FC2ブログ
10月31(月) 晴れ 日の出6時13分、日の入17時20分 6時 気温22℃、湿度74% ネパール220目
2011/10/31(Mon)

3時目を覚ましベッドで清水一行著「新人王」を読む。5時50分外が白み始める。今朝は空にかかった雲の切れ間から青空が見えている。いよいよ10月も今日でお仕舞い。今日から10月始めのダサインと終わりのティハールの休みが終わって日常の生活に戻るが明日はまた祭日で休みのようだ。6時半朝食。少し朝食の顔ぶれが増えた。これまで見た顔の人が又ネパールに戻って10月の大型連休を終えて今年最後の一仕事をしに来たというところのようだ。10時すぎオフィスではサンカルジーはパソコンに向かっていた。9月、10月のネパールのニュースを見てみる。ネパール人1人当たり1ヶ月の消費額が3200円だが、お祭りのダサインの10月には4200円になると出ていた。7月に97ルピーから102ルピーに値上げしたガソリンが10月10日、105ルピーに再度値上げされた。石油公社は、輸入価格より販売価格を低く抑えており、今回の値上げで、月8.29億ルピーの損失を7.06億ルピーに減少させることができると発表している。海外に出稼ぎしている上位6か国のネパール人労働者の数が発表されていた。マレーシア 675,573人、カタール 584,714人、サウデアラビア 412,000人、UAE 258,979人、クウェート 30,644人、韓国 10,0801人この合計だけで1,971,990名である。
このほかにタイも人気のある国で大勢行っている。日本にいるネパール人は毎年増えていて昨年の数字で17,525人と出ていたから現在では2万人ぐらいになっていることだろう。逆にネパールに住んでいる日本人は約500名ぐらいのようだ。これらの6か国に労働問題に関する担当官を派遣することになっており人選も6カ月前に決定しているが、派遣母体である労働省と受け入れる外務省が合意に至らず、未だに宙に浮いている。とあった。
人材派遣会社の手数料問題が出ていた。ネパールは108カ国と人材派遣に関する協定を結んでいるが、政府認可の派遣会社が規則より大幅に高い手数料を求人者から得ている事がわかり問題となっている。所轄官庁であるMLT(MinistryofLabourandManagement労働省)によれば地域、国別に求人者に対する手数料は決められているが、派遣会社の多くが規定の手数料より大幅な手数料を求人者に要求している。
中東地域の場合規定は8万ルピーであるが10万ルピー、日本は5万ルピーに対し8万ルピーなどである。JITOCO(JapanInternationalTrainingOrganisation日本国際協力研修機構)は規則に反した人材派遣会社をリストから外すようネパール政府に要求する考えである。
 主な地域、国に対する派遣手数料(一人)は マレーシア 8万ルピー、中東地区 7万ルピー、リビヤ9万ルピー 、日本 5万ルピー、韓国 5万5千ルピー 、等となっている。
厚生省は小売店に並ぶネパール製の食料品について品質検査をしたが4113サンプルのうち約80%が検査不合格となった。その他、先日ネパール人と婚姻した邦人からビザの更新の負担を聞いた。見てみると毎年更新が必要で発給料・1ケ月あたり10ドルと出ていた。1年の延長だと120ドル。現金収入の難しいこの国でこれはかなりの負担であることを知る。16時20分まで過ごす。16時半までにバス乗り場に行ってみようと思い、サンカルジーに先週はオフィスのバスが早く出て乗り遅れた。今日はこれで帰る。明日は祭日だから水曜日会いましょうと行って部屋を出る。事務所を出たらラビンドラジーが走って追いかけてきた。運転手のガランジーから携帯に早く出ると電話があったので出てきたのだという。ついでに声をかけに部屋を覗いたらジャスト ナウ 今、出たところサンカルジーから聞いて急いで出てきたのだという。見たら別の建物の道へ向かっているバスの後ろ姿が見えた。16時半かろうじてバスに乗ってホテルには17時過ぎに着く。もうこの時間で暗くなって来ていた。
夕食後、お風呂に入る。風呂上り「新人王」を読んで20時就寝。
スポンサーサイト



この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月30(日) 晴れ 日の出6時12分、日の入17時21分 6時 気温23℃、湿度74% ネパール219目
2011/10/30(Sun)

1時目を覚ます。「金環蝕」を4時半までに読了。1966年(昭和41年)に発表された作品。1975年(昭和50年)映画化された。映画は白黒でTVで見た。昭和39年夏、与党・自民党の現総裁にして内閣総理大臣の池田勇人と最大派閥の領袖・佐藤栄作の一騎打ちとなった総裁選挙が作品の発端である。福井県、九頭竜川ダム建設計画をめぐる5億円捻出入札汚職事件がメインテーマであるる。競争入札でローアーリミットを使った、今では信じられない高値入札以外をはずしたやり方で落札した鹿島から池田首相に5億円渡った事件であった。官房長官の黒金泰美、幹事長の田中角栄、マッチポンプとあだなされた自民代議士 田中彰治、金融王 森脇将光、電源開発総裁  藤井崇治、鹿島建設副社長の渡辺喜三郎、間組社長 神部満之助などが登場する。実際あった事件だけに昭和史の汚職の歴史を振り返り考えさせられた。日本にもこれほどはっきりした汚職があっても隠されて当事者は生き延びた。末端の下っ端から犠牲者が出ている。ベッドで休んで6時起床。6時半朝食。ネパールでも同様の話を良く聞いたものだが日本も政治と金は今でもつきものである。7時半。9時半ホテルを出て買い物にバト バテニ スーパーへ出かける。半そでを着て出たが朝は少し寒い。生徒も見かけるし、車も多い。ティハールの休みが終わって学校や仕事が始まったようだった。スーパーの3階の衣類・皮靴、2階の日曜雑貨を見て1階の食料品を見ていつものスモークハムとチーズとボンドと帰り道、近所の店でヨーグルト。帰宅後昼食。午後清水一行著「血の河」を読んで過ごす。この会社のモデルは広島から起こった藤田組その後改名したフジタ工業のようだ。20時読了就寝。


家電メーカーの広告

2011_1030.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月29(土) 晴れ 日の出6時12分、日の入17時22分 5時 気温23℃、湿度75% ネパール218目
2011/10/29(Sat)

2時半目を覚ます。メールを返信。日記をつける。6時半朝食。8時15分アパートを出て野菜マーケットへ買出しに出かける。市内はティハールの休日で閉まっている店が多かった。道路はバンダの時のように車が少なかった。市場は普段の半分ぐらいであったが店を開いていた。トマト、レモン、玉葱、柿、大きなバヌアツと同じパンプレムースを3個買う。パンプレムースの名前を尋ねたらレモンとかいっていた。10時前アパートに帰る。早速大きなパンプレムースもどきのものをむいていただいた。中はルビーといわれる少し赤い色。半分をむいたらどんぶり1杯になった。ヨーグルトを混ぜていただく。甘みが少なく水水しさが無かった。部屋で「金環蝕」を読む。昼食も部屋で。午後4時半過ぎお風呂に入る。風呂上り日記をつける。17時すぎ夕食後「金環蝕」を読んで20時就寝。一日読書三昧で過ごす。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月28(金) 晴れ 日の出6時11分、日の入17時23分 2時 気温24℃、湿度75% ネパール217目
2011/10/29(Sat)

2時目を覚ます。ゴルカ旅行を思い出して日記をつける。ネパールの地図を見るとカトマンドからゴルカまでは途中にダーディングという地区があるだけなのだがバスに乗って行くととんでもなく遠いことを知る。江戸時代後期10代将軍の時代、田沼意次が老中になった頃にゴルカの王であったプリティブィ ナラヤン王がゴルカからカトマンヅに攻め上りネワール人のマッラ王朝を滅ぼした。カトマンドーポカラを結ぶハイウェイはこの王様の名前を取ってプリティブィ ハイウェイという。ゴルカはイギリスの傭兵のグルカ兵を出した土地としても有名である。プリティブィ ナラヤン王は若いときカトマンドにあったマッラ王朝の繁栄を見て歩いた。日本の戦国時代の信長のようなこの人はカトマンドの征服に意欲をもって最初は敗退をしたにもかかわらず何度目かの戦いでカトマンドの3つのネワール人の王国を征服しそのあと西に22の王国。中央に24あったという王国を統一しネパール全土を統一した。よくあの山また山を歩いてゴルカからカトマンドに攻め上り、さらにネパール全土を統一したとは非凡な人であったに違いない。昨日は久しぶりに坂道を歩いたせいで足が痛くなっていた。6時半朝食後、11月分の部屋代とインターネット代を精算する。今日も朝は空一面うす雲に覆われている。ナガルコットの雲海リゾートをたずねることにする。7時45分ホテルを出る。7時55分ババマハールからバスに乗りバクタプールへ。ティハールの休みのせいかバスは満員で立ったままバクタプールに8時25分着く。バス代は12ルピー。ナガルコットのバス乗り場まで約1Kmを歩く。8時45分ナガルコット行きのバス乗り場についたところで屋根の上まで人が乗ったバスが出るところだった。止まっていた次のバスの1番後ろの席が空いていたのでそこに座る。9時7分バスは出発。10時17分ナガルコットに着く。バス代35ルピー。2200mの高さで、少し風があったので半そででは少し寒かったが歩きだしたら暖かくなった。途中道をたずねながら雲海リゾートを目指す。道に迷わず雲海リゾートに到着。雲のあいだからのヒマラヤが空に浮かぶようにして見えた。そこからの眺めはヒマラヤの高さを実感することができた。昨日の朝は雲がなくてすっかりヒマラヤが見えたという。香川県ご出身のスリマティと1時間ばかりおしゃべりをする。小学校5年生のスンダリケティもベランダのブランコでヒマラヤをながめていた。ベランダにおかれたヒマラヤの山の名前の説明があったのは嬉しかった。エベレストも書かれてあった。この次は是非泊まりにくることにする。12時前に失礼してバス乗り場に戻る。バス乗り場の丘のてっぺんに登って景色を見ながら昼食にする。12時40分のバスに乗る。13時27分バクタプールに着く。13時31分のバクタプール発のバスでババマハールへ14時過ぎババマハルに着く。バス代20ルピー。パンを買いにANGANまで歩く。今日は閉まっている店が多かったがANGANは開いていた。食パン代35ルピー。ホテルに戻ってから帽子と部屋のスリッパと靴を洗って屋上に干して置く。5時前お風呂が出来たと電話をもらう。入浴後5時から夕食をいただく。夕食後ナイフを砥石で磨いておく。夕食後石川達三著「金環蝕」を読んで20時就寝。


雲海リゾートからヒマラヤの眺め

2011_10281.jpg

雲海リゾートから周辺の眺め

2011_10283.jpg
2011_10282.jpg

ナガルコット バスターミナルの丘

2011_10284.jpg
この記事のURL | 未分類 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月27(木) 晴れ 日の出6時10分、日の入17時24 2時 気温24℃、湿度75% ネパール216目
2011/10/29(Sat)

