呂は今日はまだ入れないということであった。夕食をいただき、「影の車」を読んで就寝。22時起きる。23時休む。

今日はFar WESTERN REGIONのセティSeti zoneゾーン:県のDoti district郡。Hill地域に位置するドティ郡(District70番)。面積は2,025 km²。2001の人口は207,066名。村は51のvillage development committees (VDC)sがある。Dipayalが郡都。Dotiはファーウェスタンといわれる最も西のRegionにある歴史のある地区である。 Dotiには"ライカ"と呼ばれていた王国があった。またKatyuri王国が起こりその後8つの王侯貴族の治める時代もあった。13世紀前後Doti王国が作られDotiは、一定期間強力な王国となった。
1790年における"ゴルカ"から出てネパールを征服した"シャー王朝は、"ネパールで経験した最も厳しい抵抗がDoti王国だった。Dotiは敗北し、ネパールの一部となった。ゴルカの支配者はDotiの歴史的な場所を破壊し長い間、その勇敢な歴史を隠すだけでなく、さらにはDotyaliの人々を政府の仕事から除外するなど差別した。 1950年頃から少数Dotyalisと呼ばれる国際的に有名なKIシン博士など後にネパールの首相に就任した人物などを排出した
Dotiで生まれたキロバイトシャヒ氏はよく知られた外交官でネパールで長く外務大臣を務めた。彼は1960年にも博士KIシンのパーティ統合民主党の事務局長を務め1990年の大統領になった。彼はカトマンズ2009に死亡した。 Dotiで生まれたダンドゥルシャヒ氏は農業長官などネパールで長く務めた官僚でその後政治家にまわり2003年に内務大臣となった。彼は卓越したスキルを持った官僚として知られている。Dotiで生まれたKalendraビクラムシャヒ氏はネパールの社会的政治活動家。彼はよく外交と国際関係の分野でよく知られており、また、文学の分野でも知られている。
Dotiyal言語 はDotiyaliまたはDotyaliはDotiの地域またはKumauniの言語に似ている。ネパールの遠い西部の地域で話されているローカル言語である。ラーフルSankrityayan Dotiyaliによると1790年までDotiを支配していたKumaunのKatyuri王朝のセクションでDoti持って来られたKumauni言語の方言である。 Katyuri王国がKatyuriの異なるセクションの8つの王侯貴族に分解した後Doti王国が形成された。 Dotiyaliの言語を話す地元の知識人や多くの人々が言語はネパールの他の国語の一つとして認識することを要求しているがネパールではネパール語の方言と考えられている。
 
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が367校ある。3歳、4歳の人口:14,435名。1年生から12年生までの学校の数は381校。公立学校は371校、私立学校は10校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで53,208名、6年から12年のセカンダリースクールで19,942名の合計73,150名、教師の数はプライマリ-スクールで1,783名、セカンダリースクールで814名の合計2,597名。


ドティ郡(District70番)

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9月11日(日) くもり カトマンドの日の出5時46分日の入18時13分 0時 気温26℃、湿度80%ネパール171日目
2011/09/11(Sun)

9月11日(日) 晴れ後曇り カトマンドの日の出5時46分日の入18時13分 0時 気温26℃、湿度80%ネパール171日目

1時起床。梨をむいていただく。日記をつける。レモンを4個搾ってレモンティーを作り冷蔵庫に入れておく。2時からラジオ深夜便ミッドナイトトーク秋元康さんの「私の好きな日本の風景」を聞きながら、VB6の復習をする。3時半まで1つプログラムを作る。5時外が明るくなってくる。今日の空は青空の中に薄い雲が浮かんでいるだけで周りの山々の稜線がくっきり見える。今朝はナガルコットからヒマラヤが見えたかもしれない。5時半 朝食までに2つプログラムを作る。6時半朝食。昨日のゴルフで先輩がホールインワンをしたことを聞く。初めての経験だという。クラブに名前を刻んで名前が出されるという。UAEのチケットの相談をする。庭に出て飛行機を見る。500mぐらいの上空を爆音を響かせて3機見る。2機は東のタライの方向へ、1機はタライの方向からの着陸のプロペラ機であった。今日はネワール民族のお祭りで職場は休みという。カトマンドにはネワール族が3世紀頃から歴史が始まり12世紀から18世紀にかけてネワール族のマッラ王朝が成立するとカトマンズ盆地にネワール文化が開花した。その後チェットリ族のシャー王朝にマッラ王朝は滅ぼされたが、その後もネワーは商人や官吏として宮廷内などで影響力を維持した。現在ではビジネス界はネワールが活躍しているし、兵隊や警官にチェットリが多いという。8時からVB6の勉強。9時半まで本日5本目のプログラムを作る。10時から部屋で「砂の紋」を読む。今日のお祭りを見に出かけようと思うが午後から出かけることにする。12時ロビーでネパールティーをいただいて昼食。午後1時半までエラー処理のプログラミングを学ぶ。16時までで「砂の紋」を読了。昼間の陽射しは空を覆ってきた黒い雲に隠れて暑さは収まったようだがいつもの夕方の雨が降りそうな感じになってくる。今日はお祭りに出かけるのは見合わせることにする。もう少しプログラムのデバッグの仕方を勉強する。16時 17時半夕食にする。夕食後松本清張著「影の車」を読んで19時就寝。

今日はFar WESTERN REGIONのセティSeti zoneゾーン:県のAchham district郡。Hill地域に位置するアッチャム郡(District69番)。面積は1,692 km²。2001の人口は231,235名。村は75のvillage development committees (VDC)sがある。Mangalsenが郡都 。Achham地区から南隣のカイラリの郡都Dhangadiを経由してネパールの南部国境に沿って走る舗装された道路を経由してカトマンズと結ばれている。内戦の時代、マオイストの反政府勢力と政府軍の間での戦場であった。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が402校ある。3歳、4歳の人口:17,463名。1年生から12年生までの学校の数は501校。公立学校は487校、私立学校は14校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで79,765名、6年から12年のセカンダリースクールで31,341名の合計111,106名、教師の数はプライマリ-スクールで2,444名、セカンダリースクールで949名の合計3,393名。


アッチャム郡(District69番)

Achham district1
Achham district2

Saphebagar airport

Achham View9 Airport

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9月10日(土) くもり後晴れ カトマンドの日の出5時46分日の入18時15分 0時 気温26℃、湿度82%ネパール170日目
2011/09/10(Sat)