夜中目が覚めたがそのまま寝る。4時20分トイレに起きる。まだ暗いのでそのまま休み5時40分外が白みかけたので起きる。ホテルの外に出るのに鍵がかかって出られなかった。大きな音を出してホテルの青年を起こす。しばらくしてやっとホテルの玄関の鍵をあけて2人で外に出る。ゴルカは1143mの山間に開けた町。石段を登り王宮を目指す。長袖を着てきたがすぐ暑くなる。朝早くから水を背中のかごにしょった若い女性とすれ違う。ネパールの女性は朝から重い水をしょって運んでいた。男は家の庭に座ってタバコをふかしていた。すれ違う人々にナマステと挨拶をして王宮を目指す。100名山を登った先輩は流石に健脚で直ぐに先に見えなくなってしまった。ゆっくり時々後ろの雲に隠れた下界を眺めながら歩いて、かなり登った岩場の上に登ってヒマラヤを見ることが出来た。後からカップルが来たのでどこから来たのか聞いたらスイスから来たのだと言っていた。こんな綺麗なヒマラヤを見ることが出来てラッキーだと言って写真を撮っていた。向かいに王宮が見えたので一旦下ってから山城である王宮にも上ってみた。兵士がいたのでナマステと声をかける。そこにいた身なりのいい年配の人に綺麗に見えたヒマラヤの名前を教えてもらう。左からアンナプルナ、中央にヒマルチュリとマナスル、右にガネッシュなどと教えてくれた。別の普通のおじさんに聞いてみたら知らないといわれた。帰り道水汲み場のそばで一休みして水汲みにくる人たちを眺めてしばらく休んでいた。その水を口に含んでみたら冷たかった。水汲みに来た人達は水を飲んでいたが口をすすぐだけにして飲まなかった。下まで降りて朝食にする。8時半であった。コーラと焼きそばとミルクティーをいただく。焼きそばはとっても辛かったが辛抱して食べた。ピロ、ヌン ナラクネ(辛子と塩は入れないで)と言わなかったのが後悔された。モンゴリアンに似た顔つきの焼きそばを作った女性にタパインコ ザティ ケホ?と民族を訊ねたらネパールと返事をされた。ダリットはザナザティの民族の人達はネパールと答えるような傾向にあるようだ。最後に出てきた紅茶ほ熱くて、口の中は辛くてホット、ホットであった。焼きそば40ルピー、コーラ30ルピー、ミルクティ15ルピーであった。街の宝石店をにゴルカ水晶、ヒスイの腕輪を探したが金製品が少し並んでいるだけで目当てのものは見つからなかった。大勢の子供が車座になって気勢をあげているので見てみるとプラスチックの大きなバケツに大きなサイコロをいれて丁半賭博と同じ賭け事をしていた。くしゃくしゃの5ルピーや10ルピーのお金が周りの子供達の前に飛び交っていた。中には老婆も混じっていた。日本の片肌脱いで映画に出てくる博打と同じことをネパールの村の幼い子供達がやっているのを見て驚いた。日本では大人が勝負をかけて真剣にやっている賭け事がネパールでは子供達のお祭りの遊びになっていた。賭け事の体裁がネパールでも日本でも同じことを学んだ。ホテルに戻ってチェックアウトする。300ルピーだけでサービスとタックスも取られなかった。バスのターミナルでカトマンド行きのマイクロバスは直ぐに見つかる。ゴルカーカトマンドの運賃は290ルピーであった。果物を売る露店でリンゴを1つ買っていただく。15ルピーであった。今の10000円は10020ルピーになっている。1ルピーはほぼ1円。3月に来た時は10000円が8700ルピーであった。円高とルピー安が進んでいる。10時発のバスは10時15分にターミナルを出て10時45分に町の入り口を出発した。屋根への荷物の積み込みに時間がかかる。落ちないようにロープでしっかり止めている。11時半に昨日最後に乗り換えたカイレニに着く。11時38分カイレニを出発して11時46分ムリングに着く。11時52分ナナカマルに着く。マイクロバスの運転手は若い青年で飛ばす飛ばす。室内は通常の倍近くの人が詰め込まれ、屋根の上まで荷物と人を乗せているにもかかわらず前を行く車があれば追い抜いて行く。反対車線のバスとしばしば衝突しそになりながらもすれすれにすれ違いながらスピードを緩めない。12時40分に昼食休憩にレストランに止まる。ピロキシ風のネパール料理をいただく。20ルピー。13時5分出発。14時35分カトマンドの出口の関所に着く。14時55分リングロードに着く。それからモンキーテンプルに近いところが終点であった。そこから少し歩いてバスに乗りタメル近くで降りる。12ルピー。ティハールの祭りに賑わう道端の店店を見ながらホテルへ帰る。お風呂に入る。夕食をいただいてから、2つのナイフを川で拾ってきた石を砥石代りにして磨いてみる。石川達三著「金環蝕」を読んで20時就寝。


グルカの夜明け

2011_102701.jpg
2011_102702.jpg

ヒマラヤ

2011_102705.jpg

グルカ王宮

2011_102717.jpg

王宮から下る

2011_102718.jpg

水くみ場

2011_102720.jpg
2011_102721.jpg

ゴルカの町

2011_102710.jpg
2011_102711.jpg
2011_102712.jpg
2011_102713.jpg

ゴルカー>カトマンドのマイクロバス

2011_102714.jpg

ティハールの唄と踊り

2011_102715.jpg

ティハールのイルミネーション

2011_102716.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月26(水) 晴れ 日の出6時10分、日の入17時25分 2時 気温24℃、湿度75% ネパール215目
2011/10/26(Wed)

1時15分目を覚ます。ラジオを聞こうとしたら今日はどのラジオもすっかり繋がらなかった。NHKのネットラジオに繋ごうとしてみたら日本国内限定で海外からは繋がらないようにしているということで聞くことができなかった。なんとか海外でも聞くことが出来るようにしていただきたいものである。Webを見てみるとTPPの交渉に反対するJA(全国農業協同組合中央会)が356人の国会議員の名前も併せて請願を衆参両院議長に提出したと発表したというのが出ていた。
統計局の数字(http://www.stat.go.jp/data/nihon/g1507.htm)と
総務庁「労働力調査」(http://blog.livedoor.jp/rk1134/archives/1535491.html)を見ると,日本で総就業人口のうちの農業就業人口は現在総就業人口の3-5%ぐらい160万戸で300万-600万人という数字で
兼業農家が75%で60歳以上の割合が約65%、59歳までの農業人口は100万人という数字がある。農業就業人口は毎年5万戸ほど減っていて、人口ではこのところ毎年30万人づつ減っている。
TPPは環太平洋戦略的経済連携協定といい貿易自由化を目指す枠組み。関税をほぼ例外なく撤廃する取り決めで、参加の是非が日本国内で議論されている。日本は農業関係者は反対でそれ以外は概ね賛成のようだ。
中国、韓国、ロシアなどは加盟の意思はなく韓国は関係の深いアメリカとのFTAの2国間協定でTPPを見送った。貿易立国の日本であるが農業分野は保護してきたが1995年に関税削減による自由貿易促進目的のWTO発足時の加盟の当時農業分野を中心に大きな議論が起こった。今回の関税撤廃を目的としたTPPでは交渉参加にも入れないでいる。確かに農業の中心の米は海外からも輸入できるし関税がなくなれば海外の米は日本の半額以下で入ってくるだろう。ネパールの米は1KGが50円~80円である。UAEではびっくりするほど安かった。フィジーでも安かった。日本では200円~300円ぐらいだろう。戦後の日本農業における最大の矛盾は,省力化技術の発展により営農の適正規模が飛躍的に増大したにもかかわらず,小規模農家に農地が滞留していることであったとの指摘がある。製造業では市場での生き残り競争の結果成功してきた。農業分野ではJAなどの農業組合が農家を指導してきたが組合の功罪が指摘されている。もっぱら生産さえすれば買い取ってくれる生産者としての兼業農家をお得意さんとした便利屋として機能し、規模拡大して効率化を目指す自立した企業家としての専業農家の育成をしてこなかったようだ。衰退する農業のなかでも、販売額1億円以上の農家が約2000戸もあるという。こうした農家の多くは、JAに頼らず、安いところから資材を購入し自ら販路を開拓し消費者ニーズに応えようとする専業の生産企業家である。日本国内には耕作放棄地も増えているようだ。TPPは国内農業の規模拡大、競争力強化のチャンスであると考えている企業家マインドを持った農業関係者も多いことだろう。JAの2009年の情報を見たら組合の数は過去12年間で2006から754に減ったが、総組合員数は912万人から949万人に増えたと出ていた。
今日からティハールのお休み。今日は6時に朝食をしてゴルカへバスの旅に出かける。バスは市内の長距離専用のバスセンターから7時半出発の座席指定の食事つきのツーリストバスで料金は1182ルピー。距離は50Kmぐらいで5時間でゴルカ到着の予定。5時50分に朝食をいただき6時15分ホテルを出る。マイティガールのバス停から6時20分バスに乗りラトナパークまで約10分。運賃10ルピー。歩いてGreenline Tours Pvt. Ltd.の本社兼バス乗り場兼チェックイン待合室に6時40分着く。途中の車道には観光バスが30台以上並んでいた。6時45分バス受付のチェックイン。カトマンヅからポカラ行きのバスでポカラの手前のナナカマルまでのバスのチケット代は昼食が含まれていて料金は1182ルピー。約2週間前にここで購入している。座席13番と14番。7時半ポカラ行きの2台が定刻に発車した。最初に1リットルの水のペットボトルが配られる。バスは34席満席。カトマンド市内はティハールの連休で車が多くリングロードを抜けるのにひどい渋滞をしていた。インドの援助で作られたハイウェイと聞いた道路で概ね舗装されていて山の腹をぐるぐる回りながら走る。途中には数箇所舗装されていないがたがた道もあって、そこでは徐行して走る。途中9時半レストランと清潔なトイレのあるところで35分休憩。昼食休憩はマナカマナの手前で11時10分に着く。おしゃれで静かなレストランで食事はバイキングスタイル。料理はネパール料理だったがそう辛くなく、しょっぱくなく美味しかったので少しおかわりする。ハイウェイではトンネルは1つも無かった。地図では直線では50Kmも無い距離だが山の腹に作った道路だからその4倍ぐらいの距離はありそうだった。片側は川に落ちる崖でありハイウェイといっても中央分離帯はないし白線も無く片側は1車線づつであった。12時すぎグルカDistrictのマナカマナDistrictに着いてポカラ行きのバスから2人だけが下車する。あとの32人はポカラへ向かった。ロープウェイ乗り場へ行くと1時15分まで昼休みだという。仕方なく川原に下りて1時間ほど休憩する。いろいろな石をみて砥石になるような丸く平らな小さな石を見つけたので記念にリュックサックに入れておく。1時15分ロープウェイの切符売り場に並ぶ。料金は往復外国人は15US$でネパール人は約3分の1の料金。15US$は1169ルピーであった。ロープウェイの乗れたのは13時40分であった。標高250mのロープウェイ乗り場から1300mの終点まで約10分、1000m下の川が小さく見えた。ロープウェイからも段々畑が山の斜面に作られていた。終点からみやげものの店が並ぶ坂道を登り1385mの尾根の頂上にあるヒンズー教のお寺に着く。お参りのネパール人と観光客と沢山のハトがいた。日本人は我々2人だけだった。帰りに店で記念のお寺の写真の入った壁掛けをみやげを買う。35ルピー。登ったときは6名で乗ったロープウェイの箱には帰りには2人だけでだった。ナナカマルのバス停で15時前についてゴルカ行きのバスを待った。1時間に1本あるバスが来たが満員で乗れなかった。後で知った事だが、ここではゴルカ行きを待つのではなくポカラ行きのバスに乗れば良かった。そして途中のカイレニで降りてそこでゴルカ行きのバスに乗りかえれば良かった。ナナカマルからカイレニまでは約15分ぐらいである。そこからポカラ行きとゴルカ行きに分かれるのである。これを知っていればナナカマルに来るバスはどれもポカラに行くのだから簡単にゴルカへ行けたのであった。仕方なく途中のムリングまで行くというトラックの荷台にやっと乗せてもらったのは15時40分であった。これは座る場所がなくトラックの荷台の後ろ端に立って手すりにつかまって乗っけてもらった。約10分でムリングに着く。料金は20ルピー。ムリングでゴルカ行きのバスを探すがやはりどれもポカラ行きなので、途中のカイレニまで行けばゴルカ行きのバスがあると聞いてようやくバスに乗った。ムリングからカイレニまで約10分。料金30ルピー。ここで降りると直ぐにゴルカへ行くというバスが既に止まっていて大勢乗っていた。ここの空いていた後ろ向きに座れる狭い場所に入れてもらう。足が伸ばせず圧迫されてきてしびれてくる。この時16時50分ぐらい。バスは満席で足が圧迫されていたくなるほどの狭いところに後ろ向きに座ること1時間でようやくゴルカの終点に着く。この1時間は長く感じた。後で知ったのだが、カイレニからゴルカまでは24Kmもあることを知った。既に暗くなってきていたので、バスターミナルから歩いて50mほどの最初に目に入ったHOTEL SYATYAMに入るとフロントは空っぽ。大声を出して待つていたら若いホテル従業員が出てくる。部屋を訊ねると空いているという。1泊の料金を聞くと300ルピーだという。部屋を見せてもらうと清潔そうなシーツと枕と毛布がある2つのベッドが置いてある部屋で天井の端に長い蛍光灯が1つあり、部屋の窓の外はベランダで部屋から出られるようになっていた。シャワーとトイレと洗面台は部屋の外にあった。トイレは腰掛るタイプではなく日本の昔のスタイルであったが綺麗であった。シャワーはお湯は出ないという。部屋の窓から外の遠くに山々が見えた。部屋からベランダに出られベランダから下まで10mぐらいはありそうだった。2人で利用しても300ルピーというので2人でシェアすることにする。シャワーは使う考えはないし、知らない土地で別々の部屋より安心だし、何より安い料金は有難かった。荷物を部屋に置いてベッドに横になり足を伸ばすとすぐ停電になる。しばらくして自家発電機の音が聞こえてきて部屋の蛍光灯がついた。ホテルのレストランで夕食をする。夕食はコーラ30ルピーと朝作って持ってきたサンドイッチをいただく。先輩はダルバーとをすっかり平らげていた。夕食後暗くなった街を見てあるく。ティハールでロウソクやイルミネーションで飾っていた。子供達の歌声が聞こえてきた。店店の前で子供達が楽器を鳴らし歌って歩く。店からは子供達にお布施をあげているようだった。
ホテルに戻る。自家発電気の音が聞こえ続いていた。洗面所で歯を磨いたら水が止まっていた。20時就寝。
「HOTEL SYATYAM」のE-mail:anjan_Khatri39yahoo.com
Address:Gorkha Municipality-1 Buspark,Gorkha Tel:064-421326 Mobile:9846075012


カトマンド ラトナパーク早朝

2011_102612.jpg

カトマンド GREENLINEバス

2011_102601.jpg

昼食休憩レストラン

2011_102605.jpg
2011_102611.jpg

ロープウェイ料金表

2011_102607.jpg

ロープウェイ

Trop.jpg
2011_102610.jpg

マナカマナの町

middle_1173754127.jpg

マナカマナ寺院

2011_102608.jpg

ムリングの町

2011_102609.jpg

バス運転席の像のお守り

DSCF7723.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月25日(火) 晴れ 日の出6時9分、日の入17時25分 2時半 気温24℃、湿度75% ネパール214目
2011/10/25(Tue)

0時半目を覚ます。ラジオ深夜便「午前4時台 〔明日へのことば〕「 ニーチェと聖書に学ぶ”現代人の生き方”」
文筆家 白取春彦さんの話しを聞く。大変わかりやすい話で面白かった。
昨日はこの国の小中学校の生徒に学校へいかにしたら行かせるかというテーマの文章を見ていたら学校に通えない理由を11あげていた。
i) 自宅から学校まで通うのが遠い
) 教師が嫌い
) 仲間のグループが嫌い
) 自分の両親が行かせない
v) 自らが学校に行きたくない
vi) 家事労働をしなければならない
) 自分の家族のために収入を生み出す仕事をしなければならない
viii)試験/テストの恐怖
IX) 雨と洪水のために学校へ行けない
x) お金がないため
xi) 教師が学校を休む事が多くて授業が無い事が多い為
6月にチトワンとカトマンドの間をプロペラ機で飛んだが山の頂上は木が無くどこにも細い道がついていた。
山の頂上にも生活道路があることを知った。小さな家も見えたが山の中にも人は住んでいるようだった。
昨日は帰りのコティソールから乗ったバスで以前バスで席を譲ってくれたネパール人の青年が隣の席に座っていた。声をかけられて日本語でおしゃべりをする。ネパール人は怠け者だと思うかと意外なことを聞かれたので、農業をしている人を見ると良く仕事をする人だと思うと答えると、ネパール人はそんなに働く仕事が無いのだと言っていた。4時本を読んで休む。
6時起床。机の引き出しのゴミを出す。6時半朝食。朝食後読売新聞月曜版でカダフィの最後の2ヶ月間の逃避行を読む。9時15分ホテルを出る。今朝のバスの乗客はわずか2人であった。昨日は4時半にバスが出たという。
10時過ぎにオフィスn出る。カウンターパートはいつものようにパソコンに向かっていた。洗面所で手を洗いうがいをする。午前中Excel VBAでグラフを作り方を見る。13時25分昼食。16時でお仕舞いにする。オフィスのバスは今日も早くでたようでローカルバスで帰る。17時20分帰宅。しばらくして入浴。このところパソコンの動きが鈍くなったように感じていたので、久しぶりにパソコンのウィルスチェックをする。ユーザーデータ用のDドライブで2つ見つかった。ついでに不要なデータを消去して少し身軽にする。これで良くなるかもしれない。19時半。 ゴルカのお土産はなにがあるのか調べてみるとヒマラヤ水晶、翡翠などがあった。20時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月24日(月) 晴れ 日の出6時8分、日の入17時26分 4時 気温24℃、湿度75% ネパール214目
2011/10/24(Mon)

2時半起床。レモンを搾ってレモンティーを作る。3時15分ラジオ体操。日記をつける。今週の26日水曜日からネパールではティハールのお祭りの休暇になる。ティハールとはヒンドゥ教のお祭りで光の祭りといわれ、お店には鮮やかな花飾りが施され夜には、色とりどりのイルミネーションやキャンドルの炎が街中を包むという。
26日からはゴルカ兵で有名なゴルカを訊ねる。ゴルカは前のシャハ王朝の発祥の地であり現首相バッタライの出身地でもある。4時半休んで6時起床。朝食後新聞を読む。シリアなどの独裁国家の記事を読む。9時15分ホテルを出る。10時過ぎ事務所。洗面所で手洗いをしてうがいをする。オフィスは停電であった。1時間のパソコンの充電時間で急いで今日の仕事にかかる。10時18分 しばらくして10時半ごろ電気が来た。午前中でグラフを整理してUSBにコピーしてサンカルジーに渡す。12時10分頃停電になる。12時20分休憩にする。事務所の建物の外に出る。陽射しが強くて暑いぐらいであった。空港が見えるところまで歩いて飛行機の離陸が見えるところに座って昼食をいただく。大韓航空の薄水色の大きな機体が見えた。日本の航空会社はカトマンドー日本の直行便を取りやめたが、韓国はカトマンドーインチョン便を就航している。食事を終えてオフィスへ帰るとき青年から英語で声をかけられる。高校でコンピューターを教えている教師だという。言われて近くにあった高校に気がついた。この国ではHigher Secondary Schoolの教師になるには大学を出ていないとなれない。小学校の教師はSLCという高校卒業認定試験に合格しないとなれない。13時オフィスに戻った時丁度電気が来た。16時半でお仕舞いにする。今日はバスが早く出たようで乗れなかった。別のバスでコティソールまで行く。そこからローカルバスに乗りかえてババマハルまで。ホテルに17時半過ぎ帰宅。ホテルの隣の家にイルミネーションがともされていた。ティハールの祭りを祝う明かりである。すぐ空いていたお風呂に入る。18時から夕食。18時45分NHKラジオを聞きながら日記をつける。タイの洪水の日本の製造業への影響を聞く。源氏鶏太著「もう手遅れ会」を読んで就寝。


Trop.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月23日(日) 晴れ 日の出6時8分、日の入17時28分 11時半 気温24℃、湿度70% ネパール213目
2011/10/24(Mon)

3時目を覚ます。3時15分ラジオ体操をする。ネットでがカダフィ死亡の原因について自分が射殺したという兵士の記事が載る。フセインもオサマビンラディンも最後は見つかって殺されている。世界中で知られた顔だけに逃げ切るのは難しかったのであろう。日本では氏名手配されたオーム関係者が未だに見つからない。いったい何処にいるのだろうか。5時ベッドで休んで松本清張著「点と線」を読む。昔読んでいるが再度読み返す。福岡にいた時には香椎に行ってこれが「点と線」の舞台かと見たがだいぶ埋め立てが進んで地形が変っていた。6時10分起床。今日も空一面霞がかかっていて周りの山々もかすんで見える。昼間は青空になりそうである。6時半朝食。今日のおかずはキンピラゴボウ。今朝は15回もネパールに来ていて今回はお孫さんと2人できたというお年寄りの話を聞く。このホテルがあるので何度も来られているようだ。トレッキングをしてきたあとのこのホテルのお風呂がいいと聞いた。朝食後「点と線」を読む。次第に青空になってきた。周辺の山々はすっかりもやの中に隠れた。8時 リュックサックを繕う。10時半掃除の電話。ロビーで「点と線」を読了。10時45分からリュックサックの繕い。そのあとリュックサックを手洗いする。日本から持ってきた洗剤アタックが役立つ。お天気の屋上に乾す。昼食後次いで運動靴を手洗いする。これも屋上に乾す。午後3時近くの店に買い物に出かける。北の山のかなたにヒマラヤが見えた。帰ってから乾いた靴とリュックサックの繕いをして荷物を入れておく。4時40分お風呂が出来たと電話をもらう。気持のいい1番風呂であった。5時風呂上り日記をつける。
カダフィ死亡の写真が沢山ネットに出てくる。ルーマニアの独裁者であったチャウシェスク処刑の時を思い出される。今年は年初チュニジアで23年続いた独裁政権が倒れ、半年の内戦を経て隣国リビアで42年続いた独裁政権が倒れた。世界の独裁者達はそうならないよう体制維持に腐心していることは間違いない。次に倒れる独裁者は果たして誰になることだろう。源氏鶏太著「英語屋さん」(昭和26年直木賞受賞作品)を読んで21時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月22日(土) 晴れ 日の出6時7分、日の入17時29分 4時 気温26℃、湿度76% ネパール212目
2011/10/22(Sat)

ラジオ深夜便午前4時台 〔明日へのことば〕自然エネルギーの町・梼原(ゆすはら)前・高知県梼原町長 中越武義さんの話しを聞きながら日記をつける。南太平洋ケルマディック諸島(ケルマディックしょとう、Kermadec Islands)で起こったマグニチュード7.4の地震のニュースの割り込みが入る。ケルマディック諸島は、南太平洋のニュージーランド領の火山諸島で、ニュージーランド北島の北北東約1000Kmに位置している。バヌアツにも近い。昨日福岡の方から中米へシニアボランティアとして行く事になったというメールをいただいた。昨日それを見てすぐおめでとうと返事をしたが、きっと期待に胸を膨らましておられることだろう。貴重な2年間を送られることだろう。外国で生活をすると日本をふりかえるいい機会ともなる。昨日のニュースでオーストラリアのソーラーカーレースで東海大学チームが約3000Kmを平均時速101Kmで走りぬき2大会連続優勝とあった。出場のほとんどがアメリカのサンパワー製の太陽電池を使う中唯一の日本のパナソニック製であったという。日本の面目躍如といったところであろう。ベッドで休む。6時起床。6時半朝食。おかずはニラの卵とじ。シニアの仲間が今日から日本帰国をされる。帰ってからは忙しそうだ。図書室で本を借りてくる。8時半、冷蔵庫をOFFにしてから市場へ買い物に出かける。9時10分カリマティのバザールに着く。これまでで1番早く着いたがいつもより買い物客が多いようだった。今朝はレモン・玉葱・トマトを買って10時オープンのブルーバード スーパーで砂糖、マーガリン、紅茶ティーバッグ100袋を買って10時半ホテルに帰る。買ってきたトマト、レモン、玉葱を洗う。冷凍庫についた氷を取って中を清掃する。冷蔵庫の中身を整理してから日記をつける。11時半
少し早い昼食をいただき、12時10分ホテルを出る。賑やかなタメルを覗いて日本大使館に1時半。2時までに診察を終える。感冒のPLと咳止め、かゆみ止め、喉の痛みの時のイソジンをいただく。咳が止まらないようだったら一度レントゲンで確かめるのがいいと言われる。時々かゆみが起こることを訴えたのだが何も症状が見られないからとかゆみ止めの薬を飲んでみるように言われただけで痒いときの塗り薬はもらえなかった。診断の結果は心配する問題はなさそうだった。2時大使館を後にして人出で賑わうタメルを覗いて3時半ホテルに戻る。日記をつけて松本清張著「奥羽の二人」をベッドに横になって読む。うとうとしかけた時電話が鳴って16時半お風呂に入る。風呂からあがってから-新潟県糸魚川市からの- ラジオ真打ち競演を聞きながら日記をつける。20時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月21日(金) 晴れ 日の出6時7分、日の入17時29分 4時 気温26℃、湿度76% ネパール211目
2011/10/21(Fri)