1時45分に目を覚ます。昨夜洗った帽子は乾いていた。外は雨は降っていなかったが石畳は少し光っていた。昨日の夕方に事務所から「本邦支出アンケート」の提出依頼が来ていた。提出期限が9月12日となっていた。8月12日に日本の本部から来ていたものと内容は一緒だった。8月の時はWord仕様で今回はExcel仕様であった。前回は匿名のアンケートであった。依頼を受けて匿名ですぐ依頼先の本部へ送信した。匿名でメールしたにもかかわらず丁寧に受信したとお礼のメールがあった。何故同じ内容で1ヶ月経って、今度は現地事務所から同じ依頼があったのか理由は書かれてなかった。気が進まなかったが前回提出した内容を見て同じ内容をExcelに入れて送付しておいた。念のため8月に本部に送っていて返信で礼状ももらっていることを書き添えておいた。いろいろ事情があるのだろう。外からは犬の鳴き声が聞こえてくる。昨夜は同期の青年から食事会の場所と時間の案内が来ていた。時間は18時とあったが肝心の日にちが無かった。4時までVB6の復習をする。英語仕様のVB6を使っているので日本語が表示されず仕方ないかと思っていたがひょっとするとと思ってWebで探したみたら日本語表示の仕方を見つけた。やってみたら日本語のデータベースが表示されるようになった。有難かった。昨日更新でつまづいたので初めから復習する。6時半朝食。今日のおかずはほうれん草という。ネパール語でパラという。タバコはツロー、刻んだタバコの葉っぱはビリーという。ネパールのた巻きタバコは1本5ルピーぐらい。12本入った箱で80ルピーぐらいという。朝食後、帽子の繕いをしてVBの調べ物をして8時半買い物に出かける。庭のベンチでおしゃべりをする。9時炎天下の町へ出て市場へ出かける。このところ定番になった、梨とレモン、キューリ、パン、砂糖、ヨーグルトを買う。11時ホテルに戻り、シャワーを浴びる。日記をつけてこれから昼食。ロビーでネパールティーで昼食をいただき。
午後部屋の椅子でうとうとしながら「砂の紋」を読んでベッドに移り15時半まで昼寝。VBの復習をする。18時夕食。夕食後19時45分までVB6の復習をする。不適切な言動をしていた新任大臣が辞任した。新任大臣に対しては公人としての常識的言動教育の必要性がある。代議士の習性として常に聴衆に掴み狙いの発言をしがちである。マスコミに取り上げられるような尖った発言をして馬鹿さ加減を露呈するケースも多い。
代議士であれば多少のことを言ってもあまり問題にはされないが、大臣が言ったとなると大きくニュースで取り上げられてしまう。だからそれが致命傷となり墓穴を掘ることになる。それを指摘されると今回のように簡単にやめてしまう。確かに今回辞めた人物の発言はひどかった。大臣が本当に務まる人物かどうか、よく見極めて選んでもらわなければならない。ハラハラして見ていなければ見ていられないような馬鹿な大臣と国民にお付き合いさせないでいただきたいものだ。夕食後VB6の復習をする。お湯を沸かして紅茶を作る。「砂の紋」を読んで20時就寝。

今日はFar WESTERN REGIONのセティSeti zoneゾーン:県のBajhang district郡。Mountain地域に位置するバジェハング郡(District68番)。面積は3,422 km²。2001の人口は167,026名。村は47のvillage development committees (VDC)sがある。Chainpurが郡都 。チャインプルの空港は芝生の滑走路を持っている。 1990-2002からアメリカの平和部隊:ピースコがチャインプルで活動していたという。"世界の屋根の上のスパイ'シドニーウィグナルの"赤いチベットの囚人":の物語はこのチャインプルが舞台である。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が252校ある。3歳、4歳の人口:12,482名。1年生から12年生までの学校の数は436校。公立学校は430校、私立学校は6校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで55,320名、6年から12年のセカンダリースクールで21,122名の合計76,442名、教師の数はプライマリ-スクールで2,300名、セカンダリースクールで892名の合計3,192名。


バジェハング郡(District68番)

Bajhang district1
Bajhang district2

Chainpur airport

Bajhang view9

View

Bajhang view7
Bajhang view4
Bajhang view1 chainpur-bajhang
Bajhang view2
Bajhang view3
Bajhang view8
Bajhang view6
Bajhang view5




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9月9日(金) くもり カトマンドの日の出5時45分日の入18時16分 0時 気温26℃、湿度82%ネパール169日目
2011/09/09(Fri)

9月9日(金) くもり後雨 カトマンドの日の出5時45分日の入18時16分 0時 気温26℃、湿度82%ネパール169日目

0時に目が覚める。外は雨が降ったようで石畳が光っていた。今週も早くも週末を迎えた。今週までに今後残された1年半ほどの期間でやることのベースを理解しておきたかった。これまででカウンターパートの仕事の内容と何を一番欲しているか、何が1番欠けているのかについて理解出来てきた。今回自分がこの国に派遣された存在意義は今後カウンターパートがわざわざ日本人を呼ばなくてもやっていけるスキル、ノウハウを身につけることにあるのではないかと考えた。幸いカウンターパートはよく仕事をする人で経験もスキルもある。こんなよく出来る人がいてこれまでに青年隊員の活動があって、さらに1年の間をおいて今回のシニアへの派遣要請の狙いが何であるのかを考えてこれまでやってきた。これが理解できてきて今後の1年半の活動計画がイメージできてきて大変気が楽になってきた。2年間の活動は山あり谷ありの繰り返しであろうがようやく谷から迷路を這い上がって1年半後にたどり着く山の頂が見えたというところか。そこまでたどり着くには今後も平坦な道ではなく山あり、谷ありなのであろう。
「大事なことは何か。なにごとによらず、一つずつの行為を十分にあじわいながら、その一瞬を大切に過ごすこと。それがいま、特に大切に思われてならないことなのです」という格言を見た。小さなことばかりやっているが、この結果が大変なことが出来る可能性をを持っていることを知っている。それをじっくりやる時間があり喜びになってきている。1時15分。6時起床。シャワーを浴びて髭をそる。6時半朝食のおかずは大根の煮物。からい韓国製の大根だという。ネパール語ではムラという。肉は入ってなかったが油が浮かんで薄い醤油味が良く味がしみ込んでいて美味しかった。肉を訊ねたら豚肉を少し入れているという。交差点の信号の話しを聞く。交差点に信号が設置されている。いつも電気がついているわけではない。交通警官が交差点の真ん中に立ってジェスチャーで交通整理をしているのが普通である。交通信号は故障しているのではないらしい。時々必要なときには電気をつけるという。普段使うと交通警察官の仕事が無くなってしまうのが使わない理由という説がある。停電の多いくこの国の事情もあるかもしれない。
この国の最低賃金は5月に改定され1日190ルピーから231ルピーに月額4600ルピーから6200ルピーに3月15日に遡って引き上げられた。1ルピーは1.059円だから1日245円、月額6565円である。日本の最低賃金は沖縄で時間単価642円である。読売新聞の9月7日の記事によるとタイのバンコクの最低賃金があった。これまでの1日215バーツを新政府は300バーツに上げるという。ネパールは失業率が1%で労働者不足だという。ミュンマーなど隣国からの労働者が増えてきているという。そうなると1.00 タイ バーツ (THB) = 2.5784 日本円 (JPY)だから、1日773円でネパールの3.155倍になる。ネパールの若者はバンコクを良い外国の仕事場として見ているようだ。9時半バスに乗って事務所に10時過ぎにつく。今日はプログラムの文書化作業。3つの簡単なVB6プログラムドキュメントと操作手順書1つを作ってサンカルジーに渡す。DB更新のプログラムをやってみたがそのプログラムでは更新が反映されない。プログラムを終わらして再度見ると更新されていた。更新プログラムを帰って調べる。バスは15時10分玄関のところから発車した。バスからマイティガールで降りたところで雨が本降りになる。傘をさしてホテルに16時前に帰る。Webで更新のプログラムを探す。夕食後帽子を洗う。6時から更新の勉強。雨は止んでいた。7時半清水一行著「砂の紋」を読んで就寝。9時半部屋の外から携帯電話で話す声が聞こえてきて目を覚ます。梨をむいていただく。しばらくしてまた休む。

今日はFar WESTERN REGIONのセティSeti zoneゾーン:県のBajura district郡。Mountain地域に位置する
バジュラ郡(District67番)。面積は2,188 km²。2001の人口は108,781名。村は27のvillage development committees (VDC)sがある。Martadiが郡都 。郡都Martadiの北のKoltiでは201年1月13日14:32にマグニチュード 4.8の地震があった。2010-01-28に以下のニュースがあった。BAJURAで約600人がBajura地区のBichchya VDCで先月正体不明の病気に苦しめられている。患者は頭痛、発熱、失神や食欲不振を訴える。村で唯一の保健所には専門の人がいない。地元のソーシャルワーカーKabiraj Budhaが彼の友人と薬を購入し、村人に配布した。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が222校ある。3歳、4歳の人口:7,929名。1年生から12年生までの学校の数は262校。公立学校は248校、私立学校は14校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで35,280名、6年から12年のセカンダリースクールで15,893名の合計51,173名、教師の数はプライマリ-スクールで1,078名、セカンダリースクールで405名の合計1,483名。


バジュラ郡(District67番)

Bajura district1
Bajura district2

View

Bajura view4
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Festival

Bajura view1

School

Bajura view3

Sheep

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Donkey

Bajura view2

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9月8日(木) くもり後雨 カトマンドの日の出5時45分日の入18時17分 0時 気温26℃、湿度80%ネパール168日目
2011/09/08(Thu)

今日はネパールは政府の職員は休日という。日本でも明治の初め頃、一と六のつく日は官公庁の休日と定められていたという。明治の頃の公務員と同様、この国の公務員も恵まれている。教育省の朝と夕に乗るバスはローカルバスと違ってゆったり座れて清潔でずっと新しくて早い。道路を走っている車の中での話し声はいつも賑やかである。特権階級が乗るバスという感じがする。ローカルバスはいつも満員のうえさらに客を詰め込み、いつも定員の1,5倍以上は載せている。日本の朝のラッシュの小田急線なみである。靖国神社でも官公庁同様一と六のの日の休日を楽しませてやりたいとこの日を縁日にした。今日では夏の風物詩としてあちこちで一六縁日というのが行われている。昨日は以前事務所に頼んでいた在職届けができたので明日9日、日本から送ると連絡があった。今日は休日であるが、昨日取り掛かったプログラムを確かめてみたい。2時過ぎ雨が降ってきた。ベッドで休む。6時起床。朝食はパクチョイの甘煮。今日は役所は休みの話し。朝食後まだ風邪が抜けきっていなかったのだが頭が痒いので熱いシャワーを浴びてサッパリする。今朝は空一面雲に覆われている。夜中降っていた雨は止んでいる。8時から勉強。今日はVBにActiveX Data Objects 2.8 Libraryの設定をするところで時間を取ってしまった。それがPCに見つからずWebからのダウンロードサイト探しで随分時間をかけてしまった。結局見つけることが出来なかっただけで、それがあることがわかり、その後はスムースにMySQLを接続して読むことができた。昨日時間をかけて調べたお陰ですんなり接続できた。
13時半にテストが一段落。これでデータデースへの接続が出来てひと山越えることができてホットする。
14時過ぎホテルのロビーに以前見た1934年のネパール地震の資料を探しに行ったが見つからなかった。まだこのホテルの周りには、1934年以前に建てられて、今も残っている建物があるという。約100年にわたって支配した宰相ラナ家の建物だったという。ロビーのソファーでそんな話しを聞きながらコーヒーとバナナをいただく。部屋に戻って15時15分まで「ふてえ奴 上」を読む。15時15分から日記をつけてもうヒト勉強。16時50分までで一区切り。今日はMySQLデータベースを接続した簡単なVB6プログラムを作ることができた。明日は今日までの作業の文書化をすることにする。夕食後「ふてえ奴 上」を読んで19時過ぎ就寝。

今日はMID WESTERN REGIONのカルナリKarnali zoneゾーン:県のHumla district郡。Mountain地域に位置するフムラ郡(District66番)。面積は5,655 km²。2001の人口は40,595名。村は27のvillage development committees (VDC)sがある。Simikotが郡都。広い面積の割りに人口が少ない。
Humla地区は、北西の隅に位置するネパールで最も遠隔の地区である。標高2910メートルのシミコットに空港がありツインオッター"または"チョッパーが飛んでいる。シミコットは聖なるヒマラヤへのゲートウェイで、トレッキングで、チベットの国境まで続いている。識字率は、国で最も低く2001年の調査では男性の33.5%、女性4.8%。 Humlaの民族構成は、南部では、ヒンズー教徒、主にChettris、バラモン、Thakurisが居住していて、北部はダライラマと呼ばれるチベット仏教徒が住んでいる。今も一妻多夫の民族グループという。一妻多夫は、一般的には女性は男性と彼の兄弟のすべてと結婚するという。幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が106校ある。3歳、4歳の人口:2,680名。1年生から12年生までの学校の数は123校。公立学校は121校、私立学校は2校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで13,157名、6年から12年のセカンダリースクールで5,008名の合計18,165名、教師の数はプライマリ-スクールで448名、セカンダリースクールで181名の合計629名。