3時目を覚ます。沸かして冷やした水を冷蔵庫に入れる。NHKラジオを聞きながら日記をつける。3時15分ラジオ体操をする。写真をアップロードする。7時のニュースでリビアのカダフィと4男が出身地の中部シルトで死亡と発表される。5時休む。6時前松本清張著「奥羽の二人」の中の「背伸び」を読む。6時起床。ネットではカダフィの最後のニュースがいろいろ出ていた。リビアは多くの部族からなるということで今後の国づくりの困難さが指摘されている。それでも原油のおかげでアフリカでは最も裕福な国といわれる。国民一人当たりGDPはネパールの10倍以上。人口はネパールの4分の1以下の640万人。教育は大学まで無料。医療も住居も無料。失業率は30パーセントといわれる問題も抱えている。力のあった独裁者でも出来なかった問題がいろいろのこっているのだから簡単ではないのだろうが平和国家を建設してほしいものである。200万人にも満たないUAEでも世界中から労働者を集めて今や800万人以上の国になって未来国家建設に驀進中である。リビアも世界の人が行ってみたい国になる可能性はある。6時半朝食。今朝は珍しく韓国人のシスターと女性グループがいた。朝は今日もうす雲が空一面被っていた。10時過ぎに事務所に出る。DOEのウェブサイトの昨日ハッカーにいたずらされて書かれていたものはすっかり消されていた。午前中、昨日の続きのWebサイト説明書を作ってサンカルジーにUSBでPowerPointの説明書を渡す。14時半お仕舞いにする。15時バスで帰る。ホテルでラジオを聞きながら一休み。16時半早めの夕食をいただく。17時お風呂に入る。18時半 早めにベッドで「三位入道」を読み始め就寝。
23時45分目を覚ます。ラジオ深夜便を聞きながらメールを返信する。


ネパールDOE Department of Education

everesuto.jpg

優勝したソーラーカー

144622_top.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月20日(木) 晴れ 日の出6時6分、日の入17時30分 4時 気温26℃、湿度76% ネパール210目
2011/10/20(Thu)

1時15分目を覚ます。ラジオ深夜便を聞きながらレモンを搾ってレモンティを作る。3時15分ラジオ体操をする。
オーストラリアのソーラーカーレースを聞く。パナソニック製の車は初日にはサンパワーの車の後塵を拝したという。2900Kmレースという。結果を注目してみよう。ラジオ体操をしてベッドに休む。6時起床。朝食のおかずはヒジキ。ギリシャの国債暴落でドイツの負担が多いという新聞記事を見る。タイの浸水問題を見る。多くの工場で被害が出ているようだ。福島から札幌に移住の記事をみる。朝食後庭に出て新聞を見る。今朝は青空が出ていた。外は寒くてロビーに入って新聞を読む。今朝も9時半にバスが来る。オフィスにつく頃にはすっかり陽射しがつよくなる。10時5分オフィスにはサンカルジーがパソコンに向かっていた。洗面所で石鹸で手洗いしてうがいをする。今日は昨日同様DOEのWebサイトを見て説明の資料作成に着手する。果たしてどれだけの教育関係者がこのサイトを理解しているのかわからないが、なかなかの内容がオープンにされていると思う。10時15分。クレジットカードの利用明細でカトマンドーサルジャのチケット代が落とされていた。1420UAE$で1UAE$が21.277円換算で30,212円であった。多分カトマンドーバンコクのチケット代より安い。DOEのWebサイトを見ているうちに11時15分停電になった。Webにはもう繋がらない。仕方が無いから一旦作業を中断して日記をつける。昨日カトマンドの私立学校で日本のNPOが援助をしているサイを見た。そこには学校創設以来の生徒のSLCの試験結果が詳しく出されていた。Webに出ていたのは、優秀成績の成績合格者と第一ランクの合格者で顔写真付きで出ていた。優秀区分は全体の約5%の人数で約80%の成績が求められる。第一ランクの合格者は約70%の成績が求められる。カトマンドには沢山の学校があり時々生徒の顔写真が並んで学校の宣伝広告になっている。SLCの試験結果優秀で合格した生徒の名前と顔写真を出しているようだ。合格者の数がその私立学校が生徒を集める有力な宣伝材料となっている。11時40分早い昼食をいただいて近くの畑に農民の仕事を見に出かける。既に刈り取った稲を担いでいる農民を朝に何人か見かけた。畑を手押しの耕運機で耕す青年の作業の写真を撮る。野菜売りのおじさんが通りかかったので少しトマトを分けてもらう。12時40分戻ったが電気は来ていなかった。バッテリーが50%を切ってしまった。知らない人がいて長電話をしていた。この国では別の部屋の人が来ては電話をするのをよく見る。日本ではよその人が電話をしに来るというのはあまり無い。13時40分電気がやっと来る。午後4時半までDOEのウェブサイトを見て説明資料をPowerPointで作る。その過程でサイトの一部がハッカーに書き換えられているのを見つける。サンカルジーにサイトの不都合なところを見てもらう。16時半さよならをしてバスへ。バスは一番乗りであった。そこでリュックサックの小物入れのファスナーが開いているのを見つける。最近ファスナーが開いてしまうことがあったがいよいよ壊れたようなので取り替えることにする。このファスナーはバヌアツで買って取り替えたものであった。バヌアツでの買い物は大抵中国人の店で何でも揃ったので苦労はしなかったが、この国では何処に売っているのかわからない。バスは16時38分に発車した。バスを降りてホテルへ帰る道でネパール人の若い女の子から日本語で声をかけられる。名古屋で夫婦で働いていて11月8日に日本へ仕事で帰るのだといっていた。あまり上品な日本語ではなかったが元気な労働者の日本語であった。ホテルに帰ってマネージャーにファスナーを売っていそうな店の場所を聞く。部屋に戻ってNHK杯囲碁の先週の結果を見ると謝依旻女流本因坊が男性9段に勝っていた。この人の碁は2007年4月1日NHK杯テレビ囲碁トーナメントで初めて見てその積極的に攻めて勝った碁が大変印象に残っている。以後注目している人だが現在の女流では若くして第一人者の地位を占めている。夕食後18時半お風呂に入ってから18時45分から日記をつける。リュックサックのファスナーの交換用にパソコンを入れるソフトケースのファスナーの長さが丁度いいことに気がつく。明日街までファスナーを探しに行こうと思ったが今日ソフトケースのファスナーを取ってリュックサックのファスナーに取り付けることにする。囲碁を並べる楽しみは明日に取っておくことにする。19時半 飲料水用の水を1リットル沸かす。21時40分までかかってソフトケースのファスナーをリュックサックのファスナーと取り替えて付け、リュックサックのファスナーをソフトケースに取り付ける。22時就寝。


パナソニック製ソーラーカー

ソーラーカー

稲の収穫と畑を耕す

2011_10206.jpg
2011_10201.jpg
2011_10203.jpg
2011_10205.jpg
2011_10204.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月19日(水) 晴れ 日の出6時5分、日の入17時31分 6時 気温25℃、湿度76% ネパール209目
2011/10/19(Wed)

1時45分目を覚ます。「黒い樹海」を読む。若いときよく清張作品を読んだものだがこれは記憶が無い。1960年の作品にもかかわらず面白くすぐに引き込まれる。3時半休んで6時前起床。今日も朝から空一面のうす曇りで周りの山々が隠れている。これから雨季までの朝はこういう感じだという。昼間には次第に雲が切れて青空が出て陽射しが出てくる。昨夜年末のホテルをと博多城山ホテルを探してみたら既になくなっていた。
9時15分ホテルを出る。9時半バスが来る。青年隊員のダサイン休暇の10日間の瞑想修行体験を聞く。150名ぐらいの外国の参加者が多かったようだ。足が疲れたがいい経験になったという。セオンジュさんにエベレストトレッキングの話しを聞く。ルクラ空港から5700mの高地までトレッキングをしたという。韓国の最高峰は何メートルと聞くと2000mぐらいという。Webで後で見たら漢拏山(ハルラさん、かんなさん、韓国語:한라산、Halla-san)は韓国の済州島にある山。標高1,950mであり、韓国の最高峰とあった。オフィスに出て洗面所で手を洗ってうがいをする。10月号のカレンダーで日本の米がでていたのでサンカルジーから日本の米についていろいろ聞かれるのでおしゃべりをする。今日はDepartment of Educationのホームページをみる。SLCの合格者が4つのランク別に受験生の番号が載せられていた。集計サマリーはつけていない。ホームページの学校の情報は入力された全ての学校情報を見ることが出来た。16時半オフィスを後にする。バスは早く出る。最近は16時40分である。日が短くなってきたからかもしれない。今日も山に入る夕日を眺めながらバスで帰る。夕食後入浴。お湯を沸かして紅茶をつくる。「黒い樹海」を読了。50年前の社会が描かれていて昔を振り返る機会になった。現在とあまり変らない場面もあった。当時の読者にとってはとても新鮮であったに違いない。映画にもなったし何度もTVで放送されている。20時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月18日(火) 晴れ 日の出6時5分、日の入17時32分 3時 気温26℃、湿度75% ネパール208目
2011/10/18(Tue)

1時目を覚ます。NHKラジオ深夜便午前4時台 〔明日へのことば〕「悲しみを乗り越えて(1)」作家 津村節子さんの話しを聞く。吉村昭さんの闘病記を超えて内省的告白の書と紹介されている「紅梅」の著者であり芥川賞作家でもある。吉村昭さんには「戦艦武蔵」「高熱隧道」「三陸海岸大津波」「破獄」「 ニコライ遭難」「長英逃亡」「北天の星」「漂流」などで楽しませてもらった。まだ読んでいない作品もたくさんある。これからも楽しみに読ませてもらえるのが有難い。吉村さんは当時の文壇では珍しい速筆の作家としても知られていて、担当編集者が締め切り日に彼の自宅に赴くと、必ず金庫の中には完成した原稿が用意されていたという。吉村さんの作品同様、さもありなんとうなずける。津村さんの今日の話を聞いてなるほどと思った。以前聞いた新田次郎さんとよく似ている。日本の気象情報を聞いていると冷え込むという言葉が聞こえてきた。日本ではいよいよ冬の足跡が聞こえてきたようだ。ネパールではまだまだ冬は感じられない。3時15分からラジオ体操をする。休んで6時起床。6時半朝食。空港に勤める先輩が今日からが土曜日まで4つの地方空港に出張だという。舗装されていない空港もあるという。飛行場の写真をお願いする。朝食後松本清張著「黒い樹海」を読む。9時15分ホテルを出て10時過ぎ事務所。14時50分まででようやく厄介なグラフもなんとか形作りが出来る。そのあとマクロでTableとGraphをつくりサンカルジーに見せて、マクロの作り方も見てもらう。グラフも大体の形が出来ていたらお化粧するのは簡単に出来る。いろいろなグラフを作ってマクロで自動化するのは勉強になった。細かい設定はマニュアルでないと出来ないようだ。Excel2003とExcel2007で色の種類が拡張している。Excel2003 では56種類の色、Excel2007では1600万種類の色に拡張。16時35分さよならをしてバスへ。今日も山に入る太陽を見ながらバスで帰る。帰り道でパンを買って帰る。夕食をいただき日記をつける。18時半。夕食後お風呂に入る。風呂上り、「黒い樹海」を読んで20時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月17日(月) 晴れ 日の出6時4分、日の入17時33分 3時 気温26℃、湿度75% ネパール207目
2011/10/18(Tue)

2時起床。NHKラジオを聞きながら日記をつける。日本のは山では雪という。レモンを搾ってレモンティーを作る。3時15分ラジオ体操をする。身体が硬くなった。4時振込みを2つしておく。一休みして6時起床。6時半朝食。新聞でブータンが経済成長が加熱という記事を見る。朝のTVで中国の軍事力増強と日中間の軍事関係者の話し合いを見る。9時15分ホテルを出る。9時半バスが来る。久しぶりでバスで会った青年隊員にUAEの旅行のお話をする。行って見たいが青年隊員の旅行先はこの国の周辺国に限られるということでUAEには行けないということである。世界1の金持ちの未来社会を見聞するのに若い人ほど見てきてほしい国であるのに誠に残念なことである。10時過ぎ事務所に出ると既にサンカルジーは出てきてパソコンに向かっていた。洗面所で石鹸で手洗いをしてうがいをして机の上を雑巾がけをしてパソコンに向かう。朝早く大連にメールで依頼した返事が返っていた。FlashⅠで多分間違えているグラフFigure3.21をメモしておきサンカルジーに話しておく。Excel2003で作った収支一覧表が2007にしてから更新したあと保管するのに随分時間がかかるようになっていた問題に取り組む。Webで同様の問題を見てみる。どうやら2003でも扱える互換モードにして使っていることが原因らしい。そこで2007の形式で保管してみるとサイズが半分以下になって保管時間もさほどかからなくなった。日記も互換モードのWordで使っていた。早速2007形式モードにして使ってみる。今日はこれまで出来なかった2つのグラフを考え1つは出来て1つは出来そうな感じで終わった。16時35分さよならをしてバスに。16時52分出発。17時5分に太陽が西の山にしずんだ。ホテルへの帰り道隣の可愛い女の子がハウアーユーと声をかけてくれる。17時35分ホテルに帰る。ネパールのカレンダーは今日で月が変る。明日はネパール暦の7月1日。カルティツク月となる。来週10月26日からティハールの休みになる。NHKラジオを聞きながら日記をつける。もう外は暗くなってきた。稚内では午後9時20分から30分まで雪が観測され初雪となったという。夕食をいただいて歯を磨いているところで18時半お風呂が空いたと電話をもらう。入浴してベッドで池波正太郎著「戦国幻想曲」を読んで20時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月16日(日) 晴れ 日の出6時4分、日の入17時34分 3時 気温26℃、湿度78% ネパール206目
2011/10/16(Sun)