フムラ郡(District66番)

Humla district1

Humla district2

Simikot Airport

Humla view4  Airport Simikot 2
Humla view5
Humla view3 Airport Simikot

View

Humla view1 Simikot
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9月7日(水) くもり時々晴れ カトマンドの日の出5時44分日の入18時18分 0時 気温26℃、湿度80%ネパール167日目
2011/09/07(Wed)

日本の台風12号は紀伊半島の和歌山、奈良などを中心に記録的な豪雨をもたらし川の洪水と山の土砂くずれなどで全国で46人が死亡、56人が行方不明になっており、4500人が依然孤立状態に陥っているという。平成最大の台風の被害という。日本ではいつでも起こる地震とこの時期の台風と自然災害が毎年のように起こる。ネパールでは今から77年前の1934年に大きな地震があったという。ある記事によると震源地はカトマンズでマグニチュード8.4、死者16,875名、建物の倒壊318,139戸。別の記事によると震源地は南部タライで死者は全国で8,518名、カトマンドでは4,296名の犠牲者があったというがどれが正確な情報なのか、1934年の何月何日何時何分に起こったものなのかよくわからなかったが、地震の年表を見ていたら1934年1月15日インド・ネパールで地震 - M 8.3、死者1万人というのがあった。どうやらカトマンドで起きた77年前の大地震はこれのようである。これによると震源はカトマンドではなくて南部のタライ平原らしい。
日本の関東大震災は1923年9月1日11時58分相模湾沖が震源、阪神淡路大震災は1995年1月17日5時46分淡路島が震源、東日本震災は2011年3月11日14時46分宮城県沖が震源であった。関東大震災から72年で阪神淡路、88年経って東日本の地震が起きている。しょっちゅう揺れる日本やバヌアツであったがカトマンドで地震を感じた記憶が1度も無い。この国の建物は細い柱と細い梁の鉄筋コンクリートのラーメン構造の建物が多い。柱の太さは上の階になると日本の木造の柱くらいの太さのコンクリートで作っているものも見かける。しかも柱の鉄筋も細くて少ない。床には鉄筋が入っていないようなものも見かける。壁はれんがを積んで作っている。れんがは上の荷重を支える役目はするが横揺れには全く支えにならない。どうやら地震の横揺れを心配していないような作りであり。上の重みだけを支える作りである。地震の横揺れがあったら簡単に倒れてしまうのはまず間違いない。4~5階建ての建物の新築工事を見ていると大きな地震がきたら倒壊はまぬがれないような建物を沢山見る。痛ましく感じてしまう。今までに建物でしっかり作られていると感じたのは日本大使館の建物だけであった。1時半。2時休む。清水一行著「砂の紋」を読む。5時45分起床。雨は上がっていた。
6時半朝食。おかずはオクラ。同僚からタライで見つけた木の壷に一晩水をいれて木のエキスが染み込んだ水を試飲させていただく。ウーロン茶のような色で少し木のエキスがしみ出て健康に良いのだという。果たして何日ぐらい色が出続けるのだろうか。広島大学の医学部から母子の看護教育に2ヶ月きているという若い女性の話を聞く。昨夜来の雨が上がって雲間から陽射しが差してきた。今日はお天気になりそうである。9時15分ホテルを出る。バスに乗ったらラビンドラさんが明日休みを知っているかと声をかけてくれた。政府の役人だけが休みで民間の労働者は休みでないという。今度の日曜日はお祭りで休みだという。10時過ぎの事務所にはいつも通りサンカルジーが既にパソコンに向かっていた。今日は午前中昨日の復習と手順書の修正。午後はデータベースの更新プログラムの勉強をする。10時22分 VB6の208MBをUSBにコピーしておく。10時40分。13時までで昨日の手順書作成終了。以下のメールが来ていた。

大使館からのお知らせ(11-58) 9月7日
入国管理局の移転について

入国管理局は,本年5月から下記のとおりマイティーガール
からカリカスタンに移転しております。
住所 Kalikasthan,Dill Bazzar
電話 4223590
シンハダルバールの北側の道を東に進み,左に上がる坂道の
途中右側にあります。なお,駐車場が狭いため公共交通機関
を利用することをお勧めします。(添付地図参照)

午後はVB6とMySQL接続プログラムを勉強する。16時40分オフィスを出る。17時のバスで帰宅。夕食。18時。
夕食後午後の復習をする。清水一行著「ふてえ奴 上」を読んで就寝。23時目を覚ます。0時まで「ふてえ奴 上」を読んで起床。

今日はMID WESTERN REGIONのカルナリKarnali zoneゾーン:県のMugu district郡。Mountain地域に位置するムグ郡(District65番)。面積は3,535 km²。2001の人口は43,937名。村は24のvillage development committees (VDC)sがある。Gamgadhiが郡都 ネパール最大の湖であるララ湖はこのムグ地区にありNational Parkになっている。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が101校ある。3歳、4歳の人口:3,128名。1年生から12年生までの学校の数は130校。公立学校は130校、私立学校は0校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで11,624名、6年から12年のセカンダリースクールで5,637名の合計17,261名、教師の数はプライマリ-スクールで426名、セカンダリースクールで182名の合計608名。


ムグ郡(District65番)

Mugu district1
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9月6日(火) くもり後雨後くもり後雨 カトマンドの日の出5時44分日の入18時19分 2時 気温26℃、湿度80%ネパール166日目
2011/09/06(Tue)

1時起床。梨をむいていただく。出始めた頃より段々美味しくなってきた。通勤用黒靴の少し白くなったところを黒の油性マーカーで塗っておく。レモンを搾ってレモンティを作り冷蔵庫に入れておく。NHK「女優が語る私の人生、松原智恵子」を聞きながら「背信重役」の千代田油化のモデルと思われる三菱油化と三菱化成をネットで見る。合併推進に動いて社長が解任されて20年以上たった1994年に三菱化学としてやっと合併が実現している。結果的にみると時期尚早だったというところなのだろう。菅沼社長は岡藤次郎さんがモデルなのだろう。不思議なご縁があった。3時半本を読んで休む。6時起床。今日も空一面うす雲で山々も覆いつくされている。シャワーを浴びて髭をそる。6時半朝食。西部タライのカイラリの出張の話を聞く。暑かったという。一晩水を入れてそれを飲むと身体にいいという木をくりぬいた器の話しが面白かった。健康志向の日本人にはいいお土産になると思った。9時15分ホテルを出る。9時半バスが来て10時オフィスに着く。今朝はDirector Generalは部屋を空けていた。10時15分からPCに向かったとたん停電になった。今日は昔やったことのあるVB6でMySQLを扱うプログラムにチャレンジしようと考えていたがネットが使えないのであれば調べることが出来ない。10時20分 10時23分電気が来る。今日はVB6でMySQLに接続する仕方をさがす。
12時15分までで、思いがけなく、あっけなくMySQL_DBに接続をしてデータを読み取ることが出来た。
VB6の説明資料がWebにたくさんあってわかり易かった。また午後は、ここまでの作業のドキュメントを作ることにする。12時半 昼食後Director Generalに今月の休暇のレターを持って話してくる。午後大雨が降ってくる。12時50分これからVB6でMySQLの文書化をする。サンカルジーはダサインの時の飛行機の切符を買いに行くと言って3時前に帰って行った。16時15分まででおおよその手順書が出来上がる。明日はもう一度別のベータで作ってみてその仕上げをする。16時35分お仕舞いにする。外は雨は止んでいた。いつものバス乗り場に行くとバスがいない。門のガードマンに尋ねると玄関に行けという。玄関まで歩いたがバスはいなかった。そのうち来るというのでネパール人とおしゃべりをして過ごす。16時50分にバスが来る。バスが走り始めて途中頃からポツポツ降りだした雨が降りるときには本降りになっていた。ホテルまでの10分で更に強くなった。5時半前にホテルに着いた時にはリュックサックがすっかり濡れてしまっていた。それからさらに土砂降りになってきた。夕食をいただいて18時25分から日記をつける。この頃雨は峠を越したようだ。NHK囲碁、将棋講座の9月4日分を見る。ベッドで「背信重役」を読んで19時半過ぎ就寝。23時目を覚ます。外からは雨音が聞こえていた。冷えた梨をむいていただく。「VB6データベース講座」を読む。今日はMySQLに接続してADODCという便利な機能を使ってデータを読んで表示することをやってみた。このあとは、基本的なコードを使ってデータベースの更新、追加、削除のプログラムを作ってみる。0時になって新しい1日が始まった。

今日はMID WESTERN REGIONのカルナリKarnali zoneゾーン:県のKalikot district郡。Mountain地域に位置するカリコット郡(District64番)。面積は1,741 km²。2001の人口は105,508名。村は30のvillage development committees (VDC)sがある。Manmaが郡都 。2005年9月にこの郡の政府は女の子が最近生まれた家族に米を提供することを発表している。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が232校ある。3歳、4歳の人口:7,183名。1年生から12年生までの学校の数は286校。公立学校は281校、私立学校は5校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで35,617名、6年から12年のセカンダリースクールで17,583名の合計53,200名、教師の数はプライマリ-スクールで1,450名、セカンダリースクールで475名の合計1,925名。


カリコット郡(District64番)

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9月5日(月) くもり カトマンドの日の出5時44分日の入18時20分 2時 気温26℃、湿度80%ネパール165日目
2011/09/05(Mon)

1時45分目を覚ます。少し寝汗をかいていた。風邪はたまに喉に痰がからみ咳がでることがあるが大分良くなってもう薬はのんでいない。しかしなかなか完治はしない。今朝は世界の格言を見る。希望というテーマで様々みる。「希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ、何事も成就するものではない。」というのがあった。「神はこの世におけるさまざまな心配事のつぐないとして、我々に希望と睡眠を与え給うた。」というのもあった。3時休む。ベッドで「背信重役」を読む。6時起床。シャワーを浴びて髭をそる。6時半朝食。おかずは野菜の炒め物。TVからNHK番組脳卒中のリハビリが聞こえてきた。今朝も2人の朝食。今朝も庭のベンチで休む。今朝は空一面の雲でいつもの飛行機が爆音だけで機影は見えなかった。7時半 同窓会の案内を見る。返信しておく。9時15分ホテルを出る。オフィスのバスが9時31分に来て10時すぎにオフィスに着く。サンカルジーが出ていたので、金曜日は出て来れなかったことを伝える。Director GeneralのMahashram Sharmaさんに9月の3.5日の休みの申請に行こうとしたが来客中だったので後でまたにする。10時20分 午前中Wordの差込印刷を見ていたらMySQLに接続して使えることを思いあたる。早速やってみたらMySQLにODBC接続でデータが読めた。早速操作手順書を作る。12時過ぎ突然美しい女性2名が訊ねてきた。コイカのソンジュさんとはじめてあった青年隊員であった。2人は身体の不自由なネパールの子供達のお世話をしている。しばらくおしゃべりをする。13時半AccessとExcelとWordからMySQL接続の3種類の手順書を印刷してサンカルジーに渡す。Director Generalは来客が多くてなかなか空かないので話ができない。食堂にお茶を2つ頼む。2時に停電になった。ネットが使えないので日記をつける。今日は冷凍庫に入れておいたレモンティーのペットボトルを薄いクッションを巻いてきたが、14時半になってもまだ冷えている。今度この材料でペットボトル専用入れ物を作ろうと思いたった。午後はVBでMySQLの読み書きに戻る。16時半お仕舞いにしてバス乗り場へ。今日は久しぶりに会った青年隊員と一緒におしゃべりをして帰る。今度ご両親が来られると嬉しそうであった。バスは定刻の17時に出発した。帰り道でパンを買ってホテルに17時37分帰宅。Netを見るとタバコの値段現在20本で400円台を700円台に値上げしたいと新しい大臣が意欲と出ていた。バヌアツでは1本40円であった。日本では1本約20と安すぎる。以前阿呆が値上げを口にしたが腰砕けで値上げできなかった。1本50円にしたらよいぐらいだと思う。夕食後お湯を沸かして紅茶を作る。「背信重役」を読んで20時就寝。