2時半起床。3時15分からラジオ体操をする。昨日来た白人客が朝3時ごろからから庭のベンチで声がしてくる。4時ごろに車が出て行った。マウンティンフライトにしては少し早い。4時半にマイクロバスで入ってきた。今朝は6時半から7時半まで17つのマウンティンフライト便がある。6時半出発だけで8便ある。多分それに出かけるのだろう。荷物を屋根に積み込み始める。4時50分まだ真っ暗な中を出かけて行った。休んで6時起床。6時半朝食。今朝出かけた人達は昨日エベレストの玄関空港であるルクラへ行く予定のツアー客で飛行機が飛ばなかった為急遽カトマンドに泊まることになった人達であった。アメリカ、イタリア、ドイツ、ドバイなどから来た21名という。今朝早く、車で行くことが出来るエベレストトレッキングの玄関口であるジルまで向かったという。ジルからエベレスト近くまでヘリコプターで行くという。朝食後庭でエベレスト トレッキングを地球の歩き方で見る。カトマンドからジルまでは50Kmぐらいである。そこから空港のあるルクラまで3-4日歩くとかかる。ルクラからエベレスト近くのトレッキングは12-14日かかる。今朝も薄い雲の空一面覆われていた。朝食後白石一郎著「火炎城」を読み始める。この作家は39歳で最初の直木賞候補に挙げられる作品を出している。この「火炎城」はそれから4年後の作品これもで直木賞候補作品に挙げられて推薦する選考委員があったが受賞にいたらなかった。さらにそれから13年後の55歳8ヶ月で8度目の候補作品として挙げられた『海狼伝』で直木賞を受賞している。8度の候補に挙げたれた末の受賞というのは珍しいようである。なおこの人の息子さんも直木賞を受賞している。11時部屋の掃除にしばらくぶりでナミさんが笑顔を見せてくれる。風邪も良くなったようだ。ロビーでネパールティをいただく。昼食後も部屋で本を読んで過ごす。先輩が26日ゴルカ行きのバスのチケットを届けてくれる。16時半入浴。夕食後、お湯を沸かし紅茶を作る。北島三郎を聞きながら日記をつける。19時半 「火炎城」を読了。九州のキリシタン大名となった大友宗麟が主人公。『海狼伝』も是非読んで見たい。20時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月15日(土) 晴れ 日の出6時2分、日の入17時36分 3時 気温26℃、湿度78% ネパール205目
2011/10/16(Sun)

レモンを4個搾ってレモンティを作る。2時就寝。6時過ぎ起床。昨日同様朝には周辺の山々が雲に隠れ空も雲で覆われていた。6時半朝食。今朝はシニア3人だけの朝食であった。同僚が事務所の郵便物を渡してくれる。読売新聞にブータン国王の結婚式がでていた。先輩から語学のネパール先生が今のネパール政治について、王政の時のほうが良かったと言っていたと聞いた。朝食後読売新聞でギリシャの金融問題を読む。ギリシャ発行の国債の価値が61%切り下げられた価値になっているという。これを保有する銀行がそのように評価すると資本が無くなってしまい、資本の増強が急務だという。こういう理由では銀行を倒産させるわけにはいかないらしい。朝食後部屋で城山三郎著「乗取り」を読む。10時サリトリさんから部屋の掃除の声をかけられる。いいお天気なので市場へ買い物に出かける。1時間ほどゆっくり歩いてきたが汗をかいてレモンとヨーグルトを買ってくる。昼食後も「乗取り」を16時までに読了。主人公青井文麿は横井英樹がモデルで当時42歳。電鉄会社の工藤恭太は五島 慶太がモデルでこの時73歳。1955年(昭和30年)に横井英樹の白木屋乗っ取りに手を貸し、これに東横百貨店を吸収、「強盗慶太」の健在ぶりを知らしめる。五島の懐刀として出てくる帝都映画の緒方満社長というのは、倒産寸前にまで陥っていた東映に対して東急専務で「経理の専門家」として五島が多大な信頼を寄せていた大川博社長がモデルで当時69歳。歴史に名をなした人物を振りかえり面白かった。若いときに城山さんの作品をよく楽しませてもらった。「乗取り」は著者28歳の時の作品。この4年後1959年(昭和34年)『総会屋錦城』で第40回直木賞を受賞している。これまで読んできたお気に入り作家の多くが直木賞を受賞している。芥川賞作家の作品は読まないが直木賞作家の本は大抵楽しませてくれる。16時前マイクロバスが到着して20名以上の白人がチェックインしてきて庭のテーブルが賑やかになった。ネパール人も話し好きだがやはり白人達はさらに話し好きで笑い声も聞こえてきて賑やかだ。このホテルに外国人が泊まるのはこの半年でこれが2回目である。前回は道路工事のパキスタン人が日本の建設会社の人と泊まっていた。16時日記をつける。16時半入浴。風邪がなかなか完治しない。最近は皮膚がかゆくなる。来週22日には日本大使館で皮膚科の診察を申し今いる。19時半まで直木賞のWebサイトを見る。過去の1回目から144回までの受賞作品からそれぞれの選考委員の選評を見る。とくにお気に入りの作家についてよく見てみる。最初に候補に挙がったときから注目され絶賛されて受賞した作品もあれば受賞品はたいした評価はされなかったがそれまでの仕事を評価されて選ばれたというものもあった。期待通りの作品を出し続け全集を出すまでになった作家もあればその後作品をだせないままに終わった人もいた。候補作品にもあがったこともないがベストセラー作家になった人もある。山本周五郎さんのような人もいたが作家の多くが最も欲しがる賞のようだ。20時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月14日(金) 晴れ 日の出6時2分、日の入17時36分 3時 気温26℃、湿度78% ネパール204目
2011/10/14(Fri)

2時過ぎ目を覚ます。NHKラジオを聞きながら梨をむいていただく。食欲の秋、読書の秋で韓国の読書事情を聞く。韓国では文庫本は無くてハードカバーのものばかりだという。最近のスマートフォンやタブレットパソコンでまんがや本を読まれるようになって読書量が1人年間平均11冊から15冊に増えたという。今朝も3時前にお隣の家にトラックが入ってきて何やら作業をする音が聞こえてきた。しばしば夜中にトラックが入ってくる。暗い中で何やら良からぬことをしているようでもある。3時15分ラジオ体操をする。ネパールのカトマンドから東へ90Kmの山道でバスが300mの谷に落ちて42名が亡くなったというニュースが入ってきた。定員40名のところ60数名が乗っていたという。ネパールではバスの定員は気にしていない。屋根の上まで人や荷物を載せる。車掌の子供や若者は満員でもさらに詰め込もうとする。客も乗り込む。通勤の小田急の満員電車並みのバスが珍しくない。満員でもさらに乗ってくるので、乗っていても降りたくなることがある。カトマンヅ市内はさほどの坂道がなく、ゆっくり走るから危険は感じないが、道の悪い、細い山道では危ない。ようやく3時43分隣の家からトラックが出て行って静けさが戻った。バスと並んで三輪トラックのテンプーというのがある。これは荷台が2列に向かい合って普通最大5人づつ10人と運転席の助手席に1人を乗せている。狭くて天井が低いから立って乗るわけにいかないから全員が座れるのがいい。運転手は席に空きが無ければ客を乗せない。自分の降りたいところで車体を叩けば止って下ろしてくれる。主に市内だけで長い距離を走っているわけではないので料金は大抵10ルピーと安い。6時半朝食。昨日自転車で転んですりむいた先輩の話しを聞く。車道を走っていて穴に入って転んだそうだ。車道にも穴を時々がある。バイクや車でもここに入れると大変というのがある。皆んらよく知っていてよけて走っている。日本であれば道路管理者の責任が問われるようなのがあちこちにある。油断できない。ネパールの新聞に昨日のバス転落事故が写真つきで載っていた。41名死亡、15名負傷と出ていた。バスには70-80名の人が乗っていたらしいと新聞には書かれていた。行方不明者もかなりいる様だがそれはわからい。朝のTVニュースでも多くの亡くなった人が広場に並べられているのを写していた。日本のTVではけして映すことのない映像であった。それだけで事故の生々しさが伝わってきた。屋根の上に乗っていた人で飛び降りて助かったという人もいた。ダサインの大型連休をふるさとで過ごした人たちがカトマンドへ戻るバスで起きた事故でガードレールの無い、舗装していない僅か下り坂の右に曲がる道路を曲がりきれなくて落ちたらしい。新聞のバスの写真ではさかさまで車輪が見えているだけで車体はぺちゃんこなになったのかなにも見えない。
300m落下したというのだから途中に引っかかっている人も大勢いそうだった。
今日は10月に入って初めて空一面の曇り空で今にも降りそうなお天気である。久しぶりにレインコートと傘を持っていく。
お昼メールを見たら以下のものが入っていた。
大使館からのお知らせ(11-65) 10月14日
ムスリム・グループによるチャッカジャムの実施について
9月26日トリチャンドラ大学近くでムスリム指導者が射殺されるという
事件が発生しましたが,その事件につきムスリム・グループが
本日午後1時30分から午後3時までの間,ネパール全土で交通封鎖(チャッカジャム)
を行うと宣言しました。
 今回のチャッカジャムは,ムスリム・グループが実施することからモスク周辺
(カトマンズは特にラトナパーク周辺)での活動が活発になるものと思われます。
また,犯人達は未検挙であり,新たなテロが発生する可能性もあるため,外出は
なるべく避けることをおすすめします。やむを得ず外出する際は,
治安情勢を確認してお出かけください。
サンカルジーに聞いたらムスリム指導者の射殺事件をご存知だった。
14時30分帰り支度。シーユー ネクスト マンディ。ハブア ナイス ウィークエンド。と言って部屋を出る。バスは14時40分に出た。危うく乗り遅れるところだった。帰り道でパンを買ってホテルに15時20分帰る。荷物を置いて軽くなったリュックとパスポートをもって15時40分ホテルを出る。ゆっくり歩いて途中シニアに道で出会い立ち話をする。16時15分事務所に着く。パスポートを預かってもらいおしゃべりをして帰る。BHAT BHATENI SUPER MAEKETに寄って、蜂蜜、アプリコットジャム、マヨネーズ、スモークドハムを買う。ホテルへの帰り道シニアに道で出会い少し立ち話をする。ホテルに17時40分帰宅して直ぐお風呂に入る。風呂上りエアコンをつけて、NHKラジオを聞きながら日記をつける。それから「極秘指令」を23時15分までで読了。太平洋戦争後はトラック・バスなど、大型ディーゼル車両の生産で日本を代表するメーカーとなる一方、1953年以降はイギリス車、ヒルマンのノックダウンで乗用車生産にも進出し、総合自動車メーカーを目指していた。かつてはトヨタ自動車、日産自動車とともに日本自動車業界の御三家とも言われていたいすず自動車がモデルの物語である。日野自動車はここから生まれている。現在はこの小説では従業員32,000人というのが出ていたが、現在はグループ全体で23,712人とあった。現在はフランスの自動車製造大手ルノーとアライアンスを結んでいるが、事実上同社の傘下に入っている。トヨタの32万、日産の16万と随分水をあけられた。NHKラジオ深夜便で午前3時台 〔にっぽんの歌こころの歌〕”真夜中の夢の競演”細川たかし&山本リンダを聞きながらブログを更新する。山本リンダさんも還暦になったと聞く。


ネパールのバス風景

a5f9f16f7b6cca51fa4c-LL.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月13日(木) 晴れ 日の出6時2分、日の入17時37分 3時 気温26℃、湿度75% ネパール203目
2011/10/13(Thu)