今日はMID WESTERN REGIONのカルナリKarnali zoneゾーン:県のJumla district郡。Mountain地域に位置するジュムラ郡(District63番)。面積は2,531 km²。2001の人口は89,427名。村は30のvillage development committees (VDC)sがある。Jumla Khalangaが郡都 。町は2514メートル(8251フィート)の高度に位置している。ジュムラは、ティラ川のほとりにあり、世界で最も標高の高い米産地の一つで"カラマーシー"稲品種や赤米を水田で栽培している。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が158校ある。3歳、4歳の人口:6,099名。1年生から12年生までの学校の数は153校。公立学校は147校、私立学校は6校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで25,764名、6年から12年のセカンダリースクールで8,557名の合計34,321名、教師の数はプライマリ-スクールで803名、セカンダリースクールで309名の合計1,112名。


ジュムラ郡(District63番)

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Jumla district2

Airport

Jumla airport
Jumla-airport-2.jpg

View

Jumula murma top view
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9月4日(日) くもり、晴れ、雨 カトマンドの日の出5時43分日の入18時21分 2時15分 気温28℃、湿度76%ネパール164日目
2011/09/04(Sun)

1時目を覚ます。梨をむいていただく。昨日登録して送信テストしたメールが届いていなかった。3時休む。4時半起床。「同族企業」を読んでヤマハをモデルにしているようだった。事実を知りたくなってネットを見る。Accwss_MySQL Linkの修正をする。6時15分 朝食のおかずは豆腐の煮込み。今朝は昨日帰国した人が多くいたので2人きりであった。ネパールの空港の話しを聞く。CIAの2010年のネパール情報では舗装してある空港は11、そうでない空港は36の合計47と出ていたが、先輩の話しによると80ぐらいあるという。半分ぐらいが舗装していないという話であった。75ある郡:District,ジッラの中には3つの空港を持つところもあるが1つも無いところも多くあり、大抵1つである。朝食後朝の続きの操作手順書を作る。8時50分 9時45分ホテルを出て炎天下スーパーまでゆっくり歩く。10時15分スーパー「バト バテニ」。ハムとチーズとトマトとピーナッツを買って10時半すぎスーパーを出る。帰り道は下り坂。ホテルには11時5分着く。シャワーを浴びて日記をつける。12時過ぎロビーでネパールティーをいれていただき昼食をいただく。午後は部屋で椅子に身体を伸ばして「同族企業」を読む。午後音を立てて雨が降ってくる。17時半までで読了。一気に読みすすめた。日本は台風の被害がまた出た。夕食後ケーキをいただく。少し多かった。ベッドで清水一行著「背信重役」を読んで20時就寝。

今日はMID WESTERN REGIONのカルナリKarnali zoneゾーン:県のRolpa district郡。Mountain地域に位置するロルパ郡(District62番)。面積は3,046 km²。2001の人口は29,545名。村は23のvillage development committees (VDC)sがある。Dunaiが郡都 
ドルパ郡はネパールの総陸地の5.36パーセントをカバーするネパールの最大の郡である。海抜1525から7625メートルまである。地区の大部分がPhoksundo国立公園でカバーされている。この名前は12世紀からある修道院と地区にあるPhoksundo湖から派生している。公園では雪ヒョウ、ジャコウジカやチベットのオオカミのような絶滅危惧種の動物がいる。ドルパの人々のほとんどは、ヒンドゥー教(60%)か仏教(40%)であり 僅かに古代Bonpoの宗教に属している。ドルパの主な職業は農業(79.5%)とサービス業(2%)である。 この地域の文化的伝統は、基本的にチベットの文化と結びついている。 Phoksumdo国立公園では豊富な野生動物、美しい仏教僧院と素晴らしい湖、それに文化や伝統を持つシンプルで心の温かい人々にふれることができる。岩、森、そして雪に覆われた峰に囲まれたドルパは世界の"ナチュラル隠し七不思議:“Natural Hidden Wonders”."の一つとして記載されている。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が92校ある。3歳、4歳の人口:1,903名。1年生から12年生までの学校の数は122校。公立学校は118校、私立学校は4校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで7,186名、6年から12年のセカンダリースクールで3,180名の合計10,366名、教師の数はプライマリ-スクールで410名、セカンダリースクールで211名の合計621名。


ドルパ郡(District62番)

Dolpa district1
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キャラバン

TenzinNorbu_Caravan.jpg
Dolpa view7


Phoksumdo湖

Phoksumdo lake in Dolpa

View

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9月3日(土) くもり後晴れ後一時雨 カトマンドの日の出5時43分日の入18時22分 7時40分 気温27℃、湿度75%ネパール163日目
2011/09/03(Sat)

0時45分目を覚ます。冷えた梨をむいていただく。昨日はマオイストのバイディア派による朝の交通封鎖と夕のトーチラリーがあった。これまでマオイストは組織内で圧倒的な指導力を握っていたプラチャンダ議長の現実路線からバブラム・バッタライ副議長(主流派・理論家ともいわれる)ともう一人の副議長モハン・バイディア(キラン:Kiranとも呼ば強硬派・原理主義者ともいわれる)の勢力が手を組んだ結果バブラム・バッタライ首相を成立させたと言われている。この3人の指導者の民族は共にバフンでバイディアが60代で最長老といわれる。残りの2人は50代である。西のロルパ郡(53)やルクム郡(54)のマオイストの拠点だけではなく道端でも眠れるという筋金入りの武装闘争をしてきた指導者でインドで逮捕拘束された経歴もある。今回マオイストから回収した武器を保管している28箇所の武器庫の鍵を預かっていたプラチャンダ議長が首相になったバッタライに渡したことに抗議して起こしたことという。バブラム・バッタライ副議長は和平後もマオイストの護衛兵をつけているという。これまで武力闘争をしてきた中核だけに和平プロセスを逆戻りさせると懸念される勢力でもある。バッタライと手を組んだ原理主義強硬路線を掲げるバイディア副議長グループが早くも反旗を翻したとものと見られている。
「懐かしのメロディ」を聞きながら日記をつける。2時半。エアコンの埃取りフィルターを取って歯ブラシで水洗いする。4時シャワーを浴びて休む。6時起床。6時半朝食。おかずはジャガイモ、人参、玉葱、しいたけ、三度豆の煮物。先輩から日本大使が変るという話を聞く。現在の水野達夫さんは2007年10月から丸4年ネパール大使を務めことになる。この国の最大の援助国の大使として和平プロセスの推進に果たしている役割は大きいのだろう。7時半今日も昼間は陽射しが強い。日本は台風12号が来ているという。
9時までで「欲望産業 上」を読了。図書室に本を返して下巻を探したが見つからなかった。これは消費者金融「武富士」がモデルと思うがこの会社は会社更生法を申請して今年4月に韓国の消費者金融に買収されている。平家物語冒頭部分の「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。」を思い出す。10時炎天下市場へ出かける。いつものレモンと梨ときゅーりを買う。マンゴーはとうとう無くなった。柿が出てきた。帰り道ヨーグルト1リットルを買って帰る。シャワーを浴びてWordを調べてから昼食をロビーでネパールティーでいただく。昼食後部屋の椅子にかけてうとうとしながら清水一行著「逃亡者」を読む。14時半パソコンに向かうが停電でネットには繋がらなかった。14時45分電気が来る。16時半停電になる。Excel-MySQL Linkの操作手順書を作る。17時雨が降ってくる。約30分で止む。18時停電になる。しばらくして自家発電で電気がくる。夕食をいただく。夕食後日記をつける。19時15分 Inforseekでやっとメール送信の文字が読み取れた。「同族企業」を読んで22時就寝。