2時半目を覚ます。昨日は職場で頭痛がし夜には鼻が出るようになった。なかなか風邪が完治しない。3時15分からラジオ体操をする。身体が少し硬くなった気がする。Netを見るとたばこの増税が自公民の反対で見直しは不可避と出ていた。増税でたばこ販売が落ち込めば、葉タバコ農家が打撃を受けるからと出ていた。日本たばこ産業JTが今年契約している農家の数は1万801軒で耕作面積は1万4083ヘクタールという。JTは葉タバコ農家に対し廃業の希望を募ると8月に発表している。廃業を希望する農家に対しては、面積1アール当たり2万8000円の協力金を支払うという。日本の耕作面積全部をやめても協力金総額はわずか3億9432万4千円である。これはJTの売上総額は6兆1945億円の0.006%である。葉タバコ農家は高齢者が多くて後継者が少ない。長い間ご苦労様との退職金がわりにJTは日本の葉タバコ農家の廃業協力に今の10倍の金を出したらどうだろう。それであれば企業のリストラでたまにある予想を上回る希望退職が出るのと同じ結果が出て日本から葉タバコ農家は無くなるかもしれない。今の葉タバコ農家の一人当たり売上は505万円、諸費用を引いた所得は263万円、1アール当たり売り上げ3.9万円で諸費用を引くと所得は2万円という。JTはもっと葉タバコに変るなにか良い転作作物を研究して農家に指導すべきだと思う。JTは3種類の国産原料と10種類の輸入原料のブレンドでたばこを作っているという。もう国産原料が無くてもたばこは出来るようだ。ネパールの山奥にあるかもしれない薬草などを探し出して栽培できたら面白いだろう。昨日のステビアを知って思った。5時20分 「極秘指令」を読んで休み6時15分起床。6時半朝食。ネパールに20年前の学生時代からから数回目になるという生年とおしゃべりをする。ポカラのトレッキングに行くという。ポカラは暖かくていいところだそうだ。今日はブータン国王の結婚式でブータンでは3日間の休日だという。ブータンの国王31歳は現在5代目。2月21日が誕生日でこの日から3日間は国の祝日だという。初代は1907年からで100年続いている世界で唯一のチベット仏教を国教としている。4代目の父親は現在55歳健在で国民総幸福という国家ビジョンを作ったことで有名で2008年11月に次男に王位を譲っている。ブータンの王妃になるのは21歳の学生で美人である。しかしブータンで美人に出会うのは大変難しいらしい。ネパールには美人を多く見かける。ネパールは多民族だけに混血も多い。異民族との混血のある国ほど美人が多い。日本でも大陸との交易の歴史のある所に美人が多い。9時15分ホテルをでる。9時半久しぶりでオフィスのバスに乗る。10時過ぎにオフィスに着いたが今日もサンカルジーは少し遅れて顔を見せた。午前中に2号報告書添付の実施計画書のA4版を作る。35号報告書と作ったA4版の物をメールしておく。ラルフさんからメールが来ていた。国連主催の会議のようである。16時半まででグラフの自動作成の完成度を高める。16時55分事務所のバスで帰る。バスを降りてホテルへ帰る道を歩いていると後ろから声をかけられた。23時1次隊のシニアであった。途中までおしゃべりをして帰る。ホテルに戻ると先輩が足をすりむいたようで薬を塗っていた。自転車に乗っていて転んだという。歩いていても道に段差があるので油断ができない。自転車では歩道を走るのはまず無理である。車道の方が平らな道を走れるがバイクと車で混んでいるのでこれまた難しそうだがネパール人は大抵車道を走っている。ネパールではまだ自転車を使ったことはないが、走りにくそうだし、買い物に乗って行っても置いておいたらすぐ誰かに乗って行かれそうで、どうやらカトマンドでは乗る機会は無さそうである。風呂に入って、夕食をいただき「極秘指令」を読んで22時就寝。


たばこの葉

tabacco.jpg
先日来られていた宮崎の方が朝散歩していたら、道端にたばこの葉が
生えていたと取って来てみせてくれた。カトマンドにはたばこが野生である。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月12日(水) 晴れ 日の出6時1分、日の入17時38分 3時 気温26℃、湿度75% ネパール202目
2011/10/12(Wed)

1時15分目を覚ます。ラジオ深夜便インタビュースペシャル「私の”喜劇役者”人生を語ろう 伊東四朗(喜劇役者)前半・後半」を聞く。3時から日記をつける。ベッドで休む。
6時起床。周りの山々の稜線がくっきり見える。今朝はホテルの屋上へ上がってみる。赤い太陽が上がってくるところが見えたが近くの大きな木のかげになるのかヒマラヤは見えなかった。窓際のベランダに大きな毛並みのいいサルが朝の散歩に来ていた。6時半朝食。朝食後屋上でヒマラヤが見える方向を教えてもらう。UAEの写真をコピーさせてもらう。ホテルのフロントで小銭に両替してもらう。同僚が剪定をしていてホテルの玄関の鉢植えにあったステビアの葉っぱを噛んでみる。不思議なほどの甘い味がした。ステビアは甘味料として1971年に大阪の守田化学工業によって世界で初めて商品化された。ステビオシドはショ糖の300倍の甘味度を持ち、ダイエット用食品や糖尿病患者用メニューなどに砂糖の代わりとして用いられている。1990年には大塚製薬の清涼飲料水である「ポカリスエット ステビア」が発売された。2007年6月、アメリカの大手食品メーカーであるザ コカ・コーラ カンパニーとカーギルが、24の特許を申請しステビア甘味料の販売を行うことが発表されている。8時半ホテルを出る。いつものババマハルのバス停に8時39分着く。サノティミ、バクタプール行きのバスに43分乗る。空いていて座れた。サノティミに9時25分着。この時にはバスはかなり混んでいた。今朝も太陽が出てきてから周辺の山の向こうにヒマラヤを見ることが出来た。オフィスには9時半に着く。洗面所で石鹸で手洗いしよくうがいをする。今朝はサンカルジーはまだ来ていなかった。9時45分。10時過ぎサンカルジーが珍しく遅く来る。オフィスのバスが来そうに無かったのでローカルバスで少し早く来たことを話す。今日も1日Excelグラフの自動化をやってみて少しわかってくる。16時40分さよならをしてバス乗り場へ。セキュリティの人に聞いたら朝のバスは無かったが夕方のバスは出るだろうと言うのでしばらく待つ。今日もヒマラヤが見えた。4時53分にバスが出る。ババマハルには17時25分に着く。ホテルに戻って荷物を片付けて日記をつける。夕食後18時半お風呂に入る。風呂上り10月9日のNHK杯将棋と囲碁をWebで見る。森内名人の強さが際立った将棋であった。NHKラジオを聞きながら腕時計のベルトの繕いをする。清水一行著「極秘指令」を読んで21時就寝。


ハーブの一種 ステビア

20090418_597410.jpg
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月11日(火) 晴れ 日の出6時1分、日の入17時39分 0時半 気温26℃、湿度75% ネパール201目
2011/10/11(Tue)

ラジオ深夜便午前3時台 〔にっぽんの歌こころの歌〕 思い出の流行歌:”鉄道””駅”の歌アラカルト
ああ上野駅、はつかり号は北国へ、函館本線 ほかを聞きながら日記をつける。くしゃみが3回でる。梨をむいていただく。ベッドで「溺れ谷」を読んで休む。6時起床。6時半朝食。今日は長期滞在のシニア3人だけの朝食であった。4階の部屋は暖かいので半ズボン、半そでで1階に降りると少し寒かった。食事後部屋に戻って長ズボン、長袖に着替える。今日もお天気で10月1日に雨季があけてずっと雨が降っていない。今朝の空は青く澄みわたっている。周辺の山々は霞がかかっている。今日もネパールはお祭りで休日である。8時までかかって「溺れ谷」を読了。これは昭和39年1月から40年2月にかけて「小説新潮」に連載された経済小説である。もう46年前に書かれたものだが今読んでも古さをあまり感じさせない。流石の作者であると感心しなおした。木戸ホテルの最上階に図書室がありお気に入りの著者の本もあって有難い。これまで読んだ本を返して、新しく本を借りる。結城昌治著「白昼堂々」を読む。11時前掃除を訊ねる部屋の電話が鳴ったとき部屋の椅子でうとうとしていた。ロビーでネパールティをいただきながらおしゃべりをする。今日も昼間周りの山のかなたにヒマラヤが見えていた。15時まで本を読んで過ごし昨日のグラフの自動化をもう一歩進められないか思い立つ。16時12分まで2つやってみたがエラーが出て思ったようには進めなかった。5時入浴。夕食後も読書。途中停電になるがしばらくして自家発電で電気がくる。「白昼堂々」を読了。これは昭和40年6月から12月にかけて「週間朝日」に連載された。連載後間もなく、北九州から上京した万引き集団十三人が検挙される事件が起こっている。今回これを読んでみてそんな事件の記憶がよみがえる。どういう結末で終わるのかに興味を持って読んでみた。デパートで万引きをした品物ではじめた店はこんどは逆に万引きをされ仕入れが止まる悪循環。事がことだけにハッピーエンドにはなるわけが無いが楽しませてもらった。休養の一日で風邪気味で少しのどに違和感があったが楽になった。20時就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月10日(月) 晴れ 日の出6時日の入17時40分 3時半 気温26℃、湿度78% ネパール200目
2011/10/10(Mon)

3時目を覚ます。寝汗をかいていたので下着をかえる。喉がすこしいがらっぽい。3時15分からラジオ体操をする。お湯を沸かして飲む。写真のアップをする。今日は何の日を聞く。1964年に東京オリンピックがあった。
1967年のこの日大雪山旭岳に登っている。頂上は大変な風雪であった。6時半朝食。ブータン旅行の話を聞く。
仏教国のブータンには奈良の大仏ほどの仏像が沢山あって歴史の遺産が多く残っていて国民の満足度が高い国だそうだ。日本人の観光客も多かったという。外国からの旅行者には1日50ドルの滞在費が必要だという。特別に招待ビサを持つとそれがいらないという。招待ビザはブータンに住んでいる人が外国人を招待するという申請が必要のようだ。読売新聞のノーベル平和賞の中東の3人の女性の記事とアフガニスタンでアメリカ介入後10年でタリバンの勢力が盛り返してきているという記事を読む。今なおアメリカはアフガンに10万人がいて今年1万人引き上げる計画だという。今日は山々は霞の中に隠れて見えない。8時 9時15分ホテルを出ていつものバス停で待つこと30分。オフィスのバスは来ないので9時53分ローカルバスに乗る。途中で座っているネパール人が席を譲ってくれて日本語で話しかけてきた。日本にはまだ行ったことはないが日本語を勉強したことがあるといっていた。普段は9時30分までに職場に行かなければならないが今日はまだダサインの続きなので少々遅れても構わないといっていた。10時23分サノティミに着く。今日はこれまでで一番ヒマラヤがよく見えたので写真に撮る。10時40分オフィスに出るとサンカルジーは既に来てパソコンに向かっていたUAEのお土産を渡してUAEの話をする。11時これから昨日の続き。11時4分 16時までに一応全部のグラフをやってみる。
今日はバスが早く出ると知らせにきてくれたので、急いで帰り支度をしてバスに乗る。16時7分発車。コティソールで降りる。そこからヒマラヤがよく見えたので写真に撮る。お天気も良かったのでホテルまで歩く。17時7分ホテルに帰る。今日はガネッシュさんがホテルに帰っていた。風呂が空いていたので直ぐに入る。風呂上りメールを見て返信して、メールを発信しておく。夕食後日記をつける。19時。今日のヒマラヤの写真をアップする。ベッドで「溺れ谷」を読んで20時就寝。23時目を覚ます。NHKラジオ深夜便を聞きながら昼にやったY軸%付きのグラフを作り直す。0時15分まででColor一覧表を作る。


コティソールから見えたヒマラヤ

2011_1010.jpg
この記事のURL | 未分類 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月9日(日) 晴れ 日の出6時日の入17時41分 9時 気温26℃、湿度72% ネパール199目
2011/10/10(Mon)

夜中目を覚ます。高杉良著「社長解任」、「社長の遺志」「名門商社の倒産」「エリートの脱藩」「あざやかな退任」を読む。また休んで6時起床。朝食は同僚と2人だけであった。朝食後庭のベンチで過ごしたが半そで半ズボンでは少し寒かった。8時から1つグラフを作る。ひとやすみしてメールを発信してから日記をつける。
9時50分まででもう1つ作る。リュックサックの肩にかけるベルトの接続部分のほつれを針と糸で繕う。それから炎天下、町へ買い物に出かける 10時10分。まだ道路を走る車は少なく街の店は半分ぐらいしか開いていなかった。近くの野菜市場でレモンと砂糖を買って近くの店でパンを買って11時半ホテルに戻る。レモンを洗って1.5Lの水を沸かして紅茶をつくる。昼食をいただいてから椅子にかけて松本清張著「溺れ谷」を読み始めるがすぐに眠くなってベッドに横になる。15時起きてレモンを4個搾りレモンティを作る。15時15分日記をつける。カトマンドの空には周りの山々の外からわき上がるような雲が出てきた。15時半 2つグラフを作る。お風呂に入る。風呂上り「溺れ谷」を読んでから18時夕食。夕食後メールを見るとバヌアツのドロシーさんからthe 4th Asia-Pacific INTACT (Asia-Pacific Integrity in Action) Community of Pacific (CoP) Meeting from 12 – 14 Octoberに息子のラルフさんが参加すると連絡があった。お忙しいでしょうがもし時間があったら連絡してくださいと返信しておく。ラルフさんはバヌアツでは将来を嘱望されている国会議員でマラポアカレッジの卒業式には首相のナタペイさんと2人で参加してスピーチをされた。ポートビラの首都圏でトップ当選をして国民の人気もある。ドロシーさんに似てハンサムな青年である。ラルフさんもナタペイ首相もマラポアカレッジの卒業生であった。明日からまた仕事である。19時45分 ベッドで「溺れ谷」を読んで20時就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月8日(土) 晴れ 日の出5時59分日の入17時42分 16時 気温26℃、湿度65% ネパール198目
2011/10/08(Sat)

夜中目を覚ます。「われレイテに死せず 下」を読む。6時半朝食。旅行の下着とズボン、シャツを洗濯に出す。
朝食は今日日本に帰られるという先輩とおしゃべりをする。カトマンドで見つけたという木の壷を見せてくれる。今日の夜中の便で香港に向かい、香港から明日の午後3時に福岡に着く予定という。ネパール人の知り合いから沢山の荷物を預かって日本にいるネパールの若者に届ける運び屋だとこぼされていた。今回が3回目だという方にネパールに何度もこられる理由を尋ねるとネパール人がいいと言っておられた。また世界中の裏側まで多くの3つ星、5つ星のホテルに泊まったがこのネパールの木戸ホテルは6つ星のホテルだと言っておられた。ホテルのスタッフが優しいこと、親身になって相談に乗ってくれるなどこれまで利用したホテルでは1番だと絶賛されていて聞いていてこちらも嬉しくなった。10時までブログの写真をアップしてから町へ買い物に出かける。
今日もまだ閉まっている店が多かったのでカリマティの果物、野菜バザールへ行くのはやめてカトマンド1大きなBHAT BHATENI SUPER MSRKETへ行く。ハム250g、チーズ500g、ヨーグルト1Kg、玉葱1Kg,トマト1Kgを買って帰る。帰り道タパタリ交差点で果物売りのおじさんから梨を2Kg買う。11時半ホテルに帰る。昼食後、4時半まででUAE旅行のブログの写真をアップし終わる。16時にナミさんが洗濯物を届けてくれる。風邪をひいたようで咳をしていた。同じような咳をプラカッシュさんもしている。自分も同じでかなりおさまったが時々少しでる。これから買ってきた玉葱の下ごしらえをしてトマトと梨とともによく洗う。16時35分 17時半お風呂に入る。風呂からあがって今日帰国される先輩を見送る。またお越しくださいと話すと来年は80になりますからこれが最後でしょうと言っておられた。これも、この荷物も親御さんから頼まれた荷物ですと見せてくれた。来る時は留学している若者から親御さんへの荷物を頼まれてきたのだという。タクシーに満載された荷物と一緒に出かけて行かれた。18時過ぎから夕食をいただく。夕食後 「われレイテに死せず 下」を読了。この本を読んで
再び横井さん小野田さんの生活を思った。この生活に較べたらネパールの生活は天国であると思う。しかし昨日聞いた話で、日本の大学の博士課程に留学していたネパールの若いご夫婦のネパールに戻って今6年生になるお子さんが、ネパールの食事が不潔だとしばらく口に出来なくて困ったという話を聞いた。このお子さんは将来は日本の大学を目指しているという。ただ日本の大学に奨学金をもらって行くのは大変難しいらしい。それよりネパールの大学を卒業してマスターかドクターを日本の大学で学ぶほうが奨学金をもらいやすいという。学歴社会のネパールではネパールの大学を出て外国で博士を取るのが幹部への近道である。22時就寝。

BHAT BHATENI SUPER MARKET

bhat bhateni super market
この記事のURL | 出発日 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月7日(金) 晴れ UAE6日目 ドバイ4日目、サルジャ4日目、ネパール193目日の出5時59分日の入17時43分 20時 気温25℃、湿度64%
2011/10/08(Sat)

夜中目をさまし、「われレイテに死せず 上」を読む。4時ナンを2枚コーラでいただく。5時ホテルをチェックアウトする。ホテルの前でタクシーを拾いサルジャ国際空港へ。5時20分着。タクシー代31AED。もう大勢のネパール人がエアー アラビアの受付カウンターに並んでいた。みんな大きな荷物を預けていた。受付カウンターでチケット3E座席のチケットをもらう。その次は出国カウンター。受付は黒い服を着た若い女性。セキュリティの兵隊が盛んに出国受付の女性に話しかけて仕事の邪魔をしていた。チケットには出国ゲート番号が印刷されていない。到着と出発を案内するTVモニターにも出国ゲートが出ていない。出発ゲートの近くのマクドナルドで残ったAEDでビーフとチキンのハンバーグを買っていただく。
このカフェテリアの脇に子供の遊び場があって、その壁の絵が良かったので写真を撮る。
2011_10_07_1.jpg
2011_10_07_2.jpg

それから出発ゲートを探しに歩いてみると既にネパール人らしき一団が並んでいる。訊ねるとネパール行きというのでその最後尾に並ぶ。手荷物検査をX線で調べられる。飲料はここでもお咎めがなかった。バスで飛行機まで移動してA320に乗り込む。帰りは窓際ではなかったので外を見るのはあきらめて「われレイテに死せず 下」を読んで過ごす。隣の若い女性はポカラからドバイのスーパーで働いているといっていた。2週間ほどポカラに帰ってまた働きに出ると言っていた。4時間があっという間であった。7時25分UAEサルジャ出発
13時05分カトマンド到着。
2011_10_07_3.jpg
ほぼ予定どおりだったようだ。空港で出国手続きカウンターではビザの無い人は長い行列だったが、ビザを持っているので直ぐ出国手続きを終えた。大勢のタクシーを勧誘する人に声をかけられたが「パルダイナ」必要ないと答えて空港の門の脇近くからのバスに乗る。
2011_10_07_4.jpg

バスの運賃は10ルピー。タクシーは300ルピー。最近ついに円がルピーを越えた。3月には10000円で8700ルピーだったのが現在は10000円で10270ルピーになってきた。道はダサインの休みで車が少なかった。久しぶりのホテルに戻って荷物を整理する。お風呂に入る。夕食はパンとナンとレモンティとバナナでいただく。夕食後7日分の日記をつける。21時20分 「われレイテに死せず 下」を読んで22時就寝。


この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月6日(木) 晴れ UAE5日目 ドバイ4日目、サルジャ3日目
2011/10/08(Sat)

8時朝食。ここの朝食は実にボリューム満点でよかった。記念のカップセットを2つ20AEDでいただく。ホテルをチェックアウトして地下鉄でドバイ バス ターミナルへ出かける。バスは9時50分出発途中渋滞は無くサルジャには10時30分に着く。サハラホテルまでバスセンターから歩いてホテルに14時チェックインということでまだ早かったので荷物を預かってもらう。東海岸への砂漠のバスツアーを聞いてみたが無いというので、兎に角東を目指すバス乗り場へ歩いて行く。いろいろ訊ね歩いて東海岸・オマーン湾を望むFujairahを目指すことにする。バスの運賃は25AED。11時45分バスはサルジャ バスセンターを出発。フジャイラ:Fujairahを目指す。
2011_10_06_01.jpg
途中片側2車線の舗装道路を約時速90Kmで走る。
2011_10_06_02.jpg
2011_10_06_03.jpg
15時フジャイラ:Fujairahに着く。
タクシーで昼食のなかなか高級なタイ料理レストランを案内してもらう。牛肉の八宝菜風の料理28AEDとナン3AEDをもらう。牛肉料理がとてもボリュームがあってしかも美味しかった。この後、
タクシーでオマーンオマーン湾を望む公園などに案内してもらう。
2011_10_06_06.jpg
2011_10_06_05.jpg
2011_10_06_04.jpg

黒い衣装で身を包んだ女性や子供など木陰にビニールを敷いて食事をしているグループがいくつもあった。オマーン湾の海の色は濃い青色だった。タクシーの運転手がサルジャに帰るのに、バスは無く乗り合いタクシーがあるというので、それに乗ることにする。乗り合いタクシーは運転手以外に助手席1名、2列目に3名、3列目に3名の客は合計7名まで乗ってサルジャまでの運賃は1人30AED。アラビア湾のサルジャからオマーン湾のフジャイラまで砂漠の路を100Km以上の距離を走って約700円の運賃は安かった。丁度その場所に着いたとき客が5人まで乗って待っていたところに我々2名が来たので直ぐ出発した。16時出発して途中時速130Kmで次々に先の車を追い抜いてサルジャには17時20分着。サハラホテルまで歩いてホテルにチェックイン。18時ロビーで待ち合わせサルジャの町に夕食に出かける。なかなか近くにレストランが少なかったのでネオンの賑やかなところを歩く。
途中モスクのスピーカーからイスラムの礼拝のお祈りが流れる。
2011_10_06_09.jpg
2011_10_06_10.jpg
2011_10_06_11.jpg

泊まったホテルの中にも礼拝用の一室があり、朝早くから大きなお祈りが聞こえてきた。各客室には礼拝で足に敷く綺麗なマットが置いてあった。ドバイのホテルでもあった。この日の昼食の牛肉料理がボリューム満点だったのであまりお腹が空いていなかったので夕食はフルーツジュースとナンだけにした。夕食後近くのスーパーマーケットでペプシコーラとナンとチョコレートを買う。ホテルへの帰り道は遠かった。ドバイにもサルジャにも猫をよく見かけたが犬は見なかった。カトマンドのように犬がいないから危険が少ない。暗くなっても歩道はいいし明るいので夜道は歩くの苦にならない。ホテルに帰ってシャワーを浴びて「われレイテに死せず 上」を読了。
「われレイテに死せず 下」を読んで就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月5日(水) 晴れ UAE4日目 ドバイ3日目
2011/10/08(Sat)

8時朝食。ボリューム満点の朝食をいただく。カップセットは10AEDだというので2ついただくことにする。
朝食後9時にホテルを出てアラビア湾を望むジュメイラ ビーチを目指す。歩いていけるとホテルの若い人に聞いたのだが、どうも歩くには無理そうなので途中で
タクシーに乗る。
2011_10_05_01.jpg
タクシーは20AEDほどでビーチに着く。白い砂浜でシャワーもある。色とりどりのビーチパラソルがあって大勢が泳いでいた。
2011_10_05_03.jpg
2011_10_05_04.jpg
2011_10_05_05.jpg
2011_10_05_06.jpg
1本1本のパームツリーにマスクをして水を電動ポンプでかけている人がいた。
2011_10_05_02.jpg
ここでもサービスをする人たちはアジアやアフリカの労働者であった。
道海辺でズボンを脱いで海につかり少し泳ぐ。ジュメイラ ビーチから見たアラビア湾はうすい水色だった。日焼けが怖いので長く日焼けしないうちにシャワーを浴びる。そのあとタクシーで高級お土産のビルを覗いてから、庶民的なショッピングセンターという
シティセンターモールを覗いて昼食にする。
2011_10_05_09.jpg
2011_10_05_11.jpg
2011_10_05_12.jpg
2011_10_05_13.jpg
2011_10_05_14.jpg
2011_10_05_15.jpg
大きなフロアーの周りに中華や日本料理、ピザやマクドナルドなどがあってその中が広いオープン食堂になっている。ここで中華のチキンヌードルをいただく。とてもいい味だった。小さなお土産を買って地下鉄でAl Riggaまで乗ってホテルに戻る。
2011_10_05_16.jpg
夕方5時45分ホテルを出てタクシーでフジヤレストランへ行く。ここでもネパール人の青年が働いていておしゃべりをする。チラシ寿司とにぎり寿司をいただく。
2011_10_05_20.jpg
2011_10_05_19.jpg
2011_10_05_17.jpg
2011_10_05_18.jpg