今日はMID WESTERN REGIONのベリBheri zoneゾーン:県のJajarkot district郡。Hill地域に位置するジャジャルコット郡(District61番)。面積は2,230 km²。2001の人口は134,868名。村は30のvillage development committees (VDC)sがある。Jajarkotが郡都 近年このJajrkotでコレラが発生し20,000人以上の感染者を出し150以上死亡したことがある。この地区がアクセスの困難さ:inaccessiblityという地理的条件のためにコレラの大流行が防止できなかった。古くなった食べ物を食べて、安全でない水を飲んで、オープンフィールドの排便の習慣などが拡散に繋がった。ネパール保健研究評議会のチームはJajarkotに向かった。そこの下痢性疾患の原因は"コレラ菌"によって引き起こされるコレラであることを突き止めた。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が239校ある。3歳、4歳の人口:8,817名。1年生から12年生までの学校の数は392校。公立学校は390校、私立学校は2校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで62,341名、6年から12年のセカンダリースクールで27,977名の合計90,318名、教師の数はプライマリ-スクールで1,265名、セカンダリースクールで395名の合計1,660名。


ジャジャルコット郡(District61番)

Jajarkot district1
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9月2日(金) くもり時々晴れ カトマンドの日の出5時42分日の入18時24分 2時 気温28℃、湿度80%ネパール162日目
2011/09/02(Fri)

2時目を覚ます。犬の鳴き声がよく聞こえていた。4時に休む。5時半起床。今日も昨日同様空一面雲に覆われ山々も雲のなかである。窓を開けて網戸にして外の空気を入れる。向かいの建物の上をサルが歩いている。鳥の声が今日も賑やかだ。6時半朝食。今日のおかずは白菜:チャイニーズ ツァーをチン ツァーと呼ぶ。
ありをカミラ、風呂場に壁を食べた虫をビマラという。9時15分ホテルを出る。今日は隣のカレッジの学生を全く見かけなかった。いつものバス停でも学生がいなかった。道路は車もバイクも少なかった。9時半に来たバスには運転手を含めて3人しか乗っていない。しばらく走って道路わきに車を止めて運転手が電話をしていた。反対車線に知った人が車に乗っていてこの先の空港へ行く道との交差点が封鎖で通れないということを聞いていた。車をUターンさせてマイティガールで下ろしてもらう。ホテルに帰って今日のお昼の飛行機で出張する同僚に知らせる。大使館からメールが9時12分に発信されていた。

大使館からのお知らせ(11-56)                          9月2日

マオイストによる交通封鎖について
マオイストのバイディア派が,PLAの鍵の引き渡しに抗議して,本日午前9時30分から午前10時30
分までの間,チャッカジャム(交通封鎖)を行うと発表しました。
この時間帯の外出はなるべく避けることをおすすめします。やむを得ず外出する際は,治安情勢を確認して
お出かけください。 

とあった。午前中は高杉良著「欲望産業 上」を読んでうとうとする。13時昼食。午後今週の懸案であった
FlashシステムのMySQLをAccessから更新できなかったのを調べる。ついに15時、http://support.microsoft.com/kb/304179/ja
を見つけて、以下のことをやってみて解決した。
Microsoft Access を使用してください。
Microsoft Access を起動します。
データベースを開きます。
更新できないテーブルを選択します。
で、 編集 メニューをクリックして 削除.
で、 ファイル メニューのポイント 外部データを取り込み、し [テーブルなリンク.
で、 リンク ダイアログ ボックス [ファイルの種類をクリックして ODBC データベース.
で、 データ ソースを選択します。 ダイアログ ボックスで、適切なデータ ソースを選択しをクリックして [OK].
で、 [テーブルなリンク ダイアログ ボックスで、手順 4 で削除したテーブルを選択し、クリックしてください。 [OK].
で、 [固有レコード識別子を選択します。 ダイアログ ボックスは、一意なインデックスとしてフィールドを選択しをクリックして [OK].(これが肝心で、これをしていなかった。MySQLの定義で予めされていると思ってこの操作をしていなかった。これをしたら出来るようになった)
今すぐ更新し、テーブルに新しいレコードを追加することもできます。

わかってしまえばあっけないが、この問題を解決できことが今日のよろこびであった。
私たちは、よろこびをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。
<よろこび上手>こそ苦しい世に生きていく知恵なのだ という格言を見てその通りとおもった。

15時39分日本大使館から次のメールが来ていた

大使館からのお知らせ(11-57) 9月2日
マオイストによるトーチラリーの実施について

マオイストのバイディア派が,PLAの鍵の引き渡しに抗議して,本日午前のチャッカジャムに引き続き,午後6時から約1時間リングロード内でトーチラリーを実施すると発表しました。
ラトナパーク周辺が主な実施場所となりますが,その他主要交差点でも実施する可能性があります。
この時間帯の外出はなるべく避けることをおすすめします。やむを得ず外出する際は,特にラトナパーク周辺を避けるようにして,さらに治安情勢を確認してお出かけください

16時半、次にExcelからMySQLに接続する仕方をWebで調べてみる。16時41分面白くなってきたとき停電になった。続きは電気が来てからにと日記をつけていたら16時47分電気が来る。色々やってみたがエラーがでる。18時、夕食後、ついにMySQLのデータをExcelにダウウンロードすることが出来た。次にWordからMySQL接続を確かめてみる。18時45分今日はお仕舞いにする。「欲望産業 上」を横になって読んで20時就寝。

今日はMID WESTERN REGIONのベリBheri zoneゾーン:県のDailekh district郡。Hill地域に位置するダイレク郡(District60番)。面積は1,502 km²。2001の人口は225,201名。村は56のvillage development committees (VDC)sがある。Dailekhが郡都 このダイレク地区におけるBhurtiの寺院群は22の建物で構成されている。正確にいつ誰によってこの寺院群が構築されたかは知られていない。寺院は西マーラの建築の典型的なスタイルで構成されている。全体としてKhasa王国で流行してバリアント - モニュメントはPanchadevalスタイルで乾燥した石積みで構築されていたのに似ていて、。ここのスタイル、フォームは地域に固有のものと見られている。
寺院の複合体の状態は良好であるという。 世界遺産リストに推薦されていて遺産危機リストにも載せられている。
Dailekhの情報を探していたら内戦時代のニュースで、「国営ラジオネパールのダイレク特派員だったタパは、誘拐され、その後2004年8月11日に毛沢東主義の反乱軍によって殺害された。」というのがあった。現在では毛沢東主義の共産党が議会の最大多数党であり先月28日バッタライ副議長57歳が首相に選ばれている。このバッタライさんはネパール西部ガンダキ県(Gandaki)ゴルカ郡(36番)ベルバス村に中流下層の小作農の家庭に生まれた。バッタライの出身であるバフン(ブラーマン)は、司祭カースト(知識人カースト)であり、伝統的に自らの「知能」「知的優位性」を誇る傾向がある。1970年の高校認定全国統一試験SLCで地方出身者で始めて全国で1番になったことでも知られている。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が315校ある。3歳、4歳の人口:17,203名。1年生から12年生までの学校の数は508校。公立学校は492校、私立学校は16校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで70,689名、6年から12年のセカンダリースクールで37,439名の合計108,128名、教師の数はプライマリ-スクールで1,789名、セカンダリースクールで623名の合計2,412名。

ダイレク郡(District60番)

Dailekh district1
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9月1日(木) くもり後晴れ カトマンドの日の出5時42分日の入18時25分 2時 気温28℃、湿度80%ネパール160日目
2011/09/01(Thu)

2時半起床。昨夜降っていた雨は止んでいた。いよいよ9月になる。部屋のカレンダーをかえる。今月は隊員総会がある。また月末には残された1年半の活動計画書を含んだ2号報告書の提出期限である。来月の旅行のチケットの予約が必要である。先月末には日本とネパールで新首相が決まった。22日は小倉さんの政治セミナーがある。気候も雨季がそろそろ終わって実りの秋になる。カトマンドを囲む山々の向こうにヒマラヤが見える日も近いのだろう。4時振込みをする。9月のExcelを2007で更新する。随分Saveするのに時間がかかるようになる。5時半明るくなる。鳥の声が賑やかである。空一面灰色の雲に覆われまわりの山々も雲の中に入った。6時半朝食はナスとピーマンの煮付け。ナスはベンダ、キャベツはバンダという。木彫の仏像を見せてもらう。部屋で梨をむいていただく。9時前サリトリさんがホテルの庭で出来た柿をむいて持ってきてくれる。美味しかった。9時15分ホテルを出る。9時半バスが来る。10時10分事務所に着く。今日はFlash DBを直接更新できる1対複数のAccess Formを作ってみる。それとExcelからMySQL Linkを調べてみる。最初に年末一時帰国のRequestSheetを作り、サンカルジーとバララムジーのサインをもらう。次にFlash DBから作ったAccess LINKのファイルを更新しようとしたが、これが出来ない。プログラムで排他制御をしているのか、いろいろ調べてみたが良く判らない。16時35分でお仕舞いにしてバス乗り場へ。今日は乗り遅れなかった。4時55分にバスは出た。今日の帰り道は大渋滞だった。ホテルに戻ると先輩が来ていたのでロビーでしばらくおしゃべりをする。健康を崩してしばらく日本に帰っていたそうだが良くなったようでやつれた表情はなかった。仕事ではご苦労されている様子だった。ホテルのマネージャーからホテルの風呂の修理で今日から1週間休みとすまなそうに話があった。風呂を見せてもらったら脱衣室の壁が虫で食われていたようでその修理をするらしい。今日は部屋のシャワーを使う。夕食後オフィスの作業の続きをして19時45分から日記をつける。今日から新しくなったInfoseekのメールでテスト発信を試してみたがエラーMSGが出てテスト発信が出来なかった。ベッドで「祖国へ、熱き心を」を読んで20時半就寝。

今日はMID WESTERN REGIONのベリBheri zoneゾーン:県のSurkhet district郡。Hill地域に位置するスルケート郡(District59番)。面積は2,451 km²。2001の人口は288,527名。村は51のvillage development committees (VDC)sがある。Birendranagarが郡都 Birendranagarはベーリ川ゾーンのスルケート地区に位置有名なスルケートバレーに位置しており、ネパールの西部丘陵地域の主要な町である。 Birendranagarは2001年6月に亡くなった故ビレンドラ王に因んで命名された。
Birendranagarの町の東に空港がありここから北のジュムラ、Humla、Kalikot、ドルパ、ムグを結んでいる。 主要道路は、ラトナハイウェイがここからカトマンズ、ポカラ、バーラトプル、ダーランと結んでバスの運 行がある。観光としてBirendranagarには、日本からの援助で作られた非常に美しい時計塔がある。ヒヨドリ タル、小さな湖や温泉のある公園が大きな魅力です。一つは、またベーリ川、カルナリ川でラフティングを 楽しめる。Deauti BajaiはBirendranagarで最も有名なヒンズー教寺院で国家の遺産となっている。
ネパールの政府は、今年Birendranagarのミッドウエスタン大学を確立するために2007年7月12日にチームを 形成して、この大学は、この地域の教育システム上の戦略拠点と期待されている。
病院ではミッド西部地区の人々の為に100床のBirendranagarに病院があ近い将来300以上のベッドの計画が5つのフェーズで構築されている。計画は、建設は3年前に作られたが現在とまっている。
中西部の地方獣医病院がBirendranagarにあり中西部地域における地元農家の牛へのすべての治療を提供している。
幼稚園に相当するECD:Early childfood development,PPC:Pre-Primary Classesという学校が449校ある。3歳、4歳の人口:20,097名。1年生から12年生までの学校の数は581校。公立学校は532校、私立学校は49校。生徒の数は1年から5年のプライマリ-スクールで76,199名、6年から12年のセカンダリースクールで47,106名の合計123,305名、教師の数はプライマリ-スクールで2,279名、セカンダリースクールで1,064名の合計3,343名。


スルケート郡(District59番)

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ビレンドラ王

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