100AEDであった。帰りもタクシーで帰ってシャワーを浴びて「われレイテに死せず 上」就寝。タクシーは真新しくて大抵トヨタの車である。空港からのタクシーの初乗り運賃は20AEDだがそれ以外の初乗りは3AED。早朝は4AEDで最低料金は5AEDのようだ。UAEのサルジャ空港から市内まで50AEDであったが、早朝5時に市内からサルジャ空港までの運賃は初乗りが4AEDで31AEDであった。タクシーは清潔でメーターどおりで端数は切り上げをする。車は目的地についてお金を払おうとする間にメーターが上がることがしばしばあった。チップは基本的に必要ない。前の助手席に座るとシートベルトをつけることが義務付けられている。運転手はインド人、バングラデシュ人、パキスタン人などがいた。


この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月4日(火) 晴れ UAE3日目 ドバイ2日目
2011/10/08(Sat)

朝シャワーを浴びて8時ホテルの1階に併設しているイランレストランで朝食。コーンフレークを牛乳でいただき、ナンをマーガリンとイチゴジャムでいただき、ゆで卵とトマト、キューリ、ジュースと紅茶をいただく。
2011_10_04_01.jpg
ホテルオリジナルの四角のカップが気に入ったので四角い皿とセットで譲ってほしいと話してみる。バングラから来ているという若い青年がマネージャーに話をしてみるといった。フロントに砂漠のサファリというツアーを申し込む。16時出発で夕食と踊りと歌のショーがついて150AEDという。
2011_10_04_03.jpg
少し休んで地下鉄で海辺のThe Palm Jumeilrahの近くの34番駅Dubai Internet Cityを目指す。この日は1日メトロとバスが乗り放題で16AEDというカードを買う。最初に17番駅のAl RiggaからDubai Internet Cityで降りる。この駅前にはORACLEとMcAfeeのビルが並んであった。暑い中を歩いて邸宅や大学などのビルを覗いたが目指すThe Palm Jumeilrahまではたどりつけなかった。次いで25番駅のDubai Mall Stationから209階建ての超高層ビルBurj Khalifa209階建て828mをまじかで見る。
2011_10_04_06.jpg
これは2004年9月から2009年10月まで6年の歳月をかけて完成された。
ついでDubai Mallを見る。ここにはいきなり大きな水槽があって魚が泳いでいた。
2011_10_04_07.jpg
2011_10_04_08.jpg
ここでミックスジュースをいただく。Dubai MallからバスでDubai Mall Stationまで行き、Al Riggaに帰る。帰ってシャワーを浴びて横になる。16時ロビーに出て砂漠サファリの迎えの車を待つ。明日の夕食の日本料理レストランを予約しておく。
16時45分迎えのトヨタ4WD4,500CCで運転手と客が6人で出発。
2011_10_04_09.jpg
途中でみやげもの店に寄ってタイヤの空気圧を下げる。
2011_10_04_10.jpg
夕方の砂漠をジェットコースターのようにあぶなっかそうな坂を登り降りする。
2011_10_04_12.jpg
2011_10_04_13.jpg
その終点が砂漠の中のステージと観客席がしつらえてあって女性の踊りからはじまった。
2011_10_04_14.jpg
2011_10_04_15.jpg
両手につるしたロープの先に火をつけて振り回して踊る踊りや、
服を廻してその中に電気で光らせながら踊る汗だくのショーを見せてくれる。
2011_10_04_16.jpg
2011_10_04_17.jpg
2011_10_04_18.jpg
19時半ごろから夕食が準備できたので全員並んで野菜サラダやチキン、ビーフやレバーの串焼きの山盛りをいただく。イランからの観光客が多かった。
20時過ぎ終了となったが帰り道で左後輪のタイヤが外れてその修復に時間がかかり、ホテルに帰りついたのが23時を過ぎていた。
シャワーを浴びて神子清著「われレイテに死せず 上」を呼んで就寝。
この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月3日(月) 晴れ UAE2日目、ドバイ1日目
2011/10/08(Sat)

朝7時ホテルのロビーで同僚と待ち合わせ町へ出かける。先ず海まで歩く。
続いてサルジャ フィシュ マーケット魚市場に出る。
2011_10_03_02.jpg
とても多くの種類の新鮮な魚が並んでいた。
マグロ、かつお、鯵、金目鯛、もろこのような魚もあった。
2011_10_03_03.jpg

魚市場で魚をさばいている魚屋さんは全員出稼ぎ労働者のようだった。魚市場に海鮮料理のレストランを期待したが無かった。
イスラムの青いモザイクの建物を覗いてみる。
2011_10_03_04.jpg
ショッピングセンターでまだ店は開いていなかったが大きな空間全体に良く冷えていた。
2011_10_03_05.jpg
産油国ならではの電気エネルギーも贅沢に使っている。
広場の芝生などには水やりの為のゴムホースが敷設されていて中にはそこから水漏れがしていて水たまりが出来ているようなところもあった。
2011_10_03_06.jpg
ホテルには8時20分帰った。汗をかいたのでシャワーを浴びて朝食は同僚の部屋で一緒にパンとジュースをいただく。
11時半まで休んでチェックアウトする。
2011_10_03_01.jpg
サルジャ バスセンターまで歩いて12時ドバイ行きの2階建てバスに乗る。
2011_10_03_07.jpg
運賃は7AED。現在も尚40-50階建ての建物の建設ラッシュは続いている。
2011_10_03_08.jpg
しかし出来た高層ビルにも空き家が多いようでどのビルにも大きな電話番号の数字が広告されている。借主募集の広告である。
2011_10_03_09.jpg
途中車の大渋滞であった。ドバイには2両連結バスが走っていた。
2011_10_03_11.jpg
ドバイバスセンターへは13時半に着く。
2011_10_03_13.jpg
バスセンターにはいろいろなレストランが並んでいた。
海老の揚げ物ととんかつのサンドイッチとイチゴミルクジュースをいただく。
2011_10_03_12.jpg
海老のフライには思いがけずナンがついていたのでサンドイッチは食べきれず、ナンとサンドイッチは持ち帰りにしてもらうように頼んだら容器に入れて包んでくれた。DubaiのAl Ghubaiba Bus Stationから歩いて3分ほどのところに地下鉄のAl Ghubaiba StationがありドバイのホテルのあるAl Riggaまで地下鉄に乗る。
2011_10_03_15.jpg
この地下鉄は地上にも顔を出す。日本の銀座線と同じだ。
2011_10_03_14.jpg
地下鉄は明るい構内で親切な説明員がいて、ホームにはガードマンもいて安全、快適だった。
4つ目の駅まで料金は6.5AED。地下鉄Al Riggaからドバイのホテル Baisan Plaza Hotel Apartmentまでは歩いて約3分。ホテルに15時前チェックイン。ホテルはダブルベッドで冷蔵庫、TV、シャワー、洗面所、台所、電子レンジ、トースター、アイロン、食器などもあって室料は1泊朝食込み税サ込みで3906円。ネットで約2か月前に予約しておいた。シャワーを浴びて横になる。6時ホテルで教えてもらったシーフードレストランに出かける。ここのウェイターはスリランカやネパールの若い男性、ウェイトレスはフィリピンの若い女性であった。ロブスター、海老、かに、イカ、白身の魚などの海鮮炉辺焼きと野菜いためとセブンアップをいただく。満腹になってホテルに帰り就寝。夜中目を覚まし「三億円事件の謎」を読了。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
10月2日(日) 晴れ カトマンドの日の出5時56分日の入17時49分 2時 気温26℃、湿度80%UAE1日目、ネパール192目
2011/10/02(Sun)

2時起床。NHKラジオが入らずABCラジオ1008を聞きながら日記をつける。今日はいよいよUAE(United Arab Emirates) Sharjajへ出かける。出発は14時50分。搭乗手続きは11時50分からである。UAE入国ではビザが必要ない。カトマンドから出国の空港使用税は1695ルピー。UAEから出国の場合の空港使用税は約990円。今日の泊まりはSahara Hotel。これから場所を地図で確認する。持っていくものはパスポートと円とルピーと下着と手帳と洗面道具デジカメに傘、レインコート、Hotel Voucher,Air Chiket予約書。ぐらいか。荷物はリュックサック1つ。2時半 3時15分から島根県松江市の人達とラジオ体操を久しぶりでする。A4紙2枚で12ページの
UAE旅行の手帳を作り、ホテルとパスポートの情報を書いておく。「一年半待て」を朝までで読了。朝食後荷物の準備をする。着替えの準備は1組だけにして洗剤アタックを小さい袋に入れて持っていく。11時まで出かける準備。これから出かける。10時57分 11時15分ホテルを出る。ババマハルのバス停まで歩いてバスを待つ。11時35分バスに乗って空港へ。途中車が多くて大渋滞。
12時出発ロビーに着く。
2011_10_02_01.jpg

12時過ぎ出発のエアーアラビアのカウンターで受付をする。13時50分と14時50分のUAE Sharjha行きがあって予約していたのは14時50分のUAE Sharjha行きの臨時便。
12時半と搭乗手続きを終え3Fのチケットをもらう。空港使用料金1695ルピーは航空券に含まれているということで必要なかった。それから出発受付の椅子にかけて昼食をいただく。12時55分出国用紙を記入して出国カウンターでパスポートに出国スタンプを押してもらう。13時30分X線による手荷物検査を通る。ベルトでブザーが鳴る。ペットボトルの飲料は没収されなかった。
13時40分搭乗待合室でTVを見る。
2011_10_02_02.jpg
中国行きの待合室は中国人でいっぱいだった。
空港にはブータンの飛行機も居た。
2011_10_02_03.jpg
14時50分に13時50分発のSharjha行きが離陸。
2011_10_02_05.jpg
14時50分に14時50分発の臨時便の機内に搭乗。
2011_10_02_04.jpg
黒雲がカトマンドの空を覆う。15時48分にようやく14時50分発臨時便A320が離陸。180座席のうち乗客は15名、客室乗務員は男1名女2名であった。日本人2名以外は全員ネパール人のようで男性の若者が多かった。離陸して雲の中を通る時は機体のブレと急下降などがあって怖い思いをした。8分後右手にヒマラヤが見え出し、ヒマラヤのマウンティンフライトさながらの景色を堪能する。
2011_10_02_06.jpg
2011_10_02_07.jpg
2011_10_02_08.jpg
2011_10_02_09.jpg
2011_10_02_10.jpg
2011_10_02_11.jpg
2011_10_02_12.jpg
次に現れたのがインドの広い平野と町並みを見ることができた。
その後はアフガニスタンあたりか荒涼とした禿山の山々続く。
2011_10_02_13.jpg
平らな砂漠が現れる。様々な自然の姿に見とれる。
2011_10_02_14.jpg
やがてアラビア海が見えてきて地平線に赤い太陽の日没を見る。
2011_10_02_15.jpg
Sharjha国際空港には20時2分着陸。
2011_10_02_16.jpg
4時間14分のフライトであった。現地時間では18時17分着陸。Sharjha国際空港は近代的な明るい清潔な空港であった。空港で1000円を両替すると44AEDであった。1AED=約22.7円空港から市内のSahara HotelまでTaxiで50AEDであった。
UAEは外国人出稼ぎ労働者の流入で年々増加していて2005年に410万人が2009年末で506万6,000人、2010年度は830万人と急増している。現在ではUAEの人口の80%が外国人で占められているという。途中渋滞していて30分かかったがタクシーは日本よりかなり安い。
Sahara Hotelホテルにチェックインするとホテルがパスポートを預かる。
2011_10_02_17.jpg

ホテルは3つ星でダブルベッドで冷蔵庫、TV、シャワー、浴室、洗面所、カードキーで室料は1泊税サ込みで3250円。ネットで約2か月前に予約しておいた。荷物を置いてホテルを出ると外はハワイのようであった。少し歩いて近所で夕食をとる。きしめんに似た麺の焼きうどんといったものをいただく。少し塩辛かった。夕食後ホテルへ戻りシャワーを浴びて下着を手洗いしてから、ベッドで三好徹著「三億円事件の謎」を読んで就寝。

この記事のURL | ボランティア ライフ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